フェリックスの心理(新婚編)

 長年待ち続けたかいがあって、やっと婚約中のヨゼフィーネと結婚したフェリックスだが、どうにも落ち着かない日々が続いている。
 ヨゼフィーネの父親であるビッテンフェルトの許可を得ず、結婚の手続きを済ませてしまった事が気がかりなのだ。
 彼はあの軍事訓練が長引いて未だに帰還していない。婚約中とはいえ、知らないうちに娘が勝手に結婚していたのでは、父親としては面白くはないだろうと、ビッテンフェルトをよく知っているフェリックスだけに、心に引っ掛かっている。
 フェリックスとて<ビッテンフェルトの承諾を得てから、籍を入れたほうが無難!>と判っているのだが、ヨゼフィーネと彼女の姉のルイーゼに押し切られた。



 フェリックスは、遭難したニーベルング艦がフェザーンに着いたその足で、ヨゼフィーネと共にワーレン邸を訪れていた。ずっと心配していたルイーゼを安心させる為と、結婚を決めた事を告げる目的があった。
「姉さん、私たち結婚する事にしたわ!」
「そう、よかった!これで、私もやっと安心できるわ♪」
 ヨゼフィーネの報告に、(これ以上の喜びはない!)といったように満面の笑みを見せたルイーゼが、フェリックスに礼を言う。
「フェリックス、ありがとう。長い間待たせてしまって、本当にごめんなさい。そして、これからも妹の事、よろしくお願いします」
 ルイーゼが今まで待ち続けたフェリックスを労い、改めて今後の事を頼み込んできた。
「いや、ルイーゼ、礼を言うのは俺の方だ。社交界で好き勝手な事をしてきた俺が相手だったのに、姉の君が反対もせず、俺を信頼してくれた。だから、フィーネと結婚する事が出来たんだ」
(世間から漁色家と噂されていた俺だけに、姉としてはかなり心配だったろうに・・・)
 フェリックスが、この交際をずっと見守ってくれたルイーゼに感謝する。
「反対もなにも、実のところ最初のプロポーズの頃は、どうなる事か先行きが全く判らなかったし・・・」
「そう、私、はっきり断っていたしね・・・」
 二人とも当時を思い出し、クスッと笑う。
「これは、フェリックスの忍耐力の勝利だな」
 アルフォンスがフェリックスを茶化した。
 <忍耐力>という言葉を聞いたヨゼフィーネが、漂流中のニーベルング艦で自分とフェリックスの長すぎる春に対して、同僚たちから冷やかされた事を思い出した。あのときも、殆どの同僚がフェリックスに同情的で、彼の忍耐力を称え、男の気持ちを理解していないヨゼフィーネを批判した。
「ねぇ、フェリックス、今すぐ、籍を入れようか?」
 つい口に出た自分の言葉に、ヨゼフィーネ自身が頷いて宣言した。
「・・そう、そうしましょう!だって、ビッテンフェルト家の家訓は<思い立ったら即実行!>なんですもの!」
 ヨゼフィーネの決意に、フェリックスが心配する。
「いや、ビッテンフェルト元帥への報告が済んでからでも・・・御不興を買われても困るし・・・」
「それは、大丈夫よ!私、父上から、『あなたを待たせすぎている!』って怒られているくらいだし・・・」
 ヨゼフィーネの言い分に、姉のルイーゼも同意見になったようで、躊躇するフェリックスを説得する。
「フェリックス、籍だけでも先に入れてしまったら?父上を待っていたら、またタイミングを逃すわよ。父上のお帰りはもう少し先になりそうだし、フィーネだって、次の配属先の士官学校に通うようになれば、忙しくなって大変だろうし・・・。大丈夫!父上がごねたら、私が説得するから・・・」
 ルイーゼの後押しに、フェリックスもついその気になった。
(確かに、今この機会を逃せば、フィーネは新しい仕事に夢中になって、また落ち着くまで結婚は待たされるかもしれない・・・。フィーネの気の変わらないうちに入籍だけでも済ませた方が無難かもしれない・・・)
 長年待たされたフェリックスにしてみれば、正直<これ以上待ちたくはない!>という気持ちもあるし、なによりヨゼフィーネの捜索中に感じた<自分がもっと早く行動していたら・・・・>という後悔も、もう味わいたくなかった。
 そんな訳で、フェリックスとヨゼフィーネは、フェザーンに着いたその日のうちに、入籍をしたのである。


 慌ただしく手続きを済ませロイエンタール夫妻となったフェリックスとヨゼフィーネが、再びワーレン家に報告に訪れていた。待ち構えていたルイーゼは早速、新婚の二人に次の課題を突きつける。
 「ところで貴方たちの住むところはどうするの?私の方で、何件か候補を絞り込んであるの。お互いの職場に通いやすい場所を選んだつもりけれど・・・」
 ルイーゼが不動産の物件を、テーブルに並べて見せた。
「二人とも、早めに新居に引っ越して、落ち着いたほうがいいでしょう?」
 準備周到の姉に呆れたヨゼフィーネが、フェリックスと目を合わせながら言った。
「私、現在<いま>彼が住んでいる官舎で充分よ。ねぇ、フェリックス!」
「俺は、フィーネの好きなほうで構わないよ」
 あまり住むところにはこだわっていない二人に、ルイーゼが忠告する。
「フェリックス、ちゃんと新居を決めて、引っ越して置いたほうがいいと思うけれど・・・。とりあえず・・・という感じであなたのところに住んでいたら、父上が帰ってきたとき『一緒に住もう!』と言いかねない・・・」
 ルイーゼの予想に、フェリックスは(ギクッ!)となった。
(確かに、それはあり得ることだ・・・)
「フィーネ、せっかく義姉上が準備してくれたんだから、少し検討してみようか?」
 焦ったフェリックスがすぐさまヨゼフィーネに提案する。フェリックスのその素早い変わり身を見たアルフォンスは笑いを堪え、ヨゼフィーネも意味ありげな含み笑いしている。この二人にはフェリックスの心の動揺が判ったようである。しかし、ルイーゼは空気を読んだのか、あるいは天然なのか、コロコロと笑ってフェリックスの背中を叩きながら言った。
「あらイヤだ、フェリックス、私の事<義姉上>なんて呼ばないで!年上のあなたからそう呼ばれたら、なんだか自分が老けたように感じるわ。今までどおりに名前で呼んで頂戴!」
 妻に同意するように、アルフォンスも頷いて伝える。
「フェリックス、結婚前と同じように名前で読んで構わないよ!フィーネから初めて<義兄さん♪>と呼ばれたときは可愛くて嬉しかったものだが、君から<義兄上!>なんて呼ばれたら、なんだか背中がムズムズするよ・・・」
 背中を痒がる仕草をするアルフォンスを見て、フェリックスはこの夫婦の意見を受け入れ、今まで通り名前で呼ぶことにした。
 結局、新居の件はルイーゼに任せることにした。


 ルイーゼが次に取り挙げた課題は、結婚式についてのものだった。
「結婚式の事だけど、二人ともどんな感じにするつもりなの?」
「姉さん、私、結婚式は挙げないわ・・・」
「あら、どうして?」
「あまり目立ちたくないの・・・」
 気乗りしない表情のヨゼフィーネに、ルイーゼも少し困った様子になる。
「フィーネ、あなたの気持ちも判るけれど、フェリックスのご両親の気持ちにもなってみて頂戴。何年も待たせてしまった事だって申し訳ないと思っているのに、こちらの都合で結婚式を挙げないって言うのは・・・」
 ルイーゼの言い分に、フェリックスが自分の気持ちを伝える。
「いや、ルイーゼ、うちの親父やお袋の事は気にしなくていいよ」
「いいえ、同じ元帥の息子であるアルフォンスに嫁いだ姉の私は、お客様を呼びそれなりの結婚式を挙げた。なのに、同じような立場のフェリックスに嫁ぐ妹のフィーネが、入籍だけというのは姉妹でつり合いが取れていないし、世間からは<ビッテンフェルト家がミッターマイヤー家を蔑ろにしている!>と誤解されかねない。父上の立場やお気持ちも考えて見て・・・」
 ルイーゼが毅然と説明する。
「それは判るけど・・・。でも、やっぱり私は、結婚式を挙げるのだけは遠慮したいわ・・・」
 姉の意見を否定しないヨゼフィーネだが、結婚式を挙げるつもりにはならないらしい。
「うちの親父は、家の体面や格式に拘るタイプではない。だから、結婚式を挙げなくても気にしないし、俺たちの生活にも干渉しないさ。あれこれ言いたい奴には、勝手に言わせておけばいい」
 フェリックスの助け舟に、ヨゼフィーネが礼を言う。
「ありがとう、フェリックス!私、あまり家事は得意じゃないけど一生懸命覚えるわ。それに、あなたの奥さんとして苦手な社交界に出る覚悟もしている。私なりに結婚生活は頑張るつもりよ!でも、結婚式 を挙げるのだけは勘弁してね・・・」
 新婚の妻の健気な決意につい顔が綻んできたフェリックスだが、なぜヨゼフィーネがそんなに結婚式を嫌がるのか、その理由が知りたくなった。
「フィーネは、どうして結婚式が挙げるのがそんなに嫌なのかい?普通は女性達が憧れるものだろう?」
「そうよ、私やエリス姉さん、それにミーネさんだって、あなたの花嫁姿をずっと楽しみにしてきたんだけど・・・」
 ルイーゼもフェリックスに便乗して、自分の願いを伝えた。
「姉さん、姉さんは自分の結婚式の出来事を忘れたの?」
 ヨゼフィーネが、呆れたようにルイーゼに問いかける。
「えっ!・・・何かあったかしら?」
「全く・・・私はしっかり覚えているわ!父上の不可解な行動の数々に、みんなが振り回されて大変だった事を・・・」
 自分の結婚式の事をすっかり忘れている姉に、理路整然とヨゼフィーネが説明する。
「まず、姉さんと父上の両方がマリッジブルーになって、情緒不安定になったでしょう。ミュラーおじさんもエリス姉さんも、心配して何かと気を配っていたわ。それに、黒色槍騎兵艦隊では<結婚式で父上が何かをしでかす筈>とそれが賭け事の対象になって盛り上がっていたし、父上が式で暴走しないようにと、ミュラーおじさんやオイゲンおじさん、ワーレンおじさままで加わって、三人で結婚式までに何度も打ち合わせをしたじゃないの!」
「えっ、うちの親父まで?・・・」
 初めて聞いた自分の結婚式の裏話に、アルフォンスは目を丸くしていた。驚くアルフォンスに呼応するように頷いて、ヨゼフィーネが話を続ける。
「それに、式当日の父上の意味不明の行動だって恥ずかしくて、私、穴があったら入りたいくらいだった・・・」
「式当日?」
「ほら、姉さんのブーケトスを横から奪い取って、大声で怒鳴っていたでしょう・・・」
「あぁ、そういえばそんな事もあったわね・・・」
 ルイーゼやアルフォンス、そしてフェリックスも、当時のビッテンフェルトの意味不明なパフォーマンスを思い出した。
 しばしの沈黙の後、アルフォンスが話題を逸らすようにルイーゼに訊いてきた。
「しかし、ルイーゼはどうしてそのとき、話してくれなかったんだ?私は君がマリッジブルーになっていたことも結婚式まで周りがいろいろ大変だったことも、何も知らずにいたよ・・・」
「だってあのとき、ミュラーおじさんから言われたの。『アルフォンスは結婚したら義理の息子として長いつき合いが始まる。今から父上に振り回されなくてもいいだろう・・・』って・・・」
「・・・」
 思わずアルフォンスとフェリックスが、無言で顔を見合せた。
 その後フェリックスは、自分の考えをヨゼフィーネに伝えた。 
「フィーネの気持ちは判った。俺たちは、結婚式を挙げないことにしよう。だが、ルイーゼ達には君の花嫁姿を見てもらいたいし、俺もウエディングドレスを着た君が見たい。だから、写真だけでも残さないか?それだったら時間もかからないし、そんなに精神的な負担にもならないだろう?」
「ええ、確かに・・・」
 周囲の頷く顔を見て、ヨゼフィーネも夫の意見を取り入れることにした。


 ビッテンフェルトがいないうちに入籍をし、新居への引っ越しまで済ませたロイエンタール夫妻の新婚生活は、こうしてスタートしたのだ。



 ヨゼフィーネが士官学校に赴任して間もなく、やっとビッテンフェルトがフェザーンに帰還した。早速フェリックスはヨゼフィーネと一緒に、結婚の報告をする為、ビッテンフェルト家を訪れた。
「私たち、正式に夫婦になりました。義父上のお帰りを待たずに、婚姻届けを出してしまい申し訳ありません・・・」
 フェリックスからの報告に、ビッテンフェルトはポツリと告げた。
「ルイーゼから聞いて知っている。まぁ、いいんじゃないか。お前、随分待ったことだし・・・」
 思いがけない好意的な返事にフェリックスが礼を言う。
「ありがとうございます」
 三人で食卓を囲みながら、遭難中の出来事や軍事訓練の様子などを話題に会話が弾んだ。そして、食後のコーヒーを飲みながら寛いでいたとき、ビッテンフェルトが娘の新しい配属先の様子を尋ねた。
「フィーネ、士官学校の方はどうだ?」
「慣れるまで大変!学生に教えるどころか、自分が覚える事がいっぱいで毎日クタクタよ!でも、とても楽しいわ」
「そうか♪」
 ヨゼフィーネの表情から、仕事も新婚生活も順調な様子に、ビッテンフェルトもにこやかになる。
「・・・ところでフェリックス、俺は<フィーネの新しい配属先は自宅通勤圏内!>という条件を付けて、お前とミュラーに任せたよな?覚えているか?」
「はい、覚えていますが・・・」
(・・・この御仁、今更なにを言っているんだ?)
 フェリックスの警戒モードのスイッチが入った。
「あのときお前は、<フィーネが俺と暮らしたがっている!>とも言った・・・」
「ええ、確かにあのときは・・・」
 ビッテンフェルトの次の言葉が予想できたフェリックスの顔が、だんだん引きつってくる。
「だったらお前たち、俺と一緒にこの家に住んだらどうだ?部屋だって余裕あるんだし・・・」
(・・・やっぱりそう来たか・・・)
 フェリックスがビッテンフェルトの機嫌を損なわずに説得しようとしたとき、先にヨゼフィーネの方が反応した。
「父上、駄目よ!もう私たち、新居に住んでいるのだし、だいいち父上と一緒に暮らしたら、大変なことになるわ!」
「どういう意味だよ?」
 意味が分からないビッテンフェルトが、眉間にしわを寄せて、娘に問い質す。
「きっと父上は、私たちにあれこれ口出しするでしょう?私は慣れているけど、フェリックスにしてみれば堪らないわ。もし、ストレスから彼の髪が抜けハゲてしまったら、私、父上を恨むわよ!」
(えっ?ハ、ハゲ!?)
 思いがけない妻の言葉に、フェリックスは唖然とした。だがそれ以上に、娘に反論したビッテンフェルトの言葉にショックを受けた。
「いや、たとえフェリックスがハゲたとしても、それは俺の所為じゃないぞ!奴の家系だろう!」
「・・・あら、そうだったの?」
 自信たっぷりに言い切るビッテンフェルトと、自分の額をマジマジと見つめるヨゼフィーネを前に、フェリックスは呆れ、そして焦った。

全く、この親子は・・・

しかし、俺の家系がハゲる家系とは初耳だ!
だが、実の父親をよく知っている義父上が
そのように言い切っているという事は、
ロイエンタール元帥は、そうだったのか?

彼が亡くなったのは今の俺と同じくらい・・・
という事は、ロイエンタール元帥は、
若い頃からその傾向があったのか!

それと、フィーネ・・・
俺の髪の事を心配していたのか?
でなければ、とっさに<ハゲ>という言葉は、出てこないだろう・・・
もしかして、俺が気が付かないだけで、後頭部あたりにもうきているとか?
さっきも、俺の生え際を確認するように見ていたし・・・

 あれこれとネガティブな想像したフェリックスは、何だか胃が痛くなってきた。そんなフェリックスを尻目に、ビッテンフェルトがもう一度ヨゼフィーネに食い下がる。
「やっぱり一緒に住むのは無理か?」
「却下!」
 父親の要望に、娘が即答で断る。
 そんな親子のやりとりを聞いていた娘婿のフェリックスは、遠い昔ルイーゼに求婚したアルフォンスに、自分が忠告した言葉を思い出していた。
(『ビッテンフェルト元帥と義理の親子関係になる気苦労を考えた方がいい!』・・・アルフォンスに語ったこの言葉は、未来の自分への警告だったのかもしれない・・・)
 過去を振り返って、深い溜息をつくフェリックスであった。


<END>


~あとがき~
他人にストレスを与えているという自覚がないビッテンフェルトにしてみれば、もし同居で<フェリックスがハゲた!>としても、自分が原因とは考えられない為、単純に<家系だろう!>と思う訳です(笑)
一方、ビッテンフェルトから実の父親ロイエンタールの髪の事は一言も言われていないのに、フェリックスは<実の父親はハゲの兆候が!・・・>と思い込んでしまいました~(A^^;)
ビッテンフェルトの影響で、フェリックスもいつの間にか思い込みが激しくなってきたようです(笑)

尚、ルイーゼの結婚式を書いた小説<花嫁の父>に、ビッテンフェルトの不可解な行動の数々が載っています(笑)