啐啄 9

 毎年、黒色槍騎兵艦隊の遠征前に、全体会議で司令官のビッテンフェルトがその年の遠征計画を告げるのはいつものことである。普段ならあまり目立たないその議題が、今回は周囲から注目されていた。
「今、叛意の噂があるビッテンフェルト元帥に兵を持たせるのは危険である!」と一部の閣僚達が騒ぎ出している。その為、黒色槍騎兵艦隊の兵士達も、明日行われる会議を気にしていた。
 黒色槍騎兵艦隊は帝国軍の中で、いろいろな意味で存在感のある艦隊である。司令官ビッテンフェルトの性格が艦隊全体によく反映しており、男気に満ちた気質の兵で固められていた。一つの目的に向かう団結力は特に定評があり、集中すると他の艦隊には真似できないような技を見せる事もよくあった。時折脱線して世間を騒がせるようなお茶目なところもあったが、一度黒色槍騎兵艦隊の性質に馴染むと、もうこの艦隊から抜けられなくなると言われるほど、不思議な魅力に満ちた艦隊であった。
 その黒色槍騎兵艦隊が、このところの司令官ビッテンフェルトを貶めるような噂に、怒りを露わに殺気立っている。古参の幕僚の中には、戦争中に起こしたダウンディング街騒乱事件を思い出す者もいた。
 それは昔ハイネセンで、ビッテンフェルトがオーベルシュタインによって軟禁されたことを不満に思っていた彼の部下たちが、憲兵隊と小競り合いの末、本格的な武力衝突寸前までエスカレートした事件である。
 もし今回の遠征からビッテンフェルトが外されるとしたら、爆発寸前の兵士達はその不平をそんな暴動によって示すかも知れない。その昔、自分の妻が危篤の際にあっても司令官の任務を遂行していたビッテンフェルトを知っている兵士達からみれば、噂を盾に我が司令官を解任することなど許せない行為なのである。
 又、ビッテンフェルトのいつもと違う様子をずっと見守ってきた黒色槍騎兵艦隊の幕僚達も、詳しい事情を知らないが故に兵士達同様、不安を募らせていた。
 明日の会議で、ビッテンフェルトはずっと避けていたアレクと顔を合わせることになる。ミュラーやワーレン達は、ヨゼフィーネの妊娠発覚以来初めて顔を合わせる両者の動向を気にしていた。 
 周囲が落ち着かない夜を過ごしている頃、ビッテンフェルト自身も焦りの中、ヨゼフィーネのいる別荘に向かって地上車を走らせていた。



 ハルツにあるビッテンフェルト家の別荘は、辺りに建物はなく自然の中の一軒家である。従って真夜中は静寂そのものでシーンとしている。そんな中、寝室で休んでいたエリスは、ある物音ではっと飛び起きた。思わず隣の部屋の様子を伺ったが、ヨゼフィーネが起きた気配は感じられなかった。それに今の物音は、どちらかと言えば隣の部屋からではなく上の屋根裏部屋の方からしたような気がして、エリスは確かめることにした。
 まず、隣の部屋の様子を探る。今夜のエリスはヨゼフィーネが気になって、何度もその姿を確認している。先ほど彼女の寝顔を見てから、まだ三十分も経っていない。エリス自身、些か度が過ぎているような気もしていたが、不安な気持ちが消えなかったのである。
 昼間、ミュラーやマリーカ達の前で感情的になったヨゼフィーネは、興奮状態に陥った。(あんな事があったのだから、神経質になるのも仕方ない・・・)と自分を納得させて、先ほどと同じようにエリスはヨゼフィーネの寝室のドアを静かに開けた。


「フィーネ?」
 思わずエリスが声を上げた。先ほど迄ベットで寝ていたヨゼフィーネの姿が見あたらない。驚いたエリスは名を呼びながら、その姿を捜し回った。そして焦る気持ちを抑えながら、先ほど物音がした屋根裏部屋に急ぐ。
 物置として使っている屋根裏部屋は、普段はそれほど出入りをしない場所であった。エリスが屋根裏部屋のドアを開けると、小さな天窓から月明かりが零れていた。その朧気な光は、床に無造作にあった一枚の肖像画を照らしていた。
 その絵の彫刻で飾られているフレームの一部分が欠けて、破片が床に散らばっている。
(先ほどの物音は、どこかに置いていたこの絵が床に落ちた音なのだ!)とエリスは気が付いた。
「フィーネ、ここにいるの?」
 エリスは明かりを付け辺りを見渡したが、ヨゼフィーネは見つからない。
(家の中にいないとすれば、フィーネは外に出たと考えるしかない!)
 エリスは、急いで部屋を出ていった。
 絵に描かれていた人物は、亡きオーベルシュタイン軍務尚書であった。ここに彼の肖像画が置いてあることは、誰も知らなかった。この別荘の以前の持ち主は、オーベルシュタインの執事をしていたエーレンベルグ氏である。その繋がりを考えれば、オーベルシュタインの肖像画が、ここにあったとしても不思議な事ではない。
 ビッテンフェルトがこの別荘を購入したとき、妻のアマンダが元々置いてあったこの絵を、夫の目に触れることのない屋根裏部屋にしまっておいたのであろう。アマンダにとっては、オーベルシュタインは忘れがたい上官であったが、ビッテンフェルトとは仲が良かったとはとても言えない人物でもあったのだ。
 アマンダが亡くなってからこの絵は、その存在に誰も気が付かないまま、何年もこの部屋に置かれていた。従ってこの絵が、まるでヨゼフィーネの危機をエリスに知らせるかのようなタイミングで落ちて音がしたのは、全く謎であった。



 ライトを手に持って外に出たエリスが、ヨゼフィーネを捜す。ヨゼフィーネの名を叫ぶエリスの声が、山々に反響していた。しかし、辺りには何の動きもない。エリスの不安が高まったとき、ビッテンフェルトの声がした。
 思いがけなく現れたビッテンフェルトに、エリスは泣き声で伝える。
「フィーネがいないのです!」
「落ち着け、エリス!フィーネがいないことに気が付いたのはいつ頃だ?」
「三十分ほど前、ベットで寝ていたフィーネを確認しています。でも、今見たらいなくなっていて・・・」
「よし、まだそんなに時間が経っていないんだな!大丈夫だ。暗くて見通しがきかない夜道は、そんなに早くは歩けない。フィーネは、まだこの辺にいるはずだ。捜せば必ず見つかる!」
 不安から取り乱す寸前のエリスだったが、ビッテンフェルトが現れた事で落ち着きを取り戻していった。二人でヨゼフィーネの名を必死で呼ぶ。捜しながらエリスは、彼女が行きそうなところをずっと考えていた。

昔、迷子になったフィーネを
フェルナーさんが見つけ出してくれたことがあった
数年後、フェルナーさんから
「あのとき、高い木の枝にちょこんと座っていた女の子がヨゼフィーネだった」と、
笑いながら打ち明けられた事がある
もしかしたら・・・

 昔の出来事を思い出したエリスが、ビッテンフェルトに声をかける
「ビッテンフェルト提督、木の上も捜してみてください!」
「木の上?」
 ビッテンフェルトは思わず、目の前の木々をライトで照らした。そのとき、照らされた一本の木の上の方に、白い影が見えた。ビッテンフェルトとエリスが思わず顔を見合わせる。その影の正体は、白いネグリジェ姿のヨゼフィーネであった。


「フィーネがあんな高いところに・・・」
 かなり高い場所の枝に立っているヨゼフィーネを見て、エリスが絶句する。
「俺がフィーネのそばに行く!エリスはフィーネを照らしていてくれ!」
 ビッテンフェルトはそう言うとライトをエリスに手渡した。そして、上着を脱ぎ捨て、ヨゼフィーネのいる木を登り始める。
「フィーネ、そこを動くな!じっとして居るんだ・・・」
 ビッテンフェルトは祈りながら、暗闇の中を登っていた。
 だいぶ登ったビッテンフェルトに、ヨゼフィーネの姿が見えてきた。しかし、よく見るとヨゼフィーネの足場となっている枝は細く、今にも折れそうだった。ヨゼフィーネ自身を支えている事すら難しい状態に思われ、ビッテンフェルトはこの木でそこに辿り着くのは無理と判断した。そこで彼は隣の木に飛び移り、枝づたいにヨゼフィーネのところまで進む事にした。
 ようやくビッテンフェルトがヨゼフィーネの近くまで来たとき、小さく呟いている娘の声が聞こえた。
「私は産むのが怖い・・・。母上、助けて・・・」
 暗い空に向かって母親のアマンダに救いを求めているヨゼフィーネに、ビッテンフェルトは驚かせないように静かに声をかける。
「フィーネ、俺だ!」
 ヨゼフィーネは微かに反応したが、父親の方を向こうとはしなかった。
「フィーネ、俺の話を聞いてくれ!昔、入院していたアマンダを見舞ったとき、あいつから言われたことがあった」
 彷徨っていたヨゼフィーネの視線が、ビッテンフェルトに向けられた。
「アマンダは『俺が、三人の孫に囲まれている夢を見た』と言っていた。しかも『みんな同じような年頃の男の子だった』とはっきりとな!きっとその子達は、テオとヨーゼフ坊や、そして今お前のお腹の中にいる赤ん坊が成長した姿なんだ。アマンダはその夢の中の俺を『孫に囲まれて、幸せそうなおじいちゃんだった』と言って笑っていた」
 ヨゼフィーネは涙を溜めた目で、ビッテンフェルトを見つめる。ビッテンフェルトは危険な場所にいる娘の注意を自分に向けさせるため、必死になって話を続けた。
「これは俺が遠征に行く直前で、アマンダとは最後に逢ったときの会話だったからよく憶えている。あいつは、何もかも知っていたんだ。お前が陛下の子を身籠もる事も・・・」
「・・・母上は知っていた?」
「そうだ!俺に三人の男の孫が出来るとアマンダは言っていた。あいつは、とっくの昔にお前のお腹の子を受け入れていたんだよ。だから、フィーネは産むことを怖がらなくていい・・・。その赤ん坊は、この世に生まれる運命なんだ!」
「産まれる運命・・・」
 ヨゼフィーネが小さく呟いた。そして、ビッテンフェルトの必死になって延ばしていた手にようやく反応した。
「父上・・・」
 ヨゼフィーネがビッテンフェルトの手に触れ移動しようとしたとき、今までヨゼフィーネの重みに耐えていた足元の枝が折れた。
「危ない!」
 反射的に飛び出したビッテンフェルトはヨゼフィーネを抱きかかえ、全身で庇いながらそのまま落ちていった。
 落ちていく二人の枝を巻き込む音が、闇に響く。エリスが慌てて落ちた場所に駆け寄り、暗闇の中の二人をライトで照らす。そして、上腕に枝が刺さっているビッテンフェルトの姿を見たとたん、思わず悲鳴を上げていた。



 明くる日、全体会議の開始時間になっていたが、ビッテンフェルトは姿を見せていなかった。
「陛下も御臨席する大事な御前会議なのに、今日もビッテンフェルト元帥は欠席ですか?」
 ビッテンフェルトとは犬猿の仲であるマリーンドルフ男爵が、これ見よがしに議長のワーレンに問いかける。帝国の軍事予算削減と軍備縮小を唱えるマリーンドルフ男爵にしてみれば、軍人のくせに態度が大きいビッテンフェルトは気にくわない存在なのだ。
「最近、訳のわからない理由を持ち出して陛下と顔を合わせないと評判ですが、今回もですか?黒色槍騎兵艦隊の遠征が議題になっているこの会議に、司令官が欠席とは・・・。世間で騒がれている噂やこのところのビッテンフェルト元帥の行動を見る限り、艦隊を預ける事に不安を感じているのは私だけではないはずですよ!」
 マリーンドルフ男爵はこのときばかりと皮肉混じりで訴え、「毎年恒例の艦隊遠征は不必要!」とまで言いだした。そんな彼に、軍務尚書のミュラーが応じた。
「マリーンドルフ男爵、ご安心ください。ビッテンフェルト提督は必ず出席しますよ。彼は黒色槍騎兵艦隊の司令官なのですから・・・」
 ミュラーがマリーンドルフ男爵に、世間でよく<軍務尚書の武器>とまで言われる温和な笑顔を向ける。ミュラーの必殺技のキラー・スマイルで、毒気を抜かれてしまった男爵がつい言葉を飲み込む。そうしているうち、皇帝のアレクが会議場に姿を現した。
 アレクを迎えて、会議は始まった。ビッテンフェルトはまだ来ていなかったが、議長を務めるワーレンに焦った様子はなく、いつものように冷静に会議を進めている。その余裕が、マリーンドルフ男爵には面白くない。
 黒色槍騎兵艦隊の遠征についての議題が始まる寸前、ようやくビッテンフェルトが姿を現した。
「大事な会議に遅れて、申し訳ない!」
 ビッテンフェルトの声はいつもと変わらなかったが、その姿に皆、息を呑んだ。
 車椅子に座っているビッテンフェルトの左の腕は三角巾で吊っており、軍服は羽織っているだけの状態であった。又、左足は骨折したらしく、ギブスで固定されている。ビッテンフェルトの片手でのおぼつかない車椅子操作を、オイゲンが後ろでさり気なく補助していた。しかもよく見ると、ビッテンフェルトの顔に、いくつかの擦り傷さえある。誰もが彼の怪我に驚き、(ビッテンフェルト元帥は、何か事件にでも巻き込まれたのでは?)と予想してしまった。
 政治に不満を持つ者が国家の重鎮であるビッテンフェルトを襲ったという可能性もあるし、あるいは最近の噂を鵜呑みにして先走った連中から襲われたという事も考えられる。閣僚達がきな臭い想像を巡らし、会場はざわめき始めた。そのときアレクが、ビッテンフェルトに尋ねる。
「ビッテンフェルト、その怪我はどうしたのだ?」
 会場はシーンとなり、皆、緊張の面持ちでビッテンフェルトに注目した。
「あの~、実はコケちゃいまして・・・」
 この一言で、全員ずっこけた。
「はは、昨夜、迂闊にも自宅の階段を踏み外して転げ落ちてしまって...。年を取ると足にくるっていうのは、本当ですな!いや~、面目ない!」
 会場の緊張が一気にゆるみ、苦笑が漏れ始める。そんな中、ビッテンフェルトは一通の診断書をアレクに提出した。
「陛下、こんな状態のジジイが艦隊遠征に行くのでは、周りの迷惑になってしまいます。従って今回の遠征には、司令官の代理を立てる事をお許しいただきたい・・・」
 アレクはビッテンフェルトの診断書を確認した。
「左足の複雑骨折、肩、背中の打ち身、それに腕に切り傷?・・・全治三ヶ月か。しかし、これが階段から転げ落ちた怪我か?卿は、一体どのような転び方をしたのだ?」
「はは、さすがの私も年を取りましたよ。身体が思うように動きませんでした。おまけに飾っていた置物にぶつかって、腕にまで傷を負ってしまいましたよ。自分では、うまくよけたつもりだったのですが・・・」
 アレクとてこの怪我の不自然さに気が付いている。しかし、本人がこう言っている以上、ここで追求するわけにもいかない。
「判った。司令官代理の件は承知した。・・・黒色槍騎兵艦隊は卿の艦隊とも言える。従って司令官代理の人選は全て卿に任せる!」
「御意!では早速ですが陛下、司令官代理を指名させていただきます」
 心づもりがあったのか、ビッテンフェルトがすぐさま伝える。
「現在、陛下の直属となっているロイエンタール大佐に、今回の遠征の司令官代理を任命します」
 いきなり自分に話が振られたフェリックスが慌てた。
「はぁ?私が?・・・あのぁ~、私では不適任かと思われます。地位にそぐわないし、だいいち私には艦隊勤務の経験がないのですよ!」
 フェリックスが意外な顔をしたのも無理もない。彼はアレクが全体会議に出席するときだけ側近として一緒に来ているだけで、全体会議の正式なメンバーではない。アレクの補助的な立場になっているだけの彼は、自分が会議で指名されることなど考えてもいなかった。ましてや、あの黒色槍騎兵艦隊の遠征に、自分が関わる事など想像すら出来ない。
「陛下は俺に人選を任せると言った。従ってこれは陛下の命令でもある。お前、勅命に逆らうのか?」
 有無を言わせぬ迫力でビッテンフェルトがフェリックスを問い詰める。
「し、しかし・・・」
 思わずフェリックスはアレクを見つめた。アレク自身、予想外の事で戸惑っているようだったが、頼み込むような目をフェリックスに返した。アレクがビッテンフェルトの意見を受け入れたいと思っているのは、フェリックスにもよく判っている。あのヨゼフィーネの一件以来、アレクはビッテンフェルトに対して負い目を持っている。ずっと苦しんでいる彼を、フェリックスは一番近くで見守ってきた。
 フェリックスは心の中で大きな溜息をついた。そして、アレクのために、不本意ながらもビッテンフェルトの命令に従うことに決めた。
「ご命令とあれば・・・」
 了承の言葉とは裏腹に、憮然とした表情を隠せないフェリックスであった。人から見れば、黒色槍騎兵艦隊司令官代理は降って湧いた大役であるように思われたが、彼にしてみれば迷惑そのものなのだ。
「後で正式な辞令を交付する!」
 ビッテンフェルトはフェリックスにそう告げるともう彼に構わず、会議の議題に入った。来たる遠征について、ビッテンフェルトは次々その計画を発表していく。艦隊勤務が初めてとなるフェリックスは、その言葉を青ざめながら聞いていた。
 報告が終わった後、アレクがビッテンフェルトに話しかけた。
「ビッテンフェルト、卿はこの帝国の重鎮であり、私にとっても大切な人間だ。いつまでも長生きして、そばにいてもらわなければ困る。今後は充分静養して、身体を大事にするように!」
「御意!」
 アレクのこの言葉で、閣僚達は<陛下とビッテンフェルトの仲が上手くいっていない>という最近の噂を否定し、彼に向けられていた叛意の疑いを打ち消した。



 会議が終了し、ミュラーがビッテンフェルトのそばに赴く。 ビッテンフェルトの怪我の事情はエリス経由で知っていたミュラーだが、会議がこのような展開になるとは予想していなかった。
「それにしても、フェリックスに司令官を任せるとは考えましたね!黒色槍騎兵艦隊の暴動を恐れていた閣僚達も、陛下の信頼が厚い側近のフェリックスに兵を任せることによって、その心配がなくなるでしょう」
「ミュラー、今回の事、俺の独断で決めてしまって悪かったな・・・」
「いいえ、いいんですよ。実は以前からフェリックスの事は、ミッターマイヤー元帥からも頼まれていたのです。フェリックスは士官学校卒業以来、配属はずっと陛下直属です。陛下が彼を離したがらないせいもあるのですが、フェリックス自身にも少し問題があるようで、ミッターマイヤー元帥は少しそれを気にしておられました」
「フェリックスに問題?」
「ええ、フェリックスは士官学校時代、不幸な巡り合わせで、ある教官から反乱者の息子という目で見られていたようなのです。その反動なのか、フェリックスには忠誠の為に生きるという気持ちが強すぎる為に、陛下から離れたがらない傾向があるとミッターマイヤー元帥が心配しておられました。それで私に『陛下の希望もあることなのでフェリックスの配属を変えるのは難しいとは思うが、出来るだけいろいろな軍務を経験させたい』と話しておられました。私もその方がフェリックス自身は勿論のこと、陛下の為にもなると考えていました。それで、よい機会を捜していたのです」
「そうか・・・。ただ俺は、陛下の片腕のフェリックスには、艦隊を指揮する器量を身につけて欲しいとずっと思っていたんだ。なのに奴は、艦隊勤務の経験すらない。いくら理論は優秀でも、現場を知らない者に兵は従わないからな・・・」
「ええ、黒色槍騎兵艦隊の遠征の司令官代理は、願ってもないチャンスです。フェリックスも黒色槍騎兵艦隊の兵士達にもまれて、いい経験が出来ることでしょう。しかし、いろいろ懸念していた今日の会議が、無事丸く収まってほっとしました」
「・・・これは<怪我の巧妙>だな!」
 ビッテンフェルトが笑いを浮かべる。咄嗟の行動が結果的に良い状況に結びつくというビッテンフェルトの得意技に、ミュラーはいつものように感心する。
「はは、しかしその怪我、きちんと直さないとダメですよ!年をとってからの怪我は、後々神経痛になって悩まされると聞きますから・・・」
 ビッテンフェルトのここに至るまでの様々な葛藤を充分知っているミュラーだったが、笑いの種にする彼に合わせてミュラーも笑いで突っ込んでいた。
「でも、二人とも助かってほっとしました。実はエリスからの第一報はかなり動揺していて、私は咄嗟に最悪の事態を予想してしまいましたよ・・・」
 明け方の騒動を思い出しながら、ミュラーが伝える。
「つい先ほども、エリスから連絡がありましたよ。動揺していたフィーネも落ち着いてエリスに『もうこんな無茶な事はしない!』と誓ってくれたそうです。それにしても、一緒に落ちた提督の怪我に比べて、フィーネが無傷だったのは奇跡的でしたね」
 安心した表情のミュラーに、ビッテンフェルトが頷いた。
「いろいろ心配かけて済まなかったな。それにミュラー、助かったのは二人でなくて三人だ!」
「ええ、そうでしたね」
「俺はこれから暫くハルツの別荘で静養する。・・・フィーネのそばにいてやりたいんだ」
「判りました。後のことは私達に任せてください」
 ミュラーが笑顔で応じた。

ビッテンフェルト提督が、フィーネの赤ん坊を受け入れた
避けていた陛下とも、逢って話を交わした
・・・これで、一歩前進できた

 ミュラーには、ビッテンフェルトとヨゼフィーネが今回、一つの大きな山を乗り越えたような気がした。まだまだ問題は残っている。しかし、このときのミュラーは、心地よい小さな安堵感を感じていた。


<続く>