亜麻色の子守唄 12

 英雄達が眠る霊園は小高い丘にあり、市街を見下ろせる見晴らしの良い場所に造られていた。ローエングラム王朝のため尽くした軍人達は、ここで静かに王朝の行く末を見守っている。
 シンプルな造りの墓が立ち並ぶ一般兵士と同じ場所に、オーベルシュタインの墓はあった。小さく刻まれた墓碑銘を目を凝らして見なければ、誰もあのオーベルシュタインの墓とは思わないだろう。
 オーベルシュタインの死後の事は、全て遺言に従い進められた。元帥という地位に相応しくないこの墓も、故人の希望であった。


 ビッテンフェルトは持っていた百合とかすみ草の入り混じる花束を、横にいるアマンダに渡そうとした。
(あなたから、墓前にどうぞ・・・)というアマンダの仕草に、ビッテンフェルトは慌てた。
「勘違いするな!俺は、墓参りに来たんじゃない。お前、まだ左手が不自由だし、チョコチョコ走り廻るルイーゼが一緒だと大変だろうと思って・・・。いわば荷物持ちを兼ねた付き添いだ!」
 ビッテンフェルトは、花束を手渡すと「ふん!」と横を向いて拗ね、ルイーゼを抱き抱えてしまった。アマンダは思わず苦笑いする。
 アマンダはビッテンフェルトと結婚してからも、ここには時折来ていた。そのことはビッテンフェルトも知っている。だが、二人の会話の話題になることは殆ど無かった。
 あの事件以来、久しぶりにここを訪れようと思っていたところ、ビッテンフェルトから告げられた。
「奴の墓に行くなら、俺も付いていくぞ!」
 アマンダは意外な顔をして了承した。
 アマンダが驚くのも、無理もない。

ビッテンフェルトはずっとオーベルシュタインをよく思っていなかったのだから・・・。オーベルシュタインの墓参りに来る事自体、考えられない行動なのである。


 墓前に花束を置いて、アマンダが今は亡き上官に話しかける。

人の心は変わるんですね・・・
私が母親になるなんて、閣下、予想できましたか?
フリッツがここに来たことにも驚いたでしょうね

閣下がローエングラム王朝の為、幾度か進言してきた戦略は
フリッツを始め多くの提督たちの不評を買いました・・・
その度に、感情の縺れが深くなり、
誰もが閣下のすることに眉を顰め、
ときには非難の対象にしていました
やり方はどうであれ、兵士の犠牲を最小限に抑え
必要最低限の時間で終わらせるといった冷静な戦術は、
フリッツ達のような軍人には
受け入れがたいものだったかも知れません
しかし、閣下の戦法は、人の命の重さを知っている戦いでした
あなたの部下にしか判らなかった閣下の優しさに、
残された者達が気付き始めています

亡くなってから理解される人もいるということを
私が現在<いま>身をもって感じています

 墓前の前で亡き上官に思いを馳せるアマンダを、ビッテンフェルトは黙って見つめていた。
 ビッテンフェルトは、今になって少しずつオーベルシュタインの知らなかった一面が見えてきた。同じラインハルト陛下を主君として仰ぎ、ローエングラム王朝の旗の下に共にいながら、生きているときは関わりを持つことを避けていた。
「認めたくはないがな・・・」
 ビッテンフェルトは墓に向かって、一言だけ呟いた。亡くなってから評価される人物は歴史上に数多く存在するが、オーベルシュタインをその一人にするには悔しかったのである。


 「さあ、帰ろうか」
 頃合いをみて、ビッテンフェルトがアマンダに声を掛けた。二人で並んで墓を後にする。気が付くとビッテンフェルトに抱かれたルイーゼが、後ろの方を見ながらご機嫌に手を振って誰かにバイバイをしている。
 その様子にアマンダは後ろを振り返ったが、幼いルイーゼの目に映った人は自分には見えなかった。ビッテンフェルトは背中に感じる視線に覚えがあった。振り返らず背を向けたまま「い、急ぐぞ!」と、顔を引きつらせてアマンダを促し、一目散にその場から離れた。


 夏も終わろうとしていたある日、アマンダは左手のリハビリの為、病院を訪れていた。その後、足を延ばして隣の病棟にいるフェルナーの病室に顔を出した。 
「あのフリッツが、私と一緒に閣下の墓参りをしてくれたんです。尤も、本人は『付き添いだ!』って言い張っていましたが・・・」
「へ~、珍しい事もあるもんだな!」
「あの事件以来、少し閣下を見る目が変わったようで・・・」
「ミュラー閣下もそんな事言っていたな。同じ立場になって、初めて知り得た事があるって・・・」
「・・・あなたの軍務尚書が見直されて、良かったですね」
「からかうなよ」
 フェルナーは、照れ隠しに煙草に手を伸ばし火を付けようとしたところ、アマンダに素早く取られた。アマンダが、病室に張ってある<禁煙>の表示を指さす。
「ちぇ・・・。あ~あ」
 苦い顔で、フェルナーは深い溜息を吐いた。
「フェルナー、まだあの事を悩んでいるのですか?・・・閣下がワイゲルトさんに指示した事やその後の行動については、直接、本人に訊いて見たらどうでしょう?」
「えっ、本人?」
「いずれヴァルハラで逢うことでしょう。そのときに訊くのを楽しみにして、現在<いま>あれこれ悩まなくても・・・」
「おまえ、そういうところあの旦那に似てきたな・・・」
「あの人と暮らしているうち、感化されたのかも・・・」
 アマンダが照れたように笑う。
「おいおい、あの性格はうつるのかよ!これじゃ、エリスの先行きも不安だな・・・。第一、ビッテンフェルト提督に、エリスを預けたのは失敗だったよ。年頃の娘に、見た目だけは若い虫が付いてしまったじゃないか」
 軽く溜息を付いて、フェルナーがアマンダに話しかける。
「あのミュラー閣下が、エリスと真剣に付き合いたいと俺に言ってきた。俺はエリスの後見人だから、許しを得たいと・・・」
「それで?」
 アマンダはエリスから、そのことの結果は聞いていた。だが、フェルナーの愚痴を聞くため、あえて質問する。
「もちろん、反対しようとしたさ。だって、俺とあいつの年はほとんど変わらないんだぜ!それにエリスには、平凡でいいから普通の幸せを送って欲しいと思っていたんだ。<軍務尚書の妻>という立場では、苦労するかも・・・と俺は躊躇していた。そうしたら、エリスが奴の後ろで、目を潤ませて頼み込むように見つめるから・・・。だから、『好きにしろ』と言ってしまった」
「・・・ミュラーさんとエリスはお似合いですよ。お互い、必要とする相手に出会えたと思います」
「おまえに、あの旦那が必要だったようにか?」
「・・・ええ、そうです」
 アマンダが、あのアルカイック・スマイルを見せる。
(おまえさんが確信を持っているのなら、大丈夫か・・・)
「ミュラーさんは経験を糧として、その後をより大きく生きる方です。人柄の良さで、誤解されやすい軍務尚書という難しい立場も旨く乗り切る事が出来るでしょう。もしかしたら、オーベルシュタイン閣下より凄腕の軍務尚書として、歴史に名を残すかもしれませんよ」
「ありえるかも・・・。しかし、あの軍務尚書は女に興味の無い顔していて、十七歳には意外と手が早いじゃないか!全く、油断も隙もないな・・・」
「・・・フェルナー、妬いているのですか?」
 見つめるアマンダに、フェルナーは即答した。
「まさか!俺はロリコンじゃない」
「・・・」
 アマンダは呆れ顔で少し首を振った後、穏やかに微笑んだ。



「これは、どうしたんですか?」
 久しぶりにビッテンフェルト家を訪れたミュラーが、リビングにでんと置かれている豪華なグランドピアノを見て尋ねた。
「アマンダの左手のリハビリ用だ。ピアノは両手の指を使うから、リハビリに丁度良いと医者が言うもんでな!」
 ビッテンフェルトが得意気に語る。
「リハビリの道具にしては、大きすぎるでしょう」
 アマンダが、苦笑いする。
「楽しんでリハビリが出来れば、その方がいいじゃないか!それに、ルイーゼの情操教育にも役立つし・・・。そのうち興味をもったら、本格的に先生に付いて習ってもいいよな♪」
「まだまだ、先のことですよ」
 ビッテンフェルト夫妻のやり取りに、ミュラーもエリスも目を合わせて笑っていた。


 ピアノの前に座ったエリスの膝の上で、ルイーゼは面白そうに鍵盤を叩いて遊んでいる。アマンダもミーネも、そんな二人を見つめてお喋りをしている。楽しげな女性達を眺めながら、ビッテンフェルトとミュラーは酒を交わしていた。
「あの、一つだけ聞いていいですか?」
「何だ?」
「少しだけ気になっていたことなんですが、あのとき・・・軍服姿のアマンダさんのピアスを外してあげたとき、提督は耳元で何か囁いていたでしょう?・・・なんて言ったんですか?」
「ん!あ~、あのときか・・・」
 アマンダがペクニッツ夫人と面会する前に、ピアスを外してやった事を思い出したビッテンフェルトが、悪戯っぽい目をして答えた。
「あれは『耳たぶが色っぽいぞ♪』って言ったんだ」
 思わずミュラーは、口にしていたワインを、思いっきり吹き出してしまった。
「・・・あ、あの・・・あの緊迫した場面で、よくそんな言葉が・・・」
 目を見開いて驚くミュラーに「バカ、冗談だよ・・・。本気にしたのか?」と、あっさりとビッテンフェルトが言う。
「はぁ~、全く・・・そうやって、いつも私をからかうんですね・・・」
 溜息をついて愚痴をこぼすミュラーに、グラスの氷をカラカラさせてビッテンフェルトがぽつりと告げた。
「アマンダに、『彷徨わないで俺の元に帰って来い!』って囁いたんだ・・・」
「『彷徨う』・・・ですか」
 ミュラーはビッテンフェルトの言葉を繰り返した。そしてビッテンフェルトは、一緒に暮らし始めてからのアマンダを思い出していた。


心の底に閉じこめても、無意識に現れていた罪の意識
アマンダの、贖罪の鎖に絡まって身動きとれずにいた頃を知っている
真夜中に、自分の手をずっと洗っていた放心状態の姿も見ている
眠っているアマンダの、悪夢に魘される呻きも聞いた
押し殺した意識が彷徨う程、自分を責めていたアマンダ・・・

愛する婚約者の無惨な最期が悔しくて
復讐のためと自分を奮い立たせて過ごした工作員の日々・・・
何も言わないが、諜報の世界は、あいつには辛かったんだ
向き合えずにいた自分の過去の姿・・・
だが、アマンダは自分の過去に向き合った。


「あいつは強くなった・・・」
「提督のお陰ですよ・・・」
 ビッテンフェルトの言葉に、ミュラーは微笑みながら答えた。
「そうか・・・」
(もう大丈夫なんだな、アマンダ・・・)
 ビッテンフェルトは、グラスの向こうに見えるアマンダを見つめながら、少し残っていた酒を飲み干した。そして、新たに自分のグラスに酒をつぎ足すミュラーに問いかける。
「それで、お前達はこれからどうするんだ?」
「エリスとの恋愛を、大事に育てていきたいと思います」
「のんびりしていると他の男に取られちゃうぞ。それに、お前もいい年なんだし・・・」
「全ては、エリスの父親の一周忌が過ぎてから・・・。それに、今度は大丈夫ですよ!私も必死ですから・・・」
 ミュラーは、照れくさそうに頭をかいた。
「ほ~、それは楽しみだ!エリスはうちに住むことになっているし・・・」
「どうぞ、お手柔らかに頼みます」
「こっちこそ、よろしくな!エリスはビッテンフェルト家の一員なんだから・・・」
 二人のグラスが重なり、カチンと音がした。



 季節が秋の気配を感じ始めた頃、ミュラーは郊外にあるペクニッツ邸を訪ねた。いつものように執事に案内されて、薔薇の香りが漂うサンルームに入る。
 ペクニッツ夫人の意識は、再び過去の世界になっていた。今、夫人の中のガザリンは、生まれて間もない赤ん坊になっている。政治に関わる前の、ゴールデンバウム王朝もローエングラム王朝も関係のない普通の貴族の家庭、小さな命の誕生を純粋に喜んでいた若妻の姿そのものであった。
 記憶の中に僅かに留まった、ささやかだがかけがえのない幸せだった日々・・・いつまでも変わらない止まった時空<とき>の住人になっていた。
 サンルームの穏やかの日差しの中で、夫人はカザリンと思いこんでいる人形を大切に抱いて、綺麗なソプラノで子守唄を歌っていた。優しい微笑みを、人形のカザリンに見せている。初めての子を抱く初々しい母親の姿は、まるで聖母のようであった。
 幻想という自分だけの世界で、彼女は心の安らぎを得て幸せそうだった。


 ミュラーは、心を壊した亜麻色の髪の母親が唄う子守唄を、いつまでも聴いていた・・・。


<完>


~あとがき~
初めての連載を、何とか終えることが出来ました(はぁ~と)
原作には、フェリックスを引き取ったミッターマイヤー元帥を始め他の提督達が、僚友ロイエンタールの愛人エルフリーデについての消息に触れる記述はありませんでした。
唯一、最後の方に、オーベルシュタイン元帥がエルフリーデの消息をドミニクに尋ねるシーンがあります。
オーベルシュタイン元帥が、子供を託して一人になったエルフリーデのその後を尋ねてくれたことが、エルフリークの私には嬉しくて、(オペさんは利用した人間のその後のフォローもきちんとする人)と思いこんでしまいました
(勝手な思いこみ~A^^;)
きっとオペさん、ペクニッツ家に対しても、その後の面倒を見ていたような気がします
(一度思い込むと妄想が広がる~^^;)
そのことをミュラーさんの新しい出会いと絡めて、書きたいと思っていました。
しかし、いつものように、途中からビッテンフェルト夫妻を出し過ぎ状態!!になってしまいました(A^^;)
ミュラーさんのパートナーになるエリスの名は、森鴎外の「舞姫」のヒロインから頂きました。
「舞姫」では悲劇のヒロインで終わったエリスですが、うちのサイトではミュラーさんが(を?)幸せにしてくれることでしょう(^^)