フェザーンから遠く離れた宇宙空間で、黒色槍騎兵艦隊艦隊の毎年恒例の軍事訓練は、滞りなく順調に実施されていた。
訓練が始まってから一ヶ月経った。ちょうど、予定の半分を消化していることになる。ビッテンフェルトの旗艦<王虎>のオペレーターが、司令部からの通信を傍受した。
「司令部のワーレン元帥から、通信が入っています」
「ワーレンから?・・・読み上げろ!」
艦橋にいた黒色槍騎兵艦隊司令官のビッテンフェルトが命令する。
「はっ!今後の訓練変更を申し伝える。アルタイル空域での模擬戦闘訓練は省略せよ!・・・」
突然の変更に、ビッテンフェルトを始め幕僚達も思わず顔を見合わせた。アルタイル空域での模擬戦闘訓練は、毎年行っている訓練である。しかも、宇宙海賊の出没が特に多い空域でもあり、模擬戦闘訓練は帝国軍隊の威光を示すともにパトロールも兼ねている気が抜けない訓練の一つである。
誰もが怪訝顔であったが、司令部からの報告が続いていたので、ひとまずそれを聞き入る。
「・・・シリウス基地での補給は、二十四時間以内を目安に速やかにおこなうように!又、航路に関して・・・・・・」
いつもは司令官ビッテンフェルトに任せている筈の訓練への細かい指示が続く。そして最後に、オペレーターが伝えた言葉は意外な言葉であった。
「尚、入院中のビッテンフェルト元帥のご内室、病状悪化につき危篤。・・・えぇ~!き、危篤??」
読み上げたオペレーター自身も、その内容に驚いた。そしてその報告が告げられたとき、艦橋にどよめきと緊張が走った。
「閣下・・・」
そう言ったきり、オイゲンも言葉を失った。
「最後の一件は、私信ではないか!そんなものは無視しろ!」
ビッテンフェルトがオペレーターに怒鳴った。
「しかし・・・」
オペレーターも困惑している。
「ちっ、ワーレンの奴、余計な事をしやがって・・・」
ビッテンフェルトは舌打ちした後、大声で命令した。
「訓練は、計画道理実施する。帰還予定は一ヶ月後だ。一切の変更は認めん!」
しかし、艦橋の幕僚達はお互い顔を見合わせ、戸惑いを隠せずにいた。
「・・・アマンダのことは他言無用だ。兵士どもには関係のないことだし・・・。卿らも余計な気遣いはするな!」
この場の雰囲気を察したビッテンフェルトは、幕僚達にそう告げると席を立って艦橋を去ってしまった。
残された幕僚達が、すぐ副官オイゲンの元に集まってきた。
「副官殿はこの事を知っておられましたか?」
「いや、奥方が入院されていることは知っていたが、病状がそんなに悪化していたとは知らなかった・・・」
いつもは冷静なオイゲンも、動揺を隠せずにいる。
「しかも、危篤とは・・・」
「ワーレン元帥は司令官に私信でこのことを伝えたら、周りには決して話さないと思ったのだろう。だから、こうして公式な通達に添える形で知らせてきたのだ」
「司令官に動揺は見られませんでした。覚悟していたらしいですね・・・」
ビッテンフェルトの一番近くにいたディルクセンが、皆に伝える。
「そのようだな」
他の幕僚達も、ディルクセンと同じように感じたようだった。
「しかし、どうする?」
「どうすると言っても・・・」
重苦しい空気のなかで、副官のオイゲンが口を開く。
「ワーレン元帥は、閣下とは学生時代からの付きあいだ。閣下の性格を充分知っておられるし、変更を認めないだろうと承知の上だろう。通信で変更を指示し奥方のことを知らせて来たということは、幕僚である俺たちに何とかしてほしいということなんだろうな・・・」
その言葉に、皆が同意するように頷いた。ワーレンの意向を改めて確信しあった幕僚達は、今後の訓練の進行についてその場で話し合いを始めた。
艦橋で幕僚達があれこれ思案していた頃、ビッテンフェルトは自室の窓から外を見ていた。吸い込まれそうな暗い宇宙が広がる。
とうとうきたか・・・
ルイーゼ、ヨゼフィーネ、
傍に付いていてやれず済まない
でも、艦隊を放り出して駆け付けてもアマンダは喜ばんのだ・・・
ノックの音がして、オイゲンの声がする。
「閣下、少しお話してもよろしいでしょうか?」
「おう!」
「先ほどの件なんですが、司令部からの提案を受け入れ、少し計画を見直して時間を節約したいと思います」
「俺は訓練計画の変更を認めないと言ったろ!どうせワーレンの奴が、俺を早く呼び戻すために考えた手段だ」
「ですが・・・・・・。奥様の事、気が付かず申し訳ありませんでした」
「お前が謝る必要はない!俺が隠していたことだ。アマンダとは来る前に別れを済ませた。あいつも、死に際に俺がいない覚悟はしてあるだろう・・・」
「お子さま達は・・・」
「子供達にはエリスやミーネが付いている。大丈夫だ、心配するな・・・」
上官を見つめるオイゲンは、泣きそうな顔になっていた。
「オイゲン、ここを戦場と思え!訓練と思うから、気持ちに油断が生まれる。戦争しているとき、司令官が家庭の事情で艦隊を動かしたとすればどうなる!今の軍隊には、戦争を知らずに緊張感のない軍人が増えた。それなのに手本となるべき俺たちが、私情に走っては示しがつかんだろう」
「しかし・・・」
「この話はもうするな!よいな、アマンダの事は箝口令とする!」
「・・・御意」
アマンダの事は箝口令にもなったことでもあり、誰もビッテンフェルトの前では口にしなかった。だが、兵士達の間にはあっという間に広がっていた。
司令官を敬愛する黒色槍騎兵艦隊の兵士達の、訓練に対する意識が変わった。
<一刻も早く、司令官を地上に帰してあげなくては!>という思いは、艦隊の団結力を強めた。皆真剣に訓練をこなし、「休憩や睡眠を取らなくてもいいから、訓練を進めてくれ・・・」という兵士が続出した。
以前なら食堂にいつまでもたむろしていた兵士達が、胃にかけ込むような食事をすると、すぐさま部署に着き仕事を始める。まるで戦闘中の様な鬼気迫る光景に、幕僚達は感動すら覚えた。
下っ端の兵士達がこれほどまで司令官を思っているのを目の前で見せられて、上層部も燃えた。
いつもは幾度もやり直しをする苦手な艦隊運動も、一度でぴたりと完璧に決め、司令官ビッテンフェルトを「ほう~!珍しい事もあるもんだ」と苦笑させた。
皆の願いは一つ、「司令官ビッテンフェルトを、大変な状態の家族の元に返してやりたい」・・・だだ、それだけであった。
黒色槍騎兵艦隊の団結力の強さは、計画道理訓練を消化してなおかつ一週間も早い帰還となった事にも現れるだろう。
フェザーンの宇宙港は、遠征から予定より一週間早く帰還した黒色槍騎兵艦隊の兵士の姿で溢れていた。予定外の早い帰還ということと、人々が寝入っている時間ということもあり出迎えの人々の姿はほんの一握りであった。
尤も皆夢中で訓練をこなし、家族に早まった帰還を伝える暇も無かったのだろう。
そんな宇宙港に、ビッテンフェルトを待ち受けるワーレンの姿があった。
二人の距離が縮まり、互いの目が合う。ビッテンフェルトの後ろに控える幕僚達も、祈るようにワーレンを見つめる。
「少しばかり遅かった。・・・先ほど逝った・・・」
ワーレンは悲痛な面もちで、ビッテンフェルトに告げた。
「そうか・・・世話になったな・・・」
ビッテンフェルトはワーレンの肩を軽くトントンと叩き、一言答えた。
ワーレンの言葉に、ビッテンフェルトの後ろに控えていた幕僚達は、ガックリ肩を落とした。危篤の知らせの後、司令部からはなにも連絡は来なかった。
それはまだ、ビッテンフェルト夫人の危篤状態が続いているという事ではないかと、幕僚達は秘かに思っていた。司令官ビッテンフェルトを奥方の存命中に逢わせたいと強く願っていた黒色槍騎兵艦隊の幕僚達は、何とか間に合ったのでは!と期待して地上に着いた矢先だったのである。
覚悟をしていたとはいえ、ビッテンフェルトも青ざめていた。
「車を待たせてある。病院へ急ごう・・・」
ワーレンがビッテンフェルトを促した。
「あ、あぁ・・・。オイゲン、済まないが後の事を頼む。しばらくあいつのそばに・・・子供達に付いていてやりたいんだ・・・」
傍らにいた副官オイゲンに、ビッテンフェルトは後の事を頼んだ。
「御意!」
「・・・オイゲン、俺は、いい部下達に恵まれた・・・。俺の艦隊は最高だ・・・」
「閣下・・・」
ビッテンフェルト一家をずっと見守っていたオイゲンにとっても、アマンダの死はショックであった。
ビッテンフェルトからアマンダとルイーゼの存在を知らされ、慌てて住む家を捜したり、突然決まった二人の結婚式の準備に奮闘したこともあった。
又、アマンダの家出騒動のときは、心配のあまり血眼になって捜したものだった。
様々な思い出が走馬燈のように押し寄せ、オイゲンは堪らず泣きじゃくってしまった。人目も憚らず号泣し、涙を見せない上官の分も泣いていた・・・。
そんなオイゲンを囲んだ周りの幕僚達も、目が真っ赤だった。
幕僚達や二人の元帥の存在に気が付いた他の兵士達も、ビッテンフェルトとワーレンの乗り込んだ地上車を敬礼で見送った。
地上車の中でひと息付くと、ワーレンはおもむろに自分の家族の事を話し始めた。
「俺の息子のアルフォンスは、小さい頃『誕生会をしてくれ』と自分から頼んだ事がないそうだ。俺のお袋は、それを不憫がっていた。子供には残酷だよな・・・。自分の生まれた日・・・誕生日が母親の命日だなんて・・・」
ワーレンの妻は、不幸にも我が子を産んだその日に亡くなった。以来彼は、数多い再婚話にも耳を貸さず、ずっと独身を通している。
生まれた息子は、ワーレンの母親つまり祖母に育てられた。今は士官学校で寮生活を送っているが、父親に似て面倒見の良い性格は誰からも好かれていた。アレクも小さい頃からアルフォンスを兄のように慕っており、人々が一目置く人材となっている。
「あいつの母親の最期の言葉は、生まれたばかりで名もない赤ん坊を頼む・・・だった」
「そうか・・・。うちもだ。・・・アマンダは遠征に行く前、最後に逢ったとき、俺に『子供達を頼む』・・・そう言っていた」
「ビッテンフェルト、お前は気が付いていたのだろう?それが、奥方との最後の別れになるかもしれないと・・・」
「あぁ・・・」
「なのになぜお前は、宇宙に行く方を選んだんだ?」
ワーレンは責めているのでは無かった。(あれほど家族思いのビッテンフェルトが?)と、ずっと考えていた疑問を、ただ僚友に訊いてみただけであった。
「あいつは・・・アマンダは特別扱いを嫌がった。元帥だから、貴族だからと特権を使うのを一番嫌っていたんだ。アマンダは、いつも俺の地位に自分が甘えることを、極力避けて過ごしていた。だから・・・」
「そうか・・・」
ワーレンはアマンダとそれほど親しいわけではなかった。催しなどで顔を合わせることはあったが、ここ数年アマンダが表舞台に出てこなくなった事もありあまり話をしてない。
ハイネセンで見かけた軍人時代の彼女は、無表情で感情を出さない女性だったと記憶している。それがビッテンフェルトと暮らし始めた彼女は、別人のように表情が和らいで、その違いに驚いたものだった。ビッテンフェルトから聞くお惚気に、ほのぼのとした家庭の温かさを感じて自分の事のように嬉しかった。
彼女の幸せそうな笑顔を見るたび、一人の女性をこんなふうに変えたビッテンフェルトを、同じ男として頼もしいと感じていた。
「時代が変わると、いつしかその勢いに押されて自分も同化してしまう事があるだろう。良くも悪くもな・・・。あいつは・・・アマンダはその怖さを知っていて、いつも自分の原点を見つめて生きていた・・・そんな女だった」
ビッテンフェルトが独り言のように淡々と語り始めた。
「あいつを見ていると、新しい世の中を以前の貴族社会の二の舞にしてはいけないって感じるんだ。アマンダの存在は、元帥になってその地位に慣れ偉ぶったところが出てきた俺に、初心を忘れさせずにしてくれる戒めになっていた・・・」
小さな溜息のあと、ビッテンフェルトがワーレンに告げる。
「今回、家族を置いて戦地に赴くと言うことが、どれほど辛いことだったか少しだけ判ったような気がするよ・・・。アマンダが教えてくれたんだ。昔、指揮官として戦場にいたときは、気が付かなかったことだ。・・・いや、気が付いていても、本当には理解していなかったんだな。大切な家族を置いて俺に付いてきてくれた部下達が、どれほどの想いでいたか・・・」
「そうか・・・」
二人の間に、暫く沈黙が訪れる。
夜明けが近いのか暗い中にも朝の気配がする町並みを、ビッテンフェルトは走る地上車の窓からじっと見つめていた。
「ワーレン・・・一つだけ訊いていいか?」
「なんだ?」
「お前、自分の妻が出産で死ぬという未来が判っていたら、子供を産ませたか?」
ビッテンフェルトが視線を合わせず、ポツリと尋ねた。その質問の意味を、ワーレンは察していた。
アマンダがヨゼフィーネを産んだ辺りから体調を崩し、その姿を目にすることも少なくなった。下の子のヨゼフィーネを産む、産まないで、この仲のよい夫婦に何やら騒動があったという話を、何かのはずみで耳にしたこともある。
息子の誕生と引き替えのように愛する妻を失ったワーレンには、今のビッテンフェルトの気持ちが手に取るように判った。
元々病弱だったワーレンの妻は、息子を妊娠していたとき酷い悪阻で入院した。そのときの検査の数値は、すでに妻の内蔵にも負担がきていることを示していた。
医者から「このままでは臨月まで母体が持たない」と言われてしまったワーレンは、妻を危険な目に遭わせるくらいなら赤ん坊を諦める決意をした。しかし、妻の方が頑としてその事を承知しなかった。
一歩も譲らない妻に根負けした形で出産に望んだ夫婦だか、ワーレンにとってそれは悲惨な結果となった。
その後、ワーレンはずっと苦しんだ。あの時の決断は果たして正しかったのかと自分を責めた事もある。妻の死はワーレンに大きな痛手となっていた。ただ当時は、戦争という目の前の大きな仕事に打ち込む事で、その辛さを紛らしていた。そのうち、時間<とき>の流れと妻の面影を残す息子の存在が、愛する者の死に対する悲しみを和らげてくれた。
「俺は、あいつの死んだのは事故だと思っている。不幸な事故に遭ったんだと・・・」
「・・・」
「ビッテンフェルト、お前らしくないぞ!お前は過去を振り向かない男だろう。前を向いていない黒色槍騎兵艦隊の司令官なんて、何の価値もないぞ!」
「・・・凄い言われようだな」
ビッテンフェルトが思わず苦笑いをする。
「あぁ、今は目の前の事だけ考えるんだ!それ以外のことは、なにも考えるな・・・。いいか、ビッテンフェルト!お前は支えてやらなければならないルイーゼとヨゼフィーネの二人の子供のことだけを考えるんだ。逝った母親も辛いが、残された子も切ないんだぞ!」
「・・・そうだな」
(確かに、俺らしくない事を訊いた。やはり、動揺しているんだな。アマンダ!俺をしっかり支えてくれ!!)
ビッテンフェルトが心の中で叫んでいた。
地上車が病院の玄関前に着き、ビッテンフェルトとワーレンが降り立つ。夜明け前の静かな病院のロビーに、二人の軍靴の音が響いた。
<続く>