絆 12

「ごきげんよう、ビッテンフェルト先生!」
 校庭のベンチに座っていたヨゼフィーネに、士官学校の医務室の教官であるスーザンが声を掛けた。
「どう?教官生活は慣れた?」
「ええ、まぁ・・・。こちらのほうが学生から学ぶことばかりで、一日があっという間に過ぎてしまいます」
 ヨゼフィーネがスーザンに隣の席を勧め、彼女がにっこり笑ってそこに座った。これまでスーザンとは、会えば挨拶こそ交わしていたが、医務室の教官である彼女とヨゼフィーネとの接点は少なく、こうして二人っきりで話すのは、今回が初めてであった。
「私、ニーベルング艦にいたベルツとは同期で呑み友達なのよ。彼から、あなたの事、よく聞いているわ!ねぇ、私もベルツみたいに<フィーネ>って呼んでもいいかしら?」
「ええ、勿論!」
 二人の距離が一気に縮まった。
「私の事はスーザンと呼んで!同じ教官なんだから、年齢や階級は気にしないで話しましょう♪」
 人懐っこいスーザンの笑顔が、ヨゼフィーネの懐にすんなり入ってきた。
「ベルツ大尉には、妹のように可愛がってもらいました」
「そうみたいね!彼、あなたの新婚生活の事も、随分と心配していたわよ!『あいつ、旦那にちゃんと食事を作ってやっているのかなぁ?』ですって!失礼しちゃうわよね」
 二人の酒の席では自分の話題が肴になっているようで、笑いながら話すスーザンに、ヨゼフィーネもつい苦笑する。
「でも、九死に一生を得たような経験をすると、人生観が変わるのかしら?あの遭難事件の後、ニーベルング艦では結婚する兵士が続出したらしいわよ」
「あら、そうなんですか?」
「あなたもその一人でしょう!」
 結婚したという自覚のないようなヨゼフィーネに、スーザンが笑った。
「あぁ、確かにそうでした・・・」
 スーザンの指摘に、ヨゼフィーネもつられて笑う。
「私の場合は、長い間婚約者を待たせてしまっている事に罪悪感を感じてしまったし・・・」
 ヨゼフィーネは、遭難中に自分とフェリックスの結婚話から始まった、艦内でのあの座談会を思い出していた。
(あのとき、みんなで結婚に対する理想論や恋愛経験などを討論して盛り上がった。帰還後の結婚ラッシュはその影響かもしれない・・・)ヨゼフィーネは、思わず含み笑いになった。
 スーザンはそんなヨゼフィーネの手を取り、自分の両手で握ったかと思うと、熱く語った。
「私、あなたには期待しているのよ!元帥の娘でもあり、陛下の側近の夫を持つあなたが、こうして軍人という職業を持って自立している!なかなか出来ないことだわ。それに、自分の生き方を、パートナーにも理解させているって事も素敵だわ」
「軍人でいる方が、性に合っているんです・・・」
 過大評価されている気がしたヨゼフィーネが、照れたように言った。
「ねぇ、フィーネ、是非、私に協力して頂戴!私は、この保守的な軍の体制を変えたいの!我が帝国軍は、まだまだ男尊女卑の部分が多いのよ!女性兵士を見下すような風潮が無くなって、せめて男女平等が当たり前になって欲しいと思っている」
「そ、そうね・・・」
「今までの経験から言えば、軍の上層部の頭が固い連中の意識改革より、有望な若い青年士官達の考え方を変えた方が得策って考えるようになったわ。だから、この士官学校の生徒のうちに、男性陣には<女性とは対等である!>という感覚と意識を身に着けて欲しくて、いろいろ工夫しているのよ!今までの学長は、何かと『女だてらに…』って文句ばっかり言ってやりにくかったわ。でも、新しい学長になったワーレン元帥は、人望があって話の分かるお方のようだから、そちらにも期待している」
「ええ、確かに、ワーレン学長のお人柄なら、いろいろ期待できると思うわ・・・」
「私は定年まで軍にいるつもりだから、今のうちに少しでも居心地を良くしておかないと!それに、これから軍人になる若い世代の女性達の為にもね・・・」
 一気にまくしたてるスーザンの弁論に圧倒されながらも、ヨゼフィーネは<次の世代の為・・・>と言って頑張る彼女を応援したくなっていた。

スーザンは、教官というよりも政治家に向いているかも・・・
ベルツとの繋がりが、スーザンという新たな縁に結びついた

ここで学ぶ学生たちは、
将来、帝国軍の大切な士官達となる・・・
学生たちとの繋がりを大事にしよう・・・

ローエングラム王朝に忠誠を尽くす優秀な軍人を育てたい・・・

その為には、
私自身も、多くを学び、経験を積まなくては・・・

 ヨゼフィーネは、<我が子、レオンハルトの力になりたい!>と決めて軍人になった初心を思いだし、改めて決意を強くするのであった。



 新しい生活に慣れ、少し落ち着いてきた頃、ビッテンフェルト邸にフェリックスがやってきた。
「義父上、今日は陛下の側近として、こちらに伺いました」
 客間に通されたフェリクスが、ビッテンフェルトにアレクからの書類を手渡す。
「陛下は、義父上の退役を承認されました」
「そうか・・・。これで俺も、のんびりと隠居生活が送れるな!」
 ビッテンフェルトは今まで引き際を考えて幾度となくアレクに引退を申し出ていたが、その度アレクは引き延ばし彼に軍服を脱がせなかった。しかし、ここにきてようやく、ビッテンフェルトの希望どおり、アレクは彼の退役を認めた。
「陛下は、義父上には貴族としての地位と称号を与え、レオンハルト皇子の後ろ盾としてローエングラム王朝を支えてほしいというお考えのようでしたが・・・」
「・・・陛下の気持ちは判るが、俺はあくまでも軍人だ。退役すれば、只のジジイになるほうが気楽でいい。それにレオンハルト皇子の後ろ盾には、お前やアルフォンスがいる。それで充分だろう・・・」
「私とアルフォンスでは、まだまだ役不足ですよ・・・。それに最近は、軍人より貴族達の勢力が強くなってきていますし・・・」
「う~ん、確かにその傾向があるのは認めるが・・・。仕方ないさ!戦争がない平和な時代が続いて、軍人の出番も少ないからな・・・。だが、お前たちなら大丈夫だ!どんな時代になっても対応できるさ・・・」
 ビッテンフェルトはそう言うと、お茶を飲んで一息ついた。
「それはそうと、お前、フィーネにプロポーズするときの理由になっていたあいつの<心から笑った顔>は、もう拝めたのか?」
「ええ、まあ・・・フィーネとの結婚生活は順調ですよ。彼女の士官学校の教官生活も、充実して楽しそうですし・・・」
 核心を反らすようなフェリックスの返答に、ビッテンフェルトが静かに問い質す。
「レオンハルト皇子とフィーネの対面は、上手くいかなかったのか?」
「いえ、ご心配なく!その件はスムーズにいきました。二人とも和やかに会話も弾んだようですし、次に逢う事も楽しみにしております」
 フェリックスが即答する。
「う~ん、それにしては、お前、何だか浮かぬ顔だな・・・」
 そう言われてフェリックスは、思わず目の前のビッテンフェルトを見つめた。そして、その薄茶色の瞳に促がされるように、フェリックスは自分の感覚を伝えていた。
「その~、上手く言えませんが、フィーネの心に住んでいるレオンハルト皇子は未だ赤ん坊のままのようで、今の成長したレオンハルト皇子とは少しギャップがあるように感じます・・・」
「それは・・・あいつがずっとレオンハルト皇子から逃げていたツケが、今来ているんだろう・・・」
 ビッテンフェルトは軽く頷いた後、フェリックスに告げた。
「・・・心の問題は、なかなか難しいな・・・」
「ええ、二人の逢う機会を増やして、フィーネの中のギャップを少しずつ埋めていこうと思います」
「うん、そうだな。・・・時間が解決してくれるだろう・・・」
 ビッテンフェルトは小さな溜息を付いた。

陛下との関係も良好になった
フェリックスとも結婚した
そして、レオンハルト皇子とも逢うことができた
もう大丈夫だと思ったが、
フィーネには、まだ何かが足りないらしい・・・

 ビッテンフェルトが黙ってしまったので、フェリックスは別の話を持ち出してきた。
「実は、引退されて自由な時間が増えた義父上に、両陛下から頼み事があるのですが・・・」
「陛下達が俺に?・・・なんだろう?」
 疑問に思ったビッテンフェルトが、フェリックスの次の言葉を待つ。
「レオンハルト皇子と二人きりで、ハルツの別荘で一週間ほど過ごしてみませんか?」
「???」
「実は以前から陛下は、レオンハルト皇子に祖父との交流の場を与えてやりたいとお考えでした。二人の祖父とよく遊んでいるテオやヨーゼフと同じように、レオンハルト皇子にも祖父との思い出を持って欲しいと望んでいます」
「・・・」
「ご存じのとおり、レオンハルト皇子の祖父でご健在なのは、義父上おひとりです。陛下は、レオンハルト皇子がまだ子供の内に、義父上と思いっきり遊ばせたいというお考えです。実際、成長が進むと、恥ずかしさや照れなどが出てきて、素直に遊ぶには難しい年頃になるでしょうし・・・」
「そうだな・・・。確かに、テオぐらいに大きくなると、一緒に遊ぶというより話をしているほうが多くなってきている・・・」
「それに陛下は、<機会があれば、レオンハルト皇子に生まれた場所を見せてやりたい・・・>とも仰っておられました」
「生まれた場所か・・・」
「勿論、この計画を進めるのは、義父上の賛同を得てからの話になりますが・・・」
 フェリックスが、ビッテンフェルトの様子を覗う。
「あっ、ああ・・・そ、そうだな。俺の方は、大丈夫だ!いつでもハルツに行ける・・・」
 少し動揺を見せたビッテンフェルトだが、すぐフェリックスに了承の意を示す。
「判りました。では、私の方で手配を整えます。詳しい事は、後ほどご連絡いたします」
 用件を済ませたフェリックスが帰ろうとしたとき、ビッテンフェルトが一言告げた。
「フェリックス、ありがとう・・・」
「どうしたんですか、義父上?私は、陛下の側近としての仕事をしているだけですよ・・・」
 フェリックスはすまして言うと、ビッテンフェルト邸を後にした。そんなフェリックスの後ろ姿を見送りながら、ビッテンフェルトが苦笑いする。

おい、フェリックス
俺が素直に礼を言っているときぐらいは
合わせろよ
こんなとき、ミッターマイヤーなら、
笑って、俺の肩を叩いてくれるぞ!

全く・・・
お前は、本当に奴<あいつ>に似ているよ
照れているときに、素っ気なくなるのは・・・

 恐らく、レオンハルト皇子と過ごすこの計画を、最初にアレクに持ち掛けたのはフェリックスの方だろうと、ビッテンフェルトには見当がついていた。



 ミュラー家のエリスのアトリエは、今日も夜遅くまで明かりがついている。キャンパスに向かって黙々と絵を描いている妻に、両手にコーヒーカップを持ったミュラーが声を掛けた。
「やあ、一息入れないかい?」
「あら、ありがとう、ナイトハルト」
 エリスが筆を置き、代わりにミュラーの持ってきたコーヒーカップを手にする。
「しかし、ずいぶん精がでるね」
「ええ、フィーネ達の結婚祝いの絵だから、早く仕上げたくて・・・」
 完成間近のその絵には、正装姿のフェリックスとウェディングドレス姿のヨゼフィーネが描かれていた。
「こんなに素敵な花婿と花嫁なんだから、結婚式を挙げて、みんなに披露すればよかったのに・・・」
「フィーネが目立ちたくないんですって・・・」
 エリスが笑いながら、ミュラーに伝える。
「そういえば先日、ビッテンフェルト提督と飲んだとき、ハルツの別荘でレオンハルト皇子と過ごしたときの事を教えてくれたよ。彼は『夢のような一週間だった…』って言っていた・・・」
「ビッテンフェルト提督は心の中で、ずっとレオンハルト皇子を可愛がっておられたのです。表面に出さない分、誰よりも強く・・・。長年、我慢してきた愛情を、やっとレオンハルト皇子本人に向けることができて、本当によかった・・・」
 エリスは、レオンハルトが生まれた日、王宮に向かった車を見送ったまま、別荘の前でずっと佇んでいたビッテンフェルトの姿を思い出していた。
「・・・あれから、もう八年以上経つのですね」
「うん、あっという間にも感じるが、振り返ればいろいろな事があった・・・」
「あの日、生まれたばかりのレオンハルト皇子を、ハルツの別荘から王宮に連れて行ったのがフェリックスでした。その彼が成長した皇子を連れて別荘に来たのですから、ビッテンフェルト提督にも感慨深いものがあったでしょう・・・」
「それに両陛下も、お忍びで別荘まで来たそうだ。皇妃の手作りの食事を囲んで、四人でいろいろな話をされたらしい」
「そうでしたか。皇妃さまは、ご結婚前の騒動のとき、あの別荘に避難して一時期を過ごされましたから、懐かしく思われた事でしょう」
「確かに・・・。両殿下にとってもあの別荘は思い入れがある場所だから、今回の事はいい機会になったと思うよ」
 ミュラーが結婚前のアレクとマリアンヌを思い出し頷く。
「それで、一週間別荘で過ごしたレオンハルト皇子が王宮に戻る際、見送っていたビッテンフェルト提督の胸に突然に飛び込んできて、『おじいちゃん、ありがとう…』って言ったそうだ。ビッテンフェルト提督が、目を潤ませながら教えてくれたよ。お蔭で、ついこっちも涙ぐんでしまった・・・」
「まあ・・・それは嬉しい出来事でしたね」
 エリスも、嬉しそうにミュラーを見つめる。
「レオンハルト皇子の祖父は、今はビッテンフェルト提督ひとりしかいない。だから、レオンハルト皇子は、ご自分の気持ちを誰にも遠慮なく安心して表面に出せる。だが、母親は二人だ・・・」
「ええ・・・。皇妃さまは<フィーネを慕っているレオンハルト皇子が、気軽に生みの母親に逢いに行けるくらいに二人の親子関係を深めさせたい!>と願っています。でも、フィーネは<強い絆で結ばれているレオンハルト皇子と皇妃さまの間に割って入るつもりはない!>と考えています。どちらの母親の想いは判るのですが・・・」
「うん、まだ八歳の子供に、その立ち位置は難しいだろう。特にレオンハルト皇子は、繊細で感が鋭いから、周りを見て自分の感情を抑えてしまう・・・」
「それに、士官学校の教官になったばかりでいろいろ忙しいフィーネの事も、レオンハルト皇子は気遣っているのかもしれません。フィーネ自身は、レオンハルト皇子からの要請があれば、どんなに忙しくても逢う時間を作る事でしょう。その為に、宇宙から地上に戻ってきたのですから・・・」
「陛下も皇妃と同じように、<皇子が自主的に、フィーネと交流を持てるようにさせたい!>と願っている。そして、チャンスがあれば<二人の関係を世間に公表したい!>とも考えている。しかし、レオンハルト皇子は、あのとおり受け身でおとなしすぎるし、フィーネも自分から動くことはないだろう。だから、フェリックスはいろいろ工夫しているのさ・・・」
 <公表>という言葉を耳にしたエリスが、少し心配そうな表情になって夫に伝えた。
「ナイトハルト、陛下のお考えも判りますが、今、世間から必要以上に騒がれたら、レオンハルト皇子は委縮して、フィーネに逢う事すら避けてしまうかもしれませんよ。公表はもう少し様子を見てからでも・・・」
「その辺のところは、フェリックスも判っているだろう・・・」
「フィーネとレオンハルト皇子は、お互い心から逢いたがっているのですから、何かきっかけがあれば、もう少し変わってくるでしょう」
「ともあれ、陛下とレオンハルト皇子、そしてフィーネの一番大変だった時期は、もう乗り越えた。後はフェリックスに任せて大丈夫だろう。・・・しかし、昔、君が言った通りになったね!」
 夫の言葉に、エリスが問い掛ける。
「えっ、何の事ですか?」
「ほら、士官学校を卒業したばかりのフィーネにフェリックスがプロポーズしたとき、誰もが二人の先行きが見えなかった。でも君は、<フィーネを好きになったフェリックスこそ、フィーネと皇子の間を取り持つのには適している人物>と言って彼の事を評価していたよ・・・」
 ミュラーの説明に、昔の自分の言葉を思い出したエリスが微笑んだ。



「フェリックスおじさん!」
 王宮の廊下を歩いていたフェリックスが、自分を呼ぶヨーゼフの声に立ち止まった。振り返ると、レオンハルトとヨーゼフが、自分の方に向かって走って来るのが見えた。そして、フェリックスの目の前に立ったレオンハルトが、大きく深呼吸する。
「レオンハルト皇子?何か御用ですか?」
 フェリックスに問いかけられたレオンハルトは、緊張しているように立ちすくんだ。
「ほら、自分からちゃんと言わないとダメだよ!」
 ヨーゼフに急かされたレオンハルトが、小さな声でフェリックスに打ち明け始める。
「ロイエンタール准将・・・あの・・・僕、明日、ヨーゼフと一緒に、これに行きたいんです!」
 レオンハルトが差し出したチラシは、士官学校で行われる学生たち主催のバザーの案内だった。
「・・・あの~・・・急なお話だし、無理なら・・・」
 レオンハルトが言いかけたとき、フェリックスがすぐさま「いえ、大丈夫ですよ!」と応じた。
(レオンハルト皇子が、フィーネに逢う事に初めて意思表示した!このチャンスを大事にしたい。今からワーレン学長に連絡すれば、大丈夫だろう・・・)とフェリックスが考えたとき、それに反応するかのように「うちのおじいちゃんには、もう話してある。だから、士官学校の方はOKだよ!」と、ヨーゼフがニカッと笑顔を見せた。



 明くる日、ヨーゼフとレオンハルトそしてテオドールの三人が、初めて士官学校の門をくぐった。賑やかな校内を案内したのは代表の学生達だが、そのグループの後ろに引率の教官としてのヨゼフィーネの姿もあった。
 テオドールやヨーゼフの叔母であり、陛下の側近のフェリックスの妻でもあるヨゼフィーネが、レオンハルト皇子を含むこの御一行に付き添って歩いても、自然で誰も違和感を感じないだろう。
 教官であるヨゼフィーネに、いろいろな質問をして嬉しそうなレオンハルトの様子を見たワーレンは、その後も何かにつけて孫たち達とレオンハルトを自分の職場である士官学校に招いた。レオンハルトも、ヨーゼフ達と一緒なら心強いのか、士官学校に行きたいときは自分からフェリックスに持ち掛けるようになった。
 周囲に、<孫に甘い学長>というイメージがついてしまったワーレンだが、彼は一向に気にせず学生達に、孫たちやレオンハルトの相手を頼んだ。そして彼らには、「皇子だからとか学長の孫だからといって特別扱いはしないように!」と言い含め、周囲にも充分気を配った。
 ワーレンの人徳なのか、学生達は学長の意図をくみ取って、節度を保ちながらも、子供たちには後輩のように指導したり、弟のように可愛がったりと交流を深めた。
 ローエグラム王朝の創始者ラインハルトの偉大な業績を、皇太后から聞かされて育ったレオンハルトは、祖父でもある先帝をとても敬愛している。彼は、士官学校に保存されているラインハルトの数々の武勲の足跡<そくせき>に触れては、目を輝かせていた。
 ヨゼフィーネにも逢え、更に自分の興味を引くものがたくさんある士官学校を、レオンハルトはすっかり気に入ってしまった。その結果、彼は普通にヨゼフィーネに逢うよりも、士官学校で軍服を着た彼女と逢う方が圧倒的に多くなったのである。


 ビッテンフェルトは、テオドールやヨーゼフが祖父ワーレンの職場、すなわち士官学校に、何度も顔を見せるこの状況を不思議に思っていた。正義感が強く、公明正大なワーレンの彼らしくないこの行動の裏には、<何か目的があるのでは?>とも予想していた。
 周囲には<孫に甘い学長>、フェリックスやアルフォンス達には<ヨゼフィーネとレオンハルト皇子の交流の為>と思わせているようだが、付き合いが長いビッテンフェルトには通用しなかった。
 一度、本人に「孫たちをダシにして、何を企んでいる?」と問い詰めたが、「なに、ちょっとした仕掛けを仕込んでいるだけさ!」と言って、ワーレンはビッテンフェルトの疑問をさらりとかわした。
 ビッテンフェルトは、ワーレンがなにか計画しているとは思ったが、堅実な用兵家として名高い彼の作戦に無駄がない事もよく知っているので、そのまま見守る事にした。
 それから時間<とき>は流れ、ワーレンやヨゼフィーネが士官学校に配属されてから、もうすぐ一年を迎えようとしていた。



 その日、授業の一環でもある宇宙での実習を数時間後に控え、あれこれと就航前の準備作業をしていたヨゼフィーネは、医務室のスーザンから呼び出された。
「フィーネ、あなたは今回の実習の同行は無理よ。就航前の検査で妊娠反応が出たわ・・・」
「え!まさか?・・・そんな筈ないと思うけど・・・」
 納得していないようなヨゼフィーネを見て、スーザンが提案する。
「再検査してみる?」
「ええ・・・お願い」
 暫くして、再検査の結果を持ってきたスーザンが、浮かぬ顔のヨゼフィーネを見て、苦笑しながら告げる。
「間違いはないわ。フィーネ、あなたは妊娠している。もしかしてこれは、予定外の結果だったの?」
「・・・」
 言葉なく顔色の変わってきたヨゼフィーネを見て、スーザンは思わず彼女を諫めた。
「フィーネ、例えアクシデントでも、これはおめでたいことよ!」
「ええ、判っているわ・・・」
「だったらそんな顔をしないで、もっと喜びなさい!・・・」
「・・・」
 顔が強張ったままのヨゼフィーネに、スーザンが伝える。
「フィーネ、ほかの教官達から『これだから女性の教官は・・・』って嫌味を言われるのは気にしないようにね・・・。妊娠中は宇宙へ行けなくなるのは当たり前の事だし、産休や育休を取るのも決められている法律よ。当然の権利なんだから、あなたが引け目に感じることなんてないのよ」
 スーザンの言葉に、一瞬我に返ったヨゼフィーネが慌てて反応する。
「あっ、そ、そうね・・・」
(フィーネが気にしているのは、こういう事ではない。ではなぜ彼女は、そんなに困っているんだろう?)
 スーザンは、妊娠というおめでたい出来事に、困惑気味のヨゼフィーネが不思議に思えた。
「フィーネ、宇宙を行き来していた女性兵士が、結婚後なかなか妊娠できなくて悩むケースは多いのよ。どうしても生理周期が不規則になりがちだし、宇宙空間での磁場の影響も考えられる。あなただって、体調管理の難しさは、身をもって知っているでしょう。みんな結婚すると、いくら宇宙が好きでも、リスクを避ける為あえて地上勤務をしている。あなたもそうじゃなかったの?」
「・・・」
 ヨゼフィーネの予想外の反応に、スーザンが思い切って訊いてきた。
「フィーネ、あなたはフェリックスを愛しているの?」
 ヨゼフィーネはスーザンの質問に、すぐさま<勿論!>という表情で頷いて見せた。
「だったら、なぜ?・・・・私には、あなたがどうしてそんな暗い顔になるのか判らない。愛する人の赤ちゃんなのに、まるで産みたくないみたい・・・」
「・・・」
「子供を育てていくのに申し分のない環境のあなたは、私から見れば充分すぎるほど恵まれていると思うけど・・・」
「そうね・・・私は贅沢だわ・・・」
 軽く溜息をついたヨゼフィーネが、スーザンに頼み込んだ。
「スーザン、この事はまだ誰にも言わないで・・・」
「ええ、まあ・・・。個人情報だし、あなたがまだ公表しないって言うのなら、私は黙っている。体調不良という事で手続きしておくわ・・・。でも、いずれ判ることだし、状況的にも隠しておけないでしょう?」
「それはそうだけど・・・。でも、もう少し待って頂戴・・・心の準備ができるまで・・・」
 ヨゼフィーネの中で産むという以外の選択肢がある可能性を感じたスーザンが、心配になって彼女に忠告した。
「ちゃんと夫婦で話し合ってね。一人で先走らないように・・・」
「ええ・・・」
 頷いたヨゼフィーネだったが、スーザンの不安は消えなかった。



 自宅に戻って考え込んでいたヨゼフィーネが、フェリックスの声で我に返った。
「お帰りなさい、フェリックス。でも、こんな時間に、どうしたの?」
「いや、君が今回の宇宙への実習に行けなくなったって聞いて・・・」
「相変わらず、情報が早いのね・・・」
 仕事中に抜け出して来たと思われるフェリックスに、ヨゼフィーネが呆れて軽く首を振る。
「何があったんだ?怪我でもしたのかい?」
 今朝まで宇宙に行くことに、何の問題も見せてなかったヨゼフィーネだけに、この状況を不思議に思ったフェリックスが妻に訊いた。
「出航前の健康診断に引っ掛かったの・・・」
「健康診断?」
「妊娠していた・・・」
「えっ!・・・」
 驚いたフェリックスの顔が喜びに変わる瞬間、彼の目に入ったものは、ヨゼフィーネの憂鬱そうな表情だった。
「・・・君はあまり嬉しそうじゃないな・・・」
「フェリックス、私、最初のプロポーズのとき、言ったと思うけど・・・忘れたの?」
「いや、ちゃんと覚えているよ・・・。君は『もう、子供は産まない!』って宣言していた・・・」
(フィーネの決意は、変わっていなかったか・・・)
 フェリックスの中の<フィーネの決意の変化>という期待が崩れていった。
「だが、その・・・君は、レオンハルト皇子に異父弟妹ができる事が心配なんだろう?でも、考え過ぎだよ。その事は、決してレオンハルト皇子のマイナスにはならない・・・。君が不安になるのも判るが、せっかく授かったんだし・・・」
 フェリックスは動揺を隠しながら、必死に自分の想いをヨゼフィーネに伝える。
 しかし、ヨゼフィーネの暗い表情は変わらなかった。お互い黙ったままの重い沈黙の中で、フェリックスの中で不安と焦りが沸き起こり、それが少しずつ苛立ちへと変わっていった。
「フィーネ、君が産みたくないという事は、お腹の子は始末するつもりなのか?」
(さすがにそこまでの事は望まないだろう・・・)と思っていたフェリックスだが、ヨゼフィーネの返答は彼の予想を裏切った。
「・・・判らない・・・」
 そのヨゼフィーネの言葉にショックを受けたフェリックスは、子供ができて喜んでいる自分自身を否定されたような気がして、カッとなった。そして、我慢できなくなった怒りを、そのまま目の前のヨゼフィーネにぶつけてしまった。
「君は、俺の子を産むのがそんなに嫌なのか?・・・そうだろう。なにしろ俺は、先帝に叛意を翻したロイエンタール元帥の血を受け継いでいる。俺の子も、ローエングラム王朝にいやレオンハルト皇子に、何らかの悪影響をもたらすかも知れないからな!」
「はぁ?・・・何を言うの、フェリックス!私、そんなこと、考えていないわ!」
「だったら、俺か?俺の父親のロイエンタール元帥は、子供の俺ができたことがきっかけで、『この子の為に高きを目指そう・・・』と言って叛乱の芽が生まれた。だから、息子の俺もそうなると?」
「どうしたの?フェリックス!私、あなたのお父上であるロイエンタール元帥を、叛逆者なんて思っていないわ!」
 強い口調で否定するヨゼフィーネに、フェリックスは首を振りながら問いただす。
「だったらなぜ、その子を産みたがらない?俺には、君が考えていることが判らない!」
 納得のいかない様子のフェリックスが、更に大声で怒鳴る。
「俺は堕胎など、そんな事は絶対させない!何があってもだ!」
 いつもやさしく自分を包み込んでくれるフェリックスのこんなに怒った姿は、ヨゼフィーネは今まで見たことがなかった。感情的になったフェリックスを見て、ヨゼフィーネの瞳から一筋の涙が溢れ、頬を伝わった。
「私は、怖い・・・ただ、それだけなの・・・」
 ヨゼフィーネが、辛そうにぽつりと告げた。
「・・・フィーネ、何が怖いんだい?」
 理解に苦しんだフェリックスの問いかけに、ヨゼフィーネはただ首を小さく振るだけであった。
 (この状態はまずい・・・)と感じたフェリックスは、冷静になる為にも一呼吸置こうと考えた。
「フィーネ、すまん、大声で怒鳴ってしまって・・・。そのぉ・・・今の俺はどうかしていた・・・。少し頭を冷やしてくる・・・」
 ヨゼフィーネに謝ると、フェリックスは仕切り直しするためにも、一旦部屋を出た。

バカな事を言ってしまった・・・
実の父親の事は、
フィーネには関係ない事だ
判っているのに、つい持ち出してしまった・・・

確かにフィーネは、俺のプロポーズの際にも
<もう、子供は産まない!>とはっきりと告げていた
レオンハルト皇子に異父弟妹が生じる事を
フィーネが避けたいと思っているのを感じた
だが、俺は・・・
君が俺の事を愛するようになれば、
子供を欲しがらない君の気持ちも、
変わってくると思っていた・・・
そう願っていた・・・

 大きく深呼吸したフェリックスが、ヨゼフィーネを説得するための方法を、頭の中で巡らす。そして、昔、レオンハルトを身籠ったヨゼフィーネが、ハルツの別荘で半狂乱になって泣き叫んでいた姿を思い出した。

もしかしてフィーネは、
妊娠事態がトラウマになっているのか?
皇子を身籠もったときの彼女の苦しみは、
俺だって覚えている。

 落ち着きを取り戻したフェリックスが、再び部屋に戻ると、先ほど迄そこにいたヨゼフィーネの姿が消えていた。
「フィーネ?」
 不審に思ったフェリックスが、ヨゼフィーネを呼びながら家の中を探し始める。しかし、妻の姿は見つからかった。
(まさか・・・あいつ、一人で勝手に決めて行動してしまわないよな?・・・いや、あの父親譲りの思い込みの激しさは、感情的になったら何をするか判らない・・・)
 不安になったフェリックスは、外に出てヨゼフィーネを探し始めた。


<続く>