静かな昼下がり、アマンダの病室で軍服姿のビッテンフェルトが寝ている妻をじっと見つめていた。
ふと、アマンダが目を覚ます。
「あら、フリッツ・・・いつからそこに?」
「少し前だ」
「子供達は?」
「今日は俺一人だ。出立するまで、少し二人っきりで話したいと思ってな・・・」
このあと何時間か後には、ビッテンフェルトは宇宙へ向け出立することになっている。彼の中で様々な葛藤があったが、結局予定通り宇宙遠征に行くことにした。
「お前の寝顔は、フィーネにそっくりだな。何だか楽しそうだったぞ」
「まぁ・・・」
アマンダは、少し照れくさそうに微笑んだ。
「夢を見ていました・・・」
「どんな夢を見ていたんだ?」
「素敵な夢でした。あなたが孫達に囲まれている夢でした」
「孫?」
「えぇ、同じような年頃の男の子が3人いましたよ。ルイーゼやフィーネの子供達なんでしょうね・・・。瞳が薄茶色で髪の毛がオレンジ色の、あなたにそっくりのやんちゃそうな子もいましたよ」
「へぇ~、俺達の孫か・・・」
「あなたは素敵なお祖父さんでした」
「そうか!では、お前は可愛いお祖母ちゃんだな」
「私は・・・そこにいませんでした」
「・・・」
ビッテンフェルトが一瞬、言葉を失った。そんな夫を見て、アマンダが儚く笑う。
「そんな顔をしないで、フリッツ。・・・実は、今のうちにお願いしたいことがあります」
「何だ?」
「あなたがヴァルハラに来るときは、私にたくさんの土産話を持って来て欲しいのです」
「ヴァルハラ・・・」
ビッテンフェルトは、動揺から自分の顔が引きつってくるのが判った。
「ルイーゼやフィーネの恋愛や結婚の話とか、孫達の成長していく姿、そしてひ孫達の姿・・・」
「・・・おい、俺をいつまで長生きさせるつもりなんだ?」
ビッテンフェルトが無理に笑いをつくる。静かに微笑むアマンダ。
(やはりアマンダは、俺が医者から告げられた己の余命を知っている。自分の時間は残り少ないと感じているんだ)
「・・・よし、判った。俺が逝くときは子供達との楽しい思い出をたくさん持っていくから、お前は俺が逝くまでそこで待つんだ。勝手に生まれ変わってしまったら許さないぞ。いいな!」
「ええ・・・。フリッツ、ありがとう・・・」
ビッテンフェルトを見つめながら、アマンダは礼を言う。
「俺は・・・」
妻の潤んだ瞳を見つめたビッテンフェルトは、言葉に詰まった。
二ヶ月後、ビッテンフェルトが宇宙から帰還するとき迄、アマンダの体は持たないかもしれないのだ。医師からは、アマンダの残された日々はあと僅かだと告げられている。
生きて再び逢う可能性が少ない状態で、ビッテンフェルトは宇宙に旅立つのだ。二人にとっては、これが最後の別れになるかも知れない・・・。
「フリッツは閣下と言われるより、提督と呼ばれる方が好きでしたね。いつまでも艦隊の司令官でいる事を望むあなたが好きです。王虎の艦橋に立っている姿が一番あなたらしい・・・」
アマンダの目から涙が零れる。それを見たビッテンフェルトも思わず涙ぐむ。
「あなたは黒色槍騎兵艦隊の司令官です。泣き顔を見せてはいけません。司令官の志気で戦局が変わると教えてくださったのは、あなたですよ。凛々しく、威風堂々として王虎の艦橋に立っていてください・・・」
「これはお前が泣くから・・・もらい泣きだ!」
「私は幸せ過ぎて、涙が・・・。こんな幸せな泣き方を教えてくださったのはあなたです。私を幸せにしてくださってありがとう」
「違う!俺がお前を幸せにしてやったのではない。お前が俺を幸せにしてくれたんだ。お前がいなければ、俺は家庭を持たなかったろう・・・」
アマンダが軽く微笑む。
「フリッツ・・・子供達の事、頼みますね」
「・・・判った」
「もう、時間ですよ・・・。遠征の出立に、司令官が遅刻したら示しがつきませんよ」
「・・・そうだな、アマンダ・・・。では、行って来る!」
ビッテンフェルトは、アマンダの髪を優しく撫で唇を重ねた。そしてそれは、二人の最後の口づけとなった。
ビッテンフェルトが宇宙へ旅立ってから幾日か経ったある日、ミュラーはアマンダの見舞いに病室に来ていた。
いつもは妻のエリスや子供達と一緒であったが、この日は病院近くで所用があり、その帰り道に寄ったのもので、ミュラーひとりでの見舞いとなった。
「子供達が、ミュラーさんからエリスを取り上げてしまったようですね。家に泊まり込んで世話してくれるのはとても有り難いのですが、旦那さまのミュラーさんに申し訳なくて・・・」
「そんな・・・気になさらないで下さい。エリスは結構楽しんでやっていますよ。私もこのところ仕事で遅くなるときが多いので、子供達との賑やかな夕食が嬉しいようです」
エリスはビッテンフェルトが遠征に行って以来、ビッテンフェルト家に泊まり込んでルイーゼやヨゼフィーネのそばにいた。今回のアマンダの入院は非常事態なのだということを察したエリスは、夫のミュラーに頼み込んで、実家とも言えるビッテンフェルト家でずっと過ごしている。
「エリスは私の状態を知らずにいた事で、責任を感じているようですね・・・。病気の進行は隠していた事ですし、ミーネさんにも堅く口止めしていたのです。ですから、エリスが気が付かなかったのも当然のことなので、ミュラーさんからも気にしないように言って下さい」
アマンダの言い分に、ミュラーは首を軽く振りながら穏やかに告げる。
「・・・無理ですよ。エリスも私もずっと身近にいた人間なのに、全然気が付かなかったのですから・・・。ビッテンフェルト提督もアマンダさんも水くさいじゃないですか」
ミュラーもエリスの話から、初めてアマンダの状態を知った。遠征に行ったビッテンフェルトも、ミュラーには何も話してくれなかった。
ちょっぴりむくれ顔を見せたあと、ミュラーはいつもの温和な笑顔に戻りアマンダに伝える。
「エリスには、あまり思いつめないよう伝えましょう。でも、これからは何でも私達に話して下さい。今度こそ隠し事はなしですよ!」
「えぇ・・・。ミュラーさんとエリスがいつも仲むつまじくて、私は安心です。ミュラーさんがエリスと結婚してくださって本当に良かった・・・」
ミュラーとエリスが出会った昔を懐かしむように、アマンダは遠い目をした。
(いつの間に、こんなに痩せてしまったのだろう・・・)
目の前のアマンダの衰弱振りに、ミュラーはビッテンフェルトを遠征に出したことを後悔した。
「きっとこれからも、ミュラーさんやエリスに、親子で世話になることでしょうね」
「ルイーゼやヨゼフィーネを、私達夫婦は赤ん坊の頃から見てきました。自分の子供のように思っています。いつでも、頼ってください」
「・・・ではお言葉に甘えて、ミュラーさんにお願いがあります」
「はい?なんでしょうか・・・」
「もし今後、私の身に何があっても、遠征が終わるまでフリッツには知らせないで欲しいのです」
「そ、それは・・・」
「フリッツとは、もう最期の別れをしましたから・・・」
焦ったミュラーを見て、アマンダは穏やかに微笑んだ。その表情に、ミュラーは一瞬昔を思い出した。
ビッテンフェルト夫妻が結婚した当時、見慣れなかったアマンダの微笑みを見るたび、(この人の微笑みはアルカイック・スマイルのようだ・・・)と感じたものだった。
長い月日のうち、アマンダのそのアルカイック・スマイルに慣れてしまって改めて感じることもなくなったが、突然それを思い出した。
人類が地球にいた頃の大昔、人々の信仰の対象になった言われる仏像のような穏やかな微笑み・・・。自分の命の乏しさを自覚しているアマンダの安らかなアルカイック・スマイルが、ミュラーの砂色の瞳に映った。
「・・・判りました」
ミュラーはやっと一言だけ告げた。
(二人ともそこまで覚悟していたとは・・・)
ミュラーは、もっと早く二人の状態に気が付くべきであったと自分を責めた。
ミュラー個人としては、自分が宇宙に出向いて黒色槍騎兵艦隊の司令官を代行し、ビッテンフェルトにはアマンダのそばにいて欲しい・・・そんな思いがあった。しかし、今の立場上、到底無理な事である。
ミュラーが悩んでいる日々の中で、アマンダの容体は悪化した。
ビッテンフェルトを宇宙に送り出すまでは・・・と持たせていた気力が尽きたのか、ミュラーに遺言のような話をした日から病状は悪くなる一方だった。
ミュラーは居たたまれず、ワーレンに相談をした。
「そうか・・・」
ミュラーから事情を聞いたワーレンはそう言ったきり、暫く黙り込んだ。
「遠征に行く前のビッテンフェルトの様子が、なんだかおかしいとは思っていたんだ。奥方がそんな状態だったとは・・・。あいつ、遠征に行く前に相談してくれたら、今回は俺が代わったのに・・・」
「身近にいた私が、もっと早く察してやるべきでした・・・。エリスの方も、今回の入院で、初めてアマンダさんの状態に気が付いたのです。こんなに病状が進んでいたとは・・・」
「ビッテンフェルトの奴、普段は図々しい癖に、肝心なところでみんなに遠慮するんだ。昔から・・・」
士官学校時代の同期であるワーレンは、その頃から何かとビッテンフェルトとは関わりがある。
「ミュラー、お前は<何かあっても、ビッテンフェルトに知らせるな>と夫人から頼まれたそうだが、俺はその話を聞かなかった事にする!だから俺はその事を知らない。この先の状況によっては、俺は独断でそれなりの対応をするからな・・・」
ミュラーは、黙って頷いた。
「ミュラーの奥方は、ビッテンフェルトの子供達と一緒か?」
「ええ、ビッテンフェルト提督が宇宙に行かれてからは、エリスはあちらに泊まり込んで病院に通っています・・・」
「そうか・・・」
落ち込んでいる様子のミュラーに、ワーレンが話しかける。
「あのな、ミュラー!身近にいるとかえって変化が判りづらいって事はよくあることだ。痩せたり太ったりするのを毎日見ている家族が気付かず、久しぶりに逢った知人とかに指摘される話は聞いたことがあるだろう。特に、病気なんかは本人以外にはわかりにくいものだし、あの夫婦は周りに心配をかけたくなくて病気の事を隠していたんだろう・・・」
「ええ、まぁ・・・」
「あまり自分達を責めるな!とにかく、ビッテンフェルト夫人の病状が急変したら、すぐ俺に連絡をしてくれ。仕事中でも真夜中でも構わないから・・・」
「判りました。早速、エリスにも伝えましょう」
自分達夫婦を思いやるワーレンの気持ちが、ミュラーには有り難かった。
「俺は黒色槍騎兵艦隊の遠征のスケジュールを見直そう。少しでも無駄を省き時間を短縮できるように、計画の変更を検討しておこう。・・・悪い方には考えたくないものだが、念のためにな!」
ワーレンは小さく呟いた後、深い溜息をついた。
<続く>