絆 11

 ニーベルング艦が宇宙を漂流するようになってから、五日目が過ぎた。
 兵士達は、艦長のミュンツァーによる毎朝の点呼によって、一日の始まりを認識し行動する。各々から健康状態を聞き取ったミュンツァーは、さりげなく精神状態をもチェックしていた。遠征経験が浅い若い兵士が多いだけに、宇宙遭難というプレッシャーに耐えられているか確認する為でもある。しかし、兵士たちの動揺は、ミュンツァーの心配するほど酷くはなかった。
 まず、軌道から外れた場所が、最初に向かったオーデンヴァルト基地寄りではなく、より規模が大きいフェルゼンベルク基地付近の空域だった事が幸いした。両基地を比較すれば、捜索隊の陣容も違ってくるだけに、(余裕のあるフェルゼンベルク基地からの救援の方がまだマシだろう・・・)という感じで、兵士達はいい方に捉えていた。
 そして、七元帥であるビッテンフェルトを父に持つヨゼフィーネの存在も大きかった。普段は家柄など気にせず同僚として普通に付き合ってきた兵士達だが、このような状況になると彼女の持つ後ろ盾の大きさを意識せざるを得ない。というより、こんな状態のときは、少しの縁にでも縋りたくなるものである。
 (元帥の娘でもあり、皇帝の側近であるフェリックスの婚約者という立場のヨゼフィーネが、このニーベルング艦に乗っているという事で、本部も簡単な捜索で終わらせる訳にはいかない筈・・・)という期待を、口にこそ出さないが皆持っていた。
 兵士たちは、助かる希望を確かに持っていたが、同時に死に対する恐怖感とも戦っていた。この二つの感情に揺れながら、緊迫の時間を過ごしていたのである。
 この時点で艦長や副長が危惧している事の一つに、宇宙海賊との遭遇があった。輸送艦であるニーベルング艦には、彼らがほしがる多くの資源が積み込まれている。捜索隊に発見されるより早く、宇宙海賊に見つかった場合、今の無防備なニーベルング艦ではひとたまりもない。
 兵士達は、交代で望遠鏡によって外の様子を確認していた。極めて原始的な方法だが、彼らは捜索隊や他の艦に見つけてもらう事を願い、そして宇宙海賊との鉢合わせに備え、見張りに徹するのであった。


 遥か遠い宇宙での明滅に気が付いたのは、新卒で入った若い兵士と地上勤務が長く宇宙遠征は今回が初めてという少尉との二人が見張りのときであった。
「少尉、あの光・・・どう思います?」
「う~ん、恒星にしては、数が多すぎるよな・・・。なんだろう?・・・とりあえず副長に報告しよう・・・」
 報告を受けた副長が駆けつけて、その明滅を望遠鏡で確認する。
「あれは艦隊だ!・・・見る限り、一個艦隊はありそうだ!」
 興奮気味に話す副長に、見張りの兵士達も驚いていた。
 彼らには、遥か遠くに見える明滅が一個艦隊であるという事に、ピンときていないようである。それも仕方ない事だろう。戦争中ならまだしもこの平和な時代、経験の浅い兵士に、宇宙にて遠く離れた一個艦隊を眺める機会は稀である。
「はは、こういう形で艦隊を見るのは初めてか?」
 面食らっている様子の二人に、副長が笑う。
「よし、これで宇宙海賊に襲われるという心配はなくなった・・・」
 ほっとしたように副長が呟いた。確かに、これだけの大規模な艦隊が出て来ているのであれば、宇宙海賊の出現はあり得ない。あとは、このニーベルング艦を見つけてもらう事を祈るだけであった。



 艦隊の存在を確認してから、ニーベルング艦の兵士達に余裕が出てきた。確実に助かる保障はまだなかったが、生存への確率が高まった事で、希望が不安を上回ったのは確かである。
 フェルゼンベルク基地からの捜索隊がニーベルング艦を発見したのは、艦が走行不能になってから20日後、艦隊の存在を知ってからは5日目の事であった。 
 待ち望んだ<ニーベルング艦発見!>の報告を受けて、フェリックスの乗っているイゾルデ艦が現場に急行する。
 電気系統がすべて故障しているニーベルング艦だけに、救助活動は宇宙服を着て手動での作業となっていた。ニーベルング艦の兵士達も全員宇宙服を着て、艦の中から救助作業を手伝う。
 そんな中、宇宙服を着たフェリックスが、ニーベルング艦の艦橋に駆け込んできた。遠征のたびにヨゼフィーネの送り迎えをするフェリックスの姿を何度も見ていた兵士達は、入口に立ち竦む男に気が付き、一斉に操縦席にいる航海士を指さす。立ち上がったヨゼフィーネを見つけたフェリックスが、一気に近づき彼女を抱きしめた。
「寿命が縮んだよ・・・」
 突然の出来事に面食らってしまったヨゼフィーネが、慌ててフェリックスに告げる。
「あ、あの、フェリックス!みんなが見ているわ・・・」
「構わない・・・」
 この宇宙服での二人の抱擁シーンに、艦橋一同の視線が集まっていた。


 ヨゼフィーネの無事を確認して、やっと落ち着いたフェリックスが、艦長のミュンツァーに頼み込んだ。
「ミュンツァー艦長、ビッテンフェルト中尉をお借りしたい!宇宙に赴いている父親のビッテンフェルト元帥に、彼女の声を直接聞かせてやりたい!」
「いいのよ、フェリックス。特別扱いはやめて頂戴!父上には、ニーベルンゲン艦の発見の報告は伝わっているのでしょう。それで十分だわ・・・」
 フェリックスの艦長への申し出に、ヨゼフィーネが首を振る。しかし、その会話を聞いていたベルツが、すぐさまフェリックスに要請する。
「いや、ロイエンタール准将、頼むからフィーネを連れて行ってくれ!ここで二人の抱擁シーンを見せつけられても、こっちの方が目のやりどころに困ってしまう・・」
 そんなベルツの言葉に、周囲も同調する
「そうだ!独り身の我々の身になってくれ!」
「同感!」
 拍手と冷やかしが起こり、ミュンツァーも「皆、同意見のようだ・・・」とフェリックスに目配せして、ヨゼフィーネを艦橋から連れ出す事を容認した。
 <ビッテンフェルトに、一刻も早く娘の姿を見せて安心させてやりたい!>というフェリックスの願いを、全員が受け入れてくれたのである。


 注目の二人が去ってから、皆、口々に言い始めた。
「あ~あ、ベタぼれですね・・・」
「うん、こんなにストレートに感情をだす御仁とは思わなかった・・・」
「彼、ビッテンフェルト中尉と婚約する前は、漁色家で名を馳せていたんですよね?それにしては、なぜだか初めて恋をしている少年のような行動に見えるんですけど・・・」
「全くだ・・・」
 皆、同じように感じたらしく大きく頷いていた。
 フェリックスは不本意ながらも、ヨゼフィーネの同僚たちの前で、自分の性格の不器用さを披露してしまっていたのである。



 イゾルデ艦に乗り込んだフェリックスは宇宙服を脱ぎ、すぐさまパソコンを操作する。ヨゼフィーネも宇宙服を脱ぎながら、フェリックスに質問する。
「あの艦隊は、私たちの捜索の為なの?」
「ああそうだ。表向きは、<抜き打ちの軍事訓練>という名目となっているから、ビッテンフェルト元帥との連絡もここからしている・・・」
 艦の通信機能を使わず単独での交信の為、なかなか繋がりにくく、フェリックスが必死に作業する。
「よし、回線が繋がった!」
 パソコンの画面に、ビッテンフェルトの顔が映し出された。
「父上・・・」
「・・・」
 目が合った二人がそのまま暫く見つめ合う。
「ご心配をお掛けしてしまいました・・・」
「いや・・」
 感極まっているビッテンフェルトから、次の言葉が出てこない。
「父上、こちらから、艦隊の煌めきが見えました。その光がずっと私たちを支えてくれました。必ず助けが来ると信じていました・・・」
「そうか・・・。無事でなによりだった・・・」
 画面にははっきり映らなかったが、このときのビッテンフェルトの目は潤んでいた。
 父と娘の通信は終了した。会話は短いものだったが、二人はそれで充分満ち足りていた。


「フィーネ、あの艦隊は、陛下がレオンハルト皇子やヨーゼフの訴えに応じて出した勅命によるものなんだ」
「勅命!」
 フェリックスの説明に、ヨゼフィーネの目が大きく見開いた。
「実は、子供たちはずっと以前から、君がレオンハルト皇子を産んだ母親だってことを知っていたんだ・・・・」
「えっ!・・・まさか?・・・いつから?どうして知ったかしら?」
 更に驚いたヨゼフィーネが、フェリックスに矢継ぎ早に質問する。
「詳しくは判らない。俺はその事を知った後、大急ぎでこっちに向かったから・・・。だが、レオンハルト皇子やテオドール、ヨーゼフが、ずっと以前から君と皇子の関係を知っていた事は確かだ。三人共承知の上で、周りにはなにも知らない振りを演じていた。陛下はもちろん、アルフォンスもビッテンフェルト元帥も、全くその事に気がついていなかった」
「テオやヨーゼフまで・・・。私も、気が付かなかった・・・」
「君は宇宙にいる方が多かったからね・・・。俺は、泣きながら訴えたヨーゼフを見て、自分が情けなくなった。子供たちに知られる前のもっと早い段階で、君と陛下、そしてレオンハルト皇子との橋渡しをするべきだったと後悔もした」
 自責の念に駆られているフェリックスを見て、ヨゼフィーネが思わず告げた。
「自分を責めないで、フェリックス!あなたは何も悪くないわ。只、陛下やレオンハルト皇子と距離を置きたがっていた私の気持ちを優先させて、慎重に行動しただけ。一番の原因は私が臆病だった事・・・」
 ヨゼフィーネは、レオンハルトは勿論、甥のテオドールやヨーゼフまで真実を知っていた事にショックを受けた。しかし、それ以上に、周囲に事実を知った事を悟られないようにしていた子供達の心を思うと、気を遣わせていた事を申し訳なく思った。
「フィーネ、今度こそレオンハルト皇子と逢うんだ!もう、なにも心配しなくていい・・・。皇子は君をすでに受け入れている・・・」
 まだ今の現状に戸惑っているヨゼフィーネに、フェリックスがプロポーズする。
「フィーネ、結婚しよう・・・君と、ずっと一緒にいたい」
 フェリックスの真剣な目を見つめながら、ヨゼフィーネが頷く。
「ええ、フェリックス、結婚しましょう。私一人なら怖気づいてしまうことでも、あなたが一緒にいてくれたら心強い・・・」
 笑顔で求婚を承諾するヨゼフィーネを、フェリックスが抱きしめる。そして、彼女の耳元で囁いた。
「大丈夫だ、フィーネ!俺が、君を一生支える・・・」
 お互いの体の温もりを感じながら、二人は生きて逢えた喜びを味わっていた。


 一方、大きな不安から解放されたビッテンフェルトは、まるで生き返ったかのように意気揚々となった。艦隊の訓練にも力が入り、あれこれと口出しする事も多くなった。
 それまで殆どワーレンに任せていたビッテンフェルトが、ここにきて小煩いご意見番として復活したのである。テンションが高くなった彼の邪魔立てにより、訓練はよりハードなものに変わってしまった。 
 その結果、この抜き打ち訓練は、戦争を知らない世代の兵士達に大きな影響を与えた。そして、その効果に驚いた軍本部は、後日、この抜き打ち訓練を、臨時的なものではなく定期的に行う方向で検討する事になったのである。



 漂流していたニーベルング艦は、遭難から二十日目に無事救助された。フェザーンに帰還した兵士達は、この状況に屈しなかったお互いの健闘を称えあい、そして家族と喜びの再会をした。 


 皇帝の執務室に報告に来たフェリックスを見て、アレクが呟いた。
「少し、やせたな・・・」
「ええ、さすがに今回は堪えました・・・」
「うん・・・大変だったろう・・・」
 やつれた顔の親友を、アレクが労う。
「でも、結果的には良いほうに転びました。やっと結婚の報告ができます」
「そうか・・・」
「既に籍も入れました・・・」
「ほう?・・・今回は速攻だな・・・」
「ええ、まあ・・。私としてはビッテンフェルト元帥のお帰りを待ってからと思いましたが、フィーネがビッテンフェルト家の家訓は<思いついたら即実行!>と言い出しまして・・・。それに、ミュラー閣下からも、ビッテンフェルト元帥が張り切って、抜き打ち訓練が長引きそうだと伺いましたし、私もこれ以上待ちたくなくて・・・」
「はは、ミュラーには、<ビッテンフェルトが満足するまで好きにさせておくように!>と伝えてある。ビッテンフェルトも、年齢的に艦隊を引き連れて宇宙に行く機会も、そうそうないだろうしな・・・」
「そうでしたか・・・」
 本来の目的でもあるニーベルング艦の発見後も、未だに続いている艦隊の抜き打ち訓練に、フェリックスが納得する。
「彼女とは、一緒に住んでいるのか?」
「ええ、ルイーゼが新居をすぐ見つけてくれました。<思いついたら即実行!>はワーレン家の家訓にもなりそうです」
 笑いながらフェリックスが、アレクに伝える。
 その後、大きな深呼吸をしたアレクが、しみじみと語る。
「フェリックス、私とヨゼフィーネは、レオンハルトの父と母という関係だが、私としては彼女には妹のような感情を持っている。アルフォンスやルイーゼが、あの子の心配をし、幸せを願ってきたのと同じように、私とマリアンヌもヨゼフィーネをずっと見守ってきた。君が彼女と結婚したことは、本当に嬉しい。どうか、あの子を幸せにしてやってくれ!」
「必ず・・・」
「これでやっと安心できる・・・」
 ほっとした表情のアレクが、一呼吸おく。罪の意識を持ったあの日から、アレクはずっと後悔に苛まされ、そして傷つけてしまったヨゼフィーネの行く末を気に掛けてきた。それは、傍にいたフェリックスが一番よく知っている。
 万感の想いをかみしめていたアレクが、フェリックスに申し出る。
「それで、レオンハルトの事なんだが、できればヨゼフィーネに逢わせてやりたい・・・。勿論、彼女の体調や気持ちを配慮したうえで・・・」
「心得ております。私が二人の間を上手く調整して、段取りをつけますのでご安心ください」
 (任せてほしい!)と言わんばかりのフェリックスを見て、アレクは嬉しそうに頷いた。



 フェリックスは、ヨゼフィーネとレオンハルトとの対面を、ワーレン家で行う事にした。
 レオンハルトが遊び友達であるヨーゼフの自宅に来る事は不自然ではないし、そのヨーゼフの叔母であるヨゼフィーネがワーレン家を訪れていてもおかしくはない。普通に起こり得るパターンなので、周囲から不審に思われる事もないだろうと、フェリックスは考えていた。
 ヨゼフィーネとレオンハルトとの顔合わせを明日に控え、ワーレン家を訪れたフェリックスがワーレン夫妻とテーブルを囲んでいる。
「フィーネはどんな感じ?」
 ルイーゼの心配に、フェリックスが妻の様子を教える。
「今夜は、ニーベルンゲン艦の同僚たちが開いてくれた送別会に招かれている。フィーネは少し緊張しているようだったから、仲間とワイワイやっている方が、気が紛れていいかもしれない」
「そうね、いよいよ、明日ですものね。・・・これでフィーネとレオンハルト皇子との交流がスムーズにいけば、私の肩の荷も下りるわ。・・・私は未だに、あのときの自分に自信が持てなくていたから・・・」
(あのときの自分?)
 フェリックスの問いかけるような目に、ルイーゼが応じた。
「・・・昔、あなたと一緒に、生まれたばかりのレオンハルト皇子を連れて王宮に向かう為、暗い地下道を歩いたことがあったでしょう。あのとき私は、<今なら、まだ間に合う。このまま引き返せば、この子をフィーネの元に返してあげられる>って思い悩みながら歩いていた。あの時点でもまだ私は、フィーネと皇子を引き離すことを迷っていた・・・」
 ルイーゼの言葉に、当時を思い出したフェリックスが過去の自分を振り返る。
(あのとき俺は、赤ん坊のレオンハルト皇子を、人目につかないように陛下の元に届ける事しか考えていなかった。ルイーゼがどんな気持ちだったか気遣う余裕もなかった・・・)
 黙り込む二人を見たアルフォンスが、軽く首を振りながら妻に告げる。
「ルイーゼ、その事はもう言わない約束だろう」
「ええ、そうだったわね・・・。確かに、済んでしまった過去の事だわ」
 夫の言葉に頷いたルイーゼが、気持ちを切り替えたようにフェリックスに話しかける。
「フィーネとレオンハルト皇子との関係を、子供たちが知っていた事は、本当にショックだったわ。テオもヨーゼフも、私には何でも打ち明けてくれると思っていたし、子供たちの隠し事は母親として見抜く自信だってあったのに・・・」
 苦笑するルイーゼを、アルフォンスが慰める。
「成長すると親の言いつけより、友達同士の約束事の方が大事になるときがくるんだ。二人とも、そういう年頃なんだよ」
「でも、あんなに私にべったりだった癖に・・・。なんだか子供たちが急に親離れしてしまったようで、胸にぽっかり穴が開いたような気分よ・・・。甘えん坊だった小さい頃が懐かしい・・・」
 少し寂しそうなルイーゼを見て、フェリックスが提案する。
「三人目の予定は?今まで、フィーネの事を考えて、遠慮していたんだろう」
 思いがけない言葉に、目の前の夫婦は思わず顔を見合わせ、そして赤らめた。
「いや、そういうわけでもないよ・・・」
 照れたように話すアルフォンスに、フェリックスが伝える。
「フィーネはもう大丈夫だ!二人とも、赤ん坊を産むことに気を遣わなくてもいいんだ!」
 三人目を勧めるようなフェリックスに、ルイーゼが笑いながら話す。
「赤ちゃんの話題は、私たちより新婚のあなたたちでしょう?」
「いや、俺たちは・・・。ルイーゼ、知らないのか?」
 フェリックスの質問に、ルイーゼが疑問顔になる。
「何のことかしら?」
「俺は、一番最初のプロポーズのときに、フィーネから『もう、子供は産まない!』って、はっきり宣言されている」
「えっ!・・・そうだったの」
「あの場には、義父上も同席していた。だから、君はてっきり義父上から聞いて知っているかと思っていた・・・」
「いいえ、・・・父上、私にはなにも仰っていなかったわ。・・・フィーネがそんなふうに考えていたなんて、知らなかった・・・」
 動揺しているようなルイーゼが、フェリックスに訊いてきた。
「フェリックス、あなたはそれでいいの?」
「俺は、フィーネと結婚できた。それで充分満足しているよ。子供がいなくたって、充実した人生を送っている夫婦はたくさんいるだろう?ミュラー夫妻がいい例だ」
「そう・・・あなたや父上が了承しているなら、私はなにも言えないわ・・・」
 ルイーゼはそう言うと、水割りの氷を替える為、席を立った。まるで、自分の感情を見せないように慌てて部屋から出ていったルイーゼに、フェリックスが心配になってアルフォンスに訊いてみる。
「ルイーゼにショックを与えてしまったかな?」
「・・・いや、むしろこの事を知っておいて、良かったかもしれない。ルイーゼの事だから、いろいろ期待してしまうだろうし・・・」
「うん・・・」
「しかし、最初のプロポーズだったら、フィーネの士官学校卒業の頃だろう?あれから何年も経っているし、だいいち君に対するフィーネの感情も変わった。こうして結婚したんだし、フィーネの気持ちにも変化があるかもしれないよ・・・」
 アルフォンスの言葉に、一瞬フェリックスの目が輝いたが、すぐ思い直したようにその希望を否定する。
「あの決意が、そう簡単に変わるとも思えない・・・」
 首を振るフェリックスに、アルフォンスも言葉に詰まった。何も言えなくなったアルフォンスを見て、フェリックスが自分の気持ちを伝える。
「俺は、この状態でいいんだ。元々、そんなに子供好きという訳でもないし・・・。それに、フィーネの母性は、全てレオンハルト皇子に向けられている。誰も入り込む隙間がないほどに・・・」
 まるで自分に言い聞かせるように話すフェリックスに、アルフォンスも難しい顔で頷くしかなかった。




 翌日、ワーレン家の応接室で待っていたヨゼフィーネの目の前に、レオンハルトが入ってきた。
「初めまして、ビッテンフェルト中尉・・・・」
 にこやかな表情のレオンハルトに、ヨゼフィーネもほっとする。そして、挨拶を返して、先日の礼を言った。
「レオンハルト皇子とヨーゼフが、遭難したニーベルンゲン艦の艦隊による捜索を、陛下にお願いしてくださったそうですね。ありがとうございます」
「いえ、そんな・・・。ニーベルンゲン艦が遭難したとヨーゼフから聞いたとき、びっくりしました。僕もヨーゼフも、とても不安になってしまって・・・。ヨーゼフが<皇子の僕が、おじいちゃん達に頼めば、なんとかしてくれる>って言ったから二人でお願いに行ったんです。ビッテンフェルト中尉が無事に戻ってきてくれて、とても嬉しいです」
「あの艦隊は、漂流中の私たちの支えになりました。とても勇気づけられました。私をはじめ、ニーベルンゲン艦に乗っていた兵士達みんなが、感謝しています」
「本当に?・・・ビッテンフェルト中尉のお役に立ててよかった・・・」
 レオンハルトは嬉しそうに返事をする。その後は二人は、遭難中の出来事や宇宙についての話題で、話が進んだ。


「なんだか初めて逢った気がしない。いつも、テオやヨーゼフに、ビッテンフェルト中尉の事を聞いていたから・・・」
 そう話したレオンハルトが、躊躇った表情を見せ少し考え込む。しかし、すぐ思い直したようにヨゼフィーネに訊いてきた。
「父上から聞きました。ビッテンフェルト中尉は、僕が幸せならば、自分も幸せでいられると・・・」
 思い切って話したレオンハルトに、ヨゼフィーネも正直に自分の気持ちを伝える。
「はい、陛下には、私の気持ちをそのようにお伝えしました」
「僕は、父上と母上、そしておばあさまからもとても愛されています。それに、テオやヨーゼフも傍にいてくれるし、他の友達とも仲良しです。僕は、幸せです・・・。だから、安心してください」
 必死に自分の今の状況を説明するレオンハルトに、ヨゼフィーネは自分に対する心遣いが感じられて、胸が一杯になった。
「ええ・・・私は、最初から心配していませんでした。皇妃さまは、レオンハルト皇子を幸せにしてくださると信じていましたから・・・」
 育ての母親であるマリアンヌに対するヨゼフィーネの信頼を知って、レオンハルトが嬉しそうな笑顔になった。
「また、逢えますか?」
 遠慮がちに訊いたレオンハルトに、ヨゼフィーネが穏やかに微笑んで伝える。
「ええ・・・。私は今度、士官学校に配属となりました。地上にいますので、レオンハルト皇子が逢いたいと思ったら、いつでもフェリックスに伝えてください・・・」
「そうだ!ロイエンタール准将と結婚したんですよね。あの~、ロイエンタール夫人と呼んだほうがいいですか?」
 フェリックスと結婚したことを思い出したレオンハルトが、ヨゼフィーネに質問する。
「軍人として使っている名前は、旧姓のビッテンフェルトのままです。ですから、レオンハルト皇子の呼びやすい方で構いませんよ」
 ヨゼフィーネの言葉に、レオンハルトが応じる。
「・・・では、ビッテンフェルト中尉で・・・その方が僕にはピンときます」
「私もです。ロイエンタール夫人と呼ばれても、まだピンときません」
 レオンハルトとヨゼフィーネが、同時にクスっと笑った。そして、そのお互いの相手の笑い顔を見て、再び笑みを浮かべる。今までの緊張が少しほぐれ、共感しているという想いが二人の心の中を温かくしていた。




 緊張の一日を終えたヨゼフィーネが、自宅で夕食をとりながら、フェリックスに今日のレオンハルトと対面の様子を伝える。
「レオンハルト皇子に、テオやヨーゼフからいつも私の話を聞いていたので、初めて逢った気がしないって言われたわ・・・」
 フェリックスは、レオンハルトのヨゼフィーネへの関心の大きさを知り嬉しく思ったが、独り言のように呟いたヨゼフィーネの言葉に、はっとなった。
「初めて逢ったわけじゃないんだけど・・・仕方ないわよね・・・。産んですぐ手放したんだから・・・」
 寂しそうなヨゼフィーネが、更にやっと聞こえるぐらいの小さな声で呟く。
「でも、私は覚えている・・・。生まれたときのあの子の柔らかい髪の毛、私の人差指を握りしめた小さな手。お腹にいたときだっていっぱい話しかけて、坊やはお腹を蹴って反応して・・・あの頃は、たくさん会話をした・・・」
(坊や?・・・)
 思わずヨゼフィーネを見つめたフェリックスのその視線で、ヨゼフィーネは心の中の呟きが声にででしまっていたことに、初めて気が付いた。そして、慌てて違う話を持ち出す。
「男の子の相手は、テオやヨーゼフで慣れているつもりだったけど、今日はなんだか少しぎこちなかったかもしれない・・・」
 フェリックスは、妻の小さな呟きに気が付かなかった振りをして応じた。
「何事も最初からスムーズにはいかないよ。心の中に溜め込んでいた想いが深ければ深いほど、こういうことは難しいのかもしれない。時間をかけよう。何度も逢っているうちに、お互いに少しずつ慣れてくると思うよ・・・」
「そうね・・・そうかも知れない・・・。レオンハルト皇子は、また私に逢いたいと言ってくれたし・・・」
 自分を励ますフェリックスに、ヨゼフィーネは笑顔を見せた。
 しかしその笑顔は、フェリックスが求めていた心からの笑顔ではなかった。



 その夜、自分の胸の中で眠るヨゼフィーネを見つめながら、フェリックスは考えていた。

確かにフィーネは、
レオンハルト皇子を<坊や>と呼んだ
あの頃は、
そう呼びかけていたんだろう

 昔、まだ身重だったヨゼフィーネの『お腹の子を、ビッテンフェルト家の子どもとして育てたい!』と訴えた縋るような目を、フェリックスは思い出していた。

あれから、もう何年も過ぎたのに
まだ、フィーネは
あの時期を引きずっているのか?

ルイーゼだって、あの日に囚われていた
やはり、男の俺が考えるより、
女性の気持ちは、より複雑なのかもしれない

フィーネの心の中では
レオンハルト皇子の過去と現在<いま>
上手く繋がっていないような気がする

 心細い目で見つめる身重のヨゼフィーネの過去の姿が、いつの間にか幼い自分を抱くエルフリーデに代わっている。そして、何度も見た夢の中の映像のように、フェリックスの心の中で、現在<いま>のヨゼフィーネとエルフリーデの姿がシンクロし合う。
 フェリックスは、自分を産んだ母親の、微かな記憶として残っていた残像に問いかけていた。

貴女<あなた>のなかの私も、まだ幼いままですか・・・


<続く>