アルカイック・スマイル 3

 季節は巡り、アレク陛下の御世になって二度目の秋を迎えていた。
 ぽかぽかしている小春日和の日、会議で久し振りに顔を合わせたビッテンフェルトとミュラーは、公園に面したカフェテリアで一緒に昼食をとっていた。紅葉が見られる木々からは、時折枯れ葉が静かに舞い落ちる。のどかな空間に軍服の二人は浮いている。
「たまにはこういう時間もいいですよね」
「まあな」
 コーヒーの香りが二人を包む。
「やあ、お久しぶりです」
 以前、軍務省に在籍していたフェルナーが二人の前に現れた。
 オーベルシュタイン元帥が亡くなった後、フェルナーは軍人を辞めた。今は興信所を開き、気ままに興味のある仕事だけしているという。
 フェルナーが店のウエイトレスにコーヒーを頼み、二人の前に座る。
「こんなところで男二人、相変わらず色気がないね」
「うるさい!」
 ビッテンフェルトがふてくされる。
「昨日、うちの軍務尚書の墓の前で珍しい人に会いましたよ」
 フェルナーは新しい軍務尚書のミュラーと区別するため、オーベルシュタインのことをよく『うちの軍務尚書』と言っていた。フェルナーの話に、興味を持ったミュラーが問いかける。
「誰に会ったんですか?」
「誰だと思いますか?」
「さぁ?」
「いや~、退役して軍服を脱ぐと人は変わるもんですね」
 フェルナーが勿体ぶって、ミュラーを焦らす。
「彼女が、あんなふうなるとは思いもしませんでした」
「彼女?!」
「ええ、そうです。あの秘書官です」
 フェルナーとミュラーのやりとりを聞いていたビッテンフェルトが、顔色を変えて訊いてきた。
「それはアマンダ・ベーレンス准尉のことか!」
 そして、大きな声で怒鳴る。
「あれは今どこにいる?」
 そう言われるのを予想していたかのように、フェルナーは懐から住所らしきものが書かれていた紙切れを取り出しテーブルの上に置いた。
「これで一つ貸しが出来ましたよ」
「あぁ!そのうち返す」
「調査費用の請求書は・・・」
 フェルナーの言葉を最後まで聞かず、ビッテンフェルトは紙を片手に駆けだしていた。
「あ~あ、話の途中なのに・・・。相変わらず猪突猛進だな」
 フェルナーが呆れたように言う。
「彼女、どう変わっていたんですか?」
「微笑んでいました」
「えっ!あの人が・・・」
 ミュラーは驚いた。
「赤ん坊を抱いて、母親の顔になってましたよ」
(オーベルシュタインの墓の前、赤ん坊・・・まさかあの軍務尚書の子・・・)
 ミュラーの考えていた事が判ったのか、フェルナーが吹き出しながら言った。
「うちの軍務尚書の子じゃありませんよ」
「えっ・・・でも、なぜそう思うのです?」
「だってあの二人は、男と女の香りはしませんでしたから・・・」
「香りって?なんですか?それ?」
「鈍いな~。感じないですか?関係を持つ男と女の雰囲気とか、両者の間に流れるフェロモンみたいな香りとか・・・」
「そういう方面は苦手で・・・」
 ミュラーが思わず赤面する。
「ビッテンフェルトとアマンダは、男と女でしたね。香りには気がつきませんでしたけど・・・」
「ふ~ん、香りに気が付かないのに、ずいぶんはっきり断定するんだね」 
 男女間についての自分の鈍さを指摘されたミュラーは、ちょっぴり皮肉を込めて言った。
「ええ、生きた証拠を見ましたから」
(生きた証拠?もしや・・・)
「かわいそうに、あの赤ん坊、目の薄茶色はいいとしても、女の子なのに髪の毛がオレンジ色なんですよ!せめて性格は母親に似てもらわないと・・・」
 フェルナーが悪戯っぽくウィンクした。
「えぇ?!・・・ああ、そうか。あは、あはは」
 ミュラーが中途半端な笑いをした。
 もう秋なのに何だか春のようなやわらかな日射しで、周りに温かい空気が流れた。ミュラーは、ビッテンフェルトが今頃どんな顔をしているかと想像すると、何だか嬉しくなった。



 「ビッテンフェルト元帥に隠し子がいた!」という噂は、あっという間に広がった。
 何しろ仕事の昼休み、軍服姿でベビー用品店に通うビッテンフェルトは、店員とすっかり顔なじみになっていた。又、帰り道に玩具屋でその大きな体に似合わない<かわいらしいぬいぐるみ>を買っていく姿を、目撃した者は数多い。
「よう!」
 ご機嫌印のビッテンフェルトが、軍務省のミュラーの執務室に入って来た。
「今晩、家で飲まないか?久し振りに遊びに来い」
「いいんですか?」
「ルイーゼに歯が生えてきたんだ♪かわいいぞ~。それに昨日椅子につかまって<立っち>したんだ♪いいから見に来い!」
 相変わらずルイーゼに、メロメロな様子のビッテンフェルトを見て、ミュラーは微笑んだ。
 ルイーゼとは、薄茶色の瞳とオレンジ色の髪を持つ彼の娘の名である。
 ビッテンフェルトとアマンダがあの小春日和の日の再会から、二ヶ月が過ぎて季節は冬の色になっていた。三人は一緒に暮らしていた。
 ルンルン気分で去っていくビッテンフェルトを、ミュラーの幕僚達は顔をこわばらせながら見送った。



 ビッテンフェルト家の夕食は賑やかだ。最もビッテンフェルトが一人で騒いでいるのがほとんどだが・・・。
 無邪気なルイーゼの動作一つ一つが愛らしくて、大人達の笑いを誘う。ビッテンフェルトの妻となったアマンダは、クリーム色の髪を肩まで伸ばしふんわりさせて、表情はすっかり母親の顔だ。ミュラーにはアマンダの以前の姿が思い出せないほど、今の姿が自然に映る。
 アマンダがリビングに酒のつまみを持ってきてテーブルに並べる。ルイーゼは愛嬌を振りまいて疲れたのか、ビッテンフェルトの腕の中で眠そうにしていた。
「後は俺たちで適当にやるから・・・。ルイーゼと先に休んでいいぞ」
 アマンダはミュラーに挨拶をすると、寝室に消えた。
 テーブルの上にはビッテンフェルトとミュラー、そしてもう一人分のグラスがある。空席のグラスの意味を、ミュラーはもう知っている。
 自分の部下を守るため、貴族の上官を殴ってしまい無惨に殺されたアマンダのかつての婚約者の為のグラスだ。
 腐敗した貴族社会が生み出した歪んだ人格者の犠牲は、当時は珍しく無かった。ハイネセンでの一件はアマンダがビッテンフェルトと亡くなった婚約者を重ねてしまい、咄嗟に出た行動なのだろう。
「自分の妻の亡くなった婚約者を偲んで飲む旦那も珍しいだろうが、家で飲むときは俺はこうする事にしている。アマンダの代わりにな!」
「奥方はもう飲まないのですか?」
「ああ、もう、酒は必要ないと言っていたから・・・。ルイーゼの存在が、あれにとって心の拠り所になっているらしい」
「提督もでしょう」
 ミュラーが笑いながら告げる。
「まあな。こいつがアマンダと一緒に飲めなくなって寂しがらないように、俺が一緒に飲む。まぁ、これも何かの縁だ」
 ビッテンフェルトが空席の相手に話しかける。ミュラーはこの人らしい思いやりだと思った。
「女は子供を産むと変わるな・・・」
「昔から『女は弱し、されど母は強し』と言いますから・・・」
 確かにアマンダは変わったと、ビッテンフェルトは思う。

生きようとする意欲が感じられなかった目は
ルイーゼを見守る優しい目に変わった
何かを忘れたいかのように飲んでいた酒も飲まなくなった
俺を見つめる目も、
ヴァルハラにいる奴と重ねる事は無く、
俺自身をきちんと見てくれる

「ルイーゼがアマンダを救ったんだな・・・」
「子供は一人では出来ませんよ」
 ビッテンフェルトの言葉に、ミュラーが微笑む。
 季節はだんだん寒くなって、本格的な雪の季節を迎えようとしていたが、ビッテンフェルト家の中は明るく温かさで満ちあふれていた。


<続く>