昔、ビッテンフェルトがずっと捜していたアマンダを見つけだしたとき、ルイーゼはもう生後六ヶ月を過ぎていた。赤ん坊のルイーゼは、初対面からビッテンフェルトに良く懐いた。自分によく似た娘の存在は、ビッテンフェルトをすっかり子煩悩の父親に変えてしまった。
家族というかけがえのない宝物を手に入れた彼は、初めて動乱の時代を生き抜いた幸せを感じたものだった。それは妻アマンダにとっても、同様の感情であった。
その最愛の妻アマンダの死は、ビッテンフェルトにとって大きな試練になったが、妻が残してくれた愛しい二人の娘の存在は、その後のビッテンフェルトの大きな支えになっていた。
母親の臨終に立ち会わなかった父親を
ルイーゼは、一言も責めなかった
律儀に母親の最期を報告して
安心したような顔で迎えてくれた
そんなルイーゼに、俺は救われた
そう言えば、アマンダも
ルイーゼにはお腹の中にいた頃から
何度も助けて貰ったと言っていた
無邪気なお前の笑顔が
アマンダの心の拠り所になっていた
お前の存在が、
俺とアマンダを結ぶ糸を繋いでいてくれた
ルイーゼ、
お前の笑顔は、俺の宝物だ
そのお前が悲しんでいる
泣いている
何とかしてやりたい・・・
ビッテンフェルトはアルフォンスの父親でもあり、そして自分の親友でもあるワーレンに相談してみることにした。
その夜、早速行動に移したビッテンフェルトは、ワーレンを飲みに誘った。
「最近、アルフォンスの様子が少しおかしかった。女にでも振られたのかな~と思っていたが、そういうことだったのか・・・」
ビッテンフェルトから事情を打ち明けられたワーレンが、納得するように呟いた。
「・・・アルフォンスはお前にそっくりだよ。お前は学生の頃から、真面目過ぎて女で遊べなかった。全くロイエンタールとは大違いだったよ。両極端の同期仲間を持った俺は、お前達に合わせるのが大変だった」
士官学校時代の青春を懐かしむように、ビッテンフェルトは遠い目になって話す。
「憶えているか?お前が亡くなった奥方に交際を申し込む時、プロポーズを同時にしたことを・・・」
「・・・俺はただ、付き合うのなら結婚を前提としなくては、相手に失礼だと思っただけさ」
ワーレンは昔ビッテンフェルトに話した言い訳を、同じ言葉で再び彼に話す。
「だがな、普通は付き合い始める段階でそこまで考える男はいないぞ。それだったら、ロイエンタールは何百人いや何千人の女との結婚を考えなくてはならなかったろう」
二人とも、いつも女性達の熱い視線を受けていた金銀妖瞳<ヘテロクロミア>の同期仲間を思い出す。
「ロイエンタールも俺も女性と付き合うのが長続きしないタイプだった。結婚なんて考えられないし、堅物で真面目なお前が不思議に見えた」
ビッテンフェルトのその言葉に、ワーレンは飲み込む寸前のワインを吹き出しそうになった。
「お前とロイエンタールが同類?いつも相手が変わっていたことは同じだが、振ったのと振られたのでは、同じ独身主義でも大分意味が違うぞ!」
からかうワーレンに、ビッテンフェルトがむきになる。
「結果的には同じだ!俺もロイエンタールと同じで、昔から結婚なんてこれっぽっちも考えていなかったさ」
「まぁ、そういうことにしておこう・・・。だが、お前は奥方と娘を見つけた」
「・・・俺が家庭をもてたことに、俺自身が一番驚いている」
「はは、確かに!あのときはみんな驚いていたな・・・。昨日の事のようなのになぁ~。お前の大事な赤ん坊と俺の小さな坊主が、恋に落ちる年齢になるとは・・・」
二人とも子供達の成長の日々を振り返り、月日の流れの速さを実感する。
「アマンダが逝ってから、俺たち家族は支え合って生きてきた。俺はすっかりルイーゼに甘えていたよ。家の事を任せっきりにしてしまって・・・。あいつはまだ自分の事を楽しむ年頃なんだ。家族の存在がルイーゼの負担になっているはよくない。娘のあんな悲しそうな顔を見るのは辛い・・・」
「アルフォンスが自分の家庭を強く望むのは、俺のせいなんだ・・・。俺は赤ん坊のあいつを自分の親に預けたまま、ほったらかしにしていた。アルフォンスは親と一緒に過ごす家庭が欲しかったんだ。寂しかったんだよ・・・」
「仕方ないさ。あの頃、俺たちは戦争で大変な時期だった」
「それは理由にはならない・・・。ビッテンフェルト、俺はお前が羨ましかった。お前がよく娘達の為にする誕生会を、俺もあいつに味わせて楽しい思い出をつくってやりたかった。だが、もうあいつは大人だ。どう逆立ちしたって、子供時代は取り戻せない」
「ワーレン、気にするな。アルフォンスは優しい子だ。お前の気持ちをよく判っているさ」
ビッテンフェルトがワーレンの肩を叩いて励ます。学生時代もよくこうして、ビッテンフェルトが触れる手から励ましを貰ったものだった。
「その~ビッテンフェルト、親の欲目かもしれんがアルフォンスは責任感の強い男だ。好きな女をきちんと支えてやれる。あいつは、ルイーゼの悩みも不安も受けとめられる奴だと思うが・・・」
「ああ、そんな事は判っているさ。アルフォンスはお前の息子だからな!」
ビッテンフェルトがウィンクしながら、ワーレンの親心に答える。
暫く間が空いた後、「なんとかしてやりたいな~」と二人とも同時に呟いてしまった。
「おいおい、勘違いするな!俺は、別にルイーゼとアルフォンスとの交際を賛成しているわけではないぞ~」
ビッテンフェルトが慌てる様子を見て、ワーレンはつい笑いながら頷く。
「ただ、ルイーゼにはいつも笑って過ごして欲しい。ルイーゼの笑顔の為にだったら、俺はどんなことでもするぞ!親バカと笑われても構わない」
隣に座って意気込むビッテンフェルトを、ワーレンは温かい眼差しで見つめていた。
「だがこういう場合、どうすれば良いのかわからん。ワーレン、こういうときは男親の俺はどうすればいいんだ?」
「その~、子供の恋愛に親が首を突っ込むのはよくないと思うが・・・。だが、お前のどうにかしてやりたいという気持ちもよく判る。俺も親バカだからな!ただ、『どうすればいい?』と訊かれてもなぁ・・・」
ワーレンも困った様子で呟いた。
「・・・暫く二人の様子を見てから考えよう。こういう男女間の問題は、本人の気持ちが一番大事だからな」
ワーレンが尤もらしい言葉で言ったが、実は適切なアドバイスが浮かばなかったのである。結婚して子供がいるとはいえ、お互い自分の恋愛経験は乏しく、男女間の微妙な心理を理解するのはかなりの難問であった。
ビッテンフェルトとワーレンの二人の父親の思いを知ってか知らずか、一時は落ち込んでいたアルフォンスも立ち直って、ルイーゼへの想いを前向きに考えるようになった。上司のミュラーに「諦めるな!」と励まされた事も、彼の気持ちを支えた。
そんなある休日、ヨゼフィーネから呼び出されたアルフォンスは、喫茶店で彼女を待っていた。
「お忙しいのに、お呼び立てしてしまってすみません・・・」
「いや、ちょうど良かったんだ。私も君と話がしたいと思っていたから・・・」
ヨゼフィーネの詫びの言葉に、アルフォンスも<気にしないように>と手を振って笑いかける。
「あの~、父上から姉さんのことで、何か言われましたか?」
「まあね・・・」
アルフォンスが苦笑いをして、目の前のコーヒーを飲み始める。
「父上、凄かったでしょう?全く・・・私たちのこととなると歯止めが利かなくなるから・・・」
「フィーネ、私は全然気にしていないよ。むしろ、ビッテンフェルト提督らしいと思って微笑ましかったよ」
アルフォンスの言葉に、ヨゼフィーネはほっとした様子になった。
「ところで、君がルイーゼが泣いているのを見たってビッテンフェルト提督が話していたけど、私にそのことを詳しく教えてくれないか?」
アルフォンスに尋ねられて少し悩んだヨゼフィーネだったが、思い切って伝えた。
「あのね・・・姉さんはあなたのこと、好きなのよ!でも、最近アルフォンスは家に遊びに来てくれないし、姉さんの様子もおかしい・・・二人の間に何かあったと、私感じていたの。それでつい、父上にそのまま伝えてしまって・・・」
「ヨゼフィーネ!その~、ルイーゼが『私のことを好き』というのは・・・本当かい?」
ルイーゼの気持ちを詳しく知りたいアルフォンスが、高揚する気持ちを抑えて確認する。
「ええ、姉さんは言わないけど・・・。でも、きっとそう!私には判るの。あのアル・・・」
話が途中のまま、ヨゼフィーネはその先を言うのを躊躇った。いくら親しくなったとはいえ、年上の男性に姉のことをどう思っているかなんて訊くのは失礼なことかも・・・と考えてしまったからである。そんなふうに口ごもってしまったヨゼフィーネの気持ちが判ったのか、アルフォンスが自分の気持ちをはっきりと告げる。
「私もルイーゼが好きなんだ。それで『結婚を前提とした交際をしたい!』って申し込んだんだよ。でも、断られてしまって・・・」
「姉さんが断った?どうしてかしら・・・」
少し考えたヨゼフィーネが、難しい顔でアルフォンスに尋ねた。
「・・・私のせい?そうなんでしょう?」
ルイーゼが申し出を断った理由を、ヨゼフィーネには言っていない。なのに、すぐそう考えた彼女に、アルフォンスが理由<わけ>を尋ねてみた。
「フィーネは、何故そう思うんだい?」
「私の存在は、姉さんの幸せを邪魔しているかも・・・。姉さんだけでない父上も・・・」
思いがけないヨゼフィーネの言葉にアルフォンスは驚いた。ヨゼフィーネは暗い顔になって、テーブルの上のコーヒーカップをじっと見つめていた。
「一体、どういうことだい?よかったら私に話してくれないか・・・」
アルフォンスの優しい眼差しに、ヨゼフィーネは目を伏せたまま話し始めた。
「昔、母上が私を妊娠していたときに、病気が見つかったの。でも私を産むことを優先したために、病気が進行して母上は亡くなった。あのときすぐ手術を受けていたら、両親と姉さんの家族三人の幸せな生活は続いていたかも知れなかったのに・・・」
寂しそうに話すヨゼフィーネを見つめながら、アルフォンスは黙って話を聞いていた。
「母上が亡くなってからもそう・・・。姉さんはいつも自分の事より私の事を優先させていた。私はいつも姉さんに甘えてばかりで・・・」
アルフォンスはルイーゼやヨゼフィーネの母親は、病気で亡くなったという事以外知らなかった。
「私は姉さんにもっと自分の事を楽しんでもらいたい。なのに、姉さんは私が足枷になって自由に羽ばたけない。父上もそう・・・私が母上とそっくりだから、否応なしに亡くなった母上を思い出させてしまう」
「フィーネ、考えすぎだよ・・・」
アルフォンスの慰める言葉に、ヨゼフィーネは首を振って否定する。その様子に、アルフォンスは少し考え込み、そして思い切ったようにあることを話し始めた。
「フィーネ、自分の存在がビッテンフェルト提督やルイーゼの幸せを邪魔していると思っちゃいけない。むしろ、君が居て二人は幸せなんだ」
「だって、私が二人から母上を取り上げてしまったのよ・・・」
少し涙ぐみながらヨゼフィーネはアルフォンスに訴えた。
「違う!そんなふうに考えちゃいけない。・・・・・・実は私の母は、私を産んですぐ亡くなった。私は自分の母親の命と引き替えに生まれてきたんだ。だから、私にはフィーネの気持ちがよく判るよ」
初めて聞くアルフォンスの打ち明け話に、ヨゼフィーネは思わず彼を見つめた。
「私の誕生日は、父にとっては亡くなった愛する妻を思い出す命日であって、とても祝う気持ちになれなかったろうと子供心に感じていたよ。私の存在が無ければ、夫婦揃って幸せな生活を送っていただろうと思うと、父に済まなくてね・・・。私もフィーネと同じように、父が自分と一緒にいないのは、母を思い出すのが辛いからだ・・・と思いこんでいた」
アルフォンスは諭すようにヨゼフィーネに話しかける。
「でも違った。父の中では、母の死と私の誕生は全く別の出来事なんだよ。きっとお父上のビッテンフェルト提督も同じだと思うよ。私の場合、父が軍人で戦争中は離れて暮らしていたから、寂しかった自分の思い込みだったんだ。・・・その~上手く説明出来ないけれど、フィーネにも判って欲しい。母親の死が自分のせいなんて思い込んでいたら、逝った母親達が嘆くんだぞ!」
優しく微笑むアルフォンスを見て、ヨゼフィーネは自分と同じように苦しんだ仲間を得たような気がした。そして、そのアルフォンスに今まで心に秘めていた悩みを打ち明けた事によって、何となく安心したヨゼフィーネも彼の笑顔に答えて少し微笑んだ。
「ありがとう、アルフォンス・・・。それから、姉さんのこと宜しく!私、応援するわ」
「嬉しいな~。頼もしい助っ人が出来て、私も心強いよ!」
こうしてアルフォンスとヨゼフィーネの間に、ささやかな同盟が結ばれた。
少しずつ明るい方向が見えてきた自分の恋に、アルフォンスは希望が湧いてきた。『今度こそは!』と望むアルフォンスは、慎重に三度目の申し込みのチャンスとその言葉を選んでいた。
そんな想いで過ごしていたアルフォンスは、休暇を利用してハルツのビッテンフェルト家の別荘を訪れていた。心細い思いをしているであろうモーデル夫人の心情は、いつも気になっていた。出迎えてくれた夫人はアルフォンスに、先ほどまでルイーゼが居た事を告げた。
「ルイーゼも来ていたのか・・・」
残念なすれ違いにアルフォンスはがっかりした。そんな気持ちが顔に出たらしく、お茶を持ってきたモーデル夫人に言われてしまった。
「ルイーゼとは、最近逢っていないのですか?」
「ええ、まあ」
「ルイーゼは、私がオーディンに戻る方に気持ちが行かないよう一生懸命ですよ」
モーデル夫人は笑いながらアルフォンスに伝えた。
「・・・女とは他人の恋愛には必死になって応援するのに、自分の恋愛となると途端に臆病になってしまうものなのですね。ルイーゼもそう・・・私の事をいろいろ手助けしてくれますが、自分の恋愛には臆病でしょう・・・」
「ルイーゼはあなたに何か言いましたか?」
ルイーゼの気持ちを少しでも知りたいアルフォンスは、無礼と思いながらもモーデル夫人につい尋ねてしまった。
「いいえ。・・・でも、ルイーゼが或る男性を想っていることには、気がつきましたよ」
モーデル夫人が包み込むような微笑みを見せる。
「恋とは不思議なものですね。・・・あなた方の障害が何であるかは判りませんが、乗り越えられることを祈っています」
自分とルイーゼの事を示したであろう言葉に、アルフォンスは思わずモーデル夫人を見つめた。
「昨日、陛下がお忍びで此処まで来てくれました。私も陛下の願いを受け入れたいと思うときもあります。でも、いろいろ考えるとどうしても踏み込めなくて・・・。ほら、私も人の恋は後押しする癖に、自分のことには臆病でしょう」
モーデル夫人が少し笑いかけ、そのまま窓から見える風景に見入っていた。そして、独り言のように小さく呟いた。
「でも・・・いつまでも此処に隠れて居る訳にもいかない・・・」
モーデル夫人の葛藤を知っているアルフォンスは、その言葉が陛下の気持ちを受け入れる決意から出たものなのか、オーディンに戻ろうとする気持ちから出たのか判らず返答に詰まった。
<続く>