デキ婚から始まった恋愛 9

 年が改まり、銀河帝国皇帝主催の新年会が王宮で行われた。しかし、幼い陛下が夜のパーティに出席することはなく、こういう催し物の殆どは、摂政の皇太后が名代を勤めている。
 今年の新年会は、ビッテンフェルトはアマンダと一緒に出席し、初めて夫婦揃って公の場に姿を現した。
 会場には既にミッターマイヤー夫妻が来ており、ビッテンフェルト夫妻に気が付いたエヴァンゼリンが、手招きしてアマンダを呼び寄せる。ビッテンフェルト夫妻が人混みをかき分けて、ミッターマイヤー夫妻の元に近寄った。
「ごきげんよう、アマンダ。お二人揃ってきてもらえて嬉しいわ♪」
「今日はよろしくお願いします。しかし、随分混んでいますね」
 大勢の人々で溢れている会場を見渡して、アマンダが告げる。
「今回は新年会も兼ねているからな!直接皇太后に新年の挨拶ができるチャンスがあるだけに、普段は滅多に姿を見せないような貴族達まで出席するんだ。あとで皇太后が見えられたら俺たちも挨拶の列に並ぼう!夫婦揃って結婚の報告をするいい機会だからな!」
 ヒルダに結婚の報告をするチャンスをずっと待っていたビッテンフェルトが、ニンマリして伝える。
「あれ、お前達、皇太后にまだ結婚の報告をしてなかったのか?」
 ミッターマイヤーが意外そうに問い掛ける。
「うん、アマンダも皇太后とはお茶会などで何度か顔を合わせているが、夫婦揃って挨拶した事はまだないんだ。俺も遠征とかでいなかったしな~」
「そうか、まあ、お前達、夫婦揃っての社交界も今回が初めてだしな。殆どの貴族が、お前が結婚した事は知らないんじゃないか?」
「多分な。軍のなかでも、まだそれほど知れ渡ってはいないだろう。盛り上がって噂になったのは、俺の艦隊ぐらいかな」
 ミッターマイヤーとそんな会話をしていたビッテンフェルトの元に、アマンダと一緒に来ている事に気が付いた部下や知り合いなどが挨拶にやって来た。その都度ビッテンフェルトは、妻であるアマンダを紹介する。
 そんなやり取りが少し落ち着いたところで、ビッテンフェルトが告げる。
「アマンダ、何か飲んで一息いれよう!」
 ビッテンフェルトは周りを見渡して、飲み物を運んでいるウエーターを探すがなかなか見当たらない。その様子を見ていたミッターマイヤーが、すぐさま動き出した。
「どれ、俺がご婦人たちの為に、なにか飲み物を貰ってこよう!」
「ありがとう、ウォルフ」
 駆け出した夫に、エヴァンゼリンが声を掛ける。
(さすが、ミッターマイヤー!奥方の為にマメに動く・・・)
 妻達の為に自ら飲み物を取りに行ったミッターマイヤーの後ろ姿を見つめながら、ビッテンフェルトが感心する。そんな彼の目に、会場を歩いているケスラーが見えた。
「おっ、ケスラーだ!アマンダ、済まない。チョット、奴に遠征の件で話したい事があるんだ」
 ビッテンフェルトはアマンダに伝えるやいなや、ケスラーの後を追いかけて行った。
 あっという間にいなくなった夫に、アマンダが苦笑いでエヴァンゼリンに告げる。
「すみません。来たばかりなのに、すぐいなくなって・・・」
「いえ、気にしないで。忙しいのはどこも同じ。このような場所でやっと会えたという人はいますから・・・」
 エヴァンゼリンが首を振って、にこやかに笑う。
 女性同士で何気ない世間話をしていた二人に、突然一人の男性が声をかけながら近づいてきた。
「エリザベート?君はエリザベートじゃないか!」  
 その声に驚いて振り返ったアマンダの顔が一瞬強張るが、すぐ表情を戻し静かに首を振る。しかし、その男性は、アマンダの否定の意に構わず、二人の前で立ち止まった。
「この方はビッテンフェルト夫人です。名前が違っていますよ!お人違いでは?」
 思わずエヴァンゼリンが、その男性に知らせる。しかし、彼はエヴァンゼリンの言葉に耳を貸さず、アマンダに話しかける。
「エリザベート、久しぶりだな~。今どこに住んでいるんだい?」
「あの~、私はエリザベートという名ではありませんが・・・」
 アマンダが申し訳なさそうに告げると、その男性は腑に落ちない様子で首を傾げる。ある程度の家柄の高さを感じさせる貴族の男性だが、その場から動かない状態にエヴァンゼリンもアマンダも困った様子で顔を見合わせる。
 丁度そのとき、飲み物を手に入れたミッターマイヤーが、妻達の異変に気が付いて急いで戻った。
「エヴァ、どうかしたのか?」
「この方がアマンダの事を、人違いされているようなのですが・・・」
 男性はようやく自分の感違いに気が付いた。
「アマンダ?!この女性の名は、アマンダというのですか・・・」
 ミッターマイヤーが駆けつけた事もあって、その男性は恐縮した表情になってアマンダに謝った。
「失礼致しました。どうも人違いをしたようです。昔の知り合いとよく似ていましたので・・・」
「お気になさらず・・・」
 アマンダが微笑むと、その男性は会釈して去っていった。
「あら、やっぱり人違いされただけだったのね。私はてっきりあの男性が、アマンダを口説きに来たのかと思って、つい警戒してしまいました」 
 エヴァンゼリンが自分の勘違いを恥ずかしそうに告げる。
「俺も、エヴァが血相を変えてあの男を見ていたから、てっきりそう思ったよ」
 ミッターマイヤーが笑いながら、カクテルの入ったグラスを二人に手渡す。
「でも、この場に来たのが俺でよかったよ。もしビッテンフェルトだったら、ひと騒動になっていたかも」
 ミッターマイヤーの言葉に、アマンダもエヴァンゼリンも思わず含み笑いになる。
「しかしビッテンフェルトの奴、奥方をほったらかしにして、どこに行ったのだ?」
 姿が見えないビッテンフェルトに、ミッターマイヤーが尋ねる。
「先ほどケスラー閣下を見かけて、『遠征の事で話がある・・・』と言って追いかけていきました・・・」
 アマンダが夫がいなくなった理由を告げる。
「はあ、ビッテンフェルトはなにをやっているんだ?全く、一人で来ているんじゃないのに・・・。まだまだ、パートナーとしての自覚が足りないな」
 首を左右に振って呆れるミッターマイヤーに、アマンダが夫をフォローする。
「フリッツは、今回の遠征を経験して、司令官としていろいろ考えるところがあったようです。今後に向けての要望が多い為、何かと忙しいようで・・・」
「なるほど。確か次回からの黒色槍騎艦隊の宇宙遠征は、期間をもっと長くするという話だし、毎年恒例にもなる。まあ、ビッテンフェルトが忙しくてバタバタしているのは判るが、なにもここに来て迄それをしなくても・・・」
「あら、ビッテンフェルト提督はまた宇宙に行かれるのですか?しかも、期間が長くなって、毎年恒例!?」
 ミッターマイヤーの言葉に驚いたエヴァンゼリンが、アマンダを見つめて残念そうな顔になる。
「戦争が終わったのに、毎年宇宙に行かねばならないなんて・・・」
 エヴァンゼリンの呟きに、アマンダが首を振って微笑む。
「私は大丈夫ですよ。エヴァンゼリンもそんな顔をしないで!せっかくパーティに来たのだから楽しまないと!」
 アマンダの言葉に、エヴァンゼリンも頷いて気を取り直す。
「そうね、今日は、ビッテンフェルト夫妻のお披露目の日ですからね!ともあれアマンダは、ビッテンフェルト提督が戻ったら、早く一緒に踊りなさいね」
「そうだ!エヴァの言う通りだ!貴女がビッテンフェルト夫人だと知れ渡れば、他の男は彼を恐れて、声がけなんてしなくなる。誰だってビッテンフェルトに目をつけられる事は敬遠するからな!」
 ミッターマイヤー夫妻のアドバイスに、アマンダが苦笑する
「フリッツが戻ったら、一緒に踊りますから・・・」
 アマンダはそう言うと、ミッターマイヤーが持ってきてくれたカクテルに口をつけた。


「皆さん、ごきげんよう!」
 三人の前に、ミュラーが顔を見せた。
「アマンダさん、今日はご夫婦揃った姿を拝見できると聞いて、楽しみにしていたんですよ!・・・でも、肝心のビッテンフェルト提督のお姿が見えないようですが・・・」
 ミュラーが周りを見渡して告げる。
「会場内にいるとは思うのですが・・・。多分、もうすぐ来るでしょう」
 アマンダが苦笑いで伝える。
「ビッテンフェルトの奴、こんなところに来てまでも仕事を持ち出して動いているんだ。持ち掛けられたケスラーも困るだろうに・・・」
 ミッターマイヤーからビッテンフェルトの姿が見えない理由を知らされたミュラーが苦笑する。
「彼は次の黒色槍騎兵艦隊の遠征に向けて、いろいろ忙しいようです。でも、私から見れば、宇宙へ行くのが前提の仕事ですので、羨ましいところでもあります」
「はは、確かに!だが、卿はまだ宇宙に行く機会はあるだろう。俺なんかは宇宙への遠征には縁遠い仕事になってしまった。だからこそ、本当に奴が羨ましいよ」
 国務尚書になったミッターマイヤーが、宇宙を懐かしむような遠い目になった。
「私も同じですよ。戦争が終わり世の中も落ち着きました。それに黒色槍騎兵艦隊が遠征で目を光らせるので、軍務尚書が宇宙に出向くような大きな内乱はそうそう起きないでしょう」
「そうだな。現在<いま>は、ビッテンフェルトが公私ともに一番充実している感じだな!」
「ええ、そうですね」
 ミッターマイヤーの言葉に、ミュラーも同意して頷く。
 そんな話をしていた二人に、当の本人が走ってこちらに向かってくるのが見えた。
「噂をすれば何とやらだな」
 ミッターマイヤーが笑う。
 元帥の正装姿のマントをなびかせながら、慌ただしく戻ってきたビッテンフェルトが、妻に告げる。
「お~い、アマンダ!皇太后が会場にお見えになったぞ。一緒に行って挨拶をしよう!早く並ばないと混んで締め切られてしまうぞ!」
 ビッテンフェルトは戻ったかと思うとすぐアマンダの手を取り、ヒルダに挨拶する人々が並んでいる方に連れ出す。
「すみません、チョット席を外します」
 夫に手を引っ張られたアマンダが、慌てて三人に告げる。
 あっという間にいなくなったビッテンフェルト夫妻に、ミッターマイヤー夫妻とミュラーが思わず顔を見合せる。
「相変わらすビッテンフェルトは、ドタバタと忙しない奴だな~」
「あなた、今日のビッテンフェルト提督は、アマンダと一緒なので嬉しいのですよ」
 エヴァンゼリンの言葉に、ミッターマイヤーもミュラーも頷く。
「あいつ、奥方を見せびらかして自慢したいんだろう。全く子供みたいなところがある奴だからなあ~」
「ええ、いつものビッテンフェルト提督より、少しテンションが高いような気がしますね。しかし、彼が結婚して、独身コンビの片割れだった私は何だか取り残された気分ですよ」
 そう告げたミュラーに、ミッターマイヤーが突っ込む。
「だったらミュラー、お前も結婚すればいい!あのビッテンフェルトでも結婚できたんだぞ。卿も早く結婚して、こういう場所に奥方と一緒にくるんだな!」
 照れたミュラーが思わず手を振りながら「私はまだまだ・・・」と言って笑って誤魔化す。
「ミュラーは、ビッテンフェルトの強引さを見習ったほうがいいな!この会場にだって妙齢の女性達はたくさんいるぞ。もっと積極的に動かないと!」
「いや~、あのビッテンフェルト提督のとんとん拍子に結婚にもっていく技は、私にはハードルが高いですよ」
 夫とミュラーのそんなやり取りを聞いていたエヴァンゼリンが、二人に教える。
「あのアマンダが『気が付いたら元帥夫人になっていた』と言っていたくらいですからね。尤も二人とも、ルイちゃんの存在が大きかったとは思いますが・・・」
「確かに・・・」
 二人が頷く。
「しかし、ビッテンフェルトが結婚して家庭を持つなんで、チョット前までは想像もできない事だった。でもこうして夫婦揃っているところを見ればお似合いだし、奴の子煩悩の父親振りもしっくりくる。全く不思議なものだな」
「ええ、今ではそれが当たり前になって、なんの違和感もありませんしね」
 しみじみ告げるミッターマイヤーに、ミュラーも同意する。
 こうしてビッテンフェルト夫妻の社交界デビューを、ミッターマイヤー夫妻やミュラーが見守っていた。


 無事に新年会を終えたビッテンフェルト夫妻が、帰宅する車の中で一息つく。
「今日は疲れただろう?大丈夫か?」
「ええ・・・。でも、すぐ慣れますから・・・」
 少し疲れた様子のアマンダを、ビッテンフェルトが気遣う。
「今日、俺がお前を連れているところを見た貴族の奴ら、ビックリしていたな!しかし、こうして結婚しているって事が知られた以上、これからは夫婦で招待される事も多くなると思う。でも、お前はルイーゼが優先で構わないぞ!今日だって二人で出かけるとき泣いていただろう。あれには俺も参った・・・」
 夫婦で出かける際に、後追いして泣いていた娘の姿を思い出したビッテンフェルトが告げる。
「ルイーゼは貴方がいたから甘えているんですよ。私が一人で出かけるときは、あれほど大袈裟に泣きませんから・・・」
「俺に甘えている!そうなのか?」
「ええ、あれは<仲間外れにしないで自分も一緒に連れていけ!>と怒って訴えているんです」
「なるほど。だが、ルイーゼを一緒に連れて行くわけにはいかないしな~」
 ビッテンフェルトが苦笑いになる。
「知恵がついて日中のお出かけとの違いが判れば、もう少し聞き分けも良くなると思います。でも、娘が父親に甘えてくれる今のうちが花ですよ。そのうち友達や彼氏が出来れば、そちらが優先で、父親なんて見向きもされなくなりますから・・・」
「おいおい、怖い事言うなよ」
 ビッテンフェルトがモロにイヤな顔になったのを見て、アマンダが笑う。
「まだまだ先の話ですよ。それよりフリッツ、雪がちらついてきました。冷え込んできましたから、風邪をひかないようにしないと」
「そうだな、今夜は寒くなりそうだ」
 雪が舞う夜の道を、ビッテンフェルト夫妻が娘が待つ自宅へ急いで戻っていた。


 その夜、ぐっすり寝ていたビッテンフェルトは、水の流れる音で目が覚めた。
 ふと見ると、隣に寝ている筈のアマンダの姿がなく、ベットの温もりも消えている。
「アマンダ?」
 気になったビッテンフェルトは、水の音のする洗面所に急いだ。そして、暗闇の中にいるアマンダを見つける。
 照明を付けると、青ざめた顔で取り憑かれたように手を洗っている妻の姿が目に映った。
「アマンダ!何をしているのだ?」
 驚いたビッテンフェルトが、アマンダに問い掛ける。
「・・・手に血が付いている。ずっと洗っているのに血の色が離れない・・・」
 ビッテンフェルトには見えない血のついた手を、アマンダは泣きそうな顔で必死に洗っている。
「こんな汚れた手でルイーゼを抱けない!」
 涙ぐむ哀しい声・・・。
 アマンダの白くふやけている手を見たビッテンフェルトが(こんな寒い中、いつからこれをやっていたんだ?)と慌てる。
「アマンダ!こっちを見ろ!俺を見るんだ!」
 ビッテンフェルトがアマンダの肩を揺さぶって、正気を取り戻そうとする。目の前のビッテンフェルトに気が付いたアマンダが、自分の無意識の行動を知る。
「・・・ああ、私・・・ごめんなさい・・・あの、戦争中の事、思い出してしまって・・・」
 そう言って俯いてしまったアマンダを、ビッテンフェルトは強く抱きしめた。
「もう、何も言わなくてもいい。俺が付いている」
 夫の温かい胸に埋もれたアマンダが、感情を抑えきれず震える声で泣いている。
 アマンダのすっかり冷えた体と氷のように冷たい両手、そして哀しい過去がビッテンフェルトの温もりに包まれた。


戦争は終わった
だが生き残った者は、
多かれ少なかれ心に傷を負っている
だが、お前の傷は、
俺が必ず癒してやる
大丈夫だ・・・
大丈夫だ・・・ 


 ビッテンフェルトは自分に言い聞かせていた。


 静かな夜更けに、パチパチと薪が燃える音が聞こえる。
 暖炉のほんのりとした灯火の前で、夫婦でウイスキーのお湯割りを飲みながら冷えた体を温めていた。
 グラスは三つ、ビッテンフェルトが自宅で酒を飲むときは、アマンダの婚約者だったアルベルトの分も入れるのが習慣になっていた。
「落ち着いたか?」
 ビッテンフェルトの言葉にアマンダが頷く。
 彼女にとって酒は久し振りであった。
「以前にも、こんなふうになった事があるのか?」
 アマンダが黙って頷く。
「そうか・・・」
(こいつにとって、社交界はまだ早かったのかも知れない・・・)
 ビッテンフェルトの中で、<昨夜のパーティーが、思っていた以上にアマンダの精神的な負担になってしまったかも・・・>と後悔が沸き起こる。心配そうに自分を見つめる夫に、アマンダが伝える。
「フリッツ、自分を責めないで・・・。私自身、もう大丈夫だと思っていたのです。本当に・・・」
 そう言ってアマンダは深い溜息を付いた。そして、更にビッテンフェルトに告げる。
「以前一人でいた頃、気持ちが落ち込むときは、酒に逃げていました。酔う事で気持ちを紛らわしていたのです。でも、ルイーゼを身籠ってからは不思議な事に、それほど滅入る事がなくなって、お酒を飲まなくても済んでいました。だから、今更、こんなふうになるなんて思わなかったのです・・・」
 そう告げたアマンダは、暖炉の火を見つめたまま考え込んでしまった。


自分のお腹の中に一つの生命が宿っていると気づいてから、
酒も煙草もやめた
優しい気持ちになれる自分を、不思議に思った
飲まずにはいられないほど、気が滅入る事も少なくなった
眠れない夜はお腹の中のルイーゼが、胎動で慰めてくれた

酒は必要が無くなった

ルイーゼが生まれると、その存在が生きる活力になっていった
ルイーゼの無邪気な笑顔が、過去の痛みを忘れさせてくれた
フリッツと暮らし始めてから、何年かぶりに心から笑えた
毎日が満ち足りて幸せだと感じていた
・・・もう魂が流離う事は、ないと思っていたのに・・・  


「罪はあながえるものではないのですね・・・」
 ポツリと告げて落ち込む様子のアマンダに、ビッテンフェルトが訊いてきた。
「昨夜のパーティーで、お前に何があった?」
「・・・コードネームで呼ばれました・・・」
「コードネーム?」
「以前、貴族連合軍と戦っていたときに使っていた名前でした・・・」
「昔のお前を知っている奴に逢ったのか?」
 アマンダが軽く頷く。
「潜入先の貴族のお屋敷に、よく来ていた方でした。只、私が違う名前だったので、人違いだったと謝って去りましたが・・・」
「そうか・・・。だが、お前の昔の事を知っている者が現れても気にするな!周りにお前の過去を知られても、俺は何とも思わないぞ!」
 ビッテンフェルトがアマンダに力強く伝える。
「フリッツ、貴方はお強い。だからこそ、私も自分の過去が知られる事は気にしませんし、その件は大丈夫です。問題は、私自身にあるのです」
「お前自身?」
「私のメンタルが弱いのが原因です。だから、無意識のうちにこんな事をしてしまうのです・・・」
 アマンダの言葉に、ビッテンフェルトは心の中で溜息を付く。

アマンダも俺と同じように戦ってきた軍人だ
戦争中の苦い思い出があるのも理解できる

初めて抱いたときから
あいつの心の中にある闇には気が付いていた
何とかしてやりたいと思っているが、心の問題だ
無理にこじ開けるのは、気が引けていた部分でもある
でも、この機会に・・・

 ビッテンフェルトは思い切って、アマンダに問いかけてみた。
「アマンダ、その~、俺に何かできる事はないか?俺は、お前が抱えているものを何とかさせたい。だから、話して欲しい・・・」
「・・・」
 <何か言おうとしているが言葉が出ない・・・>そんなアマンダの様子に、ビッテンフェルトがすぐ言葉を付け足す。
「まあ、無理にとは言わないが・・・」
 ビッテンフェルトはそう告げると、グラスの酒を飲んで一息つく。アマンダも持っていたグラスを口につけ、二人の間に静かな時間が流れる。その後、アマンダが静かに口を開いた。
「・・・私は貴族連合軍との戦いの際、敵側に潜入した工作員でした。数えきれないほど非情な作戦を実行してきた残酷な人間です。当時の私は、アルベルトの仇である貴族の存在そのものを恨んでいました。憎しみで心が蝕まれていました・・・」
 寂しそうに話すアマンダに、ビッテンフェルトがきっぱり告げる。
「お前のその感情を利用したのは、オーベルシュタインだ。上官の命令に従ったお前に罪はない!」
 ビッテンフェルトの思いやりに、アマンダが切ない微笑を浮かべる。
「あのな、アマンダ。過去を忘れろとは言わない。心の奥底に埋まっているものには自分ではどうすることも出来ないものもあるさ。今は無理でも、時間の流れが解決してくれることもある」
 アマンダが言葉なく頷いた。
「だがアマンダ、時間がただ過ぎるだけでは、その心の傷は癒えないぞ。笑ったりする楽しい時間、温かいものに触れる時間、心穏やかになれる時間、そういったプラスの時間を過ごさないとな!大丈夫だ、俺が付いている!」
 ビッテンフェルトの励ましを受けて、アマンダが弱々しい微笑みを見せる。
「俺が、どんなものからも守ってやるから安心しろ!理不尽な貴族社会もなくなり、戦争も終わった。これからは平和な時代になる。俺は次の世代の為にもいい未来を作るんだ。・・・それが新しい時代の為、犠牲になった者への罪滅ぼしになるのかもしれん・・・」
 アマンダの蒼色の瞳が、ビッテンフェルトを見つめる。
(この人も戦争の罪を背負って生きている・・・)
 アマンダは、<新しい時代の為、犠牲になった者への罪滅ぼし>と言ったビッテンフェルトの言葉で、艦隊の司令官として前線で戦ってきた彼の贖罪を感じていた。
 自分を見つめる妻に向かって、ビッテンフェルトが力強く伝える。
「お前も前を見て生きるんだ。ルイーゼと一緒の幸せの未来を見つめろ!」
 ビッテンフェルトは三個目のグラスを見つめて話し続ける。
「そりゃたまには、過去を振り返るのは悪い事じゃないさ。過去に心を閉ざしたら現在の足下も見えなくなって、いい未来も築けないしな!だが目を向けるのは前だ!未来の方だ。歩いて来た過去じゃない」
「・・・そうね。前向きにね・・・」
 アマンダは自分に言い聞かせるように呟いた。
「そうだ、アマンダ!ルイーゼに弟や妹を作ってやろう!子供はたくさんいた方が賑やかでいい。俺たちは子供や孫達に囲まれて過ごすんだ」
 アマンダの表情が、やっと和み始めた。
「よし!早速・・・」
 思い立ったら止まらない。猪突猛進の彼は、アマンダを優しく抱きかかえると寝室へ消えていった。
 暖かな空気の余韻を残しながら、暖炉の灯火はゆっくりと小さくなっていった。



 翌日、仕事を終えたビッテンフェルトは、自分の元帥府で軍服を脱いで私服に着替えた。そして自宅に戻らず、最近の彼にしては珍しい寄り道をしていた。
 賑やかな歓楽街の通りを歩くビッテンフェルトが、やっと目的の場所を探し当てる。
「奴の事務所はここか・・・」
 ビッテンフェルトが狭い階段を上がったところにあるドアを開けると、来客に気が付いたフェルナーと目が合った。
「閣下?あなたがここに来るとは!・・・珍しい事もあるもんですね」
 ビッテンフェルトが訪ねてきたことに、フェルナーが目を丸くして驚く。
「いや、チョットな・・・」
 口ごもるビッテンフェルトに、フェルナーが促す。
「閣下、仕事の依頼でないのなら、場所を変えて聞きましょう」
 頷いたビッテンフェルトを伴って、フェルナーは事務所をあとにした。
 暫く裏通りを歩いた二人は、ひっそりと佇む小さなバーに入っていった。
 まだ早い時間なので店には客はいなかったが、フェルナーのなじみの店らしく、マスターはボトルとグラスを彼に手渡した。それを手にしたフェルナーが、ひとまず奥のボックス席に落ち着く。ビッテンフェルトも後に続いて、フェルナーの前に座った。
「アマンダと何かありましたか?」
「いや、そういう訳ではないが・・・」
「なんだ!てっきり閣下が、夫婦ケンカの仲裁を頼みに、ここまで来たと思ったんですがね・・・」
 フェルナーの予想に、ビッテンフェルトが苦笑いになる。
「俺たちそれなりに上手くやっているし、家族としても落ち着いてきた。心配するな!」
 (それなら、何故?)と言わんばかりのフェルナーに、ビッテンフェルトが少しぎこちなく打ち明ける。
「あのな、アマンダの軍人時代が、チョット気になってな・・・」
「!」
 思いがけないビッテンフェルトの質問に、フェルナーはその意図を探りながら、とりあえず彼をおちょくる。
「奥方の元同僚から、過去の男の事でも聞き出そうという魂胆ですか?」
 そんなフェルナーの冷やかしに、ビッテンフェルトがついムッとなって反論した。
「見くびるな!俺はそんなセコイ男ではない!それに、あいつに軍人の婚約者がいた事も、その男が貴族に殺された事も、俺はもう知っている」
 ビッテンフェルトの言葉に、澄ました顔のフェルナーが表情を変える。
「アマンダに婚約者がいた?!・・・それは初耳ですね・・・」
(シマッタ!こいつは知らなかったのか!余計な事を言ってしまった・・・)
 ビッテンフェルトが慌てて、自分が告げた言葉を取り消す。
「そ、その件はなんの問題もない!気にするな」
「ふ~ん、そうですか・・・」
 窺うように見つめるフェルナーに、つい目を逸らして自分のグラスに酒を注ぐビッテンフェルトであった。
 そんな彼の反応に(亡き婚約者の存在は、夫としては多少は気になっているってところか・・・)と、フェルナーがビッテンフェルトの心理を分析する。
 新たに注いだ酒を一気に飲み干したビッテンフェルトが、改まってフェルナーに告げた。
「あいつは、軍人時代の自分がしてきた事に強い罪悪感を持っている。まあ、軍務省の諜報員だったから、どんな事をさせられてきたかは想像はできるが・・・」
「させられた?」
 問いただすフェルナーの顔つきが、一瞬険しくなった事に気が付いたビッテンフェルトが慌てる。
(マズい!こいつもアマンダと同類だ。奴<オーベルシュタイン>に関する言葉遣いには、気をつけないと・・・)
「べ、別にオーベルシュタインを責めているわけではない。アマンダが上官として奴をリスペクトしているのは知っている。あいつ自身、上官から無理強いさせられた事はないし、自分の意志で軍務をこなしてきたと、俺にきっぱり言っている・・・」
 自分の言葉をフォローしたビッテンフェルトが、すぐ本題に入った。
「・・・今回、チョットしたきっかけで、あいつは軍人時代を思い出して落ち込んだ。その~、可哀そうなくらいにな・・・」
 ビッテンフェルトが昨夜のアマンダの様子を、フェルナーに掻い摘まんで教える。
「アマンダは自分のメンタルが弱いのが原因だと言った。まあ確かに、心の問題は他人があれこれ言って解決するわけでもないし、時間が必要だという事も理解している。だが俺は、アマンダの心を出来るだけ早く軽くしてやりたいんだ。でも、あいつ、俺に愚痴とか弱音を吐かないし・・・。だから、俺が知らないアマンダの事を知りたいと思ってな・・・」
 一気に話すビッテンフェルトに、フェルナーが少し考え込む。同僚であるアマンダが実行してきた軍務は、オーベルシュタインの片腕だったフェルナーも知っている。しかし諜報の工作員という特殊な軍務だけに、どの辺までどう話したらよいのか、フェルナーなりに吟味する。そんな彼の様子を見たビッテンフェルトが、自分の気持ちを素直に伝えた。
「その~、俺は気が利かないというか、空気が読めない。自分でもよく判っているよ。女の気持ちにかなり疎いって。だから、アマンダの事も察してやれないんだ」
 自分を卑下する珍しいビッテンフェルトの様子に、フェルナーが思わず驚く。
(自分に絶対的な自信を持っているこの御仁が、この俺にこんな事を打ち明けるなんて・・・)
 普段のビッテンフェルトを知っているだけに、ここまでの事をする彼にフェルナーは驚いた。そして、ビッテンフェルトのアマンダに対する想いを知って、思わず口元が緩む。妻の気持ちに寄り添おうとしている彼に力を貸したくなったフェルナーが、チョットおどけた様子で応援する。
「なんで独身の俺が、結婚している閣下に、女性の心理を説明しなきゃいけないんですか?普通は逆でしょうに・・・」
「仕方ないだろう!悔しいが、女の扱いは俺よりお前の方がマシだ!それにお前は、アマンダのしてきた軍務を知っている」
 開き直るビッテンフェルトに、フェルナーが呆れて首を振る。
「確かにそうですが・・・。まあ、アマンダの気持ちを察しようとするのは、いい考えだと思いますよ。女性は共感できる相手を求めるって言いますからね」
「だが、あいつは表情にあまり出さないから、感情を読むのが難しい・・・」
「それは・・・同感です。でも、昔のアマンダに比べればだいぶマシになりましたよ。何しろ、うちの閣下と対を張るくらい冷めた視線の持ち主でしたからね」
 嘗ての同僚の姿を思い出したフェルナーが苦笑する。
 ビッテンフェルトも昔のアマンダを思い出し、つい苦笑いで誤魔化す。
「閣下、女性とは、ある出来事に直面したとき、それが呼び水となって、脳の中では過去の似たような記憶が一気に蘇り、そのときの感情まで一瞬で思い出してしまうそうですよ。男性にはあまり見られない傾向ですが・・・」
「ふ~ん、女ってそういう生き物なのか?」
「ええ、男とは脳の構造が違うのでしょうね。特にアマンダは感情を抑えてきた分、余計に記憶として抱え込んでしまったのかも知れませんね。全く、女の地雷っていうやつは、見当が付きません。今回のアマンダは、その昔の知り合いに逢った件がネガティブトリガーとなって、昔の辛かった記憶が蘇ってしまった・・・ってところでしょうか」
「ネガティブトリガー?・・・なる程・・・」
 納得したように頷いたビッテンフェルトが、フェルナーに伝える。
「うん、アマンダの心の底には、お前が言ったような抑えてきた感情が、澱のように残っているんだ。そのネガティブトリガーがきっかけになって澱が拡散されて、アマンダの心の中が澱んでしまったとき、自分でもどうしようもできないほどの感情が溢れでてしまうのだな・・・」
 アマンダの心の闇を澱に例えたビッテンフェルトが、昨夜の妻の無意識の行動を振り返る。
「でもそれはどちらかと言えば、いい傾向だと思いますよ。アマンダが我慢せず感情を出せるようになったって事ですから・・・。澱もそのうち消えていくでしょう」
「まあ、そうかも知れないが、俺としてはその澱の元を知っておきたい。そのうえでアマンダをフォローしたい」
「澱の元ね・・・」
 昔の軍人時代を振り返るフェルナーが、自分のグラスを軽く振ってカラカラと氷で音を奏でる。
 暫くしてフェルナーが口を開いた
「閣下は、二百万人の人命が犠牲になったヴェスターラントの核攻撃は知っているでしょう。血迷ったブラウンシュヴァイク公が自分の領地を攻撃するという情報を最初に仕入れたのは、当時あちら側に潜入していたアマンダです。彼女からの報告を、俺がうちの軍務尚書に伝えました。まあ、自分が発した情報が、あの惨事を引き起こすきっかけになったと考えてしまえば・・・」  
「そうか・・・」
(亡きラインハルト帝も、ヴェスターラントの一件はずっと気にしておられたが・・・)
 昔、奇しくもラインハルトの最後の公式行事となった式典で、彼はヴェスターラントの惨劇で妻子を殺された男に暗殺されそうになった。そのとき、ラインハルトにしては珍しい激しい落ち込みようを見て、彼がヴェスターラントの一件をずっと引きづっていた事を、ビッテンフェルト達は感じたのである。
「それから、敵側の貴族達の奥方や子供らが流刑地行きを拒否して死を選んだとき、それに立ち会っていたのもアマンダでした。あの者たちの最期の恨み辛みを浴びせられても、アマンダはあのとおり表情一つ変えずに淡々と任務をこなしていましたがね。只、小さな赤ん坊を道連れにした母親もいましたから、精神的にはきつかったかも・・・」
「赤ん坊まで?!」
 表情が険しくなったビッテンフェルトが、思わずフェルナーに聞き返した。
「奴らが望んだことです。流刑地に流されるといっても、過酷な労働をするわけでもないし、人里離れた場所での暮らしと思えばそれほど苦痛な事でもない。只、貴族というのは度し難いプライドの持ち主ですからね。誇りを守るために、流刑地行きを拒否して死を選ぶんですよ。身分が高い貴族達程、手に負えなかった・・・」
 当時を思い出したフェルナーが、呆れたように首を振る。
「上流社会では、命より誇りが重いか・・・。だが、大人が勝手に死を選ぶのは仕方ないが、子どもは自分の意志ではないだろう?引き離して助ける方法もあっただろうに・・・」
 ビッテンフェルトの考えに、フェルナーが反論する。
「仮にその子どもたちを生かしておいたとします。子供が成長した将来、親の仇であるローエングラム王朝を滅ぼそうとしたらどうします?例え、その子供たちがなんの叛意を持たなくても、周りに担ぎ出されて利用されるっていう事もあり得ます。だからこそうちの軍務尚書は、新しい王朝の為、あらゆる禍根は取り除いておいたのです」
「そ、それは判るが・・・」
 フェルナーの正論に、ビッテンフェルトも言葉に詰まる。
「まあ、確かにうちの軍務尚書は、ローエングラム王朝の為に割り切っていろいろやりましたが・・・」
 フェルナーは、他にも思い当たるアマンダ絡みの軍務を、ビッテンフェルトに幾つか伝えた。
 それを黙って聞いていたビッテンフェルトがポツリと呟いた。
「・・・仇打ちとはいえ、アマンダは無理していたんだろうな・・・」
 ビッテンフェルトの言葉に、フェルナーが反応する。
(仇打ち?なるほど、例の貴族に殺されたという婚約者の復讐か・・・)
「実は、退役して姿を見せなくなったアマンダを、俺は<もしかしたら、軍務尚書の後を追ったかも・・>と考えた事がありましたよ。言っておきますが変な意味じゃありませんから・・・」
 フェルナーの言葉に、ビッテンフェルトは表情を変えずにそのままグラスの酒を飲み干す。
「閣下は、怒ったり驚いたりしないんですね?」
 窺うようなフェルナーの問い掛けに、ビッテンフェルトがため息交じりに呟いた。
「あいつが死に場所を探していたようなところは、俺も感じていたからな・・・」
 ビッテンフェルトも、当時アマンダを包むオーラから、フェルナーと同じようなものを感じとっていたものだった。
「だからこそ、うちの閣下の墓前で、あいつが母親になった姿を見たとき、正直俺はほっとしました。まあ、その赤ん坊の父親が黒色槍騎兵艦隊の司令官だった事には驚きましたが・・・」
 目配せするフェルナーに、ビッテンフェルトが鼻で笑う。
「あの子が・・・ルイーゼがアマンダを救ったんだ・・・」
 母親に笑顔を取り戻させた赤ん坊の力を、ビッテンフェルトが改めて感じる。
「閣下は心配でしょうが、アマンダはもう大丈夫じゃないですか?あいつはもう自分の居場所を作った。それにこの先、閣下が夫として、アマンダのネガティブな記憶を上回る程の家族の幸せな思い出を作ってやるのでしょう?」 
「ふん、お前に言われなくても、そのつもりだ!」
 いつもの負けん気を顔に出したビッテンフェルトが、ドヤ顔で告げる。
 そんなビッテンフェルトの反応に、(俺が言うまでもないか・・・)とフェルナーがほくそ笑む。
「フェルナー、今度、我が家にも来てくれ!アマンダも喜ぶだろう」
「まあ、機会があれば伺いますよ」
「機会を作れよ!」
 強引に命令するビッテンフェルトが立ち上がると、懐から財布を取り出し勘定を済ませる。そして、まだ残って飲み続けるであろうフェルナーの為に、店のマスターに多めのチップを渡す。
「今日は時間を取らせて悪かったな!いろいろ参考になった。だが、俺がここに来た事は、アマンダには内緒だぞ!いいな!」
 念を押すビッテンフェルトに、フェルナーが告げる。
「判りました。でも、次回来たときは、仕事としてアドバイス料を頂きますから・・・」
 フェルナーの忠告に、ビッテンフェルトは苦笑いしながら立ち去った。


 大きな存在感を放っていたビッテンフェルトがいなくなり、店の中はいつものひっそりとした雰囲気に戻った。
 一人になったフェルナーが、誰もいない空席に向かって呟く。
「驚きましたよ。あの御仁が、俺のところまでやって来るとは・・・。どうやら、彼は奥方にベタぼれのようですよ」
 ビッテンフェルトの思いがけない来訪とその理由に、フェルナーがやれやれっといった具合に首を振る。
「婚約者を殺されたアマンダも、貴族を憎んでいた。閣下とアマンダとの共通点は、そこだったんですね・・・」
 昔の上官の視線を感じたフェルナーは、そう告げるとグラスを軽く振って、残っていた酒を飲み干した。


<続く>