デキ婚から始まった恋愛 4

 「ビッテンフェルト元帥に隠し子がいた!」
 そんな噂が黒色槍騎兵艦隊はもとより軍全体に流れたのは、あっという間だった。
 軍服姿でベビー用品店に通うビッテンフェルトは目立ち過ぎていたし、可愛らしいお土産を手にいそいそと帰宅する様子を多くの兵士が目撃している。
 そんなある朝、軍務省の執務室で、副官ドレウェンツからその日のスケジュールを報告を受けてたミュラーに、ビッテンフェルトから連絡が入った。
「ミュラー、今日、時間がとれるか?会って話したいんだが・・・」
「ええ、大丈夫ですよ。では今夜、海鷲で落ち合いましょう」
 ビッテンフェルトが再会したアマンダとの事を話したいのだろうと予想が付いたミュラーが、いつもの誘いのように返答する。
「いや悪いが夜でなく、昼休み、飯を食べながら話すっていうのは無理か?」
「昼ですか?少々お待ちください」
 てっきり仕事を終えた後に飲みながら話を聞くのかと思っていたミュラーは、意外に思いながらドレウェンツに目でスケジュールの調整を頼み込む。ドレウェンツは上官の要望に応えるように頷き、予定変更可能のサインを出した。
「ビッテンフェルト提督、大丈夫です!お昼をご一緒しましょう」
「無理を言って悪かったな!昼、そっちに迎えに行くから」
「判りました。お待ちしています」
 ビッテンフェルトとの会話を終えたミュラーに、ドレウェンツが上官の予定変更を自分の手帳に書き込みながら伝える。
「珍しいですね。ビッテンフェルト元帥の誘いに、お酒が伴わないとは?」
「うん、まあ、彼もいろいろ忙しいみたいで・・・」
「そういえば今、軍の中で<ビッテンフェルト元帥に隠し子がいる>っていう噂が流れていますが、それも関係しているのでしょうか?」
 噂を耳にしていたドレウェンツが、半分確認するようにミュラーに問い掛ける。
「そんな噂が立っているのかい?早速、彼に突っ込んでみようかな」
 ミュラーは軽く笑ってはぐらかしていた。



 昼になりミュラーは、迎えに来たビッッテンフェルトと二人で一緒に昼食をとっていた。
「ミュラー、結論から報告すると、俺とアマンダは正式に籍を入れた。それで、今、三人で住んでいる」
「は、早かったですね。いずれ、そういう形になるとは思っていましたが・・・」
 思っていたより早い展開に、ミュラーが少し驚く。
「うん、あいつに考える時間を与えないように、俺が急いだんだ!」
「へっ?それって、ビッテンフェルト提督が、強引に結婚まで漕ぎつけたってことですか?」
 ミュラーが若干引いたような顔つきになったのを見て、ビッテンフェルトが訴える。
「だってアマンダの奴、ルイーゼの事もあるし『責任を取りたい!』って言った俺に、済ました顔で『閣下が責任を感じる事はありません』なんて、かわいくない事を言うんだぜ!だから、意地でも責任を取らせて貰った」
「はあ・・・」
 ミュラーは何と言って対応すればいいのか判らず、内心(二人はホントに大丈夫か?)とビッテンフェルトとアマンダの先行きを心配するのであった。だが目の前の本人にそれを言える訳もなく、つい違う話題を振る。
「お子さんの名前、ルイーゼっていうんですね」
「うん、娘っていうのは可愛いもんだぞ~。子供があんなに可愛いものだとは思わなかった。それで、早く俺に慣れさせるために、最初はあいつの家に押し掛けて一緒に暮らしたんだ」
「えっ、彼女の家に押し掛けたんですか?」
 再びミュラーが驚く。
「いや~、逃げられたら困ると思って・・・」
「・・・」
 言葉が出ないミュラーに、ビッテンフェルトが言い訳をする。
「あいつ、ルイーゼを身籠っていなかったら、オーディンに戻るつもりだったらしい。・・・あそこには、貴族に殺されたアマンダの婚約者が眠っているんだ・・・」
「貴族に殺された婚約者!?・・・そうだったんですか・・・」
 そう呟いたミュラーは、嘗てアマンダがオーベルシュタインの諜報の手足となり、女性工作員として貴族社会に潜んでいた意味に気が付いた。
(彼女は、婚約者の敵討ちをしていたんだ・・・)
 アマンダの過去に納得した様子のミュラーを見て、ビッテンフェルトがオーベルシュタインに対し毒を吐く。
「全く、残された者の復讐心を上手く煽って利用するっていうのは、あのオーベルシュタインらしいと思うよ。ホントに下種野郎だぜ!」
 相変わらずオーベルシュタインに対して辛辣なビッテンフェルトだが、ミュラーも当時のアマンダの心情を思うと複雑な表情になる。
「アマンダは自分が貴族側に潜入していた工作員だった過去を気にして、俺と正式に籍を入れる事を渋っていたんだ。だから俺は、そんな事は全く気にしていないって証明する為にも、速攻で籍を入れた」
「そういう事でしたか・・・」
(あっという間の入籍は、これが理由だったんだ・・・)
 ミュラーは、強引に見えたビッテンフェルトの隠れた思いやりに気が付く。
「それに、あいつ最低限の家財道具しか持っていなかった。多分、ルイーゼが生まれてからもオーディンに戻る機会を探っていたのかも知れん。もし、フェルナーが見つけていなかったら、どうなっていた事かと思うよ・・・」
 ビッテンフェルトが身震いするように首を振って告げる。そんな彼の仕草を笑いながら、ミュラーが問い掛けた。
「ビッテンフェルト提督は、今も彼女の家で暮らしているんですか?」
「いや、さすがにそれは不便だから、元帥府の近くに家を買った。それでお前、今度、我が家に遊びに来ないか?アマンダにお前を引き合わせたいし、娘のルイーゼにも逢わせたい!」
「ええ、是非!私もお二人にお逢いしたいです」
 そう返事をしたミュラーだが、内心、自宅を購入し引っ越しまでしていたビッテンフェルトの早業に舌を巻いていた。そんなミュラーに、ビッテンフェルトが神妙な顔つきになって告げる。
「只、一つだけ忠告しておく。アマンダの前では、あのオーベルシュタインの悪口は禁句だぞ!あいつ、ホントに怖い顔で怒るから・・・」
「そうなんですか?・・・心得ました。お宅に伺ったときは、気を付ける事にします」
 ミュラーは(ビッテンフェルト提督は、彼女の前でオーベルシュタイン元帥の悪口を言って懲りたんだな・・・)と、思わず笑っていた。
「それにしても彼女、昔は、自分の感情を表面に出すタイプではなかったと記憶していますが・・・」
 ハイネセンでのアマンダのイメージしか持っていないミュラーが、ビッテンフェルトに問い掛ける。
「うん、ルイーゼの前では、結構、普通の母親のように笑顔になっているぞ。でも、俺の前だとまだチョットぎこちないところがあるかな・・・。まあ最初は、俺の事を<閣下>と呼んでいたくらいだし・・・」
 笑いながら打ち明けるビッテンフェルトの嬉しそうな様子を見て、ミュラーが告げる。
「ビッテンフェルト提督、なんだか楽しそうですね」
「おう!だから仕事が終わったら、真っすぐ家に帰るんだ。今は酒を飲むより、ルイーゼと遊ぶ方が楽しくてな!」
(なるほど!だから、私と会うのも昼休みになったんだ・・・)
 娘に夢中のビッテンフェルトに、ミュラーが温和な微笑みを浮かべていた。



 新居に引っ越してきてまもなく、アマンダは娘を連れて、亡き上官であるオーベルシュタインの墓参りに来ていた。
 墓には元同僚のフェルナーが先に来ており、アマンダに声を掛ける。
「よう!アマンダ。お前、あの御仁と、正式に籍を入れたんだってな!」
「ええ、私はあっという間に、元帥夫人になってしまいました」
 アマンダが苦笑いで応じる。
「勢いでゴールインする・・・ある意味、結婚ってそんなもんだろう。特にお前みたいな慎重派は、考え過ぎると先に進めなくなる」
 アマンダの性格を知ってるフェルナーが、したり顔で告げる。
「確かに、それはあるかも知れませんが・・・」
 アマンダはそう言うと、持っていた花束を墓の前に供えた。そして、亡き上官に話しかけるように少し佇んだあと、フェルナーに尋ねた。
「フェルナー、あなたは、オーベルシュタイン閣下の声が聞こえた事とかありますか?」
 アマンダの意外な質問に、フェルナーが怪訝顔で応じる。
「閣下の声?いや・・・お前はあるのか?」
「実はあのとき・・・突然フリッツが来たとき、正直私は戸惑っていました。でも、不意に閣下の声が聞こえて・・・。私はその声に導かれるように、踏み出すことができたんです。・・・今思えば、空耳だったのかも知れませんが・・・」
「ふ~ん、閣下の声がね・・・」
 フェルナーはオーベルシュタインの声こそ聞いたことはないが、なんとなく気配を感じる事はある。だがそのことは告げず、アマンダに突っ込む。
「閣下がなぜお前を後押ししたのかは判らないが、俺としてはこの結婚、今一つ心配だ・・・」
 笑うフェルナーに、アマンダも軽く首を振って微笑む。そんなアマンダの穏やかな微笑みを見て、フェルナーが告げる。
「お前がそんな顔をするようになったとはな・・・」
 軍務省にいた頃のアマンダは、表情を変えない事で有名だった。感情を出さない紅一点の秘書官は、軍務省の中でも異様な存在で、その中でアマンダは淡々と仕事をしていたのである。
「ええ、この子がいるから・・・。今の私の支えです」
 アマンダが抱いている我が子を見つめる。フェルナーも、先ほどから興味津々の顔で自分を見つめるルイーゼを見つめた。そして、その幼子の頭を撫でながら伝える。
「お前の力は偉大だな。ファーターとムッター、二人の運命を変えたのだから・・」
 頭を撫でてもらったルイーゼは、ニッコリと笑い喜んでいる。そんな二人の様子を見つめながら、アマンダがフェルナーに告げた。
「フェルナー、私はあなたに借りが出来ました。借りたままでは落ち着かないんで、きちんと返したいと思います。都合のよいときで構いませんので、いつか取りに来てくださいね」
「へぇ~、お前、俺に借りが出来たって思っているんだ!俺はてっきり余計な事して恨まれているかも・・・って思っていたよ」
 茶化すように言ったフェルナーだが、アマンダの気持ちを受け止める。
「そのうち、手を借りたいときが来たら頼むよ!なんたって、元帥夫人だからな!」
「判りました。遠慮なく取り立てに来てくださいね」
 アマンダの言葉に、フェルナーが頷く。
「しかし、あの個性豊かな御仁と一緒に暮らすのは大変だろう?軍の中でも、何かと問題行動が多い人だし・・・」
「ええ、全く予想も付かない行動をする人だけに、面食らう事も多いですが・・・。まあ、大分慣れてきました」
 二人で苦笑いになる。当時の軍務省で、ビッテンフェルトがどう思われていたのかが判る一面でもある。
「お前、ホントに大丈夫か?」
 念を押して確認するフェルナーに、アマンダが笑いながら伝える。
「いきなり生活が変わって戸惑っている部分はありますが、あの個性的な閣下とも、なんとか上手くやっていけると思いますよ。フリッツなりに私に気を使っているのも判りますし、父親としてこの子の事も思っていた以上に大事にしてくれます」
「そりゃそうだろう。こんなに可愛い娘が自分の子なんだ。目の中に入れても痛くなかろう!」
 自分の事を言われたルイーゼが、可愛らしいクシャミをして、二人を笑わせる。
「しかし、これで俺も肩の荷が下りたよ」
 フェルナーはそう言うと、墓前に向かって心の中で伺いを立てる。
(閣下、これで私の任務は終了ですか?)
 フェルナーの予想通り、上官からの反応は感じられなかった。含み笑いになっている彼に、アマンダが問い掛ける。
「ところでフェルナー、あなたはオーディンに立ち寄る機会とかありますか?」
「今のところはないが、そのうちあるかも知れない。何かあったか?」
 フェルナーがアマンダの様子を窺う。
「実は、今はオーディンにいるエーレンベルグさんから預かっていたものがありまして・・・・」
「閣下の執事だったエーレンベルグ氏か?」
 フェルナーの確認に、アマンダは頷きながらある鍵を差し出した。
「ええ、これはハルツの山奥にあるエーレンベルグさんの別荘の鍵なんです。ずっとお返ししたいと思っていたのですが・・・」
「なんでお前が、その鍵を持っているんだ?」
 疑問に思ったフェルナーが問い掛ける。
「実は、私はこの別荘でこの子を産んだのです。エーレンベルグさんにはすっかり世話になってしまいました」
 アマンダは、退役後全てを引き払ってオーディンに戻ろうとしていたときに妊娠を自覚した事、思い悩んでいたときに偶然エーレンベルグと会った事などを、フェルナーに伝えた。
「私がよほど思い詰めた顔をしていたのか、エーレンベルグさんは『閣下の代わりと思って話してみませんか?』と仰ってくださいまして・・・。私もつい、オーベルシュタイン閣下と雰囲気が似ている執事さんに甘えて相談してしまいました」
 エーレンベルグは、亡き主人の部下であったアマンダの窮状を聞き、取りあえずハルツにある自分の別荘に住むことを勧め、その後もいろいろと面倒をみたのである。
「ルイーゼが生まれ、その後の生活の目処が立つまで、私たち親子はあの別荘で暮らしていたんです。ルイーゼの事も、随分可愛がってくださいました。エーレンベルグさんは、私たちが新しい落ち着き先を見つけた後、しばらくしてオーディンに戻られました。その際、私にあの別荘の鍵を渡して『いつでも自由に使いなさい』と言ってくれたのです」
「なるほど、そうだったのか」
 フェルナーが、エーレンベルグとアマンダとの関わりについて納得する。
「私はこうして落ち着きました。もう、あの別荘を使う事もないでしょう」
「この鍵の事、あの旦那は知っているのか?」
「いえ、話していません。フリッツは、どうも閣下絡みの話題になるとご機嫌が斜めになりますので、あまり刺激を与えないようにしています・・・」
 アマンダが苦笑いをする。
「そのほうが賢明だな!奴の閣下への毛嫌いぶりは有名だったし・・・。その鍵は、お前がお守りとして持っていればいいさ!エーレンベルグ氏もそのつもりで、別荘をそのままにしてオーディンに戻ったんだろう」
 フェルナーの提案に、アマンダが頷く。
「では、このまま私がこの鍵を持っている事にします。もし、あなたが使うときはいつでもこの鍵を渡しますので・・・」
「女を連れ込めそうもない山奥にある別荘なんて、俺には縁がない・・・」
 フェルナーが笑って断言する。
「いい別荘ですけれど・・・」 
 アマンダはそう言って微笑む。
 その後、墓をあとにするアマンダとルイーゼを見送りながら、フェルナーは亡き上官について考えていた。
(しかし、亡くなってからも俺や執事を動かすとは・・・。相変わらず、うちの閣下は不思議なお方だ・・・)



 アマンダが自宅の前まで戻ると、門の前でビッテンフェルトがウロウロしているのが見えた。思いがけない妻子の留守に焦っていた彼は、アマンダの姿を見つけるとすぐさま近寄って来た。
「アマンダ、どうしたんだ?」
「遅くなってしまってすみません。すぐ、夕食の支度をしますので・・・」
「いや、腹は減っていない。それより、その~、・・・いなかったんで心配したぞ!」
「ご心配かけて申し訳ありませんでした。思っていたより時間がかかってしまって・・・」
 二人がどこに行っていたのか知りたいビッテンフェルトと、どこに行っていたのか言わないアマンダの間で、微妙な沈黙が生れた。
 ビッテンフェルトは、夫婦になったとはいえアマンダに対してはまだ遠慮があって、それだけに「今日は何処に行っていたんだ?」という一言が出ない。更に、妻の行動を監視するような男に思われたくないという変なプライドもあって、ビッテンフェルトは<アマンダが何処に行っていたのか知りたいが、訊けない・・・>というジレンマに陥っていた。
 アマンダの方も、彼の葛藤に気が付いていた。しかし、元々彼女自身、余計な事は話さない性格であったし、オーベルシュタインの墓参りだったので猶更話しづらく、ビッテンフェルトから訊かれないうちは話さずにいた。 
 二人とも無言のまま、家の中に入った。気まずい空気のなかで、アマンダに抱かれているルイーゼだけが気持ちよさそうに寝入っている。そんなルイーゼを見つめたビッテンフェルトが意を決めて、おずおずと問い掛ける。
「ルイーゼも疲れて寝てしまっているじゃないか!お前、そんなに遠くまで行っていたのか?」
 ビッテンフェルトの問いに、アマンダが答える。
「今日は、昔の上官の月命日でしたので、お参りに・・・」
「月命日?お前、月命日には奴の墓まで行っているのか?」
 意外な場所で、ビッテンフェルトが驚く。
「毎月という訳ではありませんが・・・」
 控えめにアマンダが告げる。
「ふ~ん、そうだったんのか・・・」
「あの~、気に入りませんか?」
 アマンダが、ビッテンフェルトの表情を窺うように覗き込む。
 ビッテンフェルトが(当たり前だろう!!)という言葉を飲み込んで、静かに伝える。
「い、いや、別に・・・」
 そう答えたビッテンフェルトだが、その言葉とは裏腹に不機嫌なオーラを全身に漂わせていた。
 明らかに臍を曲げているのが判るビッテンフェルトに、アマンダは「ルイーゼを寝かせてきます」と言って彼のそばから離れた。なんだか寂しげな妻の後ろ姿に、ビッテンフェルトは後ろめたさを感じていた。

せっかく上手くいくようになってきた俺たちの間に、
奴の存在が、嫌な空気を運んでくる
もういない筈なのに、
なんでこんなに、奴が目障りなんだ?
全く、死んでからもムカつく奴だ

 ビッテンフェルトは、ずっと難しい顔でリビングのソファーに座り込んみ、不穏な空気を漂わせている。子供部屋から戻ったアマンダは、そのままキッチンに入り作業をしていた。
 こんなとき二人の間を取り持つルイーゼがいないと、お互い間が持たなくなる。

フリッツが、閣下とウマが合わないのは判り切っている事
いちいち気にしていたらキリがない・・・

 アマンダは小さなため息を付くと、コーヒーを淹れ始めた。そして、それをリビングにいるビッテンフェルトの前にさし出し、静かに告げる。
「フリッツ・・・実は今日、オーベルシュタイン元帥の墓の前で、フェルナーと待ち合わせをしていたのです・・・」
「フェルナーと?」
(まさか、こいつ、フェルナーに<余計な事してくれた!>と文句を言う為に逢ったのではないか?)
 ビッテンフェルトが<ドキリ>となって、アマンダの次の言葉を待つ。
「ええ、彼にお礼が言いたくて・・・」
「お礼?・・・なんだ!お礼だったのか!・・・そうか、そうか・・・」
 予想と全く正反対の言葉に、ビッテンフェルトがほっとする。
(フェルナーに礼を伝えるのは、アマンダが今の生活に満足しているって事だよな♪)と感じた彼は、同時に嬉しくなっていた。瞬く間に、表情をにこやかに変えたビッテンフェルトが、アマンダに告げる。
「だったらフェルナーをこの家に呼べばいいじゃないか!俺も今回の件で、奴には礼を言いたいと思っていたんだ・・・」
 先ほどとうって変わって、すっかり上機嫌になったビッテンフェルトに、アマンダが頼み入る。
「フリッツ、いつかフェルナーが私達に助けを求めたとき、出来るだけの事をしてくださいませんか?今回のお返しとして・・・」
「ああ、勿論だ!俺も、奴に借りた貸しは、ちゃんと返したいと思っているよ」
 アマンダの頼みを、胸を張って引き受けるビッテンフェルトは、すっかり満足感に浸っていた。
 単純と言えばあまりにも単純なビッテンフェルトだが、新妻のアマンダも感情の起伏が激しい夫の操縦に少しずつ慣れてきたようだった。



 その数日後、ビッテンフェルト家に、ミュラーが初めて訪れた。
「おーい、ミュラーを連れて来たぞ~!」
 ミュラーがアマンダに逢うのは、あのハイネセンでの一件以来である。
「お久しぶりです。ええっと・・・ビッテンフェルト夫人と呼んだ方がよろしいのでしょうか?」
「どうぞ、アマンダとお呼びください。ミュラー閣下」
「判りました。では、私のことも<閣下>は抜きでお願いします」
 アマンダが頷く。
「アマンダさん、ハイネセンではお世話になりました。こんな形で再会出来るとは、縁とは意外なものですね」
「ええ、私自身、こんなふうになるとは予想出来ませんでした」
 そんな二人の会話に、ビッテンフェルトが割り込んだ。
「二人とも、堅苦しい挨拶は抜き抜き!ミュラー、見てくれ!この子が俺の娘のルイーゼだ♪可愛いだろう~」
 ビッテンフェルトが抱きかかえてきたルイーゼを、ミュラーに披露する。
「初めまして!」
 ミュラーの砂色の瞳にルイーゼが写る。
(なるほど、フェルナーがこの娘<こ>を一目見て、父親が誰か見当を付けたわけだ・・・)
 オレンジ色の髪と薄茶色の瞳、ニッコリ笑った顔立ちまでビッテンフェルトにそっくりな幼子を見て、ミュラーは納得してしまった。
(しかし、自分そっくりの子供を目の前にしたビッテンフェルト提督の驚いた顔が見たかったなぁ~)
 ミュラーは、ビッテンフェルト曰く『驚きのあまり言葉を失った!』というその場面を想像して、思わず心の中でニンマリとなるのであった。


 アマンダの手料理が並んだ夕食を食べ終わり、ルイーゼを抱いたビッテンフェルトとミュラーは、場をリビングに移してくつろぐ。
 ルイーゼのマシュマロみたいな頬に誘われて、ついミュラーは触ってみたくなった。
 そして、ミュラーの指が血色の良いほっぺたに触れた途端、ルイーゼはその指を「パクン」とくわえてしまった。
(えっ!)
 ミュラーは、自分の指をおいしそうにしゃぶっているルイーゼに慌てる。
「ビッテンフェルト提督、これ、どうすればいいんですか?」
「あれ~、ルイーゼはお腹が空いたかな?おーい!アマンダ、そろそろルイーゼのオッパイタイムじゃないのか?」
 キッチンにいるアマンダに、ビッテンフェルトが声をかける。
「オ、オッパイタイム?」
 目を丸くしたミュラーが尋ねる。
「ああ、ルイーゼの食事だ。アマンダは母乳をやっているんだ」
「へぇ~、珍しいですね。今どき母乳なんて!」
「だろう!でもアマンダが言うには、『手間が掛からないし、経済的だし、免疫がついて赤ん坊にはいい!』とか色々言うんだ。あいつ、結構、理屈っぽいところがあるんだな。なんか、以前務めた軍務省の秘書官時代を引きずっているみたいだ。昔の軍務省の人間は、上官のオーベルシュタインに似てみんな頭が堅かったからな~」
 憎まれ口を叩きながらもどこか嬉しそうなビッテンフェルトに、ミュラーにはこの僚友の結婚生活の幸せさが窺われた。
「ところでミュラー、その指、ちゃんと洗ってあるだろうな?」
「えっ!まぁ・・・。そ、そんな怖い顔で睨まないでください」
 疑いの目つきで自分を見つめるビッテンフェルトに、ミュラーは焦った。そのとき、アマンダがリビングに入って来た。
「ミュラーさん、気にしなくても大丈夫ですよ。ルイーゼはこの間、フリッツが脱ぎ捨てた靴下をしゃぶっていたくらいですから・・・」
「げぇぇ!!」
 ビッテンフェルトとミュラーは、その恐ろしさに顔を見合わせた。
「ルイ!そんなもんしゃぶるなぁぁ!腹、壊すじゃないか!!」
 ビッテンフェルトの悲鳴に近い声に、アマンダはクスッと笑いながらルイーゼを抱いて、部屋から出ていく。
 そんな二人のやりとりを聞きながら、ミュラーは思わず微笑んでいた。
 実のところミュラーは、(ビッテンフェルト提督の強引さに振り回され、アマンダさんは何かと我慢しているのでは・・・)と少し心配しながら新居を訪れたのである。
 しかし、新婚の二人は、初々しいというよりずっと連れ添った夫婦のような味わいさえ感じられるほどお似合いであった。
 ミュラーは、自分の不安が取り越し苦労だったことにほっとした。
「ビッテンフェルト提督もアマンダさんもお幸せそうですね!」
「どうだ!羨ましいだろう~。お前も、早く自分の相手を見つけるんだな!」
「ははは」
 笑って誤魔化すミュラーであったが、和やかなビッテンフェルトの家庭に触れ、少し羨ましくなったのは確かである。
 この約一年後、独身のミュラーに運命の出会いが訪れるのだが、この頃はまだ誰も予想していなかったことであった。


<続く>