これは士官学校の教官である妻が、宇宙実習の引率で宇宙に赴いているときの、留守を預かるフェリックスのある一日の出来事である。
朝早く、水の音で目が覚めたフェリックスが、思わず窓の方を見る。
(あれ、今日、雨?)
寝ぼけ眼のフェリックスの目に、カーテンの隙間から漏れる明るい光が映った。外を確認するまでもなく、晴れている事は一目瞭然で、彼は水の音の正体に気が付く。
(これは、親父が庭に撒く水やりの音だ!)
ようやくはっきり目が覚めたフェリックスは、軽く溜息をつく。
(全く、親父は、フィーネがいないとやる事が露骨だな・・・。こっちは、エルフィーの夜泣きに付き合って全く寝た気がしないのに・・・)
ヨゼフィーネが宇宙実習に行っている間は、フェリックスと娘のエルフリーデは、隣のミッターマイヤー家で朝食を食べるのが、いつの間にか習慣になっていた。
この水やりの音は、ミッターマイヤーが<早く起きて、こちらに孫娘を連れてこい!>と息子に催促しているのである。
「フィーネがいなくたって、俺がちゃんとエルフィーに朝ごはんを食べさせるって、いつも言っているのに・・・」
ベットから身を起こしたフェリックスはブツブツ文句を言いながらも、身支度を整えるとエルフリーデと共に、ミッターマイヤー家に急いだ。
「親父、<朝早くからの水やりは、やめてくれ!>って言っているだろう!結構、音が響くんだぞ。こっちの庭の水やりは、俺がやるから・・・」
「大丈夫だ!フィーネがいるときはやらないから・・・」
<心得ている!>と言わんばかりのミッターマイヤーに(はぁ?何が大丈夫だ!寝ている俺にも、少しは気を使ってくれよ!)と、寝不足気味のフェリックスがどっと疲れる。
エヴァンゼリンが笑顔の孫娘を見つめて、息子に尋ねる。
「昨日の夜も、エルフィーは泣いてしまったの?」
「うん、ちょっとね・・・」
「朝は、こんなにご機嫌なのにね」
ヨゼフィーネのいない夜、エルフリーデは夜泣きをするようになっていたのである。
「やっぱり、夜に母親がいないと心細いんだろうな~」
ミッターマイヤーの言葉に、フェリックスが「親父、母親がいないときエルフィーが夜泣きをするって事は、フィーネにはまだ内緒だからな!それでなくても、フィーネ、後ろ髪を引かれる思いで宇宙に行っているんだから・・・」と念を押す。
「わかっているよ!」
ミッターマイヤーが頷く。
「母親も子供もじき慣れるわよ。今が踏ん張りどきね。エルフィーとフィーネ、そしてフェリックス、あなたもね!」
エヴァンゼリンが、息子を励ました。頷いたフェリックスが、気を取り戻してコーヒーを飲む。ふと何か思い出したようで、孫娘の口に、スプーンで離乳食を運んでいるミッターマイヤーに話しかける。
「そういえば、親父、また王宮の庭に、エルフィーを連れていっただろう?マリーンドルフ男爵に<皇太后や陛下に娘をアピールさせて、レオンハルト皇子の皇妃候補にでもするつもりなのか?>って嫌味を言われたよ」
先日、王宮で出くわしたマリーンドルフ男爵の皮肉を思い出したフェリックスが、ミッターマイヤーに訴える。
「ほう?それは困ったなぁ。今からエルフィーの結婚話が出るようでは・・・。早すぎると思わないか?」
真顔で訊いてきたミッターマイヤーに、フェリックスが(えっ、問題にするとこ、そこ?)と驚く。
「いや、俺が言いたいのは、<エルフィーを王宮に連れて来て、目立つ行動をしないで欲しい!>って事だよ。赤ん坊を連れて散歩するんだったら、近場の公園とかで充分だろう?わざわざ王宮の庭まで連れて来なくても・・・。少しは俺の立場を考えてくれよ!あの手の連中に、余計な嫌味の種をわざわざ提供することもないだろう」
息子の愚痴に、ミッターマイヤーが笑って応じる。
「はは、マリーンドルフ男爵に嫌味を言われるのは、お前がビッテンフェルトの婿だからだ。彼は、ビッテンフェルトとはそりが合わず、犬猿の仲だったからなぁ~。知っているだろう?」
確かに会議でよく衝突していた二人を、フェリックスも見ている。
「それも関係しているのかもしれないが・・・。でも、今、俺が王宮に行くときは、できるだけ目立たないように工夫して、レオンハルト皇子とエルフィーの交流を持たせている。なのに、親父がそれを台無しにしているんだ!王宮の庭の手入れや皇太后とのお茶会に、もうエルフィーを連れていかないでくれ!王宮はいろんな人間が出入りして、特に人目に付きやすいんだから・・・」
「別にいいじゃないか。エルフィーはお出かけを喜ぶんだし・・・」
「俺は、出かけるのをやめろと言っている訳じゃないよ!」
(もしかして、親父には、俺の言っている意味が通じていないんじゃないのか?)
フェリックスはなんだか少しイラついてきた。
「それから、親父もお袋も、あまり孫娘を甘やかさないでくれよ!エルフィーはレオンハルト皇子の妹という立場なんだ。だからこそ、それなりの自覚をもった子供になって欲しいのに、我がままな女の子になったら、レオンハルト皇子に申し訳ないだろう!」
意気込むフェリックスに、エヴァンゼリンがまったりと伝える。
「そんなに気負わなくても、大丈夫よ、フェリックス。あなたの子供の頃だって、今のエルフィーと同じように甘やかして育てたけれど、ちゃんといい子に成長したでしょう♪」
「・・・」
フェリックスが絶句してしまった。
いい子って・・・
この人達、俺を幾つだと思っているんだ~~
全く、ここにフィーネがいなくてよかったよ・・・
お袋に子ども扱いされて、
何も言えなくなってしまうところなんか見られたくないし・・ ・
だから俺は、
親たちと一緒に暮らすのは、 気が進まなかったんだ・・・
フェリックスは、ビッテンフェルトとミッターマイヤーの作戦にまんまと嵌められて、実家に戻ってきた事を少し後悔していた。
その日、エルフリーデをルイーゼに預けてアレクに会う予定のフェリックスは、娘と一緒にワーレン邸を訪ねる。
育児休暇中とはいえ彼は、自宅でできる仕事はそれなりにこなしているし、情報収集も怠らない。今日は同僚であるアルフォンスと仕事上の打ち合わせも兼ねていた。
一息ついたところで、ワーレン夫妻とフェリックスでお茶を囲む。フェリックスは、同じビッテンフェルトの娘婿のアルフォンスに訊いてみる。
「最近俺、マリーンドルフ男爵から、なんだか睨まれているような気がする。何かと嫌味を言われるし・・・。アルフォンスは気にしたことあるか?」
「マリーンドルフ男爵?う~ん、私はあの御仁とはあまり接点がないからなぁ~。特に気にしたことはないけれど・・・」
「そうか・・・」
(アルフォンスには嫌味を言わないんだ。だったら俺自身が原因なのか?俺、彼の気に障るような事、なにかやったかな?)
身に覚えのないフェリックスが、少し考え込む。
「彼の軍人嫌いは有名だから、気にするな!」
そんな義弟に、アルフォンスがある情報を伝えた。
「実は、士官学校の学生達の間で<レオンハルト皇子の初恋の相手は、ビッテンフェルト教官である!>という噂が立っているそうだ。確かに、事情を知らない学生達から見れば、士官学校でのレオンハルト皇子がフィーネを慕う様子は、そんなふうに見えるのかも知れない」
「まさか!学生達がフィーネに恋心を抱くのはまだしも、レオンハルト皇子から見ればフィーネは年上過ぎるだろう。いくらなんでも不自然過ぎて、誰も信じないよ」
「ホント、そんな噂があるなんて・・・」
意外な噂で驚くフェリックスとルイーゼである。
「確かに年齢差がある分、普通は考えられない。だが、父親があの陛下だからな~。女性の好みが父親に似れば、レオンハルト皇子の初恋の対象が、大人のフィーネでも不思議ではないと考えてしまうらしい」
「まあ、確かに陛下は少年の頃から、皇妃を慕ってはいたが・・・」
「陛下が十歳年上のマリアンヌさまと恋愛して皇妃に選んだから、学生達の間でもこんな噂が広がるのね」
二人とも、アルフォンスの説明に少し納得する。
「この噂の仕入れ先は、ワーレン学長かい?」
フェリックスの問いに、アルフォンスが説明する。
「いや、親父はまだ知らないんじゃないかな?学生達の噂というのは団結力がある分、案外、学校関係者の耳には入らないものだよ。覚えがあるだろう?特に、この噂は教官が絡んでいるし、レオンハルト皇子の噂だから、余計に秘密が徹底される。これは、テオが学生達の会話を拾って知ったんだ」
アルフォンスが更に話を進める。
「テオやヨーゼフは事実を知っている分、この噂には冷静に対応している。只、レオンハルト皇子の耳には入らないようにしているようだ。テオもヨーゼフも、折角レオンハルト皇子とフィーネの交流が上手くいっているのに、この噂を気にして二人が萎縮してしまうのを心配しているんだ」
「そうか・・・。しかし、そんな噂が立つなんて、考えてもみなかったよ。レオンハルト皇子の初恋の相手がフィーネとは・・・」
改めて驚くフェリックスであった。
「まあ、学生達の噂だし、士官学校内で盛り上がっているだけだから、大袈裟にしなくても大丈夫だろう。テオやヨーゼフも聞き流している事だし・・・」
「そうだったの・・・。でも、最近のテオやヨーゼフは、私には何も教えてくれないのね。父親のあなたには話すのに・・・。なんだか仲間はずれにされているみたいで寂しいわ・・・」
チョットむくれ気味になったルイーゼに、アルフォンスが慌てて息子達のフォローをする。
「二人とも、君に言えば、フィーネにも知られてしまうと思ったんだろう。それに男の子は、母親と話すのが気恥ずかしい時期があるんだよ。特に初恋の話なんかはね!」
「確かに、俺にも覚えがあるよ。年頃になって、意味もなく母親を避けてしまうというかなんというか・・・」
フェリックスも自分の経験を伝えて、アルフォンスの助け舟を出す。
「そんな時期は、母親の君は息子たちから少し離れて見守る程度でちょうどいいんだ!」
「そうなの?まあ、元少年達がそう言うのなら、男の子ってそんなものなのかしらね。寂しいけれど仕方ないわ」
夫の教えに、妻も笑って応じる。
そのとき、ルイーゼが何かに気が付いたようで、アルフォンスとフェリックスに伝える。
「もしかしたらその噂、マリーンドルフ男爵もどこかで耳にしたのかも知れないわ。だからエルフィーの事を必要以上に警戒し、フェリックスをけん制しているのよ」
「マリードルフ男爵がエルフィーを警戒?ルイーゼ、それはどういう事だい?」
意味が判らないフェリックスが尋ねる。
「ええ、社交界で聞いた話なんだけれど、マリーンドルフ男爵には3人の孫娘がいて、その中の誰かしらをレオンハルト皇子の皇妃にさせたいらしいの。彼は、一族から皇妃を出すことが念願らしくて・・・。マリーンドルフ男爵には息子しかいなかったので、その分孫娘に大きな期待をしているという話よ。だからこそ彼は、レオンハルト皇子の初恋の相手とされるフィーネの娘エルフィーを、孫娘達のライバルと感じているのかも・・・」
ルイーゼの予想に、アルフォンスも納得する。
「へぇ~、マリードルフ男爵が孫娘を・・・。どおりであの御仁、よく皇太后のところに顔をだす訳だ・・・」
「でも、オムツをしている赤ん坊を、ライバル視にされてもなぁ・・・。第一、フィーネは、レオンハルト皇子の初恋の相手でもないのに・・・」
呆れているフェリックスに、ルイーゼが苦笑しながら伝える。
「確かにこの噂は、フィーネがレオンハルト皇子の実の母親だと世間に知れ渡ったら、笑い話になる事でしょう。でも、それまでにあなたとマリーンドルフ男爵との関係が、変に拗れてしまうのも考えものね。あのお方は皇太后さまの親戚筋に当たるお家柄だし、政界での影響力も大きいから・・・」
「そう、特にあの御仁は、軍には厳しくて、俺たち軍人は目の敵にされているしな!」
「うん、俺に絡む原因に見当がついたから、後は適当に受け流すさ」
納得したフェリックスが頷いた。
別れ際、ルイーゼがフェリックスに頼み事をする。
「フェリックス、時間があるときでいいから、父上にエルフィーの顔、見せてあげて頂戴!父上ったら、孫娘に逢いたい癖にエルフィーに逢うのを怖がっているの・・・」
「ん?ビッテンフェルト家に顔を出すのは構わないが、義父上がエルフィーを怖がるというのは、どういうことだい?」
なぜビッテンフェルトが孫娘を怖がるのか理解できないフェリックスが、説明を求めた。
「だって、この時期の赤ちゃんって、ちょうど人見知りが始まるでしょう。フィーネが赤ちゃんのときは人見知りが激しくて、父上は大変な目にあったの。それが父上のトラウマになっているのよ」
「フィーネ、自分の父親にも人見知りをしたの?」
驚くフェリックスに、ルイーゼが頷きながら苦笑する。
「ええ、黒色槍騎兵艦隊の宇宙遠征から戻った父上を見て大泣き。暫く父上は、フィーネを抱くことは勿論、目を合せる事すらできなかったくらいよ」
「へぇ~、フィーネの人見知りが、そこまで激しかったとは初耳だ」
「私はその話、義父上から聞いて知っているよ。それに懲りた義父上が、翌年の遠征中は<フィーネが父親の顔を忘れないように!>と、自分そっくりの等身大の人形を作ってリビングに置いたとか・・・」
笑いながら話すアルフォンスに、ルイーゼも当時を振り返る。
「そうそう、そんな事もしていたわ。あの頃の父上、かわいそうなくらい落ち込んで、いろいろ必死だったのよ。そういえば、あの人形、それ以来見ていないけれど、どうなったのかしら?」
「私も、話は義父上から聞いて知っているが、人形自体は見たことはないよ」
目の前の夫婦の会話を聞きながら、フェリックスが伝える。
「・・・もしかしたら俺、どこかでその人形を見た事があるかな?なんか引っかかる・・・」
「まさか!フィーネが赤ちゃんの頃の出来事よ。きっとその人形は<子どもたちが怖がるから・・・>って母上が処分したと思うわ。だって、凄く不気味だったもの」
ルイーゼが笑って伝えた。
(確かに・・・)
フェリックスもアルフォンスも、そのビッテンフェルト人形を想像して、ルイーゼの言葉に納得した。
その後フェリックスは、アレクと逢うため王宮を訪れた。
先ほどワーレン家で得た情報を、アレクにやんわりと伝える。
「そんな噂が・・・」
アレクもフェリックス同様、意外な事で驚いているようだった。
「笑える噂の内は良いが、あまりひどい噂が立つようであれば、何か対策を考えた方がいいか?」
アレクの問い掛けに、フェリックスが軽く首を振る。
「いえ、今回は大丈夫です。テオやヨーゼフが冷静に対応しているのに、私が意識し過ぎるのも大人げないでしょう。それこそ、あの義父上に器量がないと笑われてしまいます。それに、周囲から変な誤解を招かないように、親父には『孫娘を王宮に連れて来るな!』と、釘を刺しておきましたから・・・」
フェリックスのこの言葉を聞いたアレクが、いきなり謝りだした。
「済まない、フェリックス!ミッターマイヤーがエルフリーデを王宮に連れてくるのは、母上のせいなのだ」
「皇太后のせい?それは、どういう事なのでしょう?」
疑問に思ったフェリックスが、アレクに訊ねる。
「母上はミッターマイヤーに『王宮に来るときは、孫娘も一緒に!』と頼んだのだ。きっとミッターマイヤーは、母上のその言葉の裏にある思惑を理解し、それでエルフリーデを王宮に連れてくるようになったと思う」
「思惑・・・それは、皇太后が、レオンハルト皇子と妹との交流の手助けをしたいという事でしょうか?」
「表面的に見ればそう取れるだろう。確かにその目的も多少はあるとは思うが、実際は違うのだ!」
断言するようなアレクの言い方に、フェリックスは思わず耳を傾ける。
「最初は偶然だったようだ。ミッターマイヤー夫妻がエルフリーデを連れて王宮の庭の手入れに来ているところを、母上が見かけた。それで、三人をお茶に招いたところ、タイミングよくレオンハルトも現れた。思いかけず妹に逢って喜ぶレオンハルトの姿に、母上が味をしめたんだろう。ミッターマイヤーに『王宮に来るときは、孫娘も一緒に!』と密かに頼んだのだ。その証拠に、ミッターマイヤーがエルフリーデを連れて来ているときに限って、母上からレオンハルトに声がかかる。レオンハルトにとって妹の存在は、ウィークポイントになっているから、何をおいても駆けつける。私には母上の魂胆が、手にとるように判る!」
頷いて目くばせするアレクに、フェリックスが確認する。
「その~つまり、皇太后は、レオンハルト皇子とのコミュニケーションをとる口実の為、エルフリーデを手元に呼ぶ・・・という事ですか?」
「まあ、そういう事だ」
フェリックスの頭の中に、<猟師(皇太后)が獲物(レオンハルト)を狩るための囮(エルフリーデ)>の図が浮かび上がった。
(あの聡明な皇太后が、レオンハルト皇子と逢うためにエルフィーをダシに使っている?!)
「しかし、あの皇太后がそこまでしますか?陛下の考えすぎなのでは?」
戸惑ったフェリックスが、アレクに問い掛ける。
「・・・私が思春期の頃、母上とは距離を置き過ぎた。母上は、レオンハルトも年頃になったら、<自分から離れてしまうのでは?>と心配している。実際、レオンハルトの方も成長して自分の世界が広がり、以前のように頻繁に母上のところに行かなくなった。焦った母上は、レオンハルトと逢うチャンスを作るのに必死なのだ」
アレクが苦笑しながら、更に伝える。
「昔、私が母上を疎んじていた頃、母上は表面にこそ出さなかったが寂しかったのだろう。だからこそ、今、孫のレオンハルトにそのツケが来ている・・・」
当時の自分を悔やんでいるようなアレクを見て、フェリックスが諭す。
「陛下、昔の事はあまりお気になさらないように!年頃になった男の子が、母親から離れるのは成長の証ですよ。ワーレン家でも、年頃になったテオやヨーゼフと母親との会話が少なくなったようで、ルイーゼは『寂しいが仕方ない』と言って笑っていました。きっと皇太后も、ルイーゼや世の母親達と同じように、仕方ない事として受け入れていたと思いますよ」
「そうか・・・」
フェリックスの説明で、アレクも気持ちが少し晴れたようで、表情が穏やかになる。
「しかし、自分の個人的な感情でミッターマイヤーにこんな頼み事をするとは・・・母上らしくないと言うべきか・・・いや、母上らしいと言うべきなのか?」
アレクの問いかけに、フェリックスが頷いた。
「ええ、判ります。自分の親が、初孫が出来て変ってしまうのは、私も経験済みになりましたから・・・」
(親父の奴、皇太后に<エルフィーを連れて来て欲しい!>って頼まれた事、なんで俺に言わないんだ?理由<わけ>を知っていたら、俺だってあんなきつい言い方はしなかったのに・・・)
フェリックスは、今朝の父親との会話を少し後悔していた。
ワーレン家で娘を引き取り、自宅に戻る途中、フェリックスはビッテンフェルト家に立ち寄った。孫娘の人見知りを恐れているというビッテンフェルトの事が、少し気になったのである。
(此処には、フィーネが宇宙に行く前に、エルフィーを連れて来ているから、泣きはしないと思うが・・・)
娘を抱いたフェリックスがリビングに入ると、ビッテンフェルトは背を向けていた。
「チョット待て、フェリックス。今、心の準備をしている・・・」
大きく深呼吸をしているビッテンフェルトは、心なしか緊張しているようだった。
その様子を見たフェリックスは(フィーネが赤ん坊だったときの人見知りが、義父上には相当ショックだったんだな・・・)と同じ父親として、当時のビッテンフェルトに同情するのであった。
ビッテンフェルトがゆっくり振り向いて、孫娘の顔を見つめた。金銀妖瞳<ヘテロクロミア>の視線がビッテンフェルトをとらえる。途端に、にこやかに笑いだした孫娘を見て、ビッテンフェルトがほっとした様子で大きな溜息をついた。
「フィーネの娘だし、親に似て人見知りが酷かったらヤバいと思ってな・・・」
照れながら言ったビッテンフェルトが、愛嬌を振りまく孫娘を受けとり抱き上げる。
「親父がエルフィーをあちこち連れて歩くんで、結構人には慣れているんです。しかし、フィーネの人見知りは、そんなに酷かったんですか?」
「うん、まあな・・・」
ビッテンフェルトには触れたくない過去のようで、彼はいきなり話題を変えてきた。
「エルフィーが生まれる前、フィーネが妊娠した事を知ったミュラーが『お腹の子は、いろいろな役割を背負って生まれてくる赤ちゃんになりそうだ!』って言っていた。俺もその言葉、的を得ていると思うんだ」
フェリックスも(義父上の苦い経験に、わざわざ触れる事もないか・・・)と、話題を合わせる。
「確かにエルフィーが生まれたのがキッカケで、フィーネとレオンハルト皇子の関係が急速によくなりました。フィーネも自信が付いたようで、自分からレオンハルト皇子と娘の兄妹としての交流を望むようにもなりましたし・・・。エルフィーの存在はレオンハルト皇子とフィーネを結ぶ懸け橋となり、今は良好な状態です。只、将来、臣下の娘でありながら次期皇帝の妹というエルフィーの立場を考えると、私の方が悩むときがあります」
「なんだ、もうエルフィーの立ち位置を心配しているのか?」
「ええ、娘を王宮に連れて行くだけで、周囲からなにかと言われたり、誤解される事もありますし・・・」
「う~ん、エルフィーの育て方に悩んだら、お前が育ったように育てればいいんじゃないかな。お前だっていろいろなものを背負ってきたけれど、立派にこなしてきたじゃないか」
「私が?ですか・・・」
身に覚えのないことでフェリックスは考え込む。ビッテンフェルトがそんなフェリックスに説明する。
「先帝であるラインハルト帝は、死ぬ間際にお前に『息子の友人になってくれ!』と頼んだ。そして、ミッターマイヤーは俺たちの目の前で、幼子のお前に赤ん坊の陛下への忠誠を誓わせた。先帝の遺言を背負ったお前は、それにちゃんとこたえて、俺たちの期待以上の結果を出している」
ビッテンフェルトの珍しい誉め言葉に、フェリックスはすぐに言葉が出てこなかった。そんな娘婿にビッテンフェルトが話を続ける。
「それに、お前の小さかった頃はまだ戦争の影響が色濃く残っていた。叛乱者の息子という世間の偏見もお前は背負っていたが、歪まず真正面から向き合ってロイエンタールの名を受け継いだ」
「珍しいですね。義父上が私をほめるとは・・・」
(叛乱者の息子として見られ、歪まなかった訳でもないのだが・・・)と士官学校時代を思い出したフェリックスだが、とりあえずビッテンフェルトに話を合わせる。
「実は、お前がフィーネに初めてプロポーズした頃、ルイーゼはあまりいい顔はしなかったんだ。まあ、あの頃のお前は、社交界での女遊びが酷かったし・・・」
「ええ、判ります。ルイーゼから見れば、当時の私は、大事な妹の結婚相手としては相応しくなかったと思います」
ビッテンフェルトがいきなり過去の事に話を振って不思議に思ったフェリックスだが、内容が内容だけに苦笑いするしかなかった。
「だがエリスが『ミッターマイヤー夫妻に育てられたフェリックスの根本的な人間性に間違いはない!』と評価した。だから、ルイーゼも頭ごなしに反対せず、経過を見守ったんだ」
「ミュラー夫人が?そうだったんですか。それで納得しました。てっきりルイーゼには、反対されるとばかり思っていましたから・・・」
プロポーズを申し込んだ頃、当人のヨゼフィーネより社交界を知っている姉のルイーゼの反応が気になったフェリックスである。彼女が妹の結婚に反対しなかった本当の理由が、エリスの発言のお陰だった事を初めて知った。
「ミッターマイヤー夫妻がお前を気負わず自然体で育てたように、エルフィーを育てたらどうだ?お前のように背負っているものに負けない女の子になるさ」
「うちの親たちをそのように評価して頂いてありがとうございます。でも、私の両親はごく普通の親ですし、私とエルフィーとでは立場が違いますよ」
「う~ん、本人がそう思っているのならが、仕方ないか・・・」
なにやら含みのあるビッテンフェルトの言い方に、(義父上が何が言いたいのだろう?)とフェリックスは必至に考えるが、ビッテンフェルトの意図が掴めなかった。フェリックスは、変な間が空くのを避ける為、別の言葉で返す。
「それに、私のように、社交界で悪い噂が立つのも困ります」
ビッテンフェルトはフェリックスのその言葉に、ニンマリと笑いを浮かべ同意する。
「そりゃそうだ!その辺は充分、気を付けないと!エルフィーが年頃になったとき悪い虫が付かないように、お前、ちゃんと見張れよ!」
「ええ、勿論です!」
ビッテンフェルトの言いつけに、フェリックスも即答で返す。
珍しく、舅と婿の意見が一致した。
今夜も娘の夜泣きに付き合うフェリックスは、抱きながらあやしている状態が小一時間ほど続いていた。
「エルフィー、眠いならぐずらないで、素直に寝てくれよ~~」
フェリックスも疲れて、つい愚痴がでる。お互いの気分を変える為にもフェリクスは外に出た。外の空気は新鮮で、夜空には星も輝いていた。二人とも心地よい風にあたり、気分転換をする。
金銀妖瞳<ヘテロクロミア>の目がパッチリとなったエルフリーデが、夜空を見つめる。
(すっかり目が覚めてしまったな~。まあ、仕方ないか・・・)
フェリックスが抱いている娘に教えた。
「エルフィー、あの星の中にムッターが乗っている練習艦サラマンドル(火竜)がいるんだぞ~」
父親の言葉に、母親がいると思ったエルフリーデが、星空に手を伸ばす。その仕草をみて「お前もムッターが恋しいだろうが、俺もフィーネが恋しいよ・・・」とフェリックスが思わずぼやいていた。
「エルフィーがくずっているのか?」
隣の家からミッターマイヤーが顔を出した。
「うん、でも気分転換に外に出て星を見せたら、少し機嫌が直ったよ・・・」
「どれ、代わろう!」
ミッターマイヤーがフェリックスから孫娘を受け取る。
「俺もよくここで、親父に抱っこされて、星を見ていた」
「うん、懐かしいなぁ・・・」
二人で昔を懐かしむ。
「親父、今朝、俺が『エルフィーを王宮に連れて来るな!』って言ったこと、撤回するよ。エルフィーがレオンハルト皇子の妹である以上、将来、王室にはどうしても関わってくる。だから、小さいうちから王宮や出入りする人間とかに慣れた方がいいのかも知れない。独特な雰囲気の王宮に、突然連れてこられて気おくれしたり、それこそ嫌がるようになったら大変だし・・・。むしろ自分の家と同じ感覚で過ごせるくらいに馴染ませた方がいいのかも・・・って思うようになった。レオンハルト皇子にとってエルフィーは特別な人間なんだし・・・」
「それこそ、昔のお前のようにか?」
ニヤッと笑ったミッターマイヤーが、息子に突っ込む
「ん?」
そこで初めてフェリックスは、自分の子ども時代を思い出した。
そうだ・・・
俺も、物心ついてから、王宮を自分の家のようにしていたんだ・・・
陛下といつも一緒だった俺は、王宮の庭が遊び場だった
陛下と取っ組み合いのけんかもした
二人で敷地内で抜け道を見つけ、興味深々で探検もした
一緒に部屋を抜け出して、キスリング隊長を慌てさせたこともある
今思えば、本当に、自由奔放に振る舞っていた
あの頃、いくら皇太后からは理解されていたとはいえ、
俺の行動を<身分をわきまえていない!>と批判する連中もいた筈だ。
だが、親父もお袋も、誰に何を言われても動じなかった
いつも、どっしりと構えて俺を見守ってくれていたから
俺は大人の顔色を見る事もなく、
安心して陛下と友達同士でいられたんだ
遠慮なく陛下と付き合えた時間があるから
今もこうしていい関係でいられる
あの頃の繋がりがあったから
陛下と俺は、
お互い特別な間柄になれた
忘れていた自分の少年時代を思い出したフェリックスの頭の中に、先ほどビッテンフェルトから言われた<ミッターマイヤー夫妻がお前が育てたように・・・>という言葉が浮かんだ。
親父やお袋が、
俺に背負っているものを感じさせないように育ててくれた
だから、エルフィーにも同じように、
背負っている自分の立場を負担に感じさせないように育てればいい
義父上が俺に言いたかったのは、こういう事なんだ・・・
いつもマイペースで、
ときには浮世ばなれしているようにさえ感じていた親父とお袋だが
そのブレない育て方を、ちゃんと理解してくれる人達がいる
息子の俺の方が、気が付いていなかった・・・
改めて自分の親を再認識したフェリックスであった。
「俺、親父やお袋に育ててもらって本当によかった。ありがとう・・・」
「なんだ、いきなり?」
驚くミッターマイヤーに、フェリックスはつい口に出てしまった言葉に慌てて照れ隠しをする。
「いや、その~、自分に子どもが出来て、初めて知った親心ってやつかな・・・」
「そうか!だが、そんなことは気にするな。こっちこそ、夫婦で子育てを楽しんだ。今は、孫の成長を楽しませてもらっている♪」
笑顔で答えるミッターマイヤーを見たフェリックスの目に、祖父の腕に抱かれて気持ちよさそうに眠っているエルフリーデの寝顔が映った。
(あれ!なんだよ~。俺があれほど抱いても寝なかったのに、なんで親父が抱くとすぐ眠るわけ~~)
娘の寝かしつけに苦労していたフェリックスが、ミッターマイヤーに抱かれてあっという間に眠ったエルフリーデを恨めしそうに見つめる。
フェリックスのファーターとしての矜持に、チョッピリひびが入っていた。
<END>
≪おまけ≫
真夜中に突然、フェリックスがベットから飛び起きた。
「思い出した!!あの人形、義父上の旗艦<王虎>で見たんだ~~」
昔、怪我をしたビッテンフェルトの代理として、フェリックスが黒色槍騎兵艦隊の遠征の司令官を務めた事があった。
幕僚達から旗艦<王虎>の中を案内されていたとき、フェリックスはその存在(ビッテン人形)に気が付き、ギョっとなった。
ビッテンフェルトそっくりの等身大の人形は、フェリックスには不気味そのものだったが、王虎の乗組員には普通に受け入れられていた。フェリックスはその人形にあまり近寄らずに、司令官代理の時期を乗り切った。
(人形の事はすっかり忘れていたのに、思い出してしまった~~!!)
初めてその人形を見たときの、背筋に悪寒が走った感覚まで思い出したフェリックスは、思わず身震いしていた。
(あの人形は、フィーネが赤ん坊のとき作ったんだろう。俺が、王虎で見たのもひと昔前だし・・・。さすがに古過ぎて、もう処分されているよな?・・・)
ビッテン人形の行く末が気になったが、確かめるのも恐ろしいフェリックスであった。
~あとがき~
以前書いた小説<絆(きずな)>の最後のシーンで、フェリックスが自分を産んだ母親エルフリーデに、心の中で感謝するシーンを書きました。
それで今度は、育ての親ミッターマイヤー夫妻に、フェリックスが感謝するシーンを書きたくなり、このお話を思いつきました。
我が家のミッターマイヤー夫妻はド天然です(笑)
息子のフェリックスに「親父とお袋はいつも二人の世界を作っているから、邪魔しない方がいいんだ!」と言われるくらい、いつまでたってもアツアツの新婚状態です。
ほのぼのとした雰囲気の二人ですので、コメディタッチの方が合うかな~と思い、こちらのシリーズで書いてみました!(^^)
<周りの目や声を気にしない!>という姿勢を貫くのは難しく、なかなか出来ない事と思います。
気が付かなかった自分の両親の<ブレない強さ>を認識したフェリックスは、ミッターマイヤー夫妻を良いお手本にすることでしょう。
又、いとも簡単に孫娘を寝かしつけたミッターマイヤーに嫉妬するあたり、フェリックスはまだまだ修業が足りません(笑)
尚、ビッテンの苦い経験であるヨゼフィーネの人見知りは<息吹(7)>に書かれている出来事です。
アルフォンスがビッテンから聞いたビッテン人形の話は、<グロスファーターの心理(お祝い)>に書かれています。
このビッテン人形、私的には気に入っているキャラでもあります(笑)