初恋 5

 思いがけないアルフォンスの求婚に動揺したルイーゼは、その場から逃げるように立ち去った。その後、ルイーゼの足は、ミュラー家に向かって走り出していた。
 突然現れたルイーゼの顔を見て、ミュラー夫人のエリスは驚いた。
「どうしたの、ルイーゼ?<この世の終わり!>っていうくらい暗い顔よ」
「えっ!大丈夫。・・・何でもないわ」
 ルイーゼは慌てて誤魔化したが、彼女に何かあった事は、エリスには一目瞭然である。
「ルイーゼ・・・何かあったんでしょう!私は、あなたがおむつをしていた頃からの付き合いよ。他の人には誤魔化せても、私には無理よ」
 自信たっぷりのエリスに、ルイーゼも苦笑いをする。
「エリス姉さんには叶わないなぁ・・・」
「ねぇ、話してみない?話すことで落ち着くこともあるし、二人で考えれば道は開けるかも!」
 エリスはまずルイーゼを椅子に座らせ、お茶を差し出した。庭で採れるハーブで作ったエリス特性のハーブティを飲んで、ルイーゼも気持ちを落ち着かせる。
「あのね、・・・アルフォンスからプロポーズされたの!」
「えっ!まぁ!あなた達、お付き合いしていたの?」
 今度はエリスが驚いた。
「いいえ!アルフォンスとは最近親しくさせて頂いていたけど、そんなつもりでは・・・。突然こんなお話になって、私自身も驚いているくらい・・・」
「そうなの・・・。それにしても、いきなりプロポーズなんてね」
 エリスも苦笑いする。
「でも、ルイーゼはどうしてそんなに暗いの?驚いただけでそんな顔になるかしら?」
「・・・お断りしたの・・・アルフォンスの気持ちに応えられないから・・・」
「えっ!・・・『応えられない』って、ルイーゼ、どういう事?」
「・・・だって私、結婚なんて考えられないし・・・」
 確かに突然のプロポーズでルイーゼが驚くのは無理もないと思うが、アルフォンスの気持ちに応えられないと言うのもおかしいとエリスは思った。彼女は、(ルイーゼはアルフォンスに惹かれている筈・・・)と感じていたからである。
「ねえ、正直なところルイーゼは彼のこと、どう思っているの?」
「・・・好きになりかけているかも・・・」
 ルイーゼが少し照れくさそうに呟く。
(やっぱり・・・)
「だったら結婚はともかく、お付き合いから始めてみたら?そんなに大げさに考えないで・・・」
「ダメ!結婚するつもりがないのにお付き合いするなんて・・・。アルフォンスは真剣に申し込んでくれたのよ・・・。エリス姉さんも知っているでしょう!彼は、誰よりも強く自分の家庭を望んでいることを・・・。でも、相手が私では、アルフォンスの夢は叶えられない・・・」
「なぜ?どうしてあなたとでは、アルフォンスの夢が叶わないと思うの?」
 疑問に思ったエリスが、ルイーゼに思わず問いかける。
「だって、私はまだ学生だし、うちのこともしなくちゃ・・・フィーネだっているし・・・。結婚なんて無理・・・」
「ルイーゼ、フィーネはもう小さな子供じゃないわ。父親のビッテンフェルト提督だっているし、ミーネさんも私もいる。もし、あなたとアルフォンスが恋愛して結婚するような事になったとしても大丈夫よ。みんな喜んで、あなたを送り出してくれるわ」
 諭すように告げるエリスに、ルイーゼは軽く首を振りながら伝えた。
「エリス姉さんは、私たち姉妹にとっては母親同然だし、ミーネさんにも世話になりっぱなしでいつも感謝しているわ。本当よ!でも、私はあのとき、フィーネのそばにいてずっと見守るって誓ったの・・・」
「あのとき?」
「母上が亡くなったとき・・・」
 母親アマンダの最後の入院の様子を、ルイーゼは思い出していた。
「あの頃、まだ小さかったフィーネを残して逝くのは、母上にとって辛かったと思う。母上は付き添っていた私に『取り越し苦労だと思うけど・・・この先、年頃になったフィーネと父上の関係が拗れないように気を付けてあげて・・・』って頼んだの・・・」
「フィーネとビッテンフェルト提督の関係?」
「ええ、母上も言い残すべきかどうか随分悩んでいたみたい・・・。言いだしたのも本当に最期の頃で、その後すぐ昏睡状態になってしまったから・・・」
「ルイーゼ、私にはどういう意味なのかよく判らないわ?」
 理解に苦しんだエリスが、ルイーゼに問いかける。
「あのね、フィーネを妊娠しているとき母上の病気が見つかったでしょう。それで、父上は母上にフィーネを産む事を諦めさせようとした。でも、結果的には母上の粘り勝ちでフィーネは無事生まれたけれど、その事は父上の心の中でフィーネに対しての負い目となってしまっているって母上が言っていたの。そして、フィーネは敏感な子だから、父上のその感情を変に受け取ってしまうのが不安だって心配していて・・・」
「確かに小さい頃のフィーネは勘が強くて、表面に出さない感情まで感じ取ってしまう傾向があったけれど、今はそれほどでもないでしょう?」
「そうだけど・・・。でも、あの母上が言い残したことだし・・・」
「でもルイーゼ、フィーネとビッテンフェルト提督は仲の良い親子よ!父親と娘の関係が拗れることはないと思うわ」
「えぇ、多分・・・。でもね、私自身がフィーネのそばにいてやりたいの!私が年頃になって初潮を迎えたとき、喜んでくれた母上がいたわ。自分から照れくさくて父上に言えなかったけれど、母上が伝えてくれた。フィーネがその日を迎えるときは、私が母上の代わりを務めたい。フィーネはこれから思春期を迎えて、微妙な年頃になるし・・・。私って父上に似て、一つの事に夢中になると周りが見えなくなるでしょう。だから、男性とのお付き合いなんて考えられない・・・。今はフィーネの方が大事なの」
 自分の言葉で気持ちを納得させているようにも見えるルイーゼに、エリスが問いかけた。
「ルイーゼのそういう気持ちも判るけど・・・。でも、本当にこれでいいの?もしこのまま、アルフォンスとの関係が終わってしまうような事になっても構わないの?」
「今、この段階でこういうお話があった事は返ってよかったかもしれない・・・。これ以上にアルフォンスのことを好きになっていたら、きっと断るのがもっと辛くなっていたかもしれないし・・・」
 ルイーゼが寂しげに呟いた。
(ルイーゼはアルフォンスを好きになりかけているじゃなくて、好きになってしまっている・・・)
 エリスはルイーゼの表情からそう感じ取っていた。
「ルイーゼ、アマンダさんは、あなたが自分の幸せを犠牲にしてまでフィーネのことを見守るなんて事は望まないわ」
 ルイーゼの告げた言葉に、エリスは思わず諭す。
「エリス姉さん、私、今のままで充分幸せよ!大好きな父上と可愛いフィーネと一緒だし、ミーネさんやミュラーおじさん達もいつも傍にいてくれる。大切な家族に囲まれて、たくさんの人たちに可愛がって貰っているわ。自分のこと不幸だなんて一度も感じたことはないのよ!」
(確かにルイーゼのその言葉に嘘はないだろう。でも、ルイーゼは恋愛することを避けている。恋する自分の気持ちを無理に閉じこめている・・・)
 そう感じたエリスは、焦ったように自分の気持ちをルイーゼに告げた。
「ルイーゼ、私はあなたのベビーシッターをやっていたのよ!あなたがフィーネの幸せを見守りたいと望むように、私もあなたの将来を見届けたい。あなたにも恋愛の素晴らしさを味わって欲しいし、結婚だって楽しみにしている。幸せな家庭を築いて、あなたが産んだ赤ちゃんを、私はこの手に抱きたいと願っているのよ・・・」
「ありがとう、エリス姉さん。でも、私は大丈夫よ。ビッテンフェルト家が私の家庭なのよ。それにエリス姉さん、もう赤ちゃんを諦めたの?まだ三十代なのよ!ミュラーおじさんと頑張って、自分の赤ちゃんをその手に抱いてね」
「あら・・・」
 希望を持たせるつもりが、逆に励まされてしまったエリスが苦笑いする。
(しかし、ルイーゼがこんな気持ちでいたとは・・・。それにアマンダさんが言い残していた言葉も気になる。今夜、ナイトハルトに相談しなければ・・・)
 ルイーゼの意外な決意に、エリスは少し動揺していた。



 エリスが待っていたミュラーは、今夜は部下のアルフォンスの相談を受けていた。ミュラーがゆっくり飲みたいときなど立ち寄る落ち着いた雰囲気の店に、アルフォンスを連れてきていた。
 二人で隣り合わせにカウンターに座る。酒を飲んで少し舌がなめらかになった頃、アルフォンスはミュラーに質問してきた。
「ミュラー閣下はビッテンフェルト家とは家族同様ですよね?ちょっとお訊きしたいんですが・・・、あの~、ルイーゼには、誰か好きな男性<ひと>がいるのでしょうか?」
(おっ!いよいよ来たか)
 ミュラーはワクワクする気持ちを抑え、さり気なく答える。
「ルイーゼは奥手でね、多分いないと思うよ。彼氏の話など聞いたことが無いしね」
「では少し質問ですが、一般論として好きになった女性に初めて想いを告白するとき、プロポーズをするのはおかしいですか?」
「あのぉ~、交際もしていないのに突然結婚話になったら、普通は驚いて引いてしまうだろう・・・」
 アルフォンスの質問に、ミュラーは感じたまま、素直に答える。
「そうか、だからなのかなぁ?・・・でも、ルイーゼは私に『誰とも交際を考えていない!』と言って断ったんですよ」
「えっ!アルフォンス、ちょっとまて!もしかしてルイーゼにプロポーズ?嘘だろう・・・」
 ミュラーが驚いて訊き返した。
「・・・実はプロポーズしたんです」
「えっ~、二人とも付き合っていたっけ?」
「いいえ・・・。私もいきなり過ぎるとは思ったんですけれど・・・」
「そうだよ!どうしてそんなに焦ったんだい?」
「ビッテンフェルト提督がルイーゼに縁談を持ち込む前にと思いまして・・・。昨日、父からその話を聞いてつい・・・」
(あっ、しまった~。ワーレン元帥はビッテンフェルト提督のあのでまかせを本気にしたのか!)
 ミュラーの予想は外れてしまった。
「私の方法はまずかったですか?」
「その~、恋愛には段階があるだろう!例えルイーゼが君に好意を持っていたとしても、いきなり結婚を持ち込んだら、動揺して引いてしまうのは当然だよ!」
「それだけかな~。<結婚>という言葉で大分驚いた様子だったので、すぐ<結婚を前提とした交際>に切り替えたんです。でも、それも断られて・・・。ルイーゼには、秘かに誰か好きな人がいるのかも・・・」
「まさか?ルイーゼに限って・・・。多分、違うよ」
「では、なぜルイーゼは『誰とも交際しない!』と言って断ったのか判りますか?」 
 アルフォンスは納得できない様子で、ミュラーに訊いてきた。ミュラーもルイーゼのその言葉が引っかかったが、その疑問に触れず別の理由でアルフォンスを慰めた。
「きっとルイーゼは、陛下の結婚問題が解決するまで、このままの状態がいいと判断したんだよ。モーデル夫人の事が心配なんだよ・・・」
「そうか・・・そうなんだ。・・・いや、違うかも?」
 自問自答を繰り返すアルフォンスは少し酔っていた。
「恋愛には駆け引きが大事なんだぞ。ゆっくり育てれば上手くいったかもしれないのに・・・」
 ミュラーが溜息混じりで告げた言葉に、突然横から声がかかった。
「<恋愛の駆け引き>なんて、ミュラー軍務尚書に似合わない台詞だな!」
 ミュラーとは士官学校の同期仲間であるキスリングが、二人の前に姿を現した。
「失恋か?」
 落ち込んでいる様子のアルフォンスを見て、控えめに笑った。
「まだ決定という訳でもないのだが・・・」
「まぁ、恋愛の失敗は、次の恋愛に生かすんだな!」
 独身貴族を謳歌しているキスリングらしい言葉である。
「次なんて・・・考えられませんよ~」
「失恋したばかりのときは、誰だってそう思うものさ!」
 アルフォンスの隣に座ったキスリングが彼を慰める。ミュラーはその言葉に(失恋など、したことがない癖に・・・)とキスリングに突っ込み笑いを見せる。
「きっとルイーゼは驚いてしまったんだよ。男性との付き合いの経験がない娘<こ>だから・・・。少し時間をおいて、改めて申し込んでみたらどうだろう?今度は段階を踏んで・・・」
 温和な笑顔で話すミュラーに、救いを求めるようにアルフォンスが尋ねる。
「今度は上手くいくと思いますか?」
「私はそう願っているが・・・」
「二度目も、断られたら悲惨だな・・・」
 クスッと笑ったキスリングが茶々を入れる。
「うう・・・きっと無理ですよ~」
 涙目で弱気になってしまったアルフォンスは、かなり酔っていた。



 その夜、酔っぱらって自宅の玄関先に座り込むアルフォンスに、父親のワーレンが話しかける。
「珍しいな!お前がこんなになるまで飲むなんて・・・」
「父上、私は早まったのでしょうか?本気で好きになった相手に、いい加減な気持ちじゃないということを伝えたかったのに・・・」
「何のことだ?」
 随分飲んだらしく目が据わっているアルフォンスを見て、ワーレンも呆れていた。
「交際を申し込むとき、結婚のことを口にするのは可笑しいですか?」
「えっ!」
(まさか?こいつも!)
 ワーレンも昔アルフォンスの母である女性に交際を申し込んだとき、いきなりプロポーズも兼ねてしまったのである。幸い、彼女はワーレンに恋心を抱いていたので、その後はトントン拍子に事が進んだのだが・・・。
 だが、その経緯を知った同期のビッテンフェルトやロイエンタールからは、おもいっきりからかわれた。そんな遠い昔の自分と目の前のアルフォンスが重なる。
(こいつもそんな年齢になったか。相手はどんな女性なのだろう?しかし、この荒れた状態では、撃沈したな!)
 玄関で酔いつぶれて大の字になって寝ている息子を見ながら、ワーレンは苦笑いしていた。



 その頃、ミュラーも自宅に辿り着いていた。
「遅くなって済まない。アルフォンスと飲んでいたんだ」
 部屋着に着替えてくつろいだミュラーが、エリスに伝える。
「そうでしたの。彼、あなたに何か言っていましたか?」
「うん、ルイーゼに振られたと落ち込んでいた」
「まぁ・・・。実は今日、ルイーゼもここに来たんですよ」
「それで?」
「何だか辛そうでした・・・」
 エリスはルイーゼが自分に伝えた事を、ミュラーに報告した。
「う~ん、そういう事情だったのか・・・」
「もし、アマンダさんが生きていたら、今日は二人にとって最高の気分を味わった記念の日となったことでしょうに・・・」
「アルフォンスには時間をおいてから、再び申し込んでみたらどうだろうと伝えておいた。しかし、こうなるとルイーゼの気持ちが問題だな・・・」
「ええ・・・。それにしてもアルフォンスは、何故いきなりプロポーズしたんでしょう?ルイーゼの気持ちがもう少し熟するのを待っていてもよかったのに・・・。時間をかけて恋する想いをゆっくり育てていれば、もう少し違った展開になったのかも知れません。いくらなんでも早すぎましたよ!」
「まぁ、いろいろあってね・・・」
(あの会議の後、やはりワーレン元帥に手を打つべきだった~)
 ミュラーは後悔していた。


<続く>