啐啄 2

 周囲を慌てさせたルイーゼの出産騒動だったが、その後の経過は順調だった。数日後、ルイーゼは産まれた赤ん坊と共に無事退院した。今はやんちゃ盛りの上の子テオドールと、ヨーゼフと名付けられた赤ん坊の育児に追われている。
 二人の孫を持つ身になったビッテンフェルトも、自宅で飲むよりワーレン家に押し掛けて、もう一人の祖父であるワーレンと一緒に<孫達の顔を肴に一杯!>という酒が多くなった。


 平穏な日々の中、ビッテンフェルトは皇妃であるマリアンヌのお茶に呼ばれた。マリアンヌが結婚前のまだモーデル夫人だった頃、ビッテンフェルトとはルイーゼを間に少しばかり交流があった。しかし、マリアンヌが正式な皇妃となってからは、ビッテンフェルトは臣下の一人として接するようになっていた。従ってビッテンフェルトとマリアンヌが話をするときは、公的な場所で他の元帥達と一緒というのが殆どである。
 今回、王宮の女官がわざわざビッテンフェルトの元に訪れ、<ビッテンフェルト元帥をお茶に招きたい!>というマリアンヌの希望を直々に伝えた。しかも、場所が王宮ではなくてグリューネワルト邸だった事に、ビッテンフェルトは(お茶の招待というのは表向きの事で、なにか内密な話があるのだろう・・・)と考え、皇妃の招待を承知した。



 数日後、柔らかな日差しが入るグリューネワルト邸のサンルームで、マリアンヌとビッテンフェルトは差し向かいでお茶を共にしていた。
「ビッテンフェルト元帥、お久しぶりです。ルイーゼは元気にしておりますか?」
「ええ、お陰様でもうすっかり良くなりました。毎日、子ども達相手に走り回っていますよ」
 ビッテンフェルトの言葉に、マリアンヌは安心したように微笑む。
「それはよかった。テオのお兄ちゃん振りが目に見えるようです。今度産まれた赤ちゃんは、なんでもビッテンフェルト元帥にそっくりと伺いましたが・・・」
「はは、下の子はルイーゼに似たようです。きっと、気の強いきかん坊になることでしょう」
「これで、ビッテンフェルト元帥もワーレン元帥も、お孫さんが二人になりましたね。賑やかで羨ましいです・・・」
 そう言ってマリアンヌは、手に持っていたカップをソーサーの上に置き、改まってビッテンフェルトを見つめた。
「今日、お呼び立てしたのは、ビッテンフェルト元帥におりいって頼みたい事がありまして・・・」
 なんとなく言いづらそうにしているマリアンヌに、思わずビッテンフェルトが促す。
「皇妃!どうぞ、遠慮なさらずに仰って下さい」
「あの・・・陛下に、側室をお持ちになることを薦めて欲しいのです」
「側室!?」
 意外な頼み事で目を丸くするビッテンフェルトに、マリアンヌは話を続ける。
「無論、このような事を家臣から進言されれば、陛下は御機嫌を損ねるかも知れません。ビッテンフェルト元帥には、ご迷惑な頼みになって申し訳ないと思うのですが・・・」
「ちょ、ちょっと待って下さい。皇妃、何かあったのですか?」
「・・・いえ、特には・・・」
 一瞬、間があったマリアンヌだが、静かに首を振って否定した。
「ただ、陛下は後継者を得る可能性を広げるべきだと思いまして・・・」
 寂しそうなマリアンヌの様子に、ビッテンフェルトは言葉を探しながら懸命に応じていた。
「マリアンヌ皇妃、そのぉ~、前回のご懐妊は残念な結果となってしまいました。しかし、ご夫妻がお世継ぎを諦めるには早すぎませんか?」
「ビッテンフェルト元帥・・・以前、私が妊娠したときの周囲の喜びは大変なものでした。そして、流産したときのショックと落胆も・・・。誰もが『この次は!』と望んでいます。その気持ちは充分わかっています。しかし、私はその期待に押しつぶされそうになってしまって・・・」
 ビッテンフェルトは、はっと気が付いた。ビッテンフェルト自身、皇妃の懐妊の知らせに大喜びし、不幸な結果には確かにがっくりと落胆したのだ。
 済まなそうな顔をしたビッテンフェルトを見て、マリアンヌが気遣った。
「すみません。あなたにこのような事を・・・」
「いいえ、もし私で良ければ何でもお話し下さい。心に閉じこめておくというのは、ご自身のストレスになります。こういう事は言葉にして、どんどん吐き出した方が良いのです」
「今日は、愚痴をこぼすためにビッテンフェルト元帥を呼んだつもりでは無いのですが、つい・・・。ビッテンフェルト元帥のお気持ち、嬉しく思います。でも、私より陛下をお救いください。陛下は苦しんでおられます」
「えっ、陛下が苦しんでいるとは?」
「陛下こそ、誰よりも強くローエングラム王朝のお世継ぎを望んでおられるのです。ただ私に遠慮して、あまりその事には触れませんけど・・・。でも、私には陛下が苦しんでいることがよく判ります」
「う~ん」
(王朝の後継者が絡む部分とはいえ、臣下の俺がこのような問題に踏み込んでいいものだろうか・・・)
 ビッテンフェルトは考え込んでしまった。
「ビッテンフェルト元帥、これは私の希望でもあるのです・・・」
 ビッテンフェルトはマリアンヌの様子からも(側室の存在を、妻である皇妃が望むとすれば、やはりそれなりの理由<わけ>があるのだろう・・・)と察した。
「陛下の私に対する誠実なお気持ちは、一人の女性としてとても有り難いと思っています。しかし、ローエングラム王朝の次の世代の事を考えれば、私には陛下の想いが少しばかり負担になるときもあるのです。陛下に割り切って貰えたら・・・と。その方が、私も気が楽になります。ビッテンフェルト元帥が側室を薦めることで、陛下の気持ちに変化をもたらすことになれば・・・と思いまして・・・」
 どことなく思い詰めたマリアンヌの表情に、ビッテンフェルトが思わず返答した。
「判りました。皇妃がお望みなら、私から陛下に進言してみましょう」
「ありがとうございます、ビッテンフェルト元帥。元帥さえ承知してくださったのでしたら、私も安心出来ます。よろしくお願いします」
 マリアンヌはほっとしたような顔で礼を言う。
「今度ルイーゼに、私がヨーゼフ坊やに逢いたがっていると伝えてください。ルイーゼと坊やの体調の良いときに、王宮に顔を出してくれるのを待っています」
「判りました。ルイーゼも喜ぶでしょう」
「だだし、<くれぐれも無理をしないように!>ということも伝えてくださいね」
「はは、ルイーゼも今回周りを騒がせた事で、少し自重しているようです。どうも私から<思い込んだら突っ走る!>という悪い癖を受け継いでしまったようで・・・」
 ビッテンフェルトの言葉を受けて、マリアンヌがにこやかになる。しかしビッテンフェルトは、一見元気そうに見えるマリアンヌの表情の奥に、なにやら悩みがあることを感じていた。



 グリューネワルト邸からの帰り道、ビッテンフェルトは自分の元帥府には戻らず、寄り道して可愛い孫達が居るワーレン邸を訪れていた。
 ビッテンフェルトはマリアンヌと友達同士のつき合いをしている娘のルイーゼから詳しく話を聞いて、今日頼まれた件の参考にしようと考えたのである。
 ちょうどテオドールとヨーゼフ坊やのお昼寝タイムと重なったようで、ビッテンフェルトは孫達の寝顔を見ながらルイーゼと話し込んだ。
 ビッテンフェルトから大まかなマリアンヌの様子を聞いたルイーゼは、これまでの事を父親に打ち明ける事を決めた。
「・・・以前皇妃さまに誘われ、王宮のちょっとした催し物にテオを連れて行った事があります。皇妃さまがテオを可愛がる様子を見て、『もし、後継者に恵まれなければ、この子を養子に迎えればいいのでは!二人の元帥の血を引くこの子なら、誰も文句は言わないでしょう・・・』と、嫌みを言ったお方がおられました」
「テオを?」
「ええ、その場の空気が変わったのを憶えています。帰り際、皇妃さまが『気にしないで、いつでもテオを連れてきて・・・』と私を気遣ってくださいましたけれど・・・」
「はぁ?、どうすれば、そんな話が出てくるんだ!テオは臣下のアルフォンスの息子だぞ!」
 信じられない言葉に、ビッテンフェルトが驚いた。
「皇妃さまを虐めたいのでしょう。まだ周囲には、マリアンヌさまを皇妃として認めたくない方達がいるのです。あの方達は、陛下や皇太后さまの前だと、牙を隠すのに、いない所では遠慮がないのです。ちょっとしたことでも言いがかりをつけて攻撃してきて・・・」
「なんと・・・」
「私の方もお祖父さまの看病があったり、ヨーゼフを身ごもったりして忙しくなってしまい、ずっと王宮から足が遠のいています。皇妃さまの様子は気になっているのですが・・・」
 ビッテンフェルトはルイーゼから、マリアンヌが皇妃になった事をまだ快く思っていない貴族達が、彼女に様々な嫌がらせをしている事を知らされた。
「先日も、皇妃さまからヨーゼフへのお祝いの品を持ってきてくれた女官が、私にこぼしていましたよ。『このままだと、皇妃さまがあまりにもお可哀想だ!』と・・・。私がテオやヨーゼフを生んでから、周りの目が一段と厳しくなったようです。あの流産の件でも、皇妃さまをかなり責めていたようですし・・・。皇妃さま自身は何も仰いませんけど、お辛いものがあると思います」
「う~ん・・・」
 ビッテンフェルトは、マリアンヌを正式な皇妃と決めたあの会議を思い出していた。
(あのとき、反対派の貴族達にまだ不満が残っているのは知っていたが、三年以上経ってもまだ皇妃を受け入れられないとは・・・)
「陛下が側室を持つということで、皇妃さまの負担が和らぐというのであれば、父上が陛下に進言されても構わないと思います。きっと周囲の風当たりも違ってくるでしょう。陛下と共に歩む決意をされてから、どんなことにも弱音を吐くことが無かった皇妃さまだけに、こんな事を頼むのはかなり気持ちが参っているのかもしれません。陛下が皇妃さまを大切にする気持ちは、よく判るのですが・・・」
 最後は溜息混じりになっていたルイーゼであった。
「ルイーゼは皇妃の考えに賛成か?」
「ええ、諸手を挙げて賛成というわけではありません。でも、今の皇妃さまのお立場を考えると、それを一つの選択として選んでもいいのかも・・・と思います。でも、もし皇妃さまに御子が出来たときの事を考えたら、悩むところでもありますが・・・」
「判った!どうも俺には、宮廷の内情がよく判らなくてなぁ~」
「でも父上、もし陛下に側室の事を進言するとしたら、言葉は少し選んだ方がいいですよ。デリケートな問題ですし、陛下からまた<口喧しい年寄り>と思われて御不興を買うことにならないように!」
「そんなこと判っているわい!」
 娘のルイーゼの遠慮ない指摘に、ビッテンフェルトも負けずに言い返していた。



 <思い立ったら、即実行!>のビッテンフェルトは、皇妃とお茶を飲んだ翌日、早速アレクに会って話をしていた。
「陛下、率直に申し上げます!陛下に、側室をお持ちになることをお薦めします」
「!?・・・」
 人払いを要請してから話し始めたビッテンフェルトが何を言い出すのかと思いきや、意外な言葉でアレクは目を大きくして驚いた。
「・・・ビッテンフェルトは皇妃の味方だと思っていたが・・・」
 寂しそうな目をしたアレクが、残念そうに呟く。そして、深い溜息をついた後、ビッテンフェルトに質問してきた。
「ビッテンフェルト、結婚した卿の娘のルイーゼに、もし子どもが出来なかったとしたら、夫のアルフォンスにも同じような事を言うのか?」
 ビッテンフェルトはアレクの問いに、即答で答えた。
「もしルイーゼが子どもに恵まれず、アルフォンスが<子どもが欲しい!>という理由だけの為、他に女性を求めたとしたら、私は彼をぶっ飛ばすでしょう!」
 その答えに便乗してアレクは、ビッテンフェルトに問い質す。
「では、何故私にこんな事を言う?もしマリアンヌに父親がいたとすれば、同じような気持ちになると思わないか!」
 皇妃のマリアンヌには、後ろ盾となる実家がない。アレクは後ろ盾とまでいかなくても、ビッテンフェルトには父親のような気持ちでマリアンヌを見守って欲しいと願っていた。それ故、このような問いかけとなった。
「では仮に、ルイーゼが皇妃になっていたとします。そして、懐妊に恵まれずにいる場合、私は今と同じような事を進言するでしょう。針のむしろ状態の娘の痛みが、少しでも和らぐようにです」
「針のむしろ!ビッテンフェルトは、マリアンヌが針のむしろに座っているとでもいうのか!私との結婚生活は、皇妃にとってそのような苦痛を与えていると?」
 アレクが声を震わせて激怒していた。
「いいえ、陛下、普通の結婚であれば、私はご夫妻の幸せに何の心配もしないでしょう・・・。ですが今の状態では、皇帝である陛下の愛情が深ければ深いほど、皇妃の負担も大きいとは思いませんか?」
「ビッテンフェルト、もういい!!お前も世継ぎを産んでいないマリアンヌを責めているのだろう」
「責めているのではありません。皇妃の立場を考えればこそ・・・」
 ビッテンフェルトが怒り出したアレクを諫めようとしたが、彼はすでにビッテンフェルトの言葉を聞く耳が持てなくなっていた。
「マリアンヌを皇妃にしたのは、間違っているとでもいうのか!確かに彼女には、いろいろな気苦労をかけていることは知っている。だからこそ、私はマリアンヌを何よりも大切にしている。ビッテンフェルトに私の気持ちなど、わかるものかぁ~!」
 後継者の問題は、現皇帝のアレクの中では大きな悩みとなっていた。自分自身の一番痛いところをつかれたアレクは、つい大声になっていた。
「ビッテンフェルトは、私達夫婦の仲にひびを入れる気か?これ以上余計なことを言うな!」
 アレクは、ビッテンフェルトは皇妃のよき理解者と信じていた。結婚前の八方ふさがりだったマリアンヌに力を貸してくれたのはルイーゼであったが、父親のビッテンフェルトの考えも大きく影響していると感じていた。アレクは、ビッテンフェルトこそマリアンヌの強力な味方だと思い込んでいたのだ。それだけに、そのビッテンフェルトから側室を薦められた事で、裏切られたような気持ちで一杯になった。そしてその大きな落胆がアレクの感情を、すっかり高ぶらせた。興奮して怒り出したアレクは、ビッテンフェルトを追い出すように自分の部屋から下がらせた。



 アレクの荒げた声は、控えの間にいた親衛隊長のキスリングと次の謁見のため待機していた軍務尚書のミュラーにも聞こえる程だった。こんなに激しく怒る事のないアレクだけに、キスリングとミュラーは思わず顔を見合わせていた。
 ちょうど部屋から出てきたビッテンフェルトに、ミュラーが心配して声をかける。
「ビッテンフェルト提督、大丈夫ですか?」
「おう、ミュラー、次はお前だったのか!悪いな、お前の前に陛下を怒らせてしまって・・・」
「いったい何があったのです?陛下があんなに声を荒げるとは・・・」
「いや、いつものお節介が過ぎただけさ!」
 ビッテンフェルトのお小言を、若い連中が苦い顔で受け止めるのは確かにいつもの事ではある。しかし、こんなにアレクの逆鱗に触ることはなかった。
「じゃな~」
 ビッテンフェルトは、ミュラーとキスリングに挨拶すると立ち去った。怒られることを予想していたのか、落ち込むような気配はなかった。ビッテンフェルトの様子に少しばかり安心したミュラーは、頃合いを見てアレクの待つ部屋に入っていった。


 まだ興奮がさめていない様子のアレクが、入ってきたミュラーに問いただした。
「軍務尚書、もし子供がいない卿に、後継者を得るためだけに愛人を薦められたらどうする?」
 いきなり問いかけられた質問で、ミュラーには先ほどの騒動の原因の見当が付いた。
「・・・私には考えられないことです」
「そうだろう!ビッテンフェルトは、何故そのような不愉快な事を私に押しつけるのだ!こちらの気持ちなどお構いなしに・・・」
 ビッテンフェルトに対してまだ怒りを見せているアレクに、ミュラーが諭すように話す。
「陛下のお気持ちは判ります・・・。ただ、私達夫婦に子供がいようがいまいが、この銀河帝国の歴史には影響はないでしょう」
「・・・軍務尚書の言いたいことは判っている。だが、ビッテンフェルトからこんな事まで言われるのはもうたくさんだ!私は、奴の説教やお小言にはうんざりしている」
「ビッテンフェルト提督には悪気はないのです」
「悪気がないからといって、何を言ってもいいとは限らないだろう!」
「まあ、そうですけれど・・・」
 憮然としたアレクの態度に、怒りがまだ収まっていない事が伺える。ミュラーは、そんなアレクを諭してみた。
「確かに若い陛下から見れば、ビッテンフェルト提督の言葉は、うっとうしいと思われるかも知れません。しかし、陛下に遠慮無く物事を言える家臣は、貴重な存在かと思いますよ」
「・・・判っている。ただ、ときどきどうにもやり切れなくなる・・・」
「陛下は、ビッテンフェルト提督の言葉を直球で受け止めるから、ダメージが大きいのです。ビッテンフェルト提督は、ときには言葉を変化させて投げているときもありますよ。言葉を真っ直ぐ受け止めず、少し違った角度で受けとめてみたらどうでしょう。同じ言葉でも感じ方が変わってくると思います」
「言葉の変化球?ビッテンフェルトは本当にややっこしい男だな・・・。軍務尚書は長年のつき合いだから、奴の投げる言葉が判るだろうが、私にはどれが直球でどれが変化球なのか区別がつかないぞ!」
 まだ少し強い口調のアレクに、ミュラーが温和な表情を見せて別の話を持ち出した。
「陛下、ある哲学者の創った<やまあらしのジレンマ>という寓話をご存じでしょうか?」
「いや、どんな寓話なのだ?」
「簡単に言えば、『二匹のやまあらしが、互いに身を寄せ合って寒さを避けようとしていた。ところが、身を寄せ合うと棘でお互いを傷つけてしまう。それで、何度も近づいたり遠ざかりながら、ついに相手をそれほど傷つけることなく暖めあえる距離を見出すことができた』という内容なんですが・・・」
「ふ~ん」
「陛下も、ビッテンフェルト提督の関係を、このように心がけてみたらどうでしょう。そのうち、お互いの程良い距離を得る事が出来ると思います」
「軍務尚書、その寓話はなかなか良い例え話だ。だが、ビッテンフェルトと私の場合、傷つくのはいつも私だぞ!だいいちあの男が傷つくということがあるのか?」
 思わずミュラーが苦笑いをする。
「ビッテンフェルト自身が傷つかなければ、程良い距離も自覚できまい」
 吐き出した溜息と共にアレクが呟いた。
「あの男が傷つく事があるとすれば、娘達になにかあったときぐらいであろう・・・」
 アレクが何気なくこの言ったこの言葉が、のちにミュラーをずっと苦しめる事になったのである。


<続く>