新帝国歴00三年四月、かつて故ロイエンタール元帥が使用していた総督府の建物の一室で、軍務尚書のオーベルシュタインとビッテンフェルト、ミュラー、ワーレンの三人の提督とが、一触即発の険悪な空気の中で向き合っていた。
「卿らの実績とやらは、よく知っている。卿ら三名あわせて、ヤン・ウェンリーただひとりに、幾度、勝利の美酒を飲ませるに至ったか。私だけでなく敵軍も・・・・・・」
しかし、オーベルシュタインは、最後まで言い終える事が出来なかった。
「きさま!」
怒号を発したビッテンフェルトが、床を蹴ってオーベルシュタインに飛びかかろうとした。その瞬間、素早く二人の間に割って入った人物がいた。
「あぁ!」
ビッテンフェルトが気がついたときは、強烈なカウンターパンチがその人物の左頬に直撃していた。まともにはいったパンチの破壊力で、その人物は跳ね飛ばされ動かなくなっていた。一瞬のことで周りは何が起きたのか判らなかった。
「アマンダ?」
気絶している人物にフェルナーが声をかけた。その言葉にビッテンフェルトの顔が凍りついた。
(アマンダだと~!お、俺は、女を殴ってしまったのか?)
さっきまでの怒気は何処へ行ったものやら、予期せぬ事に言葉を失ってしまったビッテンフェルトと、無表情にアマンダを見つめるオーベルシュタインの両者を、フェルナーは交互に見比べていた。
オーベルシュタインが部下に、倒れているアマンダを医務室に運ぶように目で指示する。完全にのびているアマンダを仰向けにしたとき、隠れていた顔が現れた。殴られたとき口の中が切れたのか、血が口端から少し流れていた。痛々しい様子にビッテンフェルトが顔をしかめる。傍にいて事の成り行きを見守っていたフェルナーが、その血をハンカチでふき取る。
こうして、軍務尚書の秘書官であるアマンダ・ベーレンス准尉が医務室に運ばれた。
「ミュラー提督」
「は・・・!」
「ビッテンフェルト提督が謹慎している間、黒色槍騎兵の指揮監督は、卿にゆだねる。よろしいかな?」
「お言葉ですが軍務尚書・・・」
砂色の瞳が一瞬ためらいの色になったが、言葉を選んでいる余裕がなかった。
「この二人が皇帝の代理人とする軍務尚書の前で、乱闘に及んだのは非礼に値するものです。しかし、ベーレンス准尉の言い分も聞いてから処分をお決めになっても、遅くはないと思いますが・・・」
ミュラーは我ながらすごいこじつけを言っていると自覚していたが、この状況でとっさによい方法が思い浮かばなかった。
「ミュラー提督らしくもない・・・・・・」
軍務尚書の冷めた視線が、ミュラーに突き刺さる。誰が見ても、殴られたアマンダ・ベーレンス准尉は、秘書官としてビッテンフェルトから軍務尚書を守ろうした為、このような結果になったとしか思わざるを得ない。彼女を殴ってしまったのは、ビッテンフェルトにも不本意だったのである。それなのにミュラーは、軍務尚書をこの件では関係のないところに置こうとして、いささか苦しい言い訳をしている。
このときのミュラーの脳裏には、昨年のロイエンタール反逆事件の出来事が浮かんでいた。
あれも、このような小さな事件の発生が、
大きな不幸を呼んでしまった
初期の段階で、
何とか防げたかも知れない。
早めに気づいて対応していたら、
ルッツ提督の犠牲もなかった・・・
ウルヴァシーでの映像は、ずっと頭から離れずにある
二度と繰り返したくない
「・・・ではこの件はミュラー提督に任せよう・・・」
ミュラーの心の内を見透かしたような目で、オーベルシュタインが伝える。
「承知しました」
(ともあれ、これで時間が稼げる・・・)
ミュラーは、まだオーベルシュタインに食いつきそうなビッテンフェルトに退室を促し、ワーレンと共に部屋を出ていった。
険悪な部屋からひとまず逃れた三人が、並んで廊下を歩く。
「あの秘書官、どういうつもりであんな行動に出たんだろう?」
ワーレンが首を傾げる。
「奴の秘書官だから上官を庇ったんだろう。全く余計なことしやがって・・・」
(・・・そうかな?・・・私にはむしろ、ビッテンフェルト提督を軍務尚書から守ったような気がする。でもなぜこんなふうに感じるのだろう・・・)
ミュラーは、自分の感覚を不思議に思った。彼はアマンダとは、一度も面識がなかった。だが、彼女の噂は何度か聞いた事がある。帝国では女性の軍人は少ない上、あの軍務尚書の元にいるのだから、いろいろと噂する者も多い。
冷静で上官と同じように表情を変えないアマンダは、周りから密かに<仮面をかぶった秘書官>とか<女オーベルシュタイン>などと呼ばれている。感情を出さない紅一点の秘書官は異様な存在ではあるが、その有能ぶりは周囲も認めていた。
オーベルシュタインはアマンダを傍らに置き、その能力を活用していたが、それは軍務省内だけで外部の会議などは主にシュルツ中佐を秘書官として伴っていたので、他の提督達はあまり彼女を見る機会は無かった。
酒の席で、アマンダの噂を聞いたビッテンフェルトは、「類は友を呼ぶさ!」と、悪態を吐いたものである。
アマンダの人為について思索していたミュラーは、ふと自分に向けられている鋭い視線に気がついた。ビッテンフェルトが凄い顔で自分を睨んでいる。
「ミュラー!お前さっき、オーベルシュタインに妙な事、言ってたな~」
オレンジ色の髪が逆立っている。
「俺がいつあの女と乱闘した?」
迫力のある声で問いつめる。
(やばい!)
「成り行きで、そういう話に持っていちゃいました~」
わざと戯けた様に話す。
「くそー!」
(殴られる?)と思ったが、ビッテンフェルトはそのまま頭を抱えた。
「あぁ~、俺が、俺が女を殴るとは・・・」
「あれは避けられなかった事故ですよ」
「自慢じゃないが、俺はいままで女から傷つけられる事はあっても、女に手を挙げた事はないんだ。それなのに・・・」
頭を抱えて落ち込むビッテンフェルトを見て、ワーレンは(やれやれ・・・)と言った表情で首を振り、ミュラーは慰める言葉を探していた。
ビッテンフェルトは、自分の過去や言動にはあまり振り返らない。良いか悪いかは別として、その薄茶色の目は常に未来を見つめ、その思考は自分の悪いほうには考えない前向きのプラス思考だ。
(この人がこんな風に落ち込むのは珍しいが、今回は無理もない・・・)
ミュラーはオレンジ色の髪を持つ猛将の、ある別の一面も知っている。
以前ランテマリオ星域会戦後、彼の部隊において最高の功績をあげたと司令官に評価されたのは、病院船の乗員達であった。
ラインハルトは感銘を受け、ビッテンフェルト麾下のものにとどまらず、全軍の病院船乗員に厚く恩賞をあたえた。僚友達は「陛下の受けをねらった」とか「抜けめがない」と冷やかしていたが、ミュラーにしてみればこの行為はビッテンフェルトの性格がよく表れていると見ていた。
正義感溢れるガキ大将が、そのまま大きくなったようなビッテンフェルトは、自分の配下全体をよく見ている。
ガキ大将は自分の子分達と遊ぶ際、年齢の低い子ほどよく見ている。はぐれていないか、危ない事はしていないかなど常に見守るし、子分達の危機には何を置いても駆けつける。子分達は自分たちのこと思ってくれる強くて優しい親分を純粋に慕う。黒色槍騎兵艦隊はそんな子供の世界の人間関係を、そのまま持ちつづけているような艦隊なのである。
その司令官のビッテンフェルトが、負傷者を救助するための武器を持たない病院船に目がいくのは当たり前のことで、別に計算して評価の対象にした訳ではない。口は悪いが部下思いなのを肌で知っている黒色槍騎兵艦隊の兵士は、この司令官を敬愛しているし、「この人の為なら命をも惜しまない!」という気概を、皆持っている。
強くて優しいガキ大将のビッテンフェルトにとって、力が弱い女性に手をあげるというのは、彼の哲学に反する行為なのである。
(さて、どうやってこれを収拾すればよいものやら・・・)
ミュラーは落ち込むビッテンフェルトを横目に考えていた。
「ベーレンス准尉の容体はどうでしょうか?」
調書を取るため書記官を一人伴ったミュラーが、医務室で医師に聞いた。
「軽い脳しんとうです。さっき気がついて検査をしましたが異常ありません」
(よかった。これでビッテンフェルト提督も一安心するだろう)
「少し話をしたいのだが・・・ここ使わせてもらってもいいだろうか?」
「どうぞ。私は隣の部屋で待機していますから・・・」
「気を遣わせて悪いね」
ミュラーは医師に礼を言う。その医師と入れ違いに、隣の部屋から左頬をタオルで冷やしているアマンダが現れた。クリーム色の短めの髪と蒼色の瞳を持つアマンダが敬礼する。
「少し訊きたい事があるのですが、大丈夫ですか?」
階級がかなり格下の自分に対して丁寧な口調のミュラーに、アマンダはその人柄の良さを感じながら了承した。三人は医務室の応接コーナーで向き合う形に座る。
「では、先ほどの軍務尚書の前での不祥事ですが、ビッテンフェルト提督とベーレンス准尉両者の言い分を聞いてから、処分を検討したいと思います」
「・・・・・・」
「ベーレンス准尉の言い分は?」
アマンダはミュラーのすがるような砂色の瞳に見つめられているのに気がつき、そして、その意味を理解した。軽くため息をつき、アマンダが話し始めた。
「・・・皇帝陛下の名代をつとめる上官の前で、私情から見苦しいところをお見せしたのは私の不徳の致す所です。しかも准尉の身分も省みず上級大将に対しての非礼は許し難いもので、どのような処分も甘んじて受けます」
表情を変えず淡々と語るアマンダに、書記官は驚きの表情でミュラーを見つめた。軍務尚書の替わりに殴られた秘書官からは、ビッテンフェルトを非難する言葉が出ると思っていたのである。
ミュラーは手が止まっていた書記官に「記録するよう!」にと告げ、心の中で安堵のため息を吐いていた。
書記官を先に下がらせて二人きりになったミュラーは、アマンダに礼を言った。
「ありがとうございます。あんなふうに言ってもらって助かりました。でも、報告書には先ほどの言葉で記載されますけど大丈夫ですか?」
ミュラーはアマンダの軍務省での立場を気遣った。<上官の前での痴話喧嘩>ともとれる内容の報告書になってしまうし、噂になることも気にした。
「平気です」
表情を変えず一言だけで片づけるアマンダに、ミュラーは自分の気になっていた事を質問してみた。
「あのとき私には、貴女が軍務尚書でなくビッテンフェルト提督を守ったように見えたのですか?」
ミュラーの質問に、アマンダは少し考えて答えた。
「殴られた拍子に全て忘れたようで、そのときのことはなにも覚えていません。報告書の件はビッテンフェルト閣下でなく、ミュラー閣下をお助けしたつもりですが・・・」
(私を助けた?)
表情を変えずに話すので、ミュラーはこの言葉にどう反応していいか判らず困った。
(笑ったほうがいいのかな?)
「は、はは」
引きつった笑いがでた。
結局、ミュラーは質問の本当の答えを得られなかった。
この件について両者の言い分は多少食い違っていたが、二人とも厳重注意で終わり、結果的にオーベルシュタインは無関係で済んだ。
処分が決まった後、ビッテンフェルトはアマンダの自室を訪ねたが、ついそのドアの前で躊躇していた。女性の部屋を訪ねるという経験に乏しいこの猛将は、どう切り出していいのか判らず思案していたのである。
そこに、報告の為にとアマンダを訪ねたミュラーが、ドアの前でうろうろしているビッテンフェルトを見つけ苦笑いした。
「ビッテンフェルト提督が、貴女にお話があるとの事ですが・・・」
ミュラーは自室のドアを開けたアマンダに、ビッテンフェルトと来たことを告げた。ビッテンフェルトは左頬が腫れて、口端に白いバンソウコが張ってあるアマンダの顔を、じっと見つめた。
「俺は悪くない!だがお前の顔に傷が残り嫁のもらい手がなくなったら、俺がもらってやる!」
ミュラーは、ビッテンフェルトのこの謝り方に呆れたが、この人らしいとも思った。アマンダはこの言葉を受けて、少しばかり表情が和んだが、すぐまたいつもの無表情に戻った。
この事件は、軍の下士官の間で尾ひれがついて、異常に盛り上がった。あげくの果てには軍務尚書とビッテンフェルト提督とベーレンス准尉の三角関係のもつれといった、とんでもない話にもなっていていた。
しかし、規律と勤勉と清潔とに支配されている軍務省や、あのとき「女に手をかけた」とかなり落ち込んだ上官を見ていた黒色槍騎兵艦隊の幕僚の間では、この一件は話題になる事はなかった。解決した過去の出来事で終わり、ビッテンフェルトとアマンダは接点のないまま仕事に埋もれた日々を送っていた。
その後も帝国内部でのもめ事は多々あったが、皇帝ラインハルトの親征もありイゼルローン革命軍との講和が成立した。
新帝国暦00三年、宇宙はローエングラム王朝にほぼ統一された。その2ヶ月後、皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは二十五歳で激動の生涯を終えた。その治世は、満二年余という短期間のものであった。
<続く>