ミルクティー

炎がはぜる煉瓦造りの暖炉の前、座り込む。
肩には、柔らかいカシミヤの若草色のショール。
素足の裏は、大理石の床にぴったりとつけて。
空気を伝わってくる少し熱いくらいのあたたかさと、皮膚を伝わってくる無機質な冷たさ。
2つの温度が入り交じる冬の暖炉前は、私の一番好きな場所。
広い部屋の中、しんとした静けささえ心地よく、じっと動かず楽しむ。
独り占めしていた特等席に、無粋な侵入者が入り込んでくるまでは。


がたん、と大きな音がした。
ああ、あの男が帰ってきたのかとぼんやり思う。
傲慢な家主は、私の姿を見るとわざとドアの音をたて、自分の存在を誇示することが多い。
最初の頃は、気配を感じるたびに身を固くする私を楽しんでいたようだったが、今はどうしてこのような子供じみたことをするのか、よくわからない。
あの男を楽しませるような義務はないのだからと思い、相手にせず踊る炎を見つめ続ける。

「どうした。そんなところに座り込んで」
男は懲りもせず、声をかけてきた。
「好きなのよ、この場所は」
不意に口を返事がついた。
『関係ないわ』『お前に答える必要があるというの?』、いつものようにそんな憎まれ口を返すつもりだったのに。

「どうしてだ?」
珍しく返事をした私に興味を持ったのか、男は言葉を続けてきた。
こうなることがわかっていながら答えてしまった自分に、小さく舌打ちをしたくなる。
でも、わかっていた。
心を緩めてしまったのは、家族と一緒だったかつての記憶のせい。
なぞっていた思い出がこみ上げていたから。


「なんだ、だんまりか?」
唇を噛みしめていた私へ、軽くからかうように男は言った。
なんてことはないいつもの光景なのに。その瞬間、細く細く張りつめていた理性の糸が切れるきいんとした高い音が微かに聞こえた。

「私がまだ小さい頃、夕食の後、家族でよく暖炉の前でお茶をしたわ。
母様の自慢のブロンドを火の朱色が彩ると、それはそれは豪奢だった。
珍しく父様もいるときは、妹と一緒になってその膝に乗り首筋に抱き着いた。
母様ははしたないっておしかりになったけど、楽しそうに笑っておいでだった。
そう、怒ったりはしてらっしゃらなかったはずよ。
だって、手自ら紅茶を淹れてくださったもの。
メイドのアンナが淹れるものよりもずっと美味しかったわ。
母様のミルクティーは本当に特別だった」

宙を見つめながら、呟くように語る。
操られるように、口から零れ出す幼い日々。
『過去にしがみつくなんて、何も生み出さないお前たち貴族によくお似合いだ』、そんな嘲りが降るだろうことはわかっていたけど、流れでる言葉をとどめることはできなかった。


「そうか」
なのに届いたのは、あの男のイメージと直結しがたい優しい声。
驚きのあまり不覚にも振り返ると、安楽椅子に浅く腰掛けて長い指を組み視線をカーペットに縫い付けたあの男の顔は、いつも通りの感情の薄いものだった。
一瞬落胆し、その直後自分が何を望んでいたのかを思い知り、愕然とする。
自らに向けることができない感情を、男への怒りに転化した。
自分を守るために。

「・・・私の幸せを踏みつぶしたのはお前よ。
そんな男にどうして語る必要があるって言うの!!
お前になんて、わからない!
お前になんて何もわかるわけないのよ!」
一息に口にした。
こんなに大声を出したのは生まれて初めてかもしれない。
感情のままに言い捨てる。

「そうだな、わかりなどしない」
男は、私の口調に反比例するように穏やかに言った。
「俺は、家族と共に茶を飲んだことなんてなかった。
母の髪は美しかったと聞くが、俺の中に彼女を見た記憶はない。
父の膝は常に見上げるもので縋り付くためのものではなかった。
兄弟姉妹がいるわけでもない。
母が俺にしてくれたことといえば、ナイフを手にしたことと目をえぐり出そうとしてくれたことくらいだったと、昔言ったことはあったかな」
淡々としたその口調は、語られる内容が真実であることを如実に顕わしていた。

「だから、わかるわけがない」
苦笑というのに近い表情。
なのに、また、声だけが淋しさに満ちていた。
男には自覚がないのかもしれないけど。
知らず、きつく結んでいた唇が緩んだ。


この男は、ずっとこうしていたのかしら?
誰かに見せたことがあるのかしら?


湧いた疑問は口にせず、膝を抱えて座り込んだまま屋敷の主をただ見つめる。
ふと、炎の橙がほのかに揺らめく、男の白い頬に触れたいと思った。
そう思った自分に驚く。

1つ小さく息を吸う。
これは単なる気の迷いだから。
ただ、あの男がらしくないところを見せたりしたせいだから。
決して、愛なんかではない、と心の中で呟いた。


じっと座り続けていたせいで冷え切った足先に気がつく。
かじかんだ指先を小さく曲げ伸ばししてから立ち上がった。
長く伸びたスカートの裾を、軽く払う。
コットンのそれはシルクの滑らかな曲線は描かなかったけど、あたたかく、懐かしい手触りがした。
男へと、振り返りざま尋ねる。

「紅茶をいれてくるわ。ダージェルとアーセミどちらが好み?」
「毒入りじゃなければどちらでも」
「あら、残念ね。どうせだったらおまえの好きな方に入れてやろうと思ったのに」

白いスカートでふわりと風を起こしながらドアから出ようとしたその時、不意に後ろから声がかかった。

「おい」
「何?」
「おまえが飲んだという茶はどちらだったんだ?」
「・・・・・・教えてやる筋合いはないわね」

言い切って後ろ手にドアを閉めた。
ノブを握ったままで寄りかかり一瞬息を吐いてから、その足で台所へ向かう。
やたらと広い屋敷をつなぐ廊下は延々と続く。
しんと静まり返っている空間に、差し込んでくる日差しは春が近づいてきたことを確かに感じさせて。
素足のままなのに先まで血が通いだし、ゆっくりとぬくもってくるのを感じた。

いつも履いているヒールがない分だけ低くなっている視点から空を見上げながら、私は思う。
ミルクティーを淹れよう。
あたたかく丸い味のするあの懐かしいミルクティーを2つ。
給仕係にどこにミルクがあるのか、どんなリーフがあるのか、ケトルをしまってある位置はどこなのか、そんなことを聞くことから始めないといけないけど。

足どりが知らず軽くなる。
振り返ることなくまっすぐに台所へと向かう。
幼い頃好きだったあの甘ったるいミルクティーを口にしたとき、男がどんな顔をするか想像してくすくすと笑いながら。



END


海穂さんの「LOVE PHANTOM」でカウント15000番を踏んだ記念に頂きました。
いつも緊張感に包まれている二人が見せたふんわりしたひととき……うう~たまりません(嬉)
暖炉の火の中に幸せだった頃の自分を見いだし、つい感情をさらけて出してしまったエル、それに応じて穏やかに素直な心を見せたロイ。
エルに対して見せた、ロイなりの精一杯の思いやりが伝わって来ました。エルもきっと感じた筈…紅茶を入れてあげようという気になったのですから…(にんまり)
甘ったるいミルクティーを飲んだ後のロイさんの顔、ぜひ見てみたいものです(笑)
海穂さん、「ロイとエルの優しくあたたかい感じのお話」どうもありがとうございました。