初恋 9

 アルフォンスとフェリックス、そしてアレクの三人は、ハルツにあるビッテンフェルト家の所有する別荘に来ていた。この別荘には、アレクの恋人であるモーデル夫人が、騒動から逃れるため滞在していた。

  

 別荘のリビングでアルフォンスとフェリックスは、二階の寝室で話し合っているアレクとモーデル夫人の今後を心配していた。
「随分、長いな・・・」
「陛下も必死なんだろう・・・。しかし、あの陛下がこんな思い切った事をするとは・・・驚いたな!」
「確かに・・・」
 アルフォンスの言葉に、フェリックスも頷いて同意する。
 生まれてすぐ皇帝になったアレクは、自分から事を起こすというタイプでは無かった。決められている将来やお膳立てされた生き方に、疑問や嫌気を感じるときがあったかとは思うが、あまり波風立てずにアレクなりに受け入れてきた。
 ビッテンフェルトを始め多くの重臣たちは、皇帝のアレクに亡き主君であった先帝のラインハルトのような強さを求めていた。だがその息子のアレクは、父親に似ず自己主張をしない大人しい性格であった。母親の皇太后のヒルダは、息子がローエングラム王朝の唯一の後継者という立場を負担に感じ、いろいろと悩んでいたことを知っていたが黙って見守っていた。
 実はアレクの成長と共に、母と息子の間に見えない壁が生じていた。偉大過ぎる両親を持ったアレクの様々な葛藤は、いつしか母親でもある皇太后ヒルダを遠ざけるようになっていた。アレクがヒルダに対する他人行儀な振る舞いは、周囲から見れば単に公私の区別を付けているだけだろうと思う程度でそれほど表だっていた訳ではない。しかし、アルフォンスやフェリックスなどは、不自然な親子の関係に気が付いていた。
 自分の感情を出さないアレクの性格もあって、こんなふうに感情的に動く事自体珍しいことなのである。アレクのモーデル夫人への想いは、もう何年にもなっていた。




 昔、学生だったアレクは、母親ヒルダの頼みで、グリューネワルト大公妃をフェザーンに迎えるためオーディンに赴いた。
 長い間体調が思わしくない義姉を心配したヒルダは、一緒に住むことを願い何度も使いを出していた。しかし、アンネローゼからはなかなか良い返事が貰えなかった。とうとうヒルダは、皇帝であるアレク自身が迎えに行けば、フェザーンに一緒に来てくれるのでは・・・という賭けに出た。そして、息子をオーディンに向かわせたのである。
 皇帝のアレクの初めての遠征には、帝国軍が誇る黒色槍騎兵艦隊が随行した。ヒルダから直々にアンネローゼの説得を頼まれた司令官のビッテンフェルトも、(是が非でもグリューネワルト大公妃をお連れしなければ!)と意気込んだものであった。
 アレクはこの遠征で、アンネローゼの女官をしていたモーデル夫人と初めて出会った。金髪で碧い目のモーデル夫人は、顔立ちもアンネローゼとよく似ていた。又、外見だけでなく、控えめで穏やかな雰囲気や、柔らかい物腰の語り口などもアンネローゼとどことなく共通点があり、一緒に住んでいるせいか、一見姉妹のように見えた二人であった。
 実は両者が似ていたのは、偶然とは言えなかった。モーデル夫人の亡き夫であったモーデル子爵は、少年の頃からアンネローゼに仕えそして憧れていた。その子爵が妻に選んだマリアンヌが、アンネローゼに似ていたというのも無理もない話なのである。
 モーデル子爵が亡くなり若くして未亡人となったマリアンヌは、夫の意志を受け継ぐかのように、アンネローゼの元で女官として尽くしてきた。アンネローゼの最も信頼する女官となったマリアンヌが、此処フェザーンに一緒に付いて来たのも、全て主人であるアンネローゼの為であった。
 故郷から遠く離れたこのフェザーンで、未亡人であったマリアンヌにこんな運命が待っていたとは、人生とは予測出来ないものである。



「あの二人、もしかして今、愛を確かめ合っているとか?」
 フェリックスがアルフォンスに呟く。
「あの慎重なモーデル夫人が、この状況で?」
「断定は出来ないが・・・」
 長い時間部屋からででこない二人に、フェリックスが苦笑いをする。アルフォンスもフェリックスの言葉を一瞬否定したが、すぐ(そうかも知れない・・・)と考え直した。
「もしそうだとしたら、彼女は陛下の願いに応じてくれたということだよな?」
「いや、判らない。陛下との<最後の思い出の為>という線も考えられる」
 アレクの気持ちが報われる事を願うアルフォンスであったが、反対の場合もあり得ると示唆するフェリックスの考えを否定出来なかった。
 皇帝という立場上、アレクとモーデル夫人が二人きりの時間を持つという事はなかなか出来なかった。それ故二人は精神的な結びつきこそ強いが、普通の恋人同士のように躯を重ね合って愛を確かめ合うという機会は少なかった。想う年月こそ長い二人であったが、お互いの立場を思う余り、逢うことすら遠慮がちになってしまう恋人同士なのである。
 若き皇帝アレクと未亡人マリアンヌの恋愛を、そばでずっと見てきたフェリックスは、(このままモーデル夫人が去ってしまえば、陛下は立ち直れるだろうか?)と心配するほど、アレクにとってマリアンヌの存在は大きかった。


 夜明けも近い。リビングにいた二人の前に、モーデル夫人が姿を現した。
「お二方、お腹がすきませんか。何か軽い食事でも作りましょう・・・」
「いや、我々は大丈夫です。あの~、陛下は?」
「眠っています・・・」
 一言だけ告げて黙ってしまったモーデル夫人に、アルフォンスもフェリックスもあとの言葉が続かなかった。戸惑いながらも二人がモーデル夫人の入れたお茶を飲んでいたとき、アレクの慌てた声が聞こえてきた。
 その声に反応して、アルフォンスとフェリックスは(何事!)とばかりに立ち上がった。
「マリアンヌ!マリアンヌ!」
 上着を手に持ち上半身裸のままで血相を変えたアレクが、三人のいるリビングに姿を現した。
「良かった~、ここにいたのか。君がいなくなってしまったのかと思って・・・慌てたよ」
 ほっとした様子で座り込むアレクに、立ち上がっていた二人も安心して座り直す。上着を着て身なりを整えたアレクに、モーデル夫人が静かに話しかけた。
「・・・陛下、私はもう逃げも隠れも致しませんよ」
「では、昨夜の言葉は夢ではないよな・・・」
 目を輝かせて確認するアレクに、モーデル夫人が答えた。
「はい、・・・私は、陛下と共に生きることを決意しました。ここにいるワーレン大佐とロイエンタール大佐が証人ですよ」
 微笑んでアルフォンスとフェリックスを見つめるマリアンヌには、もう迷いは無かった。
 やきもきしていた結果が判ってアルフォンスとフェリックスが安堵したとき、来客を知らせるブザーがなった。警戒しながらモニターを覗いたフェリックスが見てしまったものは、不機嫌な顔の親衛隊長のキスリングの姿であった。




「陛下のプライベートに口を挟むつもりはありません。しかし、陛下をお護りすることが私の仕事です。陛下がここに来ることに反対しませんが、私には様子を知らせて頂きたいものです」
 少しばかり怒っているキスリングに、アレクは素直に謝る。
「すまなかった。親衛隊長に心配かけてしまって・・・」
「此処にいることは知っていました。アルフォンスやフェリックスも同行していたので大丈夫だろうと思い、私は王宮で待つつもりでした。しかし、二人からの連絡がないのと、あまりにも帰りが遅いもので・・・」
 そう言ってキスリングは、アルフォンスとフェリックスを一睨みした。萎縮する親友達を見て、アレクはキスリングに告げた。
「もうこんな事はしない。彼女・・・いや、マリアンヌはこの別荘を引き払う。そして、私と一緒に住むんだ!」
 キスリングに報告したアレクの言葉に、マリアンヌが控えめに答えた。
「陛下、私はひとまず自宅へ戻りましょう。私が陛下のお側に行くのは、周囲の理解を得てからでも遅くはありませんよ。大丈夫です。私は覚悟を決めましたから・・・」
 いつまでも待つと言うマリアンヌに、アレクは慌てて頼み込んだ。
「私は決めたのだ!もう君を離したくない。ずっとそばにいて欲しい」
 今まで我慢してきた想いを止められないアレクに、マリアンヌが困った様子になった。
「・・・では陛下、せめて皇太后さまのお許しを得てからに致しましょう」
 マリアンヌがそう告げた途端、「私の結婚と母上は関係ない!」とアレクの強い口調の声が響いた。そこにいる一同が、アレクの声を荒げる珍しい姿に顔を見合わせてしまった。そんな周囲の様子に我に返ったアレクが「又、あんな騒動が起きたら大変だし、マリアンヌの身が心配なんだ・・・」と別の理由を持ち出した。
 気まずい沈黙の後、アルフォンスが一つの提案を進言してみる。
「陛下、暫くモーデル夫人をグリューネワルト邸に住まわせたらいかがでしょうか?あそこは王宮の敷地内ですので外部の者は入れません。警備も万全ですので、陛下が行き来することも容易です。それに何より、モーデル夫人はグリューネワルト大公妃の女官として長年あそこに住んでおられたお方ですし・・・」
「それはそうだが・・・」
 アレクはあの懐かしい日々を思い出した。アンネローゼがまだ健在であった頃、アレクはよく御機嫌伺いに通っていた。秘めた恋心を持つアレクは、いつも叔母のそばで世話をしているマリアンヌに会えることが楽しみであった。
 三人でお茶を飲んで過ごしたり、楽しい会話があった和やかな時間・・・グリューネワルト邸はアレクの甘い思い出がたくさん詰まった場所でもある。
「私もその意見に賛成です。今後暫く、陛下の周りは騒がしくなる事が予想されます。そのような状況では、モーデル夫人も落ち着かないでしょうし・・・」
 フェリックスの目は、(反対派の様々な中傷がモーデル夫人の耳に入り、心を痛める事もありえる)という事を訴えていた。
 そんなフェリックスの意図を読みとったアレクは(確かに・・・今の段階で私のそばに居るのでは、余計なことまで耳に入ってしまうかも知れない)と思い直した。
「そうか・・・。では、取りあえずマリアンヌにはグリューネワルト邸に住んでもらおう」
「・・・判りました。では私は、そちらに移る事に致しましょう」
 マリアンヌの了承の言葉に、アレクは更に念を押すように話す。
「マリアンヌ、言っておくがグリューネワルト邸に住むのは一時的なものだ。私は必ず君を皇妃として迎えてみせる!」
 マリアンヌからは返事はなかった。ただ、アレクの言葉に微笑みを見せ、黙って頷くだけであった。
「アルフォンス、フェリックス、二人とも一足先に王宮に戻って受け入れ態勢を整えてくれ!」
「御意!」
 アルフォスとフェリックスは慌ただしく出発し、別荘にはアレクとモーデル夫人そして親衛隊長のキスリングが残された。



 フェザーンに戻ったアルフォンスは、慌ただしい時間の中でルイーゼに連絡を入れた。ビッテンフェルト家のヴィジフォンが鳴ったとき、ルイーゼはミーネとキッチンにいた為、ヨゼフィーネが受け取った。
「姉さん、アルフォンスからよ!」
 キッチンにいるルイーゼにヨゼフィーネが声をかけたところ、「お願い!今、手が離せないから、替わりに用件を聞いて!」という返事があった。ヨゼフィーネはキッチンから出で来ない姉の替わりに、仕方なくモニターに映るアルフォンスと少し話す。暫くして話し終えたヨゼフィーネが、ムッとした表情でキッチンに向かった。そして、アルフォンスを避けているルイーゼに怒りだした。
「姉さん、お話くらい聞いてあげれば!全く、アルフォンスが可哀想よ」
「そうね・・・。アルフォンスに失礼だったわ・・・」
 ヨゼフィーネのきつい口調に、ルイーゼもシュンとなる。
「・・・アルフォンスから伝言よ!モーデル夫人がハルツの別荘を引き払ってグリューネワルト邸に移る事を伝えてくれって・・・」
「えっ、グリューネワルト邸!・・・そう、よかった。彼女、とうとう・・・」
 マリアンヌの決意を知ったルイーゼは、嬉しそうに微笑んだ。
「・・・姉さんも、踏み込んでみれば?」
 他人の恋愛の前進を素直に喜んでいる姉を見て、ヨゼフィーネは大人びた顔つきで告げる。
「えっ?フィーネ、それはどういう意味?」
 だが、ヨゼフィーネは姉の問いに答えず、そのまま無言で去ってしまった。
(フィーネは私の悩みに気が付いている・・・。それにしてもあの子、成長するに従って本当に母上に似てきた・・・)
 ミーネも同じ事を感じたのか「年頃になったら、フィーネお嬢さまは亡くなった奥さまに瓜二つになりますね・・・」とアマンダを懐かしんだ。
 そしてその後、嬉しそうにルイーゼに話しかけた。
「これでやっと、ルイーゼお嬢さまがマスコミから解放されますね」
「ええ、何だか肩の荷を降ろした気分よ」
 アレクとモーデル夫人の事をあれこれ心配していたルイーゼも、ニッコリと笑顔を見せて答える。
「これから陛下の周りは慌ただしくなりそうね・・・」
「お嬢様、モーデル夫人の事は、もう陛下にお任せ致しましょう。今度はご自身の事について少しお考えくださいませ。子供はあっという間に成長します。フィーネお嬢さまだって、時期大人になりますよ」
 何もかも知っているようなミーネの言葉に、ルイーゼはポツリと答えた。
「でも・・・まだ・・・まだ、このままの方がいいのよ・・・」
 それはまるで、自分に言い聞かせるような小さな呟きだった。


<続く>