デキ婚から始まった恋愛 3

 ビッテンフェルトがアマンダの家に押し掛けた翌日は、午前中の早い時間から会議が開かれていた。
 アマンダの家まで上官を迎えに行ったオイゲンは、少しばかり渋滞に巻き込まれ焦ったが、何とか会議に間に合う事が出来た。
 その会議の終了後、ビッテンフェルトはミュラーの元に駆け寄った。
「ミュラー、昨日の昼は悪かった。お前を残して金も払わず店を出てしまって・・・。俺が誘ったのに、結局、お前に昼飯を奢ってもらった形になってしまったな・・・」
 ビッテンフェルトがミュラーに、昨日の昼、置いてけぼりにした事を謝る。
「いえ、そんな事はお気になさらずに!それよりも彼女に、無事に逢えましたか?」
 ミュラーが、お構いなくといった様子で右手を振ってビッテンフェルトに応じ、昨日の結果を訊ねる。
「うん、あいつに逢うには逢ったが、予想外の事もあってな・・・」
「お子さんの事ですか?」
「なんだ、お前知っていたのか?」
「ええ、フェルナーから少し聞きました・・・」
 ミュラーが遠慮がちに告げる。
「実はそうなんだ!あの赤ん坊を見たとき、俺はあまりにも驚いて言葉が出てこなかった・・・」
「でしょうね・・・」
 なんの心の準備もなく、突然自分の子どもが現れたら、ビッテンフェルトでなくてもパニックになるだろう。ミュラーには、ビッテンフェルトの慌てぶりが想像できた。
「結果として、今日中に済ませたい手続きがいろいろあって急ぐんだ!ミュラー、悪いが今度ゆっくり報告する!」
「判りました。落ち着いたら是非、私にも教えてください!」
 ビッテンフェルトは頷くと、慌ただしくその場を離れた。ミュラーは急ぐビッテンフェルトの後ろ姿を見送りながら、以前、彼からアマンダの居場所を調べてほしいと頼まれた事を思い出していた。

あの頃、
ビッテンフェルト提督は彼女の消息を探していた
こんな事なら、あのとき遠慮せず、
もっと突き詰めて探しておくべきだった
そうすれば、もう少し早く、
彼女の居場所を、見つけ出せたかも知れない

しかし
当時は、あの二人が
それほど深い関係だったとは、気付かなかった・・・
まあ、今更言ってもしょうがない事だが・・・

 ミュラーは、アマンダがオーベルシュタインの諜報の手足となった工作員だった事を知り、その後の調査は控えたのである。当時の貴族社会に潜入した女性工作員の役割は、ミュラーにも見当が付く。アマンダが諜報に関わっていたことを知ったビッテンフェルトも、それ以上の調査は求めなかった。

しかし、あのハイネセンで
ビッテンフェルト提督が彼女に謝ったセリフが
こんな形になるとは・・・

 ハイネセンで、事故とはいえアマンダを殴ってしまったビッテンフェルトは、<俺は悪くない!だがお前の顔に傷が残り、嫁のもらい手がなくなったら、俺がもらってやる!>という言葉で、アマンダに詫びたのである。丁度、その場に立ち会っていたミュラーは、ビッテンフェルトの謝り方に呆れていたが、まさか本当にそのような展開になるとは思ってもいなかった。
 ビッテンフェルトにとって、アマンダはずっと探していた相手でもあるし、子どもの事もある。ミュラーは、彼の性格からして、二人の結婚も近いと予想していた。



 早めに仕事を終えたビッテンフェルトは、あちこちと走り回り、その日のうちに全ての手続きを済ませた。ミュラーの予想より早く、ビッテンフェルトとアマンダは正式な夫婦となっていた。
 その帰り道、薔薇の花束とケーキの箱を手にしたビッテンフェルトは、酒屋でワインを買い求めた。偶然、同じ店にいてワインを選んでいたワーレンが、ビッテンフェルトを見つけ声を掛けた。
「よう!ビッテンフェルト!」
「おっ!ワーレン。珍しいな、こんなところで逢うなんて・・・」
「花束とケーキ、それにワインか・・・。今夜はデートか?」
 ビッテンフェルトの姿を見たワーレンが冷やかす。
「いや、デートっていう訳でもないが、今日は結婚した記念日だからな~」
「結婚?誰が結婚したんだ?」
「俺♪」
 一瞬、考え込んだワーレンが、ビッテンフェルトにおずおずと確認する。
「お前、結婚したのか!?」
「ああ!今日、手続きを済ませた♪」 
 呆気にとられて一瞬固まったワーレンだが、はっと我に返り、ビッテンフェルトに慌てて質問する。
「おい!相手は了解済みなのか?お前、いつものように自分勝手に先走りして暴走しているんじゃないだろうな?」
 ビッテンフェルトと士官学校からの付き合いのワーレンは、自分中心の思い込みで何かにつけて暴走する彼の性格を知っているだけに、心配して確認するのであった。
「心配するな!ちゃんと相手の承諾済みだ!」
 自信満々に告げるビッテンフェルトに、ひとまず安心したワーレンが結婚について問い掛ける。
「しかし、随分急な話だな。お前に付き合っている彼女なんていたっけ?」
 ビッテンフェルトに恋人がいる話など、聞いた事がないワーレンが不思議がる。
「いや~、子どもの認知届を一刻も早く出したくてな。それで、籍も一緒に入れたんだ」
「子どもの認知?おいおい、それは聞き捨てならないな。お前、大丈夫か?変な女に騙されているんじゃないのか?」 
 目の前の人の好い僚友が、したたかな女に騙されているのを想像したワーレンが、再び忠告する。
「いや、大丈夫だ!子どもは俺の子に間違いはない!」
 自信たっぷりに話すビッテンフェルトに、ワーレンが心配する。
「やけに自信があるが、ちゃんと調べたのか?お前、思い込むと周りが見えなくなるし・・・」
「赤ん坊を見たオイゲンも納得している。本当に、俺そっくりの女の子なんだ!」
「あの副官のお墨付きなら大丈夫か・・・。だが、お前に似ている女の子!?・・・可哀そうに・・・」
「おいおい・・・」
 首を振って嘆くワーレンに、ビッテンフェルトが苦笑いをする。
「まあ、子どもの事は置いといて、母親はいったいどんな女性なんだ?」
 ビッテンフェルトの結婚相手に興味を持ったワーレンが訊いてきた。
「お前も知っている女だ!」
「ん?誰だろう?」
 ビッテンフェルトの言葉に、ワーレンが該当者を予想してみるが、思い当たる女性がいない。軽く両手を上げ降参するワーレンに、ビッテンフェルトが教える。
「以前、軍務省にいたアマンダっていう秘書官、憶えているか」
 ワーレンは、以前自分の目の前で起こったハイネセンでの一件を思い出した。
「あのオーベルシュタインのお気に入りだった秘書官か?」
(ワーレン、お前までそう言うか・・・)
 アマンダに対して、周囲が同じような印象を持っている事に、ビッテンフェルトが大きな溜息を付く。
「お前、あのハイネセンでの三角関係の噂は本当だったのか?てっきりバカげたデマだと思っていたが・・・」
 笑って冷やかすワーレンに、ビッテンフェルトがムッとした表情になって怒り始めた。
「おい、冗談でも怒るぞ!そんなもんはバカげたデマに決まっているだろう!それに、アマンダは退役しているし、奴はとっくに死んでいる。もう関係ないだろう!いちいちあのオーベルシュタインを持ち出すな!」
 半分本気で怒っているようなビッテンフェルトを、ワーレンが宥める。
「そう、怒るな!俺だって、あの噂が事実とは思っていないよ!それにしても、相手が彼女なら、騙し騙されている訳でもなさそうだ。お互い、相手の正体を知っての行動だろうからな!」
「まあな・・・」
 ビッテンフェルトが苦笑いで答える。
「しかし、大丈夫か?お前が子どもに対して責任を取るっていうのは判るが、彼女と上手くやっていける自信があるのか?」
 オーベルシュタインを誰よりも毛嫌いしているビッテンフェルトだけに、彼の部下であった女性との結婚生活を心配するワーレンであった。
「確かにアマンダは、奴がいた軍務省出身だけに扱いにくい部分もあるが、あれで結構かわいいところもあるんだ♪まあ、縁があったって事だな!」 
 意外にもしっかりのろけているビッテンフェルトに、ワーレンが(余計な心配だったか・・・)と笑みを浮かべる。
「ともあれ、結婚おめでとう!」
「おう♪今、三人で住む家を探している。落ち着いたら遊びに来てくれ!」
「そうか!まあ、頑張れ!」
 足早に去っていくビッテンフェルトを見送りながら、ワーレンは大きなため息を付いていた。

あのビッテンフェルトが結婚したとは信じられない・・・
しかも、相手があのオーベルシュタインの秘書官だったとは・・・
そもそも、あのハイネセンでの一件が
事の始まりだったのかな?
しかし、縁とは妙なものだ・・・

 ハイネセンでの殴打事件の際、ミュラーと共にその場に居合わせていたワーレンが、独り言のように呟いた。
 この日ワーレンが、<ビッテンフェルトに似て可哀そう・・・>と告げた父親似の女の子は、のちに彼の息子と恋愛して結婚するという事になるのであるが、このときは全く考えもしない事であった。
 誠に、縁とは不思議なものである。



 ビッテンフェルトがアマンダの家に戻ってきた。早速、彼はルイーゼの元に駆け寄って、目の前に手続きを済ませたばかりの結婚証明書と娘を認知した書類を広げて見せる。
「ルイーゼ、俺とアマンダは籍を入れた!お前の事もちゃんと認知したから、これからはルイーゼ・ビッテンフェルトだ!俺は、お前のファーターなんだぞ♪」
 赤ん坊の娘に、何度も同じセリフで説明するビッテンフェルトに、アマンダは呆れていた。
 そして、ルイーゼをあまり興奮させないように控えめに遊ぶビッテンフェルトは、心の中でも必死に娘に言い含めていた

ルイーゼ、
俺は、よそのおっさんなんかじゃないぞ!
お前のムッターとは、ちゃんと正式に夫婦となった!
だから、俺とアマンダが
ベットで一緒に寝ていても心配するな!
お前は夜泣きをしないで、
安心してぐっすり寝るんだ~

 目の前の娘にじゃれながらも、今夜の為に<お願い>のオーラをしっかり出しているビッテンフェルトであった。



 夕食の際、向き合ったビッテンフェルトとアマンダが、改まって挨拶を交わす。
「今日から俺とお前は、正式に籍を入れた夫婦だ。その・・・突然でまだ慣れないかも知れないが、宜しく頼む!」
「こちらこそ・・・ビッテンフェルト元帥、ルイーゼ共々宜しくお願いします」
 何とも不思議な結婚初日の夫婦の会話である。
 ルイーゼが眠ってしまった為、夫婦二人だけで結婚祝いのワインを開ける。
「それで、気になっていたんだが、お前が俺のことを、<元帥>とか<閣下>と呼ぶのは不自然じゃないか?一応、夫婦なんだし・・・」
「それもそうですね。では、名前でお呼びしましょうか?」
「是非、そうしてくれ!フリッツの方で頼む。ヨーゼフは俺の父親の名から貰った名前でなぁ~、親父と区別するため昔から俺はフリッツと呼ばれているんだ」
「判りました。では、私もそう呼ぶことに致します」
「おう!ところで、ルイーゼという名はどういった理由で付けたんだ?」
「私の亡くなった母の名前です」
「そうか!ルイーゼの名前は、おばあちゃんから貰ったのか」
 娘の名の由来を知って満足したビッテンフェルトは、何杯目かのワインをグラスに注ぐ。
 奮発して買ったワインのせいか、思いがけなく家族に恵まれた嬉しさなのか、ビッテンフェルトにはこのワインが格別美味しく感じられた。それなのに、アマンダの方はワインが進んでいないようだった。
「飲まないのか・・・。このワイン、口に合わなかったかな?」
「いいえ、とっても美味しいワインです。でも、記念の一杯だけで充分です」
「どうしたんだ?お前、いける口だったろう・・・」
 以前二人で飲んだとき、アマンダはビッテンフェルトと同じぐらいのペースで飲むほど酒には強かった。だが、ビッテンフェルトには、アマンダにとって酒は気を紛らわす為といった感じがしていた。
 アマンダはビッテンフェルトの尤もな疑問に、苦笑いしながら答えた。
「前はそうでしたが、今は・・・その~、ルイーゼに飲ませる母乳にも影響してしまいますし・・・」
「あっ!確かに夕べ、母乳だから食べる物を気を付けているような事、お前、言っていたな!気が付かず済まん!」
 うっかりしていたとはいえ、少し配慮べきだったとビッテンフェルトはアマンダに詫びた。
「いいえ、そんなに気になさらないでください。それに、私にはルイーゼがいます。お酒はもう必要としなくなりました」
「そうか、お前はもう飲んでいないのか・・・」
(今のアマンダにとって、気を紛らす酒が必要ないほど、ルイーゼの存在が大きいという訳か・・・)
 ビッテンフェルトは、昨日アマンダが告げた<ルイーゼが落ち込む自分を励ましてくれる>と言った言葉を思い出していた。
「では、俺がお前の代わりにヴァルハラのいるアルベルトと一緒に飲もう!」
 そう言うと、ビッテンフェルトは目の前にカラのグラスを置いた。
「・・・ありがとう、フリッツ」
 アマンダの言葉に、ビッテンフェルトがニッコリと笑ってウィンクした。


 その夜、ルイーゼは、父親の願いを受け入れたのか夜泣きをしなかった。ビッテンフェルトは、誰にも邪魔されず、昨夜のリベンジを無事果たしたのである。



 翌朝、迎えに来たオイゲンが、早速新居の物件を幾つか持ってきた。
「とりあえず新居の候補を何件か持ってきました。どうぞ、お二人でご検討ください!」
「そうか!俺は早く引っ越せるなら、どれでもいいが・・・」
 ビッテンフェルトの言葉に、オイゲンが返答する。
「どれも、すぐ入居できます!奥方も、なにかご希望がありましたら遠慮なく仰ってください!これ以外にも、お好みに合う物件をお探ししますので・・・。なにより、一番長く家にいる奥方が、納得できる家が一番の条件かと思いますし・・・」
 気配りの達人オイゲンの言葉に、ビッテンフェルトが(なるほど・・・)といったように頷いた。そして、アマンダに告げる。
「アマンダ、お前、家について何か希望はあるか?遠慮しないで、なんでもオイゲンに言ってくれ!」
 ビッテンフェルトも、アマンダの希望を優先させるように気を配る。
「フリッツもオイゲン少将も、お心遣いありがとうございます」
 アマンダは二人の気遣いに礼を言うと、一つだけ希望を述べた。
「私も住むところには拘っていません。只、小さくてもいいので庭があれば嬉しく思います。ルイーゼは外遊びを喜ぶので・・・」
 アマンダの娘の為の要望に、オイゲンは自信たっぷりに頷いた。
「大丈夫です!持ってきたどの物件にも庭はありますので!」
 オイゲンが、持ってきた物件は全て庭付きの一軒家である事を説明する。
「よし!その中で一番広い庭の家にしよう!それで決まりだな♪」
 ビッテンフェルトの結論に、アマンダが頷く。
 昨日までアマンダの事をお前と呼んでいたビッテンフェルトがアマンダと名前で呼び、アマンダの方もビッテンフェルトの呼び名が閣下からフリッツと変っている事に、オイゲンは気が付いていた。一日でぐっと距離感が縮まった二人の様子に、オイゲンが微笑ましく思う。しかし、次のビッテンフェルトの言葉で慌てた。
「それでもって、引っ越しは明日にするぞ!」
「えっ!明日?・・・よ、よろしいのでしょうか?」
 唐突過ぎるビッテンフェルトの提案に、オイゲンが思わずアマンダの様子を窺う。
「・・・スケジュールの調整が付くのであれば、それでお願いします。フリッツの希望ですし・・・」
 アマンダも内心驚いていたとは思うが、表面には出さずにビッテンフェルトに従った。
 ビッテンフェルトの無茶振りにも、冷静に対応する様子に、(さすが、あのオーベルシュタインの部下だけの事はある・・・)と妙な感心をしているオイゲンであった。又、(この二人、意外とあっているのかも知れない・・・)とも感じていた。
 実はオイゲンは(子供がいるとはいえ、オーベルシュタインの元にいた真面目な秘書官が、自由奔放で常にマイペースのビッテンフェルトと、一緒にやっていけるのだろうか?)という大きな不安を持っていたのである。それだけに、なんとなく二人の間が上手くいきそうな気配にほっとしていた。
(全く男と女の相性とは不思議なものだ。この二人、全く正反対の性格と思われるのだが・・・)
 オイゲンはビッテンフェルトとアマンダの関係を不思議に思いながらも、この家族の幸せを願い、新しい家への引っ越し準備の為奔放するのであった。
 翌日、段取りよく作業するオイゲンによって、ビッテンフェルト家の引っ越しは、あっという間に終わった。



 新居の前庭に大きくそびえ立つ一本の木を、ビッテンフェルトとアマンダが見上げている。
 下見もせずいきなり家を購入した二人だけに、引っ越してきてから自宅の様子を確認するという有様であった。
「玄関先に、こんな大きな木があったとは思わなかったな~」
 思いがけない木の存在に、ビッテンフェルトが驚く。
「でも、ビッテンフェルト家のシンボルツリーとして、お似合いかも知れませんよ」
「なるほど!そう考えると、この木は背が高い俺に相応しい!それにこんなに大きな木だから、我が家のいい目印にもなるな!」
「ええ、<玄関先に大きな木がある家がビッテンフェルト邸>となれば、どなたにも判りやすいでしょう」
 二人で頷く。
「この家でルイーゼは大きくなっていくのですね。この立派な木も、ルイーゼの成長を見守ってくれそうな気がします」
「うん、ルイーゼも、我が家のシンボルツリーのように、強くたくましく育って欲しいな!」
 ビッテンフェルトの言葉に、アマンダが嬉しそうに頷いた。


<続く>