多忙のミュラーが珍しく仕事を早く終わらせたその日は、恋人エリスと夕食を共にするデートの日であった。気に入って何度か利用している夜景の見えるホテルのレストランに、ミュラーは予約を入れていた。
社会人になったエリスは、絵の教室の仕事が面白くなってきたらしく夢中になっている。軍務尚書という相変わらず忙しい立場のミュラーとエリスが逢う時間は、以前に比べ随分限られてしまった。しかし、二人の絆はどんどん強くなっている。
私服に着替えたミュラーは、机の引き出しからあのエンゲージリングを取り出し、上着のポケットに入れた。「よし!」と気合いを入れたところに、今日のデートに対するミュラーの決意が現れる。
(前回のプロポーズは、ルイーゼと一緒だったところに思わぬ誤算があった。しかし、今日のデートは二人きりだから大丈夫だろう・・・)
この前の動物園での失敗を振り返り、今日の予定を立ててみる。
(食前酒の時に、プロポーズを申し込んだ方がいいかな。それとも食後のデザートの辺りに、さり気なくエンゲージリングを出そうか・・・)
ミュラーはデートの段取りをいろいろ考えながら、待ち合わせの場所に急いだ。
予約したレストランのウェーターに案内されて席へ着こうとしたミュラー達に、隣のテーブルにいた女性から声がかかった。
「あら、ミュラー元帥じゃありませんか?」
その声に女性と同席の男性も振り返り、ミュラー達を見た。ミュラーとケスラー夫妻の目が合う。
「ケスラー元帥!・・・お久しぶりです」
「珍しいなぁ・・・。こんな所で会うとは!」
最近ミュラーとはすれ違いが多くて、顔を合わせる機会がなかったケスラーがそう言って、後ろに控えていたエリスをちらりと見た。それに気がついたミュラーが、すぐエリスを紹介する。
「エリス、こちらはケスラー元帥と奥方のマリーカさんだ。ケスラー元帥、私の連れのエリス・ワイゲルトです」
エリスがお辞儀をする。
「確か、ビッテンフェルト家に下宿しているフロイラインですよね。以前、ビッテンフェルトから聞いたことがありますよ」
「初めまして、エリスです」
「立ち話も何ですから、席を御一緒にしませんか?私たちも来たばかりですし・・・」
マリーカがミュラー達に同席を勧めた。
「私たちは構いませんが、折角の夫婦水入らずの時間に割り込んでしまってよろしいのでしょうか?」
ミュラーが遠慮がちに尋ねる。
「構いませんよ。たまに私たちも、若い恋人達の刺激を受けないとね!」
ミュラーより年下のマリーカが屈託のない笑顔で答えた。
エリスとマリーカは、同世代と言うこともあってすぐうち解け、話も弾んだ。
エリスはルイーゼのベビーシッターをしている事もあり、新米母親のマリーカと育児関係の話題でも大いに盛り上がっていた。
エリスとマリーカの尽きないお喋りに、ミュラーとケスラーは押され気味になっていた。楽しい会話が進み、あっという間に食後のコーヒーとなった。
「今週の<オレンジクラブ>という雑誌で紹介されたしゃれたカクテルバーが、この辺にあるんですよ。ねぇ、そこ行ってみません?」
「私もその雑誌を見ましたよ!カッコイイマスターがその人のイメージに合うカクテルを作ってくださるそうですね。<デートにお勧めのスポット>って書いてありました」
マリーカの誘いに、エリスも興味深そうに答える。そして二人とも、お互いの相手を見つめた。
ケスラーとミュラーは顔を見合わせ(仕方ない・・・)という様子で、「お供しましょう」と答え、二組のカップルはダブルデートの場所を変えた。
二人の女性のお目当てのカクテルバーはすぐ見つかったが、その入り口には<軍人お断り>という張り紙がしてあった。
ミュラーとケスラーは眉を曇らせて、その場に足を止めていた。
「どうします?」
「ちょっとなぁ・・・。面倒になるのもまずいし」
ミュラーの問いにケスラーも躊躇していた。
「あら、大丈夫よ。だって今日は二人とも軍服姿じゃないもの。誰にも判らないわよ」
マリーカがケスラーに平気な顔で答える。
「そういう問題でも無かろう」
「でもあなた・・・このカクテルバーがどうして軍人を拒絶するのか、その訳を知りたいとは思いませんか?」
妻の無邪気に見つめる黒い瞳に、ケスラーがたじろぐ。
「それは・・・確かに」
「考えの違う人々とふれあういい機会です」
「・・・」
「さぁ、行きましょう!」
マリーカが戸惑い顔のエリスの腕を組んで、そのバーの奥へと連れて入ってしまった。ミュラーもケスラーも、マリーカの勢いに押されて後に続いた。
エリスとマリーカは、評判のマスターに自分に合ったカクテルを作ってもらうためカウンターに座り、ミュラーとケスラーは目立たぬよう片隅の小さなテーブルに陣取った。
「時々、マリーカが俺より大きく見える時がある。変なところで肝が据わるというか、度胸がいいというか・・・。以前は少女趣味が抜けきらなくて子供みたいだったんだけれど、だんだん変わってきた・・・」
「変わってきたといいますと?」
「お前も結婚すると判るさ・・・。か弱かった女性が、地に足をしっかりつけて迫力を増してくる過程を体験できる。あの娘<こ>と結婚するんだろう?」
「ええ、まあ・・・」
「君がマリーカと同世代の娘を奥方にしてくれると、俺も心強い。きっとマリーカのいい相手になってくれるだろう」
カウンターの二人を見つめながら、ケスラーはミュラーに話しかけた。
落ち着いた渋めの魅力が漂っているマスターが、好奇心で目が輝いている二人の女性客の注文に、少し微笑みを浮かべて優雅にシェーカーを振っている。鮮やかな色のカクテルを手にして、マリーカもエリスも楽しそうな様子である。
「マリーカの周りは、いつも年上の奥方達ばかりだ。同僚は勿論、年下の部下の妻でさえ、マリーカよりかなり年上になってしまっている。まぁ、俺とマリーカが、かなり年齢差があるものだから仕方ないんだが・・・。だから、奥方同士の付きあいの中でマリーカは、少し背伸びをしているというか・・・言葉遣い一つにしても、ちょっとした行動にも慎重になっている感じがするんだ」
「奥方から何か?」
「いや、マリーカは特に気にしていないらしいが俺の方がな・・・。マリーカが結婚する前の、皇太后の前でさえ自然にのびのびした感じで振る舞っていた様子を知っているだけに余計にな・・・」
「なるほど。結婚してケスラー元帥夫人という立場になって、少し注意深くなってしまったのかもしれませんね」
「そう!そうなんだ・・・。だから、こんなふうにマリーカの年相応に自分を出して、はしゃいでいる姿を見るとほっとする・・・」
「私も、奥方にエリスを紹介出来て良かったです」
ミュラーが温和な笑顔をケスラーに向ける。
「これからも宜しくな!」
「勿論です。こちらこそエリスを宜しくお願いします」
傍目から見れば、二人ともお惚気を言っているような感じでもあり、子供を心配する保護者のようでもあった。
そのときちょうど、店のボーイが注文したカクテルを持ってテーブルに置いた。ミュラーはそのボーイにチップをやり、一つ質問した。
「なぜこのバーは、軍人お断りなんだ?」
「あぁ、あの張り紙ですか・・・。実は以前、黒色槍騎兵艦隊の兵士達がここで大暴れして店を台無しにしたことがありまして・・・以来、この店は軍人をお断りしているんです」
「黒色槍騎兵艦隊!!」
ミュラーとケスラーの声が揃ってしまった。
「ええ、あの傍若無人で名高い黒色槍騎兵艦隊の兵士達ですよ。彼らのあるグループが、このバーを合コンの会場にしたんです。ただ、その噂を聞きつけた他の兵士達が殺到してしまって・・・。軍服姿の男達の数の多さに、相手の女の子達が怖がって帰ってしまいましてね。その後、残された兵士達がお互いを罵り合い、手に負えないような暴れ方をしまして・・・」
当時の事を思い出したらしく、そのボーイは呆れ顔で首を振りながら話を続けた。
「そのとき、止めに入ったあのマスターが顔を殴られ、前歯を折ってしまったんです。それが原因で、陽気だったマスターはあの事件以来、歯を出して笑わなくなってしまいました。その上、軍服に拒絶反応がでて、すっかり軍人嫌いになってしまって・・・」
「そ、そうか・・・。そんな事情があったのか」
「忙しいのにつまらない事を聞いて悪かったね。お陰で疑問が晴れたよ、ありがとう」
ミュラーが説明してくれたボーイに礼を言う。
そのボーイは愛想良く「ごゆっくりどうぞ~」と言って、その場を立ち去った。
<軍人お断り>は思想や政治的な考えなどとは関係なく、単純な理由からだった。それにしても、軍の中でいつも問題になるのは黒色槍騎兵艦隊・・・。ミュラーとケスラーは顔を見合わせ、深い溜息を吐いてしまった。
エリスとマリーカがご機嫌で過ごした夜も、あっという間に過ぎていた。
「今度、我が家の方にも、遊びにいらして下さいね」
「はい、是非!」
次に逢う約束をして、ミュラー達はケスラー夫妻と別れた。ミュラーはエリスをビッテンフェルト家まで送るため、地上車を求めて大通りまで歩くことにした。
「年下の私が言うのもなんですが、マリーカさんって可愛らしい方ですね」
「そうだね。何たって、あのケスラー元帥が見初めた方だからね」
話しながら歩いている二人だが、何だかエリスの体が揺れている。
「エリス、危ない!」
「何だか足がもつれて、自分の足じゃないみたい」
よろけたエリスを支えて、ミュラーはふと訊いてみた。
「エリス・・・一体、カクテルを何種類飲んだんだ?」
「たくさん・・・かも。だって、とてもきれいだし、甘くて口当たりが良くて、飲みやすかったんです。それでつい・・・なん杯も飲んでしまいました・・・」
「カクテルって、見た目よりアルコール度は高いんだよ。足がふらついてくるなんて、かなり酔っている証拠だぞ」
「えっ、そうなんですか!どうしよう~」
笑いながら話すエリスは、何だかいつもより陽気になっている。
「少し、夜風に当たって酔いを醒まそうか?このまま帰ったら、アマンダさんが驚いてしまうよ」
ミュラーの提案にエリスが頷いた。
二人で人通りのない夜の道を、腕を組んで歩いた。だが、やっぱりエリスの足取りがおぼつかない。
「エリス、私が君を背負うよ。これだと、危なかしくて・・・」
「えっ、そんな・・・大丈夫です・・・」
そう言いながらも、エリスはまたもバランスを崩して、ミュラーに支えられる。
「ほら、転んで怪我をしたら大変だ!」
「でも、恥ずかしいです」
「誰も見ていないさ」
ミュラーは腰を下ろして背中をエリスに向け、躊躇している恋人を促した。
「そ、それじゃ、お願いします・・・」
遠慮がちにエリスがミュラーにおぶさる。
「重くないですか?」
「私はいつも酔いつぶれたビッテンフェルト提督をオンブしているんだよ。それに比べれば、こんなのは重いうちに入らないよ」
「・・・今度から飲み過ぎないように気を付けます」
恋人の恥ずかしそうな声に、ミュラーがクスッと笑う。おそらく真っ赤な顔をしているであろうエリスを慰めるため、ミュラーは声をかける。
「エリス、夜空を見てごらん!星がとってもきれいだよ!」
ミュラーの言葉に、背中のエリスも星空を見上げる。
「わぁ、きれい。私もいつか宇宙へいって、もっと近くで星を見てみたいです・・・」
(おぉ!これはなかなかいいムードではないか!もしかしてチャンス?)
そう考えたミュラーはひと息入れ、呼吸を整えて、今日の予定のプロポーズの言葉を口にした。
「エリス、宇宙に連れて行ってあげるよ・・・。私と結婚して、新婚旅行で行こう!」
「・・・・・・」
(あれ?)
たった今まで会話していた恋人から、返事がない!少し不安になったミュラーが、エリスの名前を呼んでみる。
「エ、エリス?」
「な~に、ファーター・・・」
(えっ、ファーター?!)
慌ててミュラーは背中の恋人の様子を探る。
ミュラーの背中に身を委ねたエリスは、身動き一つしていない。
(寝ている!!)
「エリス?!もしかして今のは・・・寝ぼけてたの?」
返答はなく、代わりにエリスの気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「・・・」
ミュラーは無言のまま愛しい恋人を背負い、とぼとぼと夜の道を歩いていた。上着のポケットには、今回も渡せなかったエンゲージリングが寂しげに出番を待っていた。
こうして今回のミュラーのプロポーズの言葉も、カクテルの飲み過ぎで酔いつぶれたエリスの耳には届かなかったのである。
<END>
~あとがき~
ミュラーさん、残念でした~
でも落ち込まないで、次の機会を狙って下さい(A^^;)
カクテルバーでの黒色槍騎兵艦隊の兵士達による一件は、小説「黒色槍騎兵艦隊の日常」に書かれている出来事です(笑)