ヨゼフィーネの妊娠の経過は順調で、安定期に入りフェリックスの心配も一息ついた。
士官学校では妊娠しているヨゼフィーネの代わりに、学長であるワーレンが宇宙実習の引率を担当することになった。
新たに購入した練習艦に、嘗ての自分の旗艦と同じ名を付け、宇宙実習に出航するたび見送る学長の姿は、ワーレンが練習艦サラマンドル<火竜>に乗って宇宙に行きたがっている事を如実に物語っていたし、教官たちは学長が宇宙に行く機会をずっと狙っていた事も知っている。それだけに、妊娠中で宇宙実習への引率が出来なくなったヨゼフィーネの代理を、学長自らが引き受けても、誰も異議を唱える者はいなかった。
学長が教官の代わりに宇宙実習に赴いて、不在の学長の代わりを副学長が務めるという珍しい状況に、教官たちは笑うしかなかった。
夜も更けたある晩、寝室で寝ていたフェリックスが、隣にいる筈の妻がいないことに気が付き、心配になって起き上がった。照明を抑えた薄暗い部屋の中、ソファーに座って何だか落ち込んでいる様子のヨゼフィーネを見つけたフェリックスが声を掛ける。
「眠れないのかい?」
「あら、フェリックス、起こしてしまった?・・・だって、お腹の赤ちゃん、昼は全然動かないくせに、夜になると活動的になるの・・・」
ヨゼフィーネが自分のお腹をさすって伝える。
「そうか・・・。でも、眠れないのはそれだけかい?何だか悩んでいるように見えるが・・・」
「いえ、そんな・・・」
「でも、君の顔に<悩み事がある!>と書いてあるよ・・・」
わざと冗談めいて笑いを誘うように持ち掛けた夫に、ヨゼフィーネも軽く笑って口を割る。
「大した事ではないのよ。最近、レオンハルト皇子が士官学校に来なくなったな~と思って・・・。やっぱり、ヨーゼフと一緒じゃないと心細いのかしらね・・・」
(やはり、気にしていたんだ・・・)
フェリックスも、以前よりレオンハルトの足が士官学校から遠のいている事に気が付いていた。
「う~ん、ヨーゼフが幼年学校に入学してからは、レオンハルト皇子と一緒にいる時間が減ってしまったからな・・・。ワーレン学長も宇宙に行ったりして不在のときがあるから、皇子は士官学校に行くタイミングが取れないのかも知れない。何だったら俺の方で、君と皇子の逢う段取りをつけようか?」
フェリックスの提案に、ヨゼフィーネがきっぱりと断った。
「・・・いいえ、フェリックス、折角だけど遠慮しておく。最初にお願いしていたように、レオンハルト皇子から私に逢いたいと言ってきたとき以外は、あなたは動かないで・・・。私は、<自分からは行動しない!>と決めているの・・・」
ゆっくり首を振るヨゼフィーネに、フェリックスが思わず説得する。
「フィーネ、もう、そこまで徹底しなくてもいいんじゃないかな・・・。陛下も皇妃も、君とレオンハルト皇子が自然に行き来するような関係になって欲しいと望んでいる訳だし、君だってレオンハルト皇子に逢いたいんだろう?」
「ええ・・・でも、あの子を手放したとき、決めた事があって・・・。私の中のけじめだから・・・」
フェリックスの質問にそう答えると、ヨゼフィーネは寂しそうな笑顔を見せた。
(う~ん、まだまだだな・・・。レオンハルト皇子が絡むと、フィーネはこういう顔になってしまう・・・)
「フィーネ、レオンハルト皇子だって本当のところは、君に逢いたがっているんだよ。只、引っ込み思案なところがあるから、自分から表だって言えないだけで・・・」
フェリックスが妻を慰める。
「フィリックス、本当にそう思う?私、もしかしたらレオンハルト皇子が士官学校に来なくなったのは、私が妊娠している事が原因なのかもって考えてしまうときがあるの・・・」
「それは、君の考え過ぎだよ!」
妻の考えを、フェリックスが即座に否定した。そんな夫に、ヨゼフィーネは自分の心配を打ち明ける。
「でも、自分と父親が違う弟か妹が生まれるということは、子どもにとっては複雑な心境だと思うわ・・・。レオンハルト皇子がどう思っているのかを考えると不安になるの・・・」
「陛下は、レオンハルト皇子に君の妊娠を伝えたとき、皇子は素直に喜んでいたって仰っていたよ」
フェリックスが<大丈夫だ!>と言わんばかりにそう伝えたが、ヨゼフィーネの表情は今一つである。
「なぁ、フィーネ・・・俺の夫婦としてのお手本は、ミュラー夫妻なんだ。彼らみたいにお互いの仕事を尊重して、何でも話し合える夫婦になりたいと思っている」
突然言い出したフェリックスの夫婦の理想論に、ヨゼフィーネは夫の意図を感じながら返答した。
「ええ、私も、ミュラーおじさんやエリス姉さんのような素敵な夫婦になりたいわ・・・」
妻の同意を得たフェリックスが、ヨゼフィーネの予測と同じ質問をする。
「なぁ、フィーネ、レオンハルト皇子を手放したとき、君が決めた事って何だい?無理にとは言わないが、よかったら俺に教えてくれないかな?皇子の事に関すると、君は一人で悩みを抱え込む癖があるから、心配なんだ・・・」
自分の予想通りの展開に、ヨゼフィーネが頷きながら応じた。
「・・・あの頃は自分が結婚するなんて、全く考えていなかったから・・・」
そう言って前置きした後、ヨゼフィーネが告げた。
「まず、レオンハルト皇子に自分が母親だと名乗らない事。そして、生涯独身で、子供はもう生まないと決めた事・・・」
苦笑いするヨゼフィーネに、フェリックスも思わず苦笑する。
「う~ん、それは俺が邪魔立てした事だな・・・。達成できなかったのは君の責任じゃないよ・・・」
自分がヨゼフィーネに言わせた事だけに、フェリックスも笑って誤魔化すしかなかった。
「あと、レオンハルト皇子と皇妃さまのテリトリーを侵さない事。そして、私自身がローエングラム王朝の役にたつ軍人になると決意した事。・・・だから、あの後すぐ、士官学校に進んだの・・・」
「そうか・・・。ローエングラム王朝の役にたつ軍人になりたいというのは俺も同じ思いだし、その件ではお互い協力し合えると思う。それから、レオンハルト皇子と皇妃とのテリトリーについてだが、皇子が小さい頃ならまだしも、成長するにつれ皇子自身が皇妃と接触していない独立した自分の世界を育んでいる。そこへ君が入り込んだとしても、彼と皇妃とのテリトリーを侵しているとは言えないだろう・・・」
「でも・・・私が自分で決めた事だから・・・」
自分自身にも言い聞かせるようなヨゼフィーネを見て、フェリックスは少し考え込んでしまった。
母と子のテリトリーか・・・
今の良好な状態で、なにもそこまで拘らなくてもいいと思うが・・・
それとも、母親同士の距離感に、俺が鈍いだけなのか?
ルイーゼに相談してみようか・・・
皇妃とフィーネの両方の気持ちが理解できるだろうし、
俺が判らない母親の心理に、気が付くかもしれない・・・
難しい顔のフェリックスに、ヨゼフィーネが伝えた。
「フェリックス、面倒くさい奥さんでごめんなさい・・・。あなただったら、家庭を守る普通の女性を妻にできたのに・・・。私がややこしい立場の人間だから、あなたはいろいろ気を使って・・・」
「どうしたんだい?フィーネ!」
ヨゼフィーネの殊勝な言い方に、フェリックスの口許が思わず緩む。
「俺は君を選んだんだ!君にプロポーズしたとき<理想から思いっきり外れているタイプ>って言われた俺なんだよ!時間をかけて、やっと君を口説き落とした。それに、最初に言われた<子供を産まない!>という条件も覆して、こうして赤ん坊を産んで貰える。これ以上の幸せはないよ。他の女性との結婚なんて考えたこともないのに、そんな寂しい事を言わないでくれよ!」
和ますような夫の言葉に、ヨゼフィーネは少し照れくさそうに言った。
「フェリックス、ありがとう!私を選んでくれて・・・。私、あなたでなければ結婚していなかったし、こうして再び赤ちゃんを産むという事もなかったと思う。あなたがいつも私を支えてくれるから、私は幸せだわ・・・」
「本当にどうしたんだい?急にしおらしくなって・・・。いつもの君らしくないよ・・・」
口ではそう言ってからかったフェリックスだが、何だか心細そうなヨゼフィーネを見て自分の胸に引き寄せた。
(う~ん、やっぱりナーバスになっている・・・。明日にでも、ルイーゼに相談してみよう・・・)
フェリックスは抱きしめたヨゼフィーネの感触からも、妻の気持ちが不安になっているのを感じていた。
翌日、フェリックスはワーレン家を訪れていた。
「フィーネの調子はどう?」
「うん、体調の方は大丈夫だが、何だか精神的に少し不安定になっているようだ・・・」
フェリックスの心配顔に、ルイーゼが応じる。
「妊娠中はホルモンバランスが崩れやすいから、いろいろとナーバスになりやすいのよ。マタニティー・ブルーとか産後鬱という言葉があるくらいだから・・・。フィーネ、あなたに病院の事を相談した?」
ルイーゼの問いかけに、思い当たるところがなかったフェリックスが「いや、特には・・・」と返答する。
「あら、やっぱり話していなかったのね。私は『フェリックスに相談しなさい!』って言ったんだけれど・・・」
「妊娠の経過に、何かあったのかい?」
意味が判らず不安になったフェリックスが、ルイーゼに説明を求めた。
「いえ、赤ちゃんは順調に育っているからそれは大丈夫よ!只、フィーネの方で、今回のお産もライナー先生にお願いしたいという気持ちが出てきたみたいで・・・」
「それは初耳だ・・・。病院で、何か不都合な事でもあったのかな?」
今通っている病院で赤ん坊を産むとばかり思っていたフェリックスが、妻の予想外の考えに驚いた。
「いいえ、フィーネにしても、今の病院にとりたて不満があるという訳ではないのよ。只、ライナー先生は母上の主治医でもあったし、レオンハルト皇子もフィーネ自身も、その先生が取り上げてくださったでしょう。父上の信頼も大きいし、それにフィーネは前回の妊娠ではライナー先生に精神的にも随分助けてもらった事もあって、彼をとても慕っているの・・・」
「そうか・・・」
(なんでも話し合える夫婦になりたいって言ったばかりなのに、俺には話してくれなかったのか・・・)
姉のルイーゼには相談したのに、夫の自分に打ち明けてくれなかった事に、フェリックスが軽く溜息を付く。
「でも、そのライナー先生って、ハルツに住んでいるんだろう?という事は、フィーネはレオンハルト皇子のときと同じように、ハルツの別荘で赤ん坊を産みたいって思っているのかな?」
フェリックスの質問に、ルイーゼが軽く首を振って伝える。
「それはフィーネの希望の一つであって、あの子は、あなたの傍で産みたいって気持ちも強いのよ。『産休の長い休みは、フェリックスに普段できない奥さんらしい事をしたい!』って言っていたしね・・・。あなた達二人は、いつも仕事で忙しくて、すれ違いも多いでしょう。多分、フィーネは、あなたと過ごす時間の方を優先させたから、ハルツの事は敢えて言わなかったのかも知れないわ」
ヨゼフィーネから相談されていなかったフェリックスが、少しがっかりしているように感じたルイーゼは、妹の気持ちを代弁する。
「それに私としても、今の病院の方がすぐ駆けつけられるから、こっちで産む方が何かと都合がいいのも確かなのよ・・・。でも、フィーネのライナー先生を慕う気持ちも判るし、お産を信頼できるお医者さまに任せたいという妊婦の心理も判るから・・・」
「そうか・・・」
<産休の長い休みに、普段できない奥さんらしい事をしたい!>というヨゼフィーネの健気な気持ちや自分の希望より夫の傍で赤ん坊を産む事を優先させている様子に、フェリックスは心がじんわりと温かくなった。そして、何とか妻のどちらの希望も叶えさせたいと思い始めた。
「なあ、ルイーゼ、フィーネと相談してからの話になるけれど、赤ん坊をハルツで産むっていう事も選択肢のひとつに入れても大丈夫かな?」
「ええ、勿論!私は、フィーネがどこで赤ちゃんを産むにしても、できる限りのバックアップはするつもりだから安心して!」
「ありがとう!フィーネと話し合ってみるよ」
何か良い解決策が浮かんだようなフェリックスの様子に、ルイーゼが安心する。
「ところでフェリックス、あなたの相談事ってなんなの?」
ルイーゼの質問に、フェリックスが今回の訪問の目的を話す。
「うん、実はフィーネとレオンハルト皇子の事なんだ。フィーネは皇子に逢いたがっているのに、自分から動くことを嫌がる。レオンハルト皇子と皇妃のテリトリーを侵したくないって言っているんだ。だが皇妃は、レオンハルト皇子とフィーネが気軽に行き来する関係になって欲しいと願っているし、特に皇子は成長すると立場的に様々なしがらみが出てくるから、今のうちに遠慮なく逢わせてほしい・・・と俺に頼んでいる。それに皇子だって、本当のところはフィーネに逢う機会を求めていると思うんだ。只、大人しいタイプだけに、周りに遠慮して自分から言えないだけで・・・。それで、この状況を上手く解決させたいんだが、君の意見も聞きたくて・・・」
フェリックスから打ち明けられたルイーゼは、「そう・・・」といって、何か考えるように一呼吸置いた。
「・・・あの子は・・・フィーネは、自信がないのよ。産んですぐ手放した息子が、自分を慕ってくれているのはとても嬉しいし有り難いと思っている。父上から、『皇妃に託すのであれば、赤ん坊はビッテンフェルト家とは関わりのない子となる!』と念を押されて、生涯見守るだけの覚悟をして手放しただけに、レオンハルト皇子が自分を想ってくれている事は、母親としてとても感謝しているのよ。だからこそ、変にでしゃばってレオンハルト皇子に嫌われてしまうのが怖いのよ・・・」
「レオンハルト皇子はフィーネを純粋に慕っている。嫌うなんてあり得ないよ。それにフィーネは、普段から悪いほうに考えて臆病になる・・・」
二人の性格をよく知っているフェリックスが、ルイーゼにそう伝えた。
「フェリックス、もし、あなたを産んだ女性が突然現れて、あなたと育ての親であるミッターマイヤー夫人との関係がぎこちなくなったとしたら、あなたは彼女をどう思うかしら?ずっと上手くいっていた親子関係に変なひびが入るような事になったら、あなたは実の母親が出てきたことを疎ましく思うようになるかも知れないでしょう・・・」
「・・・そんな想定、考えた事もなかった・・・」
ヨゼフィーネとレオンハルトの関係を、自分の状況に置き換えて説明するルイーゼに、フェリックスは戸惑った。
「あなたを産んだ女性も、息子に逢って嫌われたり疎ましく思われるのが怖いから、自分から行動を起こせないのかも知れないわ。逢って嫌いになられるよりは、忘れられた存在のまま見守るだけの方がまだいいと・・・。ミッターマイヤー家の息子として幸せに暮らしているあなたやご両親に遠慮して、母親として逢いたい気持ちを抑えていた可能性だってありえるし・・・そう思わない?」
自分の実の母親の心情を問うルイーゼに、フェリックスは素っ気なく応じる。
「・・・さぁ、どうだろう?俺は、実の母親の性格を知らないから何とも言えない。それに、彼女、案外俺の事など忘れて、今は夫と子供がいる自分の家庭を持っているかも知れないぞ!」
他人事のように話すフェリックスに、ルイーゼが尋ねる。
「それこそ、フィーネみたいに?」
「あっ!・・・いや・・・」
覗うように自分を見つめるルイーゼを前に、フェリックスは言葉に詰まった。実際、結果だけ見れば、ヨゼフィーネとて独身で産んだ子供を他の女性に託して、その後、結婚して自分の家庭を持っているという事になる。言葉が出ないフェリックスに、ルイーゼが諭すように話す。
「フェリックス、本当のところ、そうは思っていないのでしょう?あなたは自分を産んだ女性の事を、心の何処かで気にしている筈・・・。自分では自覚していないのかも知れないけれど、実の母親への想いが、同じ立場であるフィーネを好きになるっていう形で現れたんじゃないのかしら・・・」
「義父上かフィーネから、何か聞いたのかい?」
「いいえ、でも、あなたがそう訊くところを見れば、私もあながち見当はずれな事を言ってはいないのでしょう?」
苦笑するフェリックスが、ルイーゼに伝える。
「・・・フィーネを好きになった理由は単純だよ。義父上からも笑われたくらいだからね・・・。それに、俺の実の母親とフィーネとは状況が違うし、俺とレオンハルト皇子も立場や性格が違い過ぎるよ・・・」
「でも、息子との関係を大切にする気持ちは、どの母親も同じよ・・・。ましてや、自分で育てられなかった息子に対しては、遠慮もあるし行動も慎重になるわ」
「・・・」
考え込むフェリックスを見て、ルイーゼが話題を変える。
「何だかあなたのプライベートに立ち入った話になってしまったわね。レオンハルト皇子とフィーネの事に戻しましょう」
ルイーゼの言葉に、フェリックスも頷き、切り替えて話を戻す。
「俺が、レオンハルト皇子を我が家に連れて来て、フィーネに逢わせてもいいんだが、あまり表だって動くと周りから変な誤解を招く恐れもあるしな・・・」
「ええ、そうね・・・。あなたの立場だと周りの目も、ある程度気にしないとね。それこそ、ちょっとした事でも大げさにとったり不審に感じる人は、確かにいるわ・・・」
皇妃であるマリアンヌの信頼が厚く、自分の子供たちが皇子であるレオンハルトと一緒に育っているような状態のルイーゼには、フェリックスの立場が良く理解できた。ルイーゼ自身は何とも思っていなくても、身に覚えのないことで妬まれたり恨まれたりすることは少なくない。周囲からマリアンヌのお気に入りとみられている分、ルイーゼも身の振り方を慎重にして、変な誤解を受けないように充分気を付けている。
「女性同志の社交界も、結構大変なのよ。ときどき気が重いときがあるわ・・・」
ルイーゼの愚痴に頷きながら、フェリックスが言った。
「その辺の事もあるから、陛下は俺達が動きやすいようにレオンハルト皇子とフィーネの関係を公表しようと考えていたんだろう。レオンハルト皇子の産みの母親がフィーネと世間に知れ渡れば、我々がレオンハルト皇子の後ろ盾という立場も認められるし、俺や君の行動に対する不平不満も抑えられる」
「ええ、でも、今大きく騒がれては、妊娠しているフィーネのストレスになってしまう。私としては、せめてフィーネが出産して落ち着くまでは、この状態を維持させたいわ・・・」
「判っている!だからこそ、陛下も予定を変更して、公表を見合わせている」
ヨゼフィーネとレオンハルトとの関係を公表しようとしていたアレクだが、ヨゼフィーネの妊娠を知って、今は公にする事を控えている。
「結局のところ、レオンハルト皇子次第なのよ。彼が積極的にフィーネとの一緒の時間を過ごすことで、フィーネも自信が持てるだろうし不安も薄れていくと思うの。それに、二人で共有する時間の積み重ねがフィーネの支えになって、自分から動くようになるかもしれないわ。でも、レオンハルト皇子は慎重に行動する方だし、あまり意思表示をなさらないから、皇妃さまもご心配なさるのよ・・・」
「う~ん、やはり皇妃が望むどおり、俺が積極的に誘導すべきなんだろうな。できるだけレオンハルト皇子本人の意思で行動させたいんだが・・・」
「そう、レオンハルト皇子が、ご自分の気持ちで動くのが一番いいんだけれど・・・。怖いもの知らずで突拍子もない行動をするうちのヨーゼフと、大人しいレオンハルト皇子を足して二で割ると、バランスがとれて丁度良かったかも・・・」
ルイーゼがそう言って笑った途端、玄関の方から大きな音がした。
「噂をすれば影ね。ヨーゼフが帰ってきたわ!」
ルイーゼの予想通り、ヨーゼフが大声を出してリビングに駆け込んできた。
「ねぇ、フィーネおばさん、来ているの!庭に車があったけど・・・」
期待に満ちた顔でリビングに現れたヨーゼフが、来客がフェリックス一人だけと判ると、落胆の表情になった。
「ちぇ、フィリックスおじさん一人?てっきりフィーネおばさんが来てるかと思ったのに・・・」
溜息と共にがっかりしているヨーゼフに、ルイーゼが注意する。
「こら、ヨーゼフ、舌打ちなんかしてダメでしょう!それに、フェリックスおじさんに、きちんとご挨拶をしなさい!」
「あっ!ごめんなさい・・・。フェリックスおじさん、こんにちわ!」
「やあ、お帰り!今回は一人で悪かったな!今度、家にも遊びに来いよ!フィーネも喜ぶ」
フェリックスが笑いながら伝える。
「本当?遊びに行ってもいいの?母上から『新婚さんの邪魔しないように!』って言われていたから、ずっと遠慮していたんだよ!」
「えっ、そうなのか?」
ヨーゼフの訴えに、知らなかったフェリックスがルイーゼに確認する。
「だって、あなた達の恋人時代のデートには、ことごとくテオやヨーゼフが付きまとって邪魔していたでしょう。その埋め合わせに、せめて新婚時代は二人っきりの時間を大事にさせたくて・・・」
照れくさそうに言い訳するルイーゼに、ヨーゼフが頼み込む。
「ねぇ、フィーネおばさんの家に遊びに行くとき、レオンも一緒に連れて行っていい?レオン、おばさんの事、心配していたから・・・」
ヨーゼフの言葉に、フェリックスとルイーゼが思わず顔を見合わせる。
「ヨーゼフ、それってどういう事?」
ルイーゼが息子に尋ねる。
「うん・・・レオンが『自分がお腹の中にいたときのフィーネおばさんはとても大変だったらしいから・・・』って心配しているんだよ・・・」
「今回は大丈夫だ!フィーネは元気だよ!」
すぐさまフェリックスがヨーゼフに伝えた。
「『今回は…』ってことは、やっぱりレオンが言っていたとおり、おばさん、レオンを産んだとき大変だったんだ・・・」
「いや、その・・・」
(しまった!)と思ったフェリックスが返答に困ったが、代わりにルイーゼが息子に説明する。
「ヨーゼフ、妊娠やお産は、赤ちゃんそれぞれで違うのよ。例え、同じ母親から生まれた兄弟であってもね。私だってテオのときは大丈夫だったけれど、あなたを産んだときは思いがけない早産で大変だったし・・・」
「えっ!そうだったの?」
驚くヨーゼフに、フェリックスも説明する。
「うん、あのときは、アルフォンスもフィーネも焦って走り回っていた。君のお祖父ちゃん達も、ルイーゼと赤ん坊の君が心配で、顔色を変えて全力疾走で病院に駆けつけていたし・・・」
「あのお祖父ちゃんが全力疾走?!」
いつも冷静沈着で、どっしりと落ち着いているワーレンしか知らないヨーゼフである。一緒に住んでいても、走る姿を見たことがなかっただけに、その祖父の全力疾走などヨーゼフには想像がつかないらしい。
「そうよ・・・あのときは周りは大騒動だったわね・・・」
「僕、知らなかった・・・」
「今はこんなに元気なヨーゼフだから、あなたが生まれたときの事、こうやって笑って話せるでしょう?レオンハルト皇子も同じよ。健やかにご成長しているから、フィーネの苦労はもう消えている。レオンハルト皇子に、あなたから教えてあげなさい。『生まれたときの事は、もう気にしなくていいのよ!』って・・・」
母親の言葉に、ヨーゼフの目がみるみる輝いた。
「うん、判った!・・・僕、今すぐ、レオンのところに行って、安心させてくる!」
ヨーゼフがそう告げると、すぐさま駆け出し、あっという間にいなくなってしまった。
「ヨーゼフは<思いついたら即実行!>の家訓を、しっかり受け継いでいるな!全く彼は、義父上に似て、いつも俺の先手を取ってしまう・・・」
フェリックスがヨーゼフの行動を見て笑った。
「ええ、本当に・・・。あの子が、一番父上に似ているわ。姿だけでなく性格も・・・。そして、レオンハルト皇子は小さい頃のフィーネと同じだわ。両陛下がフィーネの事を心配なさるから、口や態度に出さなくても、レオンハルト皇子には判ってしまうのね。小さい頃のフィーネが、よく私や父上の気持ちを察して、母親を慕う気持ちを我慢してしまったように・・・」
「そうか・・・。だとしたら、今は素直なレオンハルト皇子だが、そのうち理屈ぽっくなって、物事をなんでも理論化するようになるかもしれないぞ!」
そう告げたフェリックスに、ルイーゼが思わず笑った。
ルイーゼからヨゼフィーネの希望を聞いたフェリックスは、その願いを叶える為の行動を起こし始めた。まず自分の仕事のスケジュールを見直し、赤ん坊の予定日を目安に約一か月ほどの休暇が取れるように調整する。
数日後、休暇が取れる目途が立ったところで、フェリックスはビッテンフェルト家を訪れた。
「フィーネが来ているのか?」
散歩から帰ってきたビッテンフェルトが、慌てて家に駆け込んできた。
「あっ、申し訳ありません。今日は私一人です・・・」
「なんだ・・・お前、一人か!庭に車があったから、てっきりフィーネが来たと思ったのに・・・」
溜息をつくビッテンフェルトに、フェリックスは先日のヨーゼフを思い出し、同じような反応につい含み笑いになる。
「どうした?フィーネに何かあったのか?」
連絡もせず一人で来たフェリックスに、ビッテンフェルトが心配する。
「いいえ、フィーネの方は順調です。実はフィーネ、今回のお産もライナー先生に診て貰いたいという気持ちが起きたようで・・・。でも、私のそばで産みたいという希望もあり、それで私は、フィーネのどちらの希望も叶えられるように計画を立てたのです。是非、義父上にも手伝って欲しいと思い、こちらに伺いました」
「ほう?フィーネがな・・・。それでいったい、俺はなにをすればいいんだ?」
妻の希望を叶える為というフェリックスに、ビッテンフェルトも協力体制になる。
「まず、ハルツにいるライナー先生のご都合を確かめたいのですが、面識のない私が問い合わせをしても、結婚前の妻の過去を探っていると勘ぐられるかもしれません。ですので、最初は義父上の方から、ライナー先生のご都合を訊いてもらう方が無難かと思いまして・・・」
「はは、そうだな!ライナー先生には、俺から問い合わせてお願いした方がいいだろう。確かに初対面のお前が逢いに行っても、妻の過去を探っている妙な夫と思われ、ライナー先生が取り次いでくれない可能性があるな!」
豪快に笑うビッテンフェルトに、フェリックスも笑いながら頼み込む。
「ええ、ですから誤解されない様に、最初は義父上にお願いします。ライナー先生が今度の出産も引き受けてくださるようでしたら、私の方でもフィーネと一緒にハルツに出向き、ご挨拶に伺います」
「うん、その方がいい!この件は、俺に任せろ!」
ビッテンフェルトの了承を得て、更にフェリックスが説明する。
「ライナー先生の了解を得ましたら、フィーネはハルツの別荘で臨月を過ごし出産に備えます。私も予定日に合わせて前後で一か月ほど休暇を取り、フィーネと一緒にハルツで過ごすつもりです。だた私が休暇に入る前は、義父上にハルツにいるフィーネのそばにいて貰いたいと思いまして・・・」
「それは、レオンハルト皇子を産んだときのように、俺がフィーネと別荘で一緒に過ごすという事か?」
ビッテンフェルトが目を輝かせて確認する。
「ええ、でも父上とフィーネが一緒に過ごすのは、休暇に入った私がハルツに行く迄ですよ。私たちは結婚してもお互い忙しくて、新婚旅行すら行っていないのです。ハルツでは、夫婦二人きりでゆっくり過ごさせてください!」
「はは、心配するな!お前たちの邪魔はしないさ!だが<いざ、赤ん坊が生まれる!>っていうときは行ってもいいだろう?」
「ええ、出産が近くなったらルイーゼが来てくれます。勿論、義父上にも連絡しますので・・・」
「よし!わかった♪」
すっかりハルツでヨゼフィーネと過ごすつもりになって上機嫌のビッテンフェルトに、フェリックスが警告する。
「義父上、この計画はライナー先生のご都合がつくことが大前提ですし、赤ん坊やフィーネの状態次第では変更する可能性だってありますから・・・」
「あぁ、判っている!だが、きっと大丈夫だろう!ライナー先生とフィーネとは縁があるんだ!」
自分に都合のよい解釈をしてすっかりテンションが上がっているビッテンフェルトを見たフェリックスは、ヨゼフィーネには期待外れさせずに済むように、ライナーの了承を得てから話そうと考えていた。
ヨーゼフは待ちに待った休日に、兄のテオドールとレオンハルトと引き連れて、ロイエンタール家を訪問した。
久し振りにヨゼフィーネに逢った三人は、自分の近況を争うように報告し、話が弾んだ。嬉しそうなヨゼフィーネを見て、フェリックスも笑顔になる。
「テオは、しばらく見ないうちに随分背が伸びたわね!」
自分の身長を追い越しそうな甥を見て、ヨゼフィーネはその成長ぶりに驚いた。
「フィーネおばさんのお腹も、随分大きくなったよ!」
笑って話すテオドールの言葉に、レオンハルトが大きくなったヨゼフィーネのお腹を見つめた。そして、オズオズと質問する。
「お腹の赤ちゃんは、大丈夫ですか?」
「ええ、赤ちゃんは順調ですよ!」
「中尉の方は?」
「私も元気です。心配は無用ですよ!」
「そう良かった・・・。あの~、お腹に触ってもいいですか?」
遠慮がちにお願いするレオンハルトを見て、ヨゼフィーネは頷きながら、彼の手を取って自分のお腹に当てた。暫く二人ともその状態で様子を窺っていたが、突然、レオンハルトとヨゼフィーネが驚いたように顔を見合わせた。
レオンハルトが手を当てていた場所で、お腹の赤ん坊がピクピクと動きだしたのである。
「赤ちゃんが動いた!僕、心の中で『こんにちわ、お兄ちゃんだよ・・・』って挨拶したら、僕の掌に赤ちゃんが返事をしてくれた!」
興奮気味に話すレオンハルトを見て、ヨゼフィーネが伝える。
「レオンハルト皇子もお腹の中にいるとき、私の話しかけた言葉に、よくこうして反応してくれましたよ・・・」
「えっ、僕が?・・・」
「ええ、ハルツの自然の中で、二人でたくさん話をしていたんです・・・」
「そうなんだ・・・。だから僕、ハルツの別荘に行ったとき、なんだか懐かしい気がして心地良かったんだ!」
レオンハルトの言葉に、ヨゼフィーネも思わず笑顔になる。
「ビッテンフェルト提督と過ごしたハルツの別荘は、とても楽しかった。又、機会があれば行ってみたい・・・」
レオンハルトの希望を聞いたフェリックスが、彼に問いかける。
「レオンハルト皇子、今度はフィーネとお祖父様の三人でハルツの別荘で過ごしませんか?」
「えっ?」
驚くヨゼフィーネにフェリックスが説明する。
「実はもう段取りは済んでいるんだ。君は、ライナー先生に赤ん坊を取り上げてもらいたいんだろう?だから、臨月になったら、ハルツの別荘で過ごし出産に備える。俺は予定日に合わせて一か月ほど休暇を取り、君と一緒にハルツで赤ん坊が生まれるのを待つ。俺が休暇に入る前の前半は、君と義父上とで別荘で過ごす予定にしたんだ。ライナー先生と義父上の了解は取ってあるから、あとは君の気持ち次第なんだが・・・」
目を丸くするヨゼフィーネが返事をする前に、レオンハルトが先に反応した。
「僕、中尉とビッテンフェルト提督と一緒に、ハルツで過ごしたい!」
珍しいレオンハルトの意思表示に、ヨゼフィーネもにこやかに告げる。
「ええ、一緒にハルツの別荘で過ごしましょう・・・」
そして、夫に向かって伝えた。
「フェリックス、ありがとう・・・」
目を潤ませている礼を言う妻に、フェリックスは満足気に頷いた。
レオンハルト皇子には
フィーネと良好な母子関係を築かせたい
俺のように手遅れにならないうちに・・・
エルフリーデ・フォン・コールラウシュ
俺の産んだもう一人の母親
お互い、今更、行動は起こさないだろう・・・
時間<とき>が経ち過ぎた・・・
だが、貴女の存在は
心の奥にしこりとなって残っている・・・
自分の頭の中に、ときおり浮かんでくるエルフリーデの残像を、フェリックスは思い出していた。
フェリックスは、臨月に入ったヨゼフィーネとビッテンフェルトがハルツの別荘に滞在中、レオンハルトが訪問できるように、アレクから許可を貰った。そして、ビッテンフェルトにその事を伝える。
娘だけでなく孫のレオンハルトまでハルツで一緒に過ごせる事を知ったビッテンフェルトは驚き、思いがけないサプライズに興奮した。
アマンダ、
フィーネが臨月に入ったら、
俺とまたハルツの別荘で、ゆっくり過ごせる・・・
それだけでも嬉しいのに
レオンハルト皇子まで加わって、三人一緒に過ごせるなんて・・・
こんな日が来るなんて、思いもしなかった・・・
本当に楽しみだ・・・
ビッテンフェルトが上機嫌でアマンダに報告していた。
<続く>