(・・・・嘘だろう・・・)
宇宙空間に、ニーベルング艦の残骸が広がる。目の前の信じられない惨状に、フェリックスが息を呑む。
「フィーネ!!」
思わずフェリックスが叫んだ。
その叫んだ自分の声で、フェリックスは目を覚ました。
起きた瞬間、状況が判断できないくらい気持ちが動揺していた。すぐ夢であったことに気が付き、思わず「夢で良かった・・・」と呟いた。全身に冷や汗をかいたフェリックスの鼓動は、まだ高まったままだった。
ニーベルング艦の捜索の為、巡洋艦『イゾルデ』に乗り込んでいたフェリックスは焦っていた。フェルゼンベルク基地からは、これといった新たな情報が入らず、彼は苛立つ気持ちを落ち着かせようと、コーヒーを飲んで一息入れる。
ニーベルング艦遭難の情報が入って以来、休むこともなくずっと気が張っていただけに、溜まっていた疲れが襲ってきたのか、フェリックスは椅子に座ったまま少し眠り込んでしまった。
そして、その眠りは、彼の不安な気持ちを反映してか、そのまま悪夢へと繋がってしまったのである。
なんて、不吉な夢を見たんだ・・・
だが、本当に夢でよかった
フェリックスは深い溜息をついた。サイドテーブルの上に置かれたコーヒーは、まだ温かいままだった。
フィーネとやっと結ばれた
彼女が、心から俺の事を愛してくれた・・・
ハルツで過ごしたあの充実した時間は、
これから、いつでも当たり前に訪れると思っていた
こんな事故が起きる迄は・・・
王室とフィーネの懸け橋になろうと思った
皇子とフィーネの気持ちを理解し支えるのは
育ての親を持ち、彼女を愛している俺しかいないとも思っていた
しかし、俺は後手に回り過ぎていた・・・
ミュラーの執務室で泣きじゃくったレオンハルト皇子の姿を、フェリックスは思い出していた。
俺がもっと早く行動を起こしていたら
皇子があんな思いをせずに済んだ・・・
陛下も、皇子のあのような姿を見るのは辛かっただろう・・・
テオやヨーゼフは、
フィーネとレオンハルト皇子の関係に
とっくに気が付いていた
フィーネの想いも皇子の気持ちも、
何もかも知っていた
ニーベルング艦の事故が引き金になったが
ヨーゼフが俺達に訴えた言葉は
フィーネと皇子の現状を
子供心に何とかしたいと思い続けていた結果なんだ
いったい、大人の俺は、何を見ていたんだ?
何をしてきたんだ?
だから、俺は甘いんだ・・・・
本当に情けない・・・
学生時代から単独行動を好み人を寄せ付けないところがあったフェリックスは、自身の人の心理を見抜く力の乏しさを自覚し、そして悔やんだ。
時は少し遡る。
フェルゼンベルク基地を出立したニーベルンゲン艦は、小惑星が多く強い磁場に囲まれた宇宙空間に入っていた。今回の航路の中では比較的厄介な空域ともいえるが、これまで特に大きなトラブルはなく、操縦席にいるヨゼフィーネもリラックスしている。そんな彼女に、同僚のベルツが話しかけた。
ベルツはヨゼフィーネより少し年上だが、同じ時期にこの艦に配属されたこともあって親しく話すようになった。今ではお互い気心も知れて、よい話し相手となっている。
「フィーネ、どうしてニーベルンゲン艦に戻ってきたんだ?俺だったら、そのままフェザーンに残って一足早い休暇にするよ。どうせ、みんな帰還したら休暇に入るんだし、特に問題はないだろう?」
「ええ、まあ・・・」
「それなのに、わざわざ戻ってくるなんて・・・。全く、フィーネは生真面目というか、融通が効かないというか・・・」
別の任務で艦を降りた筈のヨゼフィーネが、遠征中のニーベルンゲン艦に再び戻ってきた事に、ベルツは呆れているのである。確かにこういった場合、普通であれば別の任務終了後はそのままフェザーンで待機して、合流は次の遠征からというのが一般的であろう。
ヨゼフィーネにとってこれがニーベルンゲン艦での最後の遠征になる事は、艦長のミュンツァー以外まだ誰も知らなかった。
ベルツの呆れ顔に、ヨゼフィーネはただ笑うしかなかった。二人の近くにいたヘレナが、「先輩は責任感が強いんです!」と言ってヨゼフィーネを擁護した。
ヘレナはヨゼフィーネの後輩で、士官学校一年生のときから三年生のヨゼフィーネに憧れていた。尊敬する先輩と同じ艦に配属が決まったとき、彼女はどれほど狂喜乱舞した事だろう。ヨゼフィーネも、自分を慕うヘレナを、妹のように可愛がっていた。
そんな三人の頭上で照明がちらつき、何処かでショートする音も聞こえた。
「今回は特に磁場が強いようだ。電気系統がやられていなければいいが・・・」
ベルツがそう言った途端、艦に何かが衝突したらしく軽い振動が生じた。
「イレギュラーした小惑星が接触したかな?」
確認作業をしているベルツの呟きに、ヨゼフィーネも(ベルツの言う通りかもしれない・・・)と一瞬感じた。しかし、先日、軍人としての自分に対し、フェリックスが指摘した言葉を思い出した。
<情報を信じる事は大事だが、それに囚われてはいけない。最終的な決定は、自分の目で確認して判断した方がいい!>
ヨゼフィーネは自分の目で、現在の外の様子を確認する。
「ヘレナ、外の様子を、スクリーンに最大限に拡大して頂戴・・・」
スクリーンに映し出された宇宙空間は、一見いつもと変わらないように見えた。しかし、じっと見つめていたヨゼフィーネが、前方に何か違和感を感じて呟いた。
「前方空間が、少しゆがんでいるように見える。何かがワープ・アウトしてくるのかしら?でも、まさか・・・」
ヨゼフィーネの疑問に、ベルツが応じる。
「こんなに小惑星が多くて磁場の強い空域に、わざわざ座標を合わせる艦はないだろう・・・」
「確かに・・・」
ヨゼフィーネもそう思うが、何か引っ掛かる。腑に落ちない様子のヨゼフィーネを見たヘレナが、レーダーを確認して報告する。
「先輩!空域のよじれは、確認できません。ワープ・アウトの可能性は、少ないと思われます」
ヨゼフィーネは、ヘレナに左手を挙げて「了解!」と答える。だが、その目はスクリーンから離さなかった。
そんなヨゼフィーネの目に、記憶にある映像が映った。
(あれは、ブラックホールの目だわ・・)
「艦長、前方の空間にブラックホールが発生します!」
艦長席にいるミュンツァーに向かって、ヨゼフィーネが叫んだ。
ヨゼフィーネの報告を聞いたミュンツァーと、周囲にいた同僚たちが、思わずスクリーンに注目する。しかし、外の様子にこれといった変化は見られなかった。
不思議がる複数の視線の中で、ミュンツァーとヨゼフィーネの目が合った。頷く航海士を見た瞬間に、艦長は大声で命令を下した。
「ビッテンフェルト中尉、急速後退するんだ!ブラックホールに巻き込まれるな!」
「了解!」
復唱しながら操縦桿を操作したヨゼフィーネが、その重さに驚いた。
(引き込みが始まっている!)
危機を自覚したヨゼフィーネの顔色を見て、ミュンツァーがすぐ異常事態を告げる。それを受けた副長が、矢継ぎ早に艦内のあちこちに指示を与えた。
思わぬ命令に状況が理解できず、艦内の兵士達が戸惑った。しかし、副長の「迅速に指示に従え!」という怒鳴り声をきっかけに、慌てて緊急体制を整える。普段は温厚で声を荒げる事などない副長を知っているだけに、兵士たちはその危険性をすぐさま認識したのである。
暫くすると混乱していた兵士たちにも、宇宙空間の小さな渦が見え始めた。宇宙に誕生した渦はみるみる大きくなり、それに伴ってあちこちで時空震が発生し始めた。警報が鳴り響き、艦内に大きな緊張感が漂う。成長するブラックホールの渦の流れに逆らうように逃げるニーベルング艦と、引き込まれる小惑星の数々がぶつかり合う。大きく揺れる艦橋で、副長がスクリーンを見ながら、航海士のヨゼフィーネに進路方向を指示する。ヨゼフィーネは向かってくる小惑星の数々を避けながら、副長の指示に従うのが精一杯であった。
何度も何度も大きな衝撃を受けながらも、ニーベルング艦は渦から必至に逃れようとしていた。
緊迫した時間がどれほど流れたことだろう。波に逆らう船のようにあちこちに大きく蛇行しながらも、ニーベルング艦はようやくブラックホールの引き込み圏内から脱出する事ができた。
電気系統が故障した暗闇のニーベルング艦の艦橋に、全員が集まっていた。
「やっと、落ち着いた感じだな・・・」
艦長の言葉に、皆無言で頷く。
今のニーベルング艦は、進行制御も効かず、ただ宇宙空間を漂っている状態であった。
「しかし、よくあの渦から、抜け出せたものだ・・・」
「無我夢中だったわ。ほら!今になって手が震えている・・・」
ベルツの驚きに、ヨゼフィーネが携帯用のライトに、自分の両手をかざしてみせる。
「ビッテンフェルト中尉は、ブラックホールの出現を予測できたのかい?」
副長の問いかけに、ヨゼフィーネが答えた。
「スクリーンで外を見たとき、小惑星が微かに移動しているように感じられました。時空のゆがみの微かな流れの先に渦の中心が見て取れました。昔、電磁場についての論文を書いたとき見たブラックホール発生実験の映像と酷似していましたので・・・」
「先輩、それって士官学校時代に発表した<電磁場の動力学的理論>についての論文の事ですよね!高い評価で校内で話題になりました!」
ヘレナの少し興奮しているような言葉に、ヨゼフィーネが苦笑いで答える。
「・・・でも今、こうして実際に体験してみると、あれは机上の空論にしかすぎない事がよく判りました」
苦笑するヨゼフィーネに、ミュンツァーが告げた。
「いや、君の研鑽の結果が、あのブラックホールの発見につながったんだ。机の上で苦労した成果はあったんじゃないかな」
「でも、艦長の指示や副長の助けがなければ、私にはこんな想定外の操縦はできませんでした」
ヨゼフィーネは、あの非常事態の際でも悠然と指揮をした艦長や、的確な対応をした副長に敬意を示す。
「私達は、戦争を知っている世代だからね。若い頃、襲撃に対する備えや対策は嫌というほど叩きこまれた。今回は実戦に近いものがあったな・・・」
艦長と副長がお互い顔を見合わて頷いた。
ニーベルング艦は、艦長と副長以外はほとんど若手の兵士で、新卒で配属された兵士も複数いる。実戦経験がないどころか、兵士の平均年齢が低い分、実務経験も浅い。
「場数を踏んだ数の違いが現れただけで、経験を積むと皆、修羅場をこなせるようになるよ・・・」
副長も、大きな危機を乗り越えた部下達を労った。
この時点では、皆、艦の損傷による打撃よりも、ブラックホールの引き込みから逃れた安堵感の方が勝っていた。
抜き打ち訓練として召集された一個艦隊が、フェザーンを出立して、フェルゼンベルク基地に向かっている。ビッテンフェルトとワーレンも、その艦隊の中にいた。
「こうして艦隊を引き連れて宇宙に出るのは、何年ぶりだろう・・・」
「全くだ。・・・昔はこれが日常だったが・・・」
目の前の艦隊の見つめた二人が、遠い昔を懐かしむ。
「ビッテンフェルト、知っているか?兵士たちが、突然の艦隊遠征に驚いて、『何処かで内乱があったのでは?』と噂している」
「へぇ~、だが、内乱の鎮圧だったら黒色槍騎兵艦隊が出る。なんたって帝国の備えの要だからな!」
黒色槍騎兵艦隊の司令官であったビッテンフェルトが、胸を張る。
「確かに・・・。あと、この抜き打ち訓練が、ご意見番として来ている俺たちの『引退に対する贐<はなむけ>』という噂もある」
「ほぉ、そんな噂がな・・・」
少し間があった後、ビッテンフェルトが告げた。
「ワーレン、お前はともかく、俺には後者の噂が事実となる・・・」
「そうか、お前、やっぱりそのつもりだったか・・・」
「ああ・・・」
長年の付き合いから、ワーレンにはビッテンフェルトの覚悟が理解できた。
やはり、ビッテンフェルトは、
この任務が終わったら、軍服を脱ぐつもりだ・・・
勅命とはいえ、奴にしてみれば、
私情で兵を動かしていると等しい
それに、レオンハルト皇子が事実を知っていた事も大きい
これで陛下は、
ヨゼフィーネへの待遇を変える可能性が強くなった
陛下は、世継ぎを産み、
皇妃に皇子を託した彼女の恩に報いたがっていた
ビッテンフェルトは
<娘のヨゼフィーネが皇子を産んだ>という事が
世間に知られる日も近いと考えている
ビッテンフェルトの心情が判っているだけに、ワーレンは深く追求せず、一緒に暮らしているルイーゼの事を話し始めた。
「ルイーゼが、見送りのとき俺に言ったんだ。<自分は軍人の娘として育ち、軍人の妻でもある。だから、いざというときの覚悟はできている・・・>ってな・・・。だから、俺は『必ずヨゼフィーネを連れて帰ってくる!』ってルイーゼに宣言した。テオやヨーゼフにも、そう約束している」
「そうか・・・ルイーゼ、ニーベルング艦の遭難の知らせを受けたときは、ショックを隠せず泣いてばかりだったが・・・」
「うん、そうらしいな。俺の前では気丈に振る舞っていたが、泣き腫らした目が痛々しかったよ・・・」
ワーレンは、あの日、深夜に帰宅した自分を出迎えたルイーゼの姿を思い出す。
「フィーネの地上勤務が決まって、ルイーゼの奴、ずいぶん喜んでいたんだ。それだけに、今回はそのギャップが大きすぎた・・・」
それは、ビッテンフェルト自身にも当てはまる感情だった。少し顔を曇らせたビッテンフェルトに、ワーレンが忠告する。
「お前、自分の悪いほうには考えない主義だったろう?唯一の持ち味である、前向きのプラス思考はどうしたんだ?」
思わずビッテンフェルトが苦笑いする。それを見てワーレンが、話を切り替える。
「地上勤務といえば、ヨゼフィーネの次の配属先である士官学校についてだが・・・」
ワーレンの話が言い終わらないうちに、驚いたビッテンフェルトが反応した。
「ん、士官学校?あいつの次の配属は、士官学校なのか?」
この話が初耳らしいビッテンフェルトに、ワーレンが問いかける。
「なんだお前、知らなかったのか?ヨゼフィーネの次の配属先は、士官学校の教官になっているぞ!」
「俺は、フィーネの配属先は、ミュラーとフェリックスに任せていたからな。そうか、士官学校の教官か・・・」
少し考え込むように何度か頷いたビッテンフェルトだったが、納得した様子でワーレンに伝えた。
「案外、合っているかもしれん。あいつ、アマンダにて真面目だし、理屈ぽっくて物事をなんでも理論化する癖がある」
娘の新しい配属先を、好印象で受け入れた様子のビッテンフェルトに、ワーレンが打ち明ける。
「それで、ミュラーから、俺に士官学校の学長の話が来ている。陛下が『ヨゼフィーネの上司には、彼女の事情を理解しているものが望ましい・・・』と要請したらしい」
「陛下が?」
これまでアレクがヨゼフィーネの事に係る事はなかっただけに、ビッテンフェルトは意外に思った。
「そうだ。お前も知っていると思うが、陛下はヨゼフィーネの為にいろいろしてやりたいんだ。だが、今までお前達の気持ちを尊重して遠慮してきた」
その事は、ビッテンフェルトにもよく判っている。ヨゼフィーネが身籠っていると知ったときから、アレクは、ヨゼフィーネの気持ちを最優先させた。そして、皇子が手元に来てからも、ビッテンフェルト家の意向に沿って、自分の気持ちを抑え、ヨゼフィーネの事は見守るだけにとどめていた。その抑えていた想いが、今回の勅命にも表れている。
「しかし、これからは事情が違う。陛下とヨゼフィーネの関係は新たな局面を迎えた。王室との交流が深まれば、レオンハルト皇子の実の母親である彼女の存在は、公になる可能性も強くなる。だからこそ、陛下も万全の体制で臨みたいんだろう。だが、今のところ二人の関係を知るものは限られている・・・」
「そうか・・・そうだな」
「そういう訳だ。お前、ヨゼフィーネの上司が俺だと、やりにくいか?」
「いや、俺は構わない!むしろ、お前が傍にいてくれたら、安心だ・・・」
ビッテンフェルトの様子に、ワーレンもほっとしたようだった。
「そうか。それにしても、ヨゼフィーネの頭の良さも母親譲りか?ずいぶん優秀だな」
ワーレンがビッテンフェルトに笑って知らせる。新たな配属先になる士官学校の学長として、ワーレンは前もって学校の資料を確認していたようだった。
「ああ・・・あいつは、本当にアマンダに似ている。姿だけでなく、生き様や愛され方まで・・・」
ビッテンフェルトは、先ほど通信で現状報告してきたフェリックスの青ざめた顔を思い出した。
辛い過去を背負って生きてきたアマンダを、
俺は愛した
あいつの笑顔を見たくて、一緒になった
フェリックスは、フィーネの切ない想いを知っている
フィーネの心からの笑顔を望んで、愛するようになった。
フィーネ、
フェリックスに、お前の心からの笑顔を見せてやれ!
そして、
お前が生んだレオンハルト皇子にも・・・
小さな溜息をついたビッテンフェルトに、ワーレンが気迫のこもった目で告げる。
「ビッテンフェルト、必ずニーベルンゲン艦を見つけ出すぞ!」
「ああ、勿論だ!」
ビッテンフェルトも大きく頷いた。
暗いニーベルンゲン艦の艦橋で、ヨゼフィーネとヘレナが隣り合わせに座っていた。
時間が経つにつれて、ブラックホールから逃れた安堵感は薄れ、兵士たちは次のピンチを自覚し始めていた。まだ、非常食も水にも余裕があるので、精神的に追いつめられてはいないが、外部との連絡が取れないという状態に不安を募らせる。
そんな状況の中、ヘレナがヨゼフィーネに小さく呟いた。
「先輩がこの船に乗っていて、本当に良かった」
ヨゼフィーネはヘレナの見つめ、次の言葉に耳を傾ける。
「だって、先輩は七元帥のビッテンフェルト元帥の娘だし、陛下の側近であるロイエンタール准将の婚約者でしょう。それにお姉さまが、同じく七元帥のワーレン家に嫁いでお義兄さまも陛下の側近・・・。後ろ盾が凄いから、きっと軍の本部が黙っていない・・」
そう告げたヘレナが(嫌味な言い方になっている・・・)とすぐ自覚して、首を振って言い訳する。
「ごめんなさい、先輩!別に僻んでいるんじゃなくて、只、希望を持ちたくて・・・」
謝るヘレナに、ヨゼフィーネは笑顔を見せて伝えた。
「判っているから気にしないで!こんなときは、モチベーションを持ち続ける事が大事よね・・・」
士官学校で非常事態に対する訓練やパニックにならないような心構えを教えられているとはいえ、実際にこのような事態に遭遇すると、心細くなるのは当然である。ヨゼフィーネ自身だって、まだ冷静にこの状況を受け止めているとは言えない。ましてや、宇宙での遠征経験が浅いヘレナが、不安を口にだすのも仕方ない事だろう。
「大丈夫よ!きっと、フェリックスが助けに来てくれる。だって、私たち約束したの。帰還したら、結婚するって・・・」
ヨゼフィーネの予想外の告白に、ヘレナが驚いた。
「えっ!本当ですか?おめでとうございます。良かった~!先輩、ずっと長い間婚約中のままだったから、みんな、心配していたんですよ」
先ほどの暗い顔から打って変わって明るい表情になったヘレナの声が、静かな艦橋内に響いた。そして、それを聞いた者たちがこの話題に食いついてきた。
「へえ~、やっと決心したか!しかし、フィーネも、ずいぶん婚約者を待たせたものだよな!」
ベルツの言葉をきっかけに、周りも口々に言い始めた。
「ほんと!ビッテンフェルト中尉は『ドレスを着て社交界にいるより、航路計算していた方がよっぽど性に合っている』って言っていたくらいだから、<二人は本当に大丈夫かな?>って、みんな気にしていたんです」
「そうそう、俺はどちらかといえば、ロイエンタール准将に同情していたよ。あれだけモテる筈の彼が、宇宙に行きっぱなしの婚約者をずっと待っている。彼はいろいろな意味で、我慢してきたと思うよ。俺だったら、とっくにあきらめて違う女性と結婚している」
何か事情がありそうなヨゼフィーネたちの長すぎる春に、今まで気を使っていた同僚たちが、ここにきて遠慮なく冷やかし始めた。
皆、今の悲観的になる気持ちを払拭しているかのように、艦橋内はヨゼフィーネとフェリックスについての話で盛り上がる。殆どの同僚がフェリックスに同情的で、彼の忍耐力を称えるとともに、男の気持ちを理解しないヨゼフィーネを批判したりもしていた。
そのうちお互いに、自分の結婚に対する理想論や恋愛経験などを語り始め、ブラックホールから命からがら逃げてきたと思えないほどの熱気になった。独身が多い兵士達だけに、結婚や恋愛に憧れもあって、この座談会は多いに活気づいた。尤も、話にのめり込むことで、今の現実を忘れたいという想いや非常事態から来る緊張感をほぐしたいという気持ちが、何処かにあったのかもしれない。
結婚についての論議が落ち着いたところで、話がヨゼフィーネの事に戻った。
「そうなると、フィーネは、結婚を機に軍人をやめるつもりなのかな?」
ベルツが、フェリックスの地位を考えれば当然と思える質問をする。
「いいえ、軍人は続けるつもりよ。私が結婚後も軍人でいる事は、彼は最初から了解済みよ」
ヨゼフィーネのその言葉で、周囲は意外そうな視線を彼女に向けた。
「そうなんですか・・・。私は軍人を続けたい先輩と家庭に入ってほしいロイエンタール准将の意見がずっと平行線で、それで結婚が延びているのかと思っていました」
ヘレナの意見に同調するように、周囲も頷く。
「そういう理由<わけ>でもないのだけれど・・・」
(ではなぜ?)という疑問が漂い、ヨゼフィーネは困った。そんな中、ミュンツァーがみんなに伝える。
「みんな、聞いてくれ!フェザーンに着いたら報告するつもりでいたんだが、ビッテンフェルト中尉は今回でニーベルング艦を降りる。彼女と一緒に勤務するのは、この遠征が最後だ」
「だから、戻ってきたんだ。俺たちに別れを告げる為・・・」
ベルツの問いかけに、ヨゼフィーネが頷く。
「みんなとの最後の任務はきちんと務めたかったの。それに、ニーベルンゲン艦にも別れを告げたくて・・・」
「そうか・・・」
しんみりとなった艦橋の雰囲気を拭うように、ベルツが茶化して進言する。
「フィーネ、一つ忠告しておく!結婚したら君のその完璧主義は、少し抑えたほうがいいぞ。不本意でも何かと妥協したほうが夫婦仲は上手くいく」
几帳面で完璧主義のヨゼフィーネの性格を知っているベルツの心配に、ヨゼフィーネが笑いながら頷く。
「ええ、結婚生活を完璧になんて考えていないわ!だいいち私、料理とかできないし、無理よ・・・」
「えっ?・・・」
ヨゼフィーネのこの言葉に、男性陣はやっとゴールインできるフェリックスの結婚生活を想像し、更なる同情を深めるのであった。
一番の年長者であるミュンツァーも、苦笑いしながら語った。
「これも、時代の流れなのかな。これからは、家柄や夫の地位に関係なく、女性が家庭に入っても自分の職業を持ち続ける事が当たり前になるのかもしれない・・・」
そんな中、ヘレナが寂しそうに、ヨゼフィーネに問いかけた。
「先輩、先輩は退役するんじゃないから、また、何処かで逢えますよね?」
憧れの先輩から同僚となったヨゼフィーネとの別れを惜しんでいるヘレナの気持ちが、ヨゼフィーネに充分伝わった。
「ええ、きっと・・・また一緒に働ける!でも、その為には、生きてフェザーンに戻らないと・・・」
「はい!」
今の現実に向き合ったヘレナの顔が引き締まった。
ニーベルンゲン艦は、艦の損傷により電気系統がすべて故障し、通信が全くとれなくなった。進行制御も出来ず、広い宇宙を木の葉のように漂流していた。
<続く>