のどかな昼下がり、フェザーンの郊外にある病院の特別室で、＜皇太后暗殺未遂事件＞を起こしたペクニッツ夫人とアマンダは、一緒にお茶の時間を過ごしていた。
　一見、普通の思い出話をしているように見えるが、ペクニッツ夫人にとっては、現在の話をしているに過ぎない。昔の姿でベーレンス准尉となったアマンダは、何気ない表情とは裏腹に、この会話から事件の糸口を探ろうと真剣だった。そして、隣室でマジックミラー越しに見つめるビッテンフェルトやミュラーにも、その思いは伝わっていた。


「退位してからの生活に、不自由はありませんか？」
　いつの間にか二人の時間は、ローエングラム王朝を迎えていた。
「いいえ、カザリンが在位中にいろいろして頂いたのに、こんなことを言うのはなんですけれど、この普通の生活の方が過ごしやすいです」
「そうですか」
「来客もぐんと減りました。今、邸を訪ねてくるのは、象牙関係の業者の方ぐらいなものですよ」
　ペクニッツ夫人が笑って話す。
「それと、ロートリンゲン子爵が知り合いの司教様を連れて、たまに来てくださいますね」
　ロートリンゲン子爵は名門ではあったが、これといって目立つような家門ではなかった。尤も目立たぬからこそ、この時代、無事に家門を守り通せたのかもしれぬが・・・。
（司教？・・・それに当時ペクニッツ公爵が、ロートリンゲン子爵と親しく行き来するような間柄だったとは思えない・・・）
　アマンダが、何かを感じ取ったようだった。
「まるで潮が引いたみたいに、周囲から人々がいなくなりました。でも、これで、親子水入らずの静かな生活を送れます。カザリンが女帝だったなんて、なんだか夢を見ていたような気がします」
　夫人は、いまの暮らしに満足しているように語った。


　ミュラーは、二人の会話を聞いているうち（この話合いは、終わらせた方がいいのでは・・・）と、考え始めていた。
　アマンダにとってこうして話していることは、夫人に悪意が無いにしても、（責められているのと同じ事では・・・）ということに気が付いたのだ。
　アマンダの軍人時代や性格を知っているだけに、ミュラーは（これは辛いのでは・・・）と思った。
「ビッテンフェルト提督、そろそろ・・・」
　問いかけたミュラーに、ビッテンフェルトが「いや、まだだ！」と答え、更に「アマンダの思いを無駄にせず、最後までやらせて欲しい・・・」と、静かに呟いた。


　新たにお茶を入れ替えて、席に着いたペクニッツ夫人に、何気ない様子を装ってアマンダが尋ねた。
「地球教という教えをご存じでしょか？」
「はぁ、何でしょうか？それは・・・」
　最初、夫人は『判らない』といった反応だった。ビッテンフェルトとミュラーも、アマンダの意外な質問に顔を見合わせた。
「地球は我が故郷、地球を我が手に・・・・・・」
　アマンダが呪文の様に、地球教の教典らしき言葉を静かに唱え始めた。
　不思議そうにアマンダを見つめたのは、目の前の夫人だけではなかった。ビッテンフェルトやミュラーも、アマンダの意図を計りかねていた。
　しかし、アマンダの語る教典をしばらく聞いていたペクニッツ夫人の表情に、変化が表れてきた。だんだん難しい顔になり、何かを思い出しかけているように、じっと一点を見つめ考え込んでいる。アマンダの唱える言葉が、残っていた微かな記憶を刺激したらしい。
　やがて、それに呼応するようにペクニッツ夫人も「地球教・・・信じる全ての者に安らぎを与え・・・」と、教典の一節を語り始めた。
　アマンダが、マジックミラーの方に目配せした。＜ペクニッツ夫人の時間が現在＜いま＞に戻った・・・＞と合図したのだ。


　ペクニッツ夫人は、人が変わったように鋭い目になっていた。
「夫人は、地球教に入信されたのですか？」
　アマンダが夫人の感情を、刺激しないように穏やかに聞く。
「いいえ、私＜わたくし＞はカザリンと同じヴァルハラに逝きたいので、入信はできませんでした。でも、教えには従っています」
「どなたが、あなたに地球教を紹介したのでしょう・・・。もし、よろしければ私に教えて下さい」
「ロートリンゲン子爵が私に真実を話してくれた。・・・ラインハルト陛下はカザリンを利用した後、亡き者にするよう命令したと・・・」
「・・・」
「仇を望むのなら、司教さまに頼めばいい・・・。そうすれば、カザリンが救われるとも教えてくれた」
　虚ろな目で、ペクニッツ夫人は話を続ける。
「ローエングラム王朝の為に、犠牲になった可哀想なカザリン・・・。ヴァルハラに逝ったあの子が安らぎを得るよう、恨みを晴らさなければ・・・」
「恨みを晴らすとは、どういう事でしょう？」
「・・・ラインハルト陛下を殺すること・・・」
　ミュラーもビッテンフェルトも、ペクニッツ夫人の言葉に、固唾を飲んで成り行きを伺う。ラインハルト陛下はもう崩御しているのだが、夫人の中ではまだ生存しているらしい。アマンダは、そのまま話を進めた。
「パーティ会場で、陛下はいましたか？」
「いいえ、陛下はいませんでした・・・。代わりに、『カイザーリンを亡き者にせよ』と言われました」
「それは、ロートリンゲン子爵が言われたのですか？」
「いいえ、大司教さまです」
（やはり、ロートリンゲン子爵と地球教とは、関わりがあるらしい・・・）
　アマンダの予想は、確信へと変わっていた。
「会場には、大司教さまとご一緒でしたか？」
　黙ったまま頷いたペクニッツ夫人が、突然、頭を抱えた。
「・・・あぁぁ・・・頭が痛い・・・」
「大丈夫ですか？」
　（もう、この辺りで限界かも・・・）と様子を伺っていたアマンダが質問を終えようとしたとき、夫人が低い声で呟き始めた。
「・・・誰かが、私に命令している・・・・・・そう、私の使命はローエングラム王朝を滅ばすこと・・・。カザリンを殺したラインハルトはもちろん、その血を受け継ぐ皇子も、カイザーリンも許さない！」
　みるみる顔色が変わり、あの事件のときのようにきつい眼差しになった。
　（まずい！）と、感じたアマンダが「ペクニッツ夫人、落ち着いて！」と、冷静にさせようとしたが遅かった。
　すっかり興奮状態になったペクニッツ夫人は、目の前のお茶の入ったカップを、アマンダに向かって投げつけた。中身の入ったカップはアマンダの頬に当たり、軍服に中身をこぼしながら、床に落ちて割れた。
（アマンダさんは避けられた筈なのに、わざと動かずにいた）
　ミュラーはそう感じていた。
「私のカザリンを返して・・・。あなた達が殺したのよ！」
　ペクニック夫人が周りの物を、手当たり次第アマンダに向かって投げつけて叫んだ。アマンダは次々飛んでくるものを、標的のように、自分の体で受けとめていた。
「カザリンを、女帝になんかしなければよかった。女帝にならずに普通の貴族の娘でいれば、あの人も父親でいられたのに・・・」
　悲痛な叫びが、部屋に響く。
「そうよ・・・私たちには、政治も王朝も関係なかった。・・・なのに、カザリンは殺されてしまった。私の娘を返して！」
　ペクニック夫人は事件の時のように、すっかり興奮状態になっていた。だだ違うことは、彼女の目から零れ落ちる涙の存在があったこと。憎しみや怒りの他に、哀しみの感情が見えたこと・・・。アマンダは、興奮状態で暴れるペクニック夫人に、僅かな正気を感じていた。
　隣の部屋から医師とミュラーが来て、暴れるペクニック夫人を押さえつけ安定剤を注射する。彼女は、消えゆき意識の中でずっと叫んでいた。
「ローエングラム王朝が憎い。私の幸せを奪ったローエングラム王朝が・・・」


「大丈夫ですか？アマンダさん」
「ええ」
　ミュラーが手渡したハンカチで、お茶で濡れた頬を拭きながら、アマンダが話す。
「すみません。穏やかに話を勧めるつもりでしたのに、興奮させてしまいました」
「あなたに、辛い思いをさせてしまいました・・・」
　ミュラーがアマンダを労う。アマンダは軽く首を振りながら、ミュラーに問いかけた。
「・・・地球教が絡んでますね。暗示にかけられていたようですし・・・。あの日の招待客に、ロートリンゲン子爵の名はありましたか？」
「あります。代理の者が見えていましたが・・・」
　目が合ったミュラーと、アマンダの考えは同じだった。


　ミュラーは、マジックミラー越しにこちらを見つめているであろうビッテンフェルトに、一礼して部屋を出た。
＜後は任せて、行って来い！＞
　ビッテンフェルトの声にしない言葉が、ミュラーには聞こえた。そして、すぐさま廊下に控えていた部下に、ロートリンゲン子爵の家宅捜索を命令する。
「これから、ロートリンゲン子爵邸に・・・」
　ミュラーは戸惑う部下達に、すぐ準備するよう伝える。そして、傍らにいた副官ドレウェンツに、一言告げた。
「夫人の証言がとれた・・・」
「しかし、精神を病んだ者の証言では・・・。いくら何でも、早すぎます。きちんとした証拠を掴んでから・・・」
　躊躇するドレウェンツに、有無を言わせない迫力で命令した。
「私が出向いて直接指揮する。軍務尚書の名で、今すぐ取りかかるんだ！」
　指示するミュラーは、戦場の指揮官の顔だった。


　アマンダは、薬がきいて眠っているペクニッツ夫人の涙の跡が残る顔を、ずっと見つめていた。隣の部屋から出てきたビッテンフェルトが、アマンダの肩にそっと手をかける。
「さあ、今度はお前が時間＜とき＞を戻す番だ。俺とルイーゼが待っているお前の居場所に戻って来い！」
　振り返ったアマンダを、ビッテンフェルトの薄茶色の瞳が包み込む。ゆっくり頷いたアマンダが、再び夫人を見つめた。
　アマンダが心の中で詫びたペクニッツ夫人への贖罪が、ビッテンフェルトにも伝わっていた。



　その後、ミュラーの指揮する精鋭部隊は、ロートリンゲン子爵の邸に駆け付けた。突然の騒動に、烈火のごとく怒っている子爵を強引に押しのけ、家宅捜索を始める。
　そしてミュラー達は、邸内に監禁されていたある人物を、助け出す事が出来た。

＜続く＞