絆 9

 ワーレン家の昼下がり、アルフォンスは久しぶりの休暇を、家族団らんの中で過ごしていた。幼年学校に入って急に大人びてきた長男テオドールと、腕白盛りの次男ヨーゼフは、大好きな父親と一緒の休日にご機嫌だった。
 家族でお茶を飲みながら楽しんでいたとき、アルフォンスの携帯にミュラーから連絡が入った。何気なく応対したアルフォンスが、「えっ!ニーベルング艦が・・・」と言ったきり、驚きの表情で絶句した。
 夫のただならぬ様子に、妻のルイーゼに不安が襲った。
「ルイーゼ、急な呼び出しがかかった。これから軍務省に向かう・・・」
 すぐさま身支度に取り掛かろうとした夫に、ルイーゼが青ざめた顔で尋ねる。
「あなた、フィーネの乗っているニーベルング艦に何かあったのですか?」
「いや・・・まだ判らない・・・。情報が入ったばかりで、詳しい事は向こうに行ってからじゃないと・・・」
 そう言ってアルフォンスが首を振った。
「でも、あなた・・・今知り得た情報だけでも、私に教えてくださいませんか?」
 妹のヨゼフィーネに関することだけに、ルイーゼも必至で食い下がる。テオドールもヨーゼフも、叔母の身を案じ、父親の次の言葉を、息を呑んで待っている。
 三人の真剣な目に、アルフォンスはたった今聞いた、まだ自分でも信じられない情報を伝えた。
「実は、ニーベルング艦と連絡が取れなくなったらしい・・・。遭難の可能性がある・・・」
「遭難!」
 ルイーゼが、目を見開いたままアルフォンスを見つめる。
「ルイーゼ、落ち着いて!まだ決まった訳ではないよ!向こうで確認したら、すぐ連絡をするから、ここで冷静に待っていてくれないか・・・」
「ええ・・・」
 ルイーゼは頷くと、そのまま椅子に崩れるように座りこんでしまった。
 地上での遭難と違い、宇宙空間で遭難した場合、見つけ出すのは困難を極める。発見率の大きな差が、それを物語っている。専業主婦のルイーゼにだって<宇宙空間での遭難は、死と隣り合わせ>という認識は持っている。
 暫く呆然としていたルイーゼだが、軍服姿になった夫を見て、我に返った。
 玄関先で見送る妻に、アルフォンスが声をかける。
「フィーネは、きっと大丈夫!だから、ルイーゼも先走って深く考えすぎないように!」
 ルイーゼは頷くが、その目は真っ赤で今にも涙がこぼれそうだった。
 アルフォンスは、ショックを隠し切れない妻の様子に、胸が一杯になった。

無理もない・・・
フィーネの地上勤務も決まり、
今度こそ、そばにフィーネがいてくれると
ルイーゼは大喜びしていたんだ・・・
それだけに、
この知らせはルイーゼにとって
大きなショックだろう・・・・

 この一報が何かの間違いであることを、アルフォンスは心から祈った。



 軍務省のミュラーの元には、既にフェリックスも来ていた。二人とも、顔を強張らせて硬い表情を隠せない。お互い目で軽く挨拶をすると、すぐニーベルング艦についての情報収集に取り掛かる。
 情報が慌ただしく飛び交う部屋に、気難しい顔のビッテンフェルトが姿を現した。彼の怒っている様子に、(宥め役が必要!)と思ったフェリックスが、アルフォンスに(ここは俺が引き受けるから、君はビッテンフェルト元帥の傍に・・・)と目配せする。フェリックスの意図を察したアルフォンスが(了解!)という表情を見せて、ビッテンフェルトの後に続いてミュラーの執務室に入った。


「ニーベルング艦が消息不明になるとは・・・。状況はどうなっているんだ!」
 ミュラーの執務室で、アルフォンスが興奮気味のビッテンフェルトに説明する。
「予想できるケースは、内部で想定外の事故が起きて電気系統がやられたか、あるいは操縦が効かなくなって航路から外れ連絡が取れなくなっているか・・・。只、まだ確かな情報が少なくて判断しかねます・・・」
「攻撃されたという可能性は?」
「いえ、今のところその報告はありません。SOS信号も確認されなかったということですので、宇宙海賊などによる襲撃の線は薄いかと思われます」
 最悪のケースである<撃沈>の可能性がない事を確認したビッテンフェルトが、そこで深いため息をついてようやく一呼吸置いた。
「現在、一番近いフェルゼンベルク基地からパトロール隊による捜索が行われていますが、ニーベルング艦の発見まで至ってはおりません」
 申し訳なさそうに報告するアルフォンスに、ミュラーが補足して説明する。
「あの空域は小惑星が多いですし、そのうえ磁場が強くてレーダーに映りにくい影響もありますから・・・」
 重い空気が漂う執務室に、フェリックスが新たな情報を携えて入ってきた。
「ニーベルング艦の航路上付近で、小規模ですが宇宙空間にゆがみがあった形跡が確認されました。突発的なブラックホールが発生した可能性があります」
「ブラックホール?・・・まさか、ブラックホールに引き込まれたのではないだろうな?」
 ビッテンフェルトの顔色が変わった。
「ブラックホールが発生した時間を把握できていませんので、何とも言えませんが・・・。もし運悪く、遭遇したとしても、ブラックホールに引き込まれるのを防ぐ為、軌道を大きくずらして本来の航路から大分外れてしまったという考え方もできます」
 ミュラーが、ビッテンフェルトの不安を取り除くように説明する。
「・・・ミュラー、こんな状況で遭難した場合、艦の発見率はどの程度だろう・・・」
 滅多に見せない弱気のビッテンフェルトを、ミュラーが戒める。
「そのような事を考えるのは、ビッテンフェルト提督らしくありませんよ。ニーベルング艦は安全な場所に避難して、連絡がとれないだけかと思います。・・・大丈夫ですよ」
「・・・そうだな・・・」
 ミュラーの砂色の瞳には、肩を落としたビッテンフェルトが痛々しく映っていた。



 緊張が続く執務室に、突然大きな声が響いた。
「お願い!今すぐ、大艦隊でフィーネおばさんを探して!みんなで探せば、ニーベルング艦は見つけられる!」
 部屋にいる四人が、一斉にドアの方を振り返る。レオンハルトとヨーゼフの二人が、いつの間にか入り込んでいたのだ。アルフォンスが慌てて、乱入者である息子のヨーゼフに注意をする。
「ヨーゼフ、今すぐ、ここから出なさい!」
 しかし、ヨーゼフは父親の言葉に耳を貸さず、更に続けた。
「お願い父上、今すぐ艦隊をだして!フィーネおばさんはレオンの母親なんだから、全艦隊を出せる筈!」
 そのヨーゼフの言葉に、大人達は耳を疑った。
「はっ?ヨーゼフ、今、なんと言った?」
「・・・フィーネおばさんは、レオンの母親・・・」
(なんと!!)
 アルフォンスとフェリックスが、驚いて顔を見合わせる。
 アレクからは<レオンハルト皇子に出生の経緯を話した>という報告は、まだ受けてはいない。従って、レオンハルトはまだヨゼフィーネの事は知らない筈だし、仲良しのヨーゼフにも打ち明けられないだろう。
 父親たちの疑問顔を見つめながら、ヨーゼフが更に続けた。
「知ってたよ・・・ずっと前から知ってたんだ!フィーネおばさんが、レオンを産んだ本当の母親だって事は・・・。テオ兄さんもレオンも知っている。大人は狡い!レオンが可哀想だよ!」
(ずっと前から、レオンハルト皇子は知っていた!・・・)
 この衝撃的な発言を受け、皆、思わずヨーゼフと彼の後ろに立っているレオンハルトに注目した。
 顔を上げて周りの大人たちをまっすぐ見つめるヨーゼフと対照的に、レオンハルトはしゅんと下を向いたまま俯いている。
 ビッテンフェルトは驚きの表情を隠せないまま、二人のところにゆっくり近づいていった。そして、レオンハルトの前に跪いて、目線を合わせると声をかけた。
「レオンハルト皇子・・・皇子は、知っていたのですか?あなたを産んだ母親が、私の娘のヨゼフィーネだということを・・・。テオやヨーゼフとは、血のつながりのある従兄弟同士であることも・・・」
 ビッテンフェルトの問いに、レオンハルトが小さく頷いた。
「うん・・・。でも、僕は、何も知らないほうがいいと思ったんだ。だから、知らないふりをした。その方がみんなが安心すると思ったから・・・」
 小さな声で、ぽつりとレオンハルトが呟いた。


 ビッテンフェルトの脳裏に、二人がまだ幼かった頃の光景が浮かんでいた。王宮の庭でレオンハルトとヨーゼフの遊んでいる姿を、彼は廊下から偶然見かけた。思わず立ち止まり、楽しそうな声を出して無心に遊ぶ孫たちを、ビッテンフェルトは食い入るように長いこと見つめていたのだ。
 そして今、ビッテンフェルトの目に映った二人は、いつまでも何も知らないまま無邪気にじゃれあっていた幼子ではなかった。
(二人とも、フィーネがレオンハルト皇子の産みの母親であることを知っていた!そして、周りの大人達には、その事を気づかせないように振る舞っていた・・・)
 俯いたままのレオンハルトを見つめたビッテンフェルトは、小さな胸を痛めて過ごしてきた目の前の孫の切なさに、胸が一杯になった。
 ミュラーは、以前レオンハルトを描いた妻のエリスの言葉を思い出していた。

確かに、エリスの感覚は正しかった
レオンハルト皇子は、フィーネの小さい頃に似ている
この子も、人の心を読んでしまう・・・
やはり、皇子はフィーネが産んだ子・・・
繊細で勘が鋭い・・・

しかし、
テオやヨーゼフまで知っていたとは・・・

 ヨゼフィーネの配属されているニーベルング艦の消息不明という緊迫状態の中で、さらに不意打ちをかけるようなこの事態に、皆動揺をしていた。
 ビッテンフェルトは心の中でしか可愛がれなかった目の前にいる孫を、思いっきり抱きしめたい衝動に囚われていた。愛情を表面に出せない分、彼はどれほどレオンハルトを愛しんできただろう。ビッテンフェルトは今こそ、思う存分レオンハルトを抱きしめたかった。しかし、それをしてしまうと、この状況での冷静な判断が出来なくなると自覚している彼は、自身の震える拳に力を込めて握りしめ、全ての想いを閉じこめて踏み止まった。


「ヨーゼフ、なぜ、私に話してくれなかったんだ?」
 沈黙を破るかのように、アルフォンスが息子に問い質した。ミュラー同様、アルフォンスも息子達が知っていたことに驚いているようだった。
「ヨーゼフを怒らないで!僕が『内緒にして!』って頼んだの・・・」
 レオンハルトが慌ててヨーゼフを庇う。
「父上、隠し事をしてごめんなさい。・・・僕、<誰にも言わない!>っていうレオンとの約束を守りたかったんだ・・・」
 ヨーゼフが、ふと我に返って呟いた。
「あっ!・・・ゴメン・・・僕の方がレオンとの約束、破っちゃった・・・。でも、僕、どうしてもフィーネおばさんを助けたいんだ・・・。レオンだって、そうだろう!」
 ヨーゼフの言葉を受け、レオンハルトが小さな声で頼んだ。
「お願い!ビッテンフェルト中尉を助けてあげて・・・」
 レオンハルトの発言に対し、ヨーゼフが怒鳴った。
「レオンのばかぁ~!フィーネおばさんは中尉なんかじゃない!お前を生んでくれた母親なんだ!皇子のお前が、『母上を助けるんだ!』と命令すれば、どっちのおじいちゃんも艦隊を動かしてくれる。でも、ただの中尉じゃダメなんだよぉ~~!」
 ヨーゼフの叫びに、レオンハルトは唇を噛んで小さく首を振った。
「お願いだよ、レオン!テオ兄さんも、『フィーネおばさんが、ただの中尉じゃなくて皇子の母親だって知らせれば、大掛かりな艦隊で捜してもらえる!』って言っていた!だから、レオン、命令して!大艦隊でフィーネおばさんを探して貰えるように・・・」
 ヨーゼフの必至の頼みに、レオンハルトは小さく呟いた。
「僕の母親は今の母上、皇妃なんだ・・・だから・・・」
 レオンハルトの呟く声に、ヨーゼフが更に怒った。
「ばかぁ!!レオンのバカ野郎!どうしてこんなときにまで、自分の心に嘘を付くんだ?お前、いつもフィーネおばさんの事、聞きたがっていたじゃないか!どんな小さな事でも知りたがっていた。・・・ずっと、逢いたがっていた癖に、なんでだよ!!」
 レオンハルトを怒鳴ったヨーゼフが、今度が泣きべそ顔で周りの大人達に訴える。
「フィーネおばさんだって、そうだよ!本当は、ずっとレオンに逢いたがっていたんだ!だから、僕やテオ兄さんからレオンを想像して、こっそり泣いていたんだ・・・」
 感情的になってしまったヨーゼフが、更に食いつくように激しく声を荒げた。
「どっちも逢いたいと思っているのに、どうしてこうなっているの?もし、このまま逢えなくなったら、フィーネおばさんも、レオンも可哀想じゃないか!酷すぎるよ・・・」
 ヨゼフィーネの悲しみもレオンハルトの我慢もずっとその眼で見てきたヨーゼフは、今まで抑えてきた怒りを周りの大人達に思いっきりぶつけていた。興奮状態のヨーゼフを抑えるため、父親のアルフォンスが、息子の両肩に手を添えて気持ちを落ち着かせる。
 そんなヨーゼフの言葉を黙って聞いていたレオンハルトが、堪え切れずとうとう泣き出してしまった。
 泣きじゃくるレオンハルトの傍に来て、頭をそっと軽く撫でながら声を掛けたのは、フェリックスであった。
「レオンハルト皇子、母親が二人いてもいいんですよ・・・。どちらも皇子の大事な母親。・・・皇妃もヨゼフィーネも、あなたを心から愛しています。皇子の気持ち、私にも判ります。私も、父と母が二人ずつ存在していましたから・・・」
 そう言うと、フェリックスは涙が止まらないレオンハルトの顔を、ハンカチでそっと拭った。
「レオンハルト皇子は、皇妃がとても大好きなんですよね。だから、産みの母親であるヨゼフィーネのことを想うことは、皇妃を傷つけてしまうのでは?と考えてしまったのでしょう・・・」
 レオンハルトが、そっと頷いて同意を表す。
「私も、育ててくれた母親が大好きでした。だから、レオンハルト皇子がそのように考えてしまう気持ちもよく判ります。しかし、レオンハルト皇子がそのように思う事は、返って皇妃を悲しませてしまう事になるのですよ・・・」
「母上が悲しむ?」
 フェリックスからそのように言われたレオンハルトは、思わず彼を見つめ、目を大きくして次の言葉を待った。
「そうです。皇妃は将来皇帝になられるレオンハルト皇子には、子供のうちは心のまま、自由に生きて欲しいと望んでおられます。なのに<自分への遠慮ゆえに、レオンハルト皇子が想いを我慢していた・・・>というのは、皇妃にとって非常に残念な事なのですよ」
 涙が止まった様子のレオンハルトを見て、フェリックスはハンカチをしまいながら更に伝える。
「実の母を想うことは、人として自然なこと。決して育ての親への裏切りではありません。レオンハルト皇子も私も、母親への絆が二つあったのです。一つは血の繋がりからなる絆、もう一つは同じ時間を共有して作られる絆。多くの子供達は、この二つの絆が絡み合い一つの絆になって成長するのですが、私たちのように二つの絆のまま成長する子供もいるのです。皇妃は、ちゃんとそのことを理解しておられますよ」
 レオンハルトは、フェリックスの言葉を自身の中で反芻しているかのように、何度も頷いていた。
 フェリックスは、そんなレオンハルトを見つめながら、自身の行動の遅さを後悔していた。

もっと早く、行動すべきだった
そうすれば
レオンハルト皇子は、我慢せずにすんだかもしれない・・・

陛下は、フィーネに遠慮するから
俺が、もっと積極的に動くべきであった。
そう、もっと強引でもよかったんだ
そうすれば、フィーネも
こんな事故に巻き込まれなくても済んだ・・・

 フェリックスは、時間を取り戻したい気持ちで一杯だった。


 執務室にノックの音がして、キスリングが顔を出した。中にいるメンバーを確認すると、アレクを招き入れる。突然の陛下の登場に、辺りはシーンとなった。そんな中、アレクは息子の名を呼んだ。
「レオンハルト・・・周りの気持ちを思いやる事が出来るお前は、私より良い統治者になれる・・・」
 そして、息子に謝った。
「ヨゼフィーネがお前を産んだ母親だという事は、いずれ折を見て話すつもりでいたのだ。時機を見ていたのだが、どうやら遅かったようだな・・・。お前に負担をかけてしまって済まない・・・」
 父親の思いがけない謝罪に、レオンハルトは思わず首を振った。アレクは、息子のその様子を見つめながら、生まれた頃の話を始めた。
「ヨゼフィーネは私の為に、皇帝の子を産むという運命を受け入れてくれた。そして、生まれてすぐのお前を、マリアンヌに託してくれた。ヨゼフィーネには違う選択もできた。だが、私たちの為に敢えてその道を選んでくれたのだ・・・。お前は、私とマリアンヌの大事な宝物だ。その宝物を与えてくれたヨゼフィーネを、私とマリアンヌはどれほど感謝していることだろう」
 そして、アレクはヨゼフィーネの息子への想いも伝えた。
「ヨゼフィーネは、私と逢ったとき、『皇子が幸せならば、自分は充分幸せになれる・・・』と言っていた。レオンハルト、ヨゼフィーネはお前を産んだときから、いやお腹の中にいたときから、<お前の幸せをずっと願い、心から愛してきた・・・>その事だけは、胸にちゃんと刻んでおいて欲しい・・・」
 レオンハルトは父親の話を、真っ直ぐ見つめながら真剣な顔で聞いていた
 その後アレクは、レオンハルトの隣にいたヨーゼフに目をやると、息子の為に頼んだ。
「ヨーゼフ、お前はいい子だ。いつまでも、レオンハルトのよい友達でいてくれ・・・」
 ヨーゼフが照れくさそうな顔をしながらも、元気よく返事をする。
「レオンハルトもヨーゼフも心配するな!必ず、ヨゼフィーネは助け出す!」
 アレクのこの言葉を聞いた途端、泣いた後のクシャクシャだった二人の顔が、笑顔になった。
「さあ、二人とも、ケスラー夫人が心配して待っているぞ。王宮に戻るがよい」
 アレクから、マリーカの存在を聞いて、ヨーゼフが慌てた。
「あっ!やばい・・・僕たち、部屋の窓から抜け出して来たんだ!!」
 執務室の外で、皇子の教育係であるマリーカが、脱走した二人を待っていた。



 子供たちがいなくなったところで、フェリックスがニーベルング艦に関する今までの情報を、アレクに報告する。報告を受けたアレクが一呼吸置くと、おもむろに命令した。
「勅命を下す!ヨゼフィーネが配属されている輸送艦ニーベルングの救出に全力を尽くせ!全艦隊を出撃させるんだ!」
「お待ち下さい、陛下!私情で兵を動かすのはおやめください・・・」
 ビッテンフェルトが、思わずアレクを諫めた。
「ビッテンフェルト、私はヨゼフィーネに大きな借りがある。今こそ、その借りを返したい」
 アレクの言葉に、ビッテンフェルトが首を振って、(その必要はない・・・)という意を示した。
「卿は皇帝の私に、恩知らずの汚名をきせさせるつもりなのか?」
 アレクも引き下がらず、ビッテンフェルトに問い詰める。
「ビッテンフェルト、もし助け出すのが皇太后であればどうする?私が母上を助け出すことにも、卿はこのように反対をするのか?」
 アレクが持ち出した例えに、ビッテンフェルトが静かに反論した。
「陛下、ヨゼフィーネは王室の一員ではなく、私の娘です。他の軍人と同じように扱うべきです」
「いや、それは違う、ビッテンフェルト!ヨゼフィーネはレオンハルトの母親だ。そして、そのレオンハルトは私の息子でローエングラム王朝の後継者、次の皇帝となる身だ。それでも卿が異を唱えるのであれば、ヨゼフィーネを立場を公にしてでも捜索させる!」
 アレクの決意に、ビッテンフェルトの薄茶色の瞳が揺れた。彼の中で理性と感情が戦っていた。
 そんな緊迫した二人の間に、ミュラーが割って入った。
「陛下の勅命は、軍務尚書の私が承ります。どうか私に、全権をお任せください!」
 ミュラーの提案に、アレクはフェリックスとアルフォンスの様子を窺った。そして、両者からの同意を感じ取りと、結論を出した。
「ミュラー、必ずニーベルング艦を見つけ出し、ヨゼフィーネを助け出せ!それが、卿に全権を委ねる条件だ!」
「御意・・・」
 ミュラーが重々しく、皇帝の言葉を受け取る。
 その後、執務室を出ようとしたアレクが、ビッテンフェルトに伝える。
「ビッテンフェルト、判ってほしい。私はヨゼフィーネに償いたい・・・」
 ビッテンフェルトは、アレクの訴えに、一言だけ返した。
「陛下、コウノトリは、もうとっくに許されています・・・」
「???」
 ビッテンフェルトが返した言葉の意味が理解できないアレクは、思わずミュラーを見つめた。しかし、ビッテンフェルトの言動をよく知っている筈のミュラーにもってしても、彼の発したこの言葉の意味はよく判らなかった。ミュラーは、アレクの教えを乞う目に、軽く首を傾げ、(私も判らない・・・)と応じていた。


 アレクが去った後、ミュラーは改めてビッテンフェルトに確認する。
「ビッテンフェルト提督、不本意かもしれませんが、ニーベルング艦の捜索には、あらゆる手段を使わせて頂きます・・・」
「陛下はお前に全権を委ねたんだ・・・後は、お前に任せる」
 ビッテンフェルトは素直に了承するが、その後、自分の考えをミュラーに述べた。
「俺は、ニーベルング艦の他の乗組員の家族と同じように、軍からの正式な連絡を、家で待つことにする・・・」
 一瞬何か言いかけたミュラーだが、ひとまずビッテンフェルトの意思を尊重するかのように頷いた。



 自宅に戻ったビッテンフェルトだが、何をするわけでもなく、自分の感情を持て余しながら、時間の経過と戦っていた。そんな彼の元に、孫のテオドールがやってきた。
「おじいちゃん・・・」
「おう、テオか!・・・ルイーゼは、どうしてる?」
 ビッテンフェルトは、先ほど連絡したとき動揺を見せていたルイーゼのその後の様子を、テオドールに尋ねた。
「うん、ずっと泣いていたけれど、エリスおばさんが来てくれた。今はヨーゼフが、僕の代わりに母上のそばにいる・・・」
「そうか・・」
「母上、今日一日で、一年分の涙を流したみたいだった・・・」
「・・・フィーネが帰ってくれば、今度は一年分の嬉し涙を流すさ!」
「・・・うん、そうだね・・・」
 テオドールは、ソファーに座っているビッテンフェルトの隣に、いつものようにチョコンと座った。先ほどのヨーゼフの言葉が気になっていたビッテンフェルトは、テオドールに訊いてみる。
「テオはいつから、フィーネとレオンハルト皇子の事、知っていたんだ?」
 ビッテンフェルトから質問されたテオドールは、心配そうに答えた。
「ずっと前から、気が付いていたんだ。けれど、レオンと約束したから、父上には言えなくて・・・」
「うん、男同士の約束は大事だよな。大丈夫だ。アルフォンスは判ってくれる」
「そうだよね!」
 ビッテンフェルトの同意に安心したテオドールが、笑顔を見せる。
「最初、ヨーゼフが、『フィーネおばさんとレオンが、シンクロする!』って言ってきたんだ。それで、僕も二人の事を気にして見るようになったら、本当にそんな感じで・・・」
「シンクロ?・・・それは<似ている>ってことなのかな?」
「う~ん、あのうまく言えないけれど、フィーネおばさんとレオンは同じなんだよ・・・」
 孫にそう言われたものの、よく理解できないビッテンフェルトは、思わず眉間に皺を寄せていた。
 ビッテンフェルトの難しい表情から、意味が通じていないことを悟ったテオドールが、勢いよく説明する。
「あのね、僕たちはレオンと遊ぶときもあるし、フィーネおばさんと一緒のときもあるでしょう。それでいつしか、レオンとフィーネおばさんが、同じような事をするのに気が付いたんだ」
「同じような事?」
「喋り方とか、ちょっとした癖とか・・・あと、お互い知り得ない筈なのに、考えた事とか感じた事なんかが同じだったりするんだ。例えば、僕らが面白い話をしたとき、同じところで受けて笑ったり・・・反応が同じなんだよ!食べ物の好みも一緒だった・・・」
 テオドールは思いつくまま、ヨゼフィーネとレオンハルトとの共通点を、ビッテンフェルトに説明していた。
 ビッテンフェルトはテオドールの話を聞きながらも、(しかし、それだけでレオンハルト皇子とフィーネが、親子と結びつくものだろうか?・・・)と孫たちの思い込みを不思議に思っていた。
「だけど、一番の決め手となったのは、フィーネおばさんが持っているロケットペンダントの中身を、内緒で見ちゃったときなんだ。そのとき、僕たちは『レオンは、フィーネおばさんの子供に間違いない!』って思ったんだ」
 テオドールの話に、ビッテンフェルトは思わず聞き返した。
「ロケットペンダント?」
「うん、フィーネおばさんが大事にしているお守りだよ。いつもは必ず身につけているんだけど、あのときは机の上に置いてあったんだ。僕とヨーゼフがそれを見て、レオンの生年月日の刻印に気が付いたんだ。それで、中身がどうしても見たくなって、つい・・・」
「見たのか?」
 ビッテンフェルトの問いに、テオドールは気まずい顔をしながら答えた。
「うん・・・いけない事だとわかっていたけれど・・・・」
「それで?」
「中には、へその緒があった」
「はぁ?・・・へ、へそのお?・・・」
「ほら、赤ちゃんがお腹の中にいるとき、母親から栄養をもらう為に繋がっている紐みたいなものだよ!知らないの?」
「ああ、なんだ・・・そのへその緒のことか・・・大丈夫だ。俺も知っている」
 聞きなれない言葉で一瞬意味が判らなかったビッテンフェルトが、焦って答えた。
「しかしテオ、よくその中身が、へその緒だって判ったな~?」
 ビッテンフェルト自身見たことのない物だけに、テオドールが知っていた事に感心していた。
「うん、だって見たことがあるんだ!前に母上が、ぼくが生まれたときのへその緒を、見せてくれた。母上も、フィーネおばさんと同じように誕生日を印して、ヨーゼフの分と二つ、大事にしまってあったよ・・・」
「なるほど・・・」
 ビッテンフェルトは、孫たちの思い込みの根拠が、ようやく理解できた。
「でも、レオンにその事を伝えたら、三人だけの秘密にしてほしいって頼まれたんだ・・・」
「そうか、判った。テオ、話してくれてありがとう。今まで、辛かっただろう・・・」
(真面目なテオドールにとっては、レオンハルト皇子に頼まれたとはいえ、両親に内緒にしておくこの状態は辛かったに違いない・・・)ビッテンフェルトは、今までのテオドールの我慢を労った。
 大好きな祖父が自分の気持ちを理解してくれたことが嬉しくて、テオドールは思わずビッテンフェルトに抱きついた。ビッテンフェルトは、小さい頃のように胸に飛び込んできた孫を受け止めると、彼の頭に手をのせて、髪をクシャクシャとさせた。

テオとヨーゼフは、
レオンハルト皇子と一緒に大きくなった
そして、たくさんの時間を共有した

フィーネは、二人の甥を可愛がっている
心配する俺たちには、見せない本音を
この子達といるときには、
気が緩んで見せているのかもしれない・・・

テオとヨーゼフの存在は
フィーネとレオンハルト皇子の接点になるのだ・・・

しかし
子供というものは
事の本質を、よく捉えている・・・

混じりけのない純粋な目で見るからこそ
大人には見えない真実が
判るのかもしれない・・・

 ビッテンフェルトは、孫たちの団結力に驚き、嬉しく思った。そして、三人とも、このまま仲良しで逞しく成長してほしいと願った。


「おじいちゃん、あのね、かくれんぼするとき、どんなに上手く隠れても、鬼が多ければ多いほどすぐ見つかっちゃうでしょう。ニーベルング艦だって探す人が多ければ多いほど、見つかる可能性は高くなる筈だよね。だから、僕、ヨーゼフに話したんだ。フィーネおばさんが皇子の母親だってわかったら、みんなで探してもらえるって・・・」
「うん、テオの言っている事は判る。だが・・・」
 孫を諌めようとしたビッテンフェルトだったが、言葉が上手く見つからなかった。祖父の困った顔にテオドールは必至な顔で告げた。
「僕とヨーゼフは、レオンとフィーネおばさんを逢わせたいんだ・・・」
 テオドールの真剣な目に、「フィーネが帰ってくれば、必ず逢えるさ・・・」と、ビッテンフェルトは穏やかに伝えた。
 ずっと<隠し事をしている>という後ろめたさがあったテオドールだったが、祖父のビッテンフェルトに全てを打ち明けた事でほっとした様子だった。そして、母親を心配する息子は、ワーレン邸に戻った。



 夜も更けたころ、今度はもう一人の祖父であるワーレンが、ビッテンフェルト家を訪ねてきた。この時間まで軍務をしていたらしく、軍服姿であった。(おそらくワーレンも、ニーベルング艦の捜索に関わっているのだろう・・・)とビッテンフェルトは予想した。
「日中、テオがここに来て話してくれたよ。テオは、ますますアルフォンスに似てきたな!まじめで責任感が強い・・・」
「テオは、俺に似たんだよ!」と言うワーレンの得意顔に、「まぁ、そういう事にしておこう・・・」と、ビッテンフェルトが苦笑する。
「フィーネとレオンハルト皇子の関係を知っていたことを、父親に言えず、辛かったようだ。それに、今日のヨーゼフの行動にも責任を感じていた」
「うん、ミュラーの執務室で、大演説をしたそうだな・・・」
 二人の祖父が、お互い顔を見合わせて、苦笑いする。
「テオがヨーゼフに、ヨゼフィーネの立場だったら大艦隊で捜索できる事を教えたそうだ。普通であれば、輸送艦の遭難に携わる捜索隊の規模は限られているって事も・・・。だが、まさかレオンハルト皇子を連れて、軍務省まで行って直訴するとは思わなかったらしい。テオは、<自分がヨーゼフを嗾けた感じになった・・>と悩んでいたぞ」
「なあに、大丈夫だ!テオは、無茶するヨーゼフの対応には慣れている!弟思いの優しい子だ」 
 一緒に住んでいるだけに、二人の孫の性格を理解しているワーレンは、動じず頷いていた。恐らく、<無鉄砲な弟のヨーゼフと、その尻拭いをする兄のテオ>というのは、日常でもよく起こるパターンなのだろう。


「先ほど、フェリックスが第一便として、フェルゼンベルク基地に向けて出航した」
「そうか・・・」
「それで、俺とお前は、ミュラーから軍事訓練に出るよう要請がきている」
「軍事訓練?」
 いきなり飛び出した話に、ビッテンフェルトが驚いた。
「ああ、そうだ!近日中に抜き打ちの軍事訓練が行われる・・・」
「・・・それは軍事訓練という名目で行われる、艦隊によるニーベルング艦の捜索か?」
「まぁ、艦隊を動かす大義名分には違いないが・・・」
「だったら、俺が携わる訳にはいかない。ニーベルング艦には娘のフィーネが乗っている。特別扱いは無用だ」
 ビッテンフェルトの決意に、ワーレンが軽く言い放つ。
「別にお前を優遇するつもりはない!」
「?」
「お前、今回の航海中、ヨゼフィーネに帰還命令出しただろう?それで、一旦ヨゼフィーネはフェザーンに帰ってきた。だがお前は、すぐにそれを取り消して、もう一度配属命令を出した。そうだな?」
「ああ、そうだが・・・それがどうかしたのか?」
「手続き上のミスだと思うが、ヨゼフィーネの名前が正式な乗船名簿に載っていないんだ」
「はぁ?」
「ミュラーも驚いていたよ。ヨゼフィーネがニーベルング艦に乗っているのは、フェルゼンベルク基地で確認がとれているから確かだ。だが、フェザーンの軍の本部のコンピューターには、帰還命令で下船した事までは記録されているが、そのあとの更新がなされていない。本来であれば、あってはならないミスだが、一回宇宙に出たものに帰還命令を出したり、取り消して再配属させて合流させるケースも珍しいからな・・・。まぁ、ヨゼフィーネが帰ってくれば笑い話になるが・・・」
(なんと!)
 ビッテンフェルトが目を丸くした。
「従って、軍が正式に公表するニーベルング艦の乗船名簿には、ヨゼフィーネの名前は載っていない。お前、ここで待っていても、軍からの連絡はこないぞ!情報も入らないってことだ」
 呆気にとられるビッテンフェルトに、ワーレンは続ける。
「文句は言うなよ。手続き上のミスとはいえ、お前が自分で蒔いた種が原因なんだからな!」
「・・・」
「ミュラーも初めはお前の意思を尊重しようと思ったらしいが、このミスに便乗してお前を借り出した。ミュラーの指示に従うんだな。何しろ勅命なんだから・・・」
 二の句が出ないビッテンフェルトに、ワーレンは更に彼のツボを突く。
「それに、ヨーゼフに言われたんだろう。『どっちのおじいちゃんも、艦隊をだしてくれる!』って・・・。お前、孫の期待を裏切るのか?」
 ビッテンフェルトがため息交じりで、ワーレンに説明する。
「ワーレン、今の俺に兵を持たせると、歯止めがきかんぞ!俺はフィーネが見つかるまで、宇宙の果てまで行ってしまうだろう・・・」
「大丈夫だ!今回、俺もお前も指揮権は持たない。訓練を評価する御意見番みたいなもんだから・・・」
 一瞬口籠ったビッテンフェルトだが、軽く首を振ってワーレンにぼやいた。
「人生とは、思い通りにはいかないものだな・・・」
「そういう事だ!今、艦隊編成を大急ぎでやっている。お前も、すぐにでも出立できるように準備しておいてくれ!」
 ビッテンフェルトはワーレンの言葉に頷いた。


 ワーレンが去り、一人になったビッテンフェルトは書斎に足を運んだ。椅子に座り、目の前の絵をじっと見つめる。
 ヨゼフィーネから出立の前に、<もう大丈夫だから、ハルツに置いてある母上の絵を、この書斎に戻してあげて!>と頼まれて運んできた絵である。
 久しぶりに我が家で過ごしているアマンダに、ビッテンフェルトが声をかけた。

やっと、フィーネが
宇宙から俺のところに、
戻ってくると喜んでいた・・・

フェリックスとの結婚も、
もうすぐだと思ってた

あの子の幸せが
すぐ目の前にあると思っていたのに・・・

今の俺は、
なんだか人生の落とし穴に落ちたような気がするよ・・・

アマンダ、
フィーネを助けてほしい・・・

もし、フィーネが
間違ってそっちに行ったら
ぶん殴ってでもいいから、追い返してくれ!
決して、ヴァルハラの門を通すんじゃないぞ!

 ビッテンフェルトは、赤ん坊のヨゼフィーネを抱いているアマンダに、念を押して頼み込んでいた。


<続く>