「ルイーゼは、学校か?」
宇宙遠征から帰ってきたビッテンフェルトが、宇宙港に出迎えにきた愛妻アマンダに尋ねる。
「ええ、残念ながら、今日の出迎えは私だけです」
「だよな~。出迎えの為に、わざわざ学校は休まないよな~」
小規模な宇宙遠征とはいえ二ヶ月も家族と離れていたビッテンフェルトは、早く愛娘ルイーゼの顔を見たくて仕方がない。
ルイーゼも今や八歳になった。二ヶ月ぶりに逢う父親の出迎えより、学校で友達と遊ぶ方が楽しいらしい。
「あの~、フリッツ、今日はこれからなにか予定がありますか?」
「いや、帰還の報告は明日だから、今日のところは特に予定は無いが・・・」
「こうして外で二人きりというのも久しぶりだし、フリッツさえ良ければ連れて行ってもらいたいところがあるのですけれど・・・」
「ん?そうだな~。たまには二人きりで出かけるのも悪くないな!あっ、でも、俺、軍服だぞ」
「別に構いませんよ」
連れ添って何年にもなるが、こんなふうにアマンダから甘えるようなことは滅多にない。ビッテンフェルトは、なんだか嬉しくなって聞いてみた。
「そうか~。何処に行きたいんだ♪」
「実は、あなたの旗艦<王虎>の中を見たいのです・・・」
「えっ、俺、今まで二ヶ月間、ずっとそこに居たんだけど・・・。それにあれは・・・」
「<王虎>は女性禁制ですか?」
「いや~、そんなつもりはないが・・・まっ、いいか!」
士官学校に、一般の女性を受け入れるようになって何年か経った。帝国軍に一握りしかいなかった女性士官がぐんと増え、後方勤務以外の現場にも、それぞれ配属されるようになっていた。フェザーンの自由な気質の中で育まれた女性士官達は、それぞれの部署で新たな風を起こしていた。
この時代、戦場に出るということはあまり考えられない。従って、戦艦に乗る女性士官が増えたのも、自然な流れなのだろう。
なのに男気の強い黒色槍騎兵艦隊には、まだ一人の女性兵士も配属されていなかった。別に司令官のビッテンフェルトが意図した訳では無いが、他の麾下に比べて女性士官や兵士に縁がなかった。
「黒色槍騎兵艦隊全体が、女性に縁がない!」
そんな憎まれ口をいう者さえおり、兵士たちが悔し紛れに言った「黒色槍騎兵艦隊こそが、帝国軍人の最後の砦!」という言葉が周り回って、<黒色槍騎兵艦隊は女性禁制>という約束事になってしまったかのように、軍の中で唯一男性だけの艦隊となっていた。
(こいつが旗艦<王虎>に乗りたがるなんて、一体どういうかぜのふきまわしだろう・・・)
アマンダは、今までビッテンフェルトの仕事に関して、何かを言ってきたことは一度もなかった。ましてや、旗艦に乗りたいなど言ってきたことに、ビッテンフェルトは驚いていた。
「ここが、俺の場所だ!」
誰もいない艦橋に、アマンダを案内する。
「ここから、宇宙<そら>を眺めたら気持ちがいいでしょうね」
「最高だぞ~!」
「こうしてそこにいるフリッツを見ると、なんだか凛々しく見えますね。家庭でのルイーゼにメロメロのあなたとは、まるで別人です」
アマンダが笑う。
「おう?一体どうしたんだ~。そもそもお前が<王虎>に乗りたいっていうのも、俺には不思議なんだが・・・」
「・・・実は、ここ<王虎>に乗りたがったのは、私ではありません」
「ん?」
「お腹の子が、この艦に乗りたいと・・・」
ズドン!
自分の指揮座に座ろうとしたビッテンフェルトがずり落ちてしまった。
「お、おい!!今、なんと言った?」
「お腹の子が<王虎>に乗りたがった・・・と」
「赤ん坊ができたのか?」
「ええ、今、四ヶ月に入りました。生まれるのは年が明けた頃でしょう」
「そうか♪二人目ができたか~」
ビッテンフェルトは、途端にとろけるような甘~い顔になった。
「ついに、ルイーゼもお姉ちゃんになるんだな!生まれるのはどっちだろう?戦艦に乗りたいと言うくらいだから、男かな?」
ビッテンフェルトの問い掛けに、アマンダが微笑んだ。
「男の子が欲しいですか?」
「いや、無事に生まれればどっちでもいい。とにかく体を大事にな!何たってルイーゼを生んで以来だから、かなり間が開いてしまったし・・・」
「ええ、自分が若くはないということは、自覚しています・・・」
アマンダが苦笑いをする。
「赤ん坊か♪♪」
嬉しさが止まらないビッテンフェルトはアマンダを抱き上げ、そのまま王虎の艦橋をスキップしながら踊り回っていた。
体全体で喜びを表現した後、ビッテンフェルトはアマンダを静かに降す。
「ルイーゼのときは、お前に一人で産むという心細い思いをさせてしまった・・・。あの子の誕生も寂しいものだったろう。だから、今度の子の誕生は賑やかに迎えさせるぞ!」
「賑やかですか・・・」
アマンダが和やかに笑う。
「一人で子供を産む選択をしたのは、私自身です。あなたのせいではありませんよ」
「だが、俺はお前にもルイーゼにもずっとすまないと思っていた。だから、今度こそは出来るだけの事をさせてくれ」
「フリッツ・・・」
「生まれたての赤ん坊ってどんな感じだろう?楽しみだな~」
「・・・ほとんど猿です」
「えっ!」
アマンダの冷静な反応に、(もうちょっとマシな言い方があるだろう~)と、ビッテンフェルトが思ったとき、「でも、その姿がとっても愛しくて、可愛いらしくて堪らなくなります・・・」と、アマンダが極上の笑顔を見せた。
「そうか~」
妻の幸せ一杯の笑顔を見て、ビッテンフェルトは更に嬉しくなった。
(俺は、こいつのこんな笑顔が見たくて、一緒になったんだ・・・)
ビッテンフェルトは、今まさに人生の至福のひとときを味わっていた。
ご機嫌な顔で帰宅したビッテンフェルトを、ミーネが出迎えた。
ルイーゼが小さい頃、左手を怪我したアマンダの為、住み込みの家政婦として来てもらったのがこのミーネである。
アマンダの左手はリハビリに数年かかったが、何とか細かい作業以外の事はほとんど出来る迄回復していた。利き腕で無いということも幸いして、普段の生活には何の支障も感じなくなっていた。
ミーネのことが気に入ったビッテンフェルトは、アマンダの左手が治ってもそのまま頼んで家政婦を続けてもらっていた。
すっかりビッテンフェルト家に馴染んでいるミーネは、まるで本当の家族のようだった。
久しぶりの我が家でくつろぐビッテンフェルトに、ミーネは手作りのアップルパイと紅茶を差し出す。
「おっ、これこれ!遠征での食事に不満は無いが、ミーネのアップルパイが無償に食べたくなるときがあるんだ~」
ビッテンフェルトは子供のような笑顔を見せた。
(提督のそんな顔は、ルイちゃんにそっくり!)と、ミーネはルイーゼの父親似を改めて思い知る。
「ところで奥さまは?」
「寝室で俺の持ってきた荷物の片付けをしている。大事な時期だし少し休めと言ったのに、相変わらず几帳面だよ」
アマンダの体を気遣うような言葉に、ミーネはビッテンフェルトがアマンダの妊娠を知ったことに気がついた。
「提督は、奥さまからお話を聞きましたか?」
「赤ん坊の事か?聞いたぞ~♪やっと、二人目ができた。これからミーネも忙しくなるぞ~」
満面の笑みを浮かべて、ビッテンフェルトは答える。
「その~、他には?」
ミーネが尋ねる。
「いや、それ以外の事は別に・・・。何かあったのか?」
ミーネのいつもの笑顔が、なんだか険しい顔になっているのを不審に思ったビッテンフェルトが問いかける。
「実は奥さまの担当医のライナー先生から、提督へに伝言を頼まれています。『お話したい事があるので、是非お目にかかりたい』と・・・」
「なんだろう?・・・でも、アマンダはなぜ俺に言わないんだ?それにライナー先生も、どうしてお前に伝言を頼むんだろう?」
ビッテンフェルトの疑問に、ミーネは首を振る。
「詳しい事は判りません。でも『早くしないと取り返しが付かなくなるから、一日も早く来てもらうように!』と念を押されています」
「・・・わ、判った。これからすぐ向かう!」
ビッテンフェルトからも、笑顔が消えていた。
「奥さまには?」
「とりあえず、オイゲンから呼び出しがあったとでも言ってくれ」
「判りました」
ビッテンフェルトはすぐライナーと連絡を取り、アマンダの通っている病院へと急いだ。
アマンダは元帥夫人としてどうしても特別扱いになってしまう軍の病院を避け、一市民として公共の病院に通っていた。
「ビッテンフェルト元帥、お待ちしていました。奥様を担当しているライナーです」
「ビッテンフェルトです。妻のアマンダが世話になっています。先ほど遠征から帰ってきたもので、挨拶が遅くなりました」
ビッテンフェルトは明らかに自分より年下と思われる若い医師に、アマンダの夫として挨拶をする。
<獅子の泉の七元帥>という雲の上の存在のビッテンフェルトが礼をもって接する姿勢は、ライナーに大きな感動と好感を持って迎えられた。
「いえ、そのことは知っておりますのでお気になさらずに・・・」
ライナーは恐縮しながら応じた。
「早速ですが、閣下は奥様から何かお聞きになりましたか?」
「先ほど、赤ん坊が出来たということは聞きましたが・・・」
「他には?」
「あとは、今四ヶ月で、生まれるのは新年を迎える頃だということ以外は・・・」
「そうですか。やはり・・・」
「アマンダの身になにか?」
大きな不安に襲われたビッテンフェルトの顔色が変わった。
「お子さまが出来てお喜びの最中に、こんな事を言うのは心苦しいのですが、実は、奥様の子宮に腫瘍が見つかりました。検査の結果、残念ながら悪性と判明しました」
「・・・・・・」
「その~、一日も早く、治療に専念しなければ命の保証はできません。残念ながら、今回の子供は諦めて頂きたいと・・・」
(命の保証がない!)
突然、心臓に矢が刺さったようにビッテンフェルトの胸が高鳴り、目の前が真っ暗になった。高まる動揺を抑え、ビッテンフェルトはやっとの事で次の言葉をはき出すことが出来た。
「ア、アマンダはこのことを・・・」
「もちろん知っています。発見した段階で詳しく病状を説明し、赤ちゃんを諦め、治療に専念するようお勧めしました。しかし、奥様は待ち望んでいた子供だからと言って、私の言葉を聞き受け入れてくれません。治療を始めるのも、出産後と希望しています。でも、それでは遅いのです。胎児がいますと治療が出来ません。治療が遅れると、転移の可能性が高くなるだけです。閣下の方からも、何とか奥様にお腹の赤ちゃんの事は諦めるように説得してもらいたいと思いお呼び立てしたのです」
ライナーの<自分の患者であるアマンダをなんとか助けたい!>という想いは、ビッテンフェルトに充分伝わった。
「・・・・・・判りました。知らせて下さってありがとうございます。必ず、妻を説得して連れて参ります!」
「こちらは、すぐにでも手術ができるように準備しておきます。・・・今回の赤ちゃんは残念でした。しかし、この場所は自覚症状があまり出ないので、腫瘍を発見出来た事事態、幸運と思ってもらえれば・・・」
「・・・」
(この状態で幸運と言われても・・・)
ビッテンフェルトはライナーの言葉に戸惑っていた。そんな彼を気遣うように、ライナーは言葉を続ける。
「あの、慰めにはならないかと思いますが、お子さんがすでにお一人いらっしゃいますので、どうか気持ちを切り替えますよう・・・」
(確かにそうだ・・・)
同意したビッテンフェルトも、ライナーに伝える。
「・・・ええ、まさにその通りです。いろいろご面倒をかけてしまってすみませんでした。どうか、妻のこと宜しくお願いします」
その後、ライナーから詳しくアマンダの病状の説明を受け、ビッテンフェルトは病院を後にした。
帰り道、地上車の中で煙草を吸い続けているビッテンフェルトの顔は、苦悩に満ちていた。
先ほど迄の天にも昇るような気持ちから、いきなり谷底に突き落とされたようで、ビッテンフェルトはこの状況の変化に、自分の感情をコントロール出来ず持て余していた。
(俺自身が混乱していては、アマンダを説得できないじゃ無いか・・・。落ち着け、落ち着くんだ!)
ビッテンフェルトは自分を叱咤していた。
体中から、冷や汗が出ていた。
<続く>