息吹 8

 ビッテンフェルト家の庭の片隅にある小さな砂場で、アマンダとヨゼフィーネの母子が遊んでいる。そこはルイーゼが小さかった頃、父親のビッテンフェルトが作ってくれた砂場であった。
 ヨゼフィーネはもうすぐ4歳を迎える。姉のルイーゼと同じように、ヨゼフィーネも砂場遊びが大好きであった。こうして父親の手作りの砂場は、姉から妹へと受け継がれていた。
「さぁ、フィーネ。そろそろお家に入ってお昼にしましょう・・・・」
 そう言って立ち上がったアマンダは、突然青ざめた顔になりその場にしゃがみ込んだ
「ムッター?」
 座り込んだまま動かない母親を、小さな娘は不思議そうに見つめた。ヨゼフィーネが近寄ると、アマンダは苦しそうな表情で告げる。
「・・・フィーネ、大丈夫よ。あのね、ミーネさんを呼んできて頂戴・・・」
 ヨゼフィーネはただならぬ母親の様子に、急いで家の中にいるミーネを呼んできた。慌てて駆け付けたミーネが見たものは、砂場で倒れているアマンダの姿であった。

 

 ミーネからの連絡で、アマンダが救急車で運ばれた事を知ったビッテンフェルトが、すぐ病院に駆け付けた。
 丁度診察を終えたライナーと、病室の前でかちあう。
「奥さまは今、薬が効いて寝ています。それで、ビッテンフェルト元帥にお話が・・・」
「判りました。ちょっと病室を覗いたら、すぐ伺いますので・・・」
 ライナーは頷くと、看護士と共にその場を離れた。
 ビッテンフェルトが病室に入ると、ベットで寝ているアマンダをミーネとヨゼフィーネが見守っていた。
「ファーター!ムッターが・・・」
 ビッテンフェルトを見た途端、ヨゼフィーネが泣き出した。父親の顔を見て、それまでの緊張が一気にほぐれたのだろう。
「フィーネお嬢さまの目の前でお倒れになって、随分驚いたようです」
「そうか・・・。ミーネ、済まなかったな!大変だったろう・・・」
「奥さまも先ほどまでお辛そうでしたが、薬が効いてから落ち着かれました」
 ミーネは頷きながら告げ、ビッテンフェルトは寝ているアマンダを覗き込んだ。確かに顔色が悪いが、苦しそうではなかった。
「俺はこれから、ライナー先生のところで説明を受けてくる。すまんがまた、フィーネを頼む」
 ビッテンフェルトは、ヨゼフィーネの頭を優しく撫でながら伝える。
「ファーターはライナー先生と大事なお話があるから、終わるまでミーネと一緒に待っているんだぞ」
 ビッテンフェルトが来るまで表情の堅かったヨゼフィーネも、和らいだ顔になって父親の言葉にコクンと頷いた。



 アマンダが目覚めたとき、ヨゼフィーネの泣きそうな顔が最初に目に入った。
「ムッター、目が覚めたの?もう、お腹痛くない?」
 娘の蒼い瞳が潤んでいる。周りの様子から、不安を感じて怯えているのがアマンダによく判った。
「大丈夫よ。突然倒れちゃったから、フィーネを驚かせちゃったわね・・・。ごめんね・・・」
 そう言うとアマンダは、体を起こしてヨゼフィーネに(自分の隣においで・・・)という仕草をした。ヨゼフィーネが、ベットにいるアマンダの隣にちょこんと座る。
「フィーネ、怖かった・・・」
 ヨゼフィーネがアマンダの胸の中で小さく呟く。母親の肌に触れ、ようやく安心したようだった。
 アマンダが病院に運ばれたという知らせを受けて慌てて駆け付けてきたエリスが、母親にべったりくっついてしまった幼子の様子に思わず微笑む。
 ちょうどそのとき、ビッテンフェルトが病室に戻って来た。目が覚めたアマンダと母親に寄り添うヨゼフィーネを見て、ビッテンフェルトがほっとする。
「大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。みんなに心配をかけてしまって申し訳ありませんでした」
 夫から声を掛けられたアマンダが、済まなそうに伝えた。そんな妻にビッテンフェルトが言いずらそうに告げる。
「あのな、今、ライナー先生から言われてきた。・・・その~、入院が必要だそうだ」
「そうですか・・・」
 アマンダは動揺した様子もなく、隣にいるヨゼフィーネを見つめる。まるで、ビッテンフェルトの言葉を予想していたかのようだった。
「今回、この子の目の前で倒れてしまって、不安にさせてしまいました。また同じような事になってもいけないし、少し休養するつもりでここにいます」
「そうか・・・」
 子供達と離れることになる入院は渋るだろうと思っていたアマンダの意外な言葉に、ビッテンフェルトはかえって不安になった。
(やはり、ライナー医師の言うとおり体がきついのだ。これまでとは理由<わけ>が違うようだな・・・)
 ライナーはビッテンフェルトにアマンダの病状の説明した後、<自宅療養はもう無理でしょう。・・・入院をお勧めします>と告げたのだ。
 その言葉に、ビッテンフェルトに無言で頷くしかなかった。


 病室を出て元帥府に戻ろうとするビッテンフェルトに、エリスが近寄った。
「アマンダさんは、大丈夫なのでしょうか?」
 アマンダの様子に疑問を感じたエリスが、ビッテンフェルトに尋ねた。
「今までが幸運だったかも知れない・・・」
 自信がなさそうに告げたビッテンフェルトに、エリスはアマンダの入院がただごとではないということを察した。



 それから一ヶ月後、黒色槍騎兵艦隊は遠征に向けての準備に入った。その遠征は恒例の軍事訓練であり、司令官のビッテンフェルトも当然毎年宇宙へ行っている。
 だが、ビッテンフェルトは現在<いま>地上を離れることに躊躇していた。入院しているアマンダや、母親がいなくて寂しい思いをしている子供達が心配なのだ。母親の入院というただでさえ不安なこの時期に、父親の自分まで二ヶ月間もいなくなったらどんなに心細いだろう・・・と思うと、今回の遠征は気が重かった。
 アマンダを見舞ったとき、それとなくビッテンフェルトは自分の考えを話してみた。
「今回の遠征は誰かに代わってもらって、俺は地上に残ろうと思う・・・」
「なぜです?」
「なぜって・・・現在<いま>俺は、お前や子供達のそばに居てやりたい」
 その言葉に、アマンダはビッテンフェルトの顔をじっと見つめて、小さな溜息をついた。
「フリッツ・・・遠征に行かれる方々の中には、同じように家族が病気の人もいるかも知れません。あなただけ特別扱いですか?」
「だが・・・」
 アマンダは、ビッテンフェルトの頬に自分の手を添えて話し始める。
「戦争中は、誕生した我が子を見ず戦死してしまった兵士や親の死に目に会えなかった兵士など、悲しい別れがありましたよね。戦死した兵士の家族の哀しみ、又は家族の死を遠く離れた戦地で知った兵士の苦しみ、あなたは司令官としてそんな出来事をたくさん見てきた筈です。そして軍人とは、そんな職業と割り切っていた。上に立つ者として、そう思わなければならなかった」
「・・・」
「心配しないで・・・。私は黒色槍騎兵艦隊の司令官の妻です。あなたに似て、強くなりましたから」
「・・・そうか・・・そうだな。今まで俺の部下は、抱えるものを切り捨てて、司令官の俺に命を託して戦って来たんだ。ここで、俺が私情に走るわけには行かないな」
 アマンダが微笑みながら頷いた。
「・・・現在<いま>、俺が二ヶ月間いなくても平気か?」
「子供達は大丈夫です。ミーネさんも、エリスもいてくれますし」
「お前自身はどうなんだ?」
「私も・・・大丈夫です」
「体、辛くないか?」
「少しだけ・・・」
 寂しげな微笑みを見せる。
(あいつは、気が付いているのかもしれない・・・。自分の状態を承知で、それで尚かつ俺に宇宙へ赴けと言うのか・・・)
「煙草を吸ってくる・・・」
 ビッテンフェルトは心の動揺を悟られないように、病室を出た。


 誰もいない病院の屋上で、煙草に火を付ける。視界に広がる青い空の中で、ビッテンフェルトの思考が彷徨う。手に持った煙草は少しずつ灰と変わっていくだけで、火を付けた本人の口に運ばれる事はなかった。

宇宙に行くことに、これほど後ろ髪を引かれるとは・・・
戦いの前でさえ、心は高揚心で満たされ、
地上に想いを残す事は少なかった
或いは、艦隊を指揮する者として、
意識的に気持ちを切り替えて、
戦場の事しか考えないようにしていたのかも知れない

生きて帰れると判っている軍事訓練なのに、
現在<いま>の状態のアマンダを残して宇宙に行くことに
こんなに想いが残るとは・・・
戦争中、こうした状況の兵士は自分の艦隊にもいたはずだ
それでも妻や子を残して、
死が間近に迫る戦地に、赴かなくてはいけなかった
アマンダの言うとおり、特別扱いは無かった

 当時、家族を持っていなかったビッテンフェルトには、あの頃こんな立場にあった兵士の気持ちまで気が回っていなかったような気がした。
 家族を残して戦地に赴く・・・それだけでも心残りなのに、病気の者がいたら、そばで看てやりたい・・・最期を看取ってやりたいと願った筈だ。
 そんな大昔の事では無かったのに、兵士達の普通の日常を踏み台にして戦っていたということが記憶から薄れている。

俺は、現在<いま>、夫としてアマンダのそばにいてやりたい
父親として子供達のそばで支えてやりたい
しかしアマンダは、元帥の俺が私情に走るのを認めない
たとえそれが、毎年恒例の軍事訓練と判っていても・・・

今、ミュラーやワーレンに事情を話せば、
今回の遠征には誰か代理を立てて
俺は、ここに残れるよう便宜をはかってくれるだろう
しかし、そんな事をしても、アマンダは喜ばない・・・

 ビッテンフェルトは悩んだ。


<続く>