エリスが期待したその夜、ミュラーはビッテンフェルトと逢う為、早々に仕事を切り上げて<海鷲>に出向いた。珍しくビッテンフェルトが先に来て、ミュラーを待っていた。
「お呼び立てした私の方が遅くなって申し訳ありません」
「いや、俺もいま来たばかりなんだ」
席に着いたミュラーが、ビッテンフェルトの顔を見て少し驚いたように尋ねた。
「ビッテンフェルト提督、少しお痩せになりましたか?」
何となくやつれた顔になっているビッテンフェルトを見て、ミュラーは心配になった。
「そ、そうか~?」
とぼけるようなビッテンフェルトに、ミュラーが言葉を付け足す。
「ルイーゼも心配しているようですよ。なんでもこのところ、夜中に帰宅、朝食も取らずに出勤と、忙しそうに過ごしているとか・・・。ビッテンフェルト提督が家族と食卓を囲まないとは、一体どうしたことですか?だいいち、現在<いま>軍務はそんなに忙しくはないでしょう!」
「うっ!」
(軍務尚書のミュラーに、『軍務が忙しい!』という言い訳は通用しない・・・)と悟ったビッテンフェルトは、覚悟を決めてミュラーに打ち明けた。
「ミュラー、正直言って俺は今、ルイーゼと顔を合わせるのが辛いんだ」
「何があったのです?」
深刻な様子に、ミュラーは思わず唾を飲み込んだ。
「・・・俺は、ルイーゼの結婚が延期になればいいと思っているらしい・・・」
「えっ、『らしい・・・』って、御自分の気持ちなんでしょう?」
「う~ん、そうなんだけど・・・だが、よく判らないのだ!」
ビッテンフェルトは、グラスに残っている酒を一気に飲み干した。いつもよりビッテンフェルトの飲むペースが早い事に気が付いたミュラーは、新たな酒をグラスに少なめに注ぎ、さり気なくボトルを自分の方に引き寄せた。そして、目の前のつまみをビッテンフェルトに勧める。
「私に話してみませんか?物事には、人に話す事で見えてくることもありますよ」
「う~ん。・・・あのな最近、ふとした瞬間に<思わぬ内戦が起きて結婚式どころではなくなった>とか、<突然、地震が起きて式場が潰れてしまった>とか、そんな埒もない事をいろいろ考えてしまうんだよ・・・」
ミュラーは思わずビッテンフェルトを見つめた。
「ミュラー、誤解するなよ!俺はアルフォンスは気に入っている!俺なりに、この結婚を祝っているつもりだ。なのに、こんな事を考えてしまう自分がいる。結婚式が近づくにつれ、どんどん妄想が酷くなって・・・。俺は、自分自身が恐ろしい~」
(ビッテンフェルト提督の事だから、なにか秘めたる決意でもしているのかも・・・)と結婚への障害を恐れていたミュラーは、ひとまずほっとした。そして、妄想に悩んでいるビッテンフェルトを見て、同情と可笑しさが入り交じった気持ちになった。ともあれミュラーは、目の前で頭を抱えているビッテンフェルトを、いつものように慰めた。
「結婚式が近づいてルイーゼを手放したくないという父親の寂しさが、ついそんな妄想をさせてしまうんですよ。ビッテンフェルト提督の本心ではないことは、よく判っていますから・・・」
「だが、俺は何だか後ろめたくてなぁ・・・。ルイーゼの顔がまともに見れないんだ~」
暗い顔で酒を飲むビッテンフェルトは、すっかり落ち込んでいた。
「いろいろ考えると、眠れなくなるんだ。食欲もないし・・・」
ビッテンフェルトからは、いつものパワーが全く感じられなかった。ミュラーは妻のエリスが『マリッジ・ブルーになっているのはビッテンフェルト提督』と言っていた言葉は、的を得ているような気がした。
「ビッテンフェルト提督の気持ちもわかりますが、ルイーゼも心を痛めていますよ。<父親に避けられている>と思い込んで、エリスの前で泣いたようですから・・・」
「えっ、そんなぁ~・・・どうしよう!・・・ミュラー、俺はどうすればいいんだぁぁ?」
酔った勢いもあるのだろうが、ビッテンフェルトも泣きべそ顔であった。
(ダメだ、こりゃ・・・)
ミュラーは泣き上戸になって酔っているビッテンフェルトを見て、深い溜息をついていた。
その夜、酔いつぶれたビッテンフェルトを背負ってビッテンフェルト家まで送り届けたミュラーは、すっかり腰を痛めてしまった。
翌日、ミュラーの執務室でドレウェンツは、微かに湿布の匂いがしている事に気が付いた。上官ミュラーの動きも何だかぎこちない。心配したドレウェンツがミュラーに問いかけてきた。
「閣下、どこかお怪我でもなさいましたか?」
「いや、ちょっとね・・・」
昨夜、ミュラーがビッテンフェルトと飲んでいた事を思い出したドレウェンツは、上官をつい同情と憐れみの目で見つめていた。
ルイーゼが悲しんでいると知らされたその日から、ビッテンフェルトは出来る限り家族団欒の時間をとるようにした。娘達にはまだまだ不自然に感じる父親の態度だが、彼なりに家族に気を遣っているのも判るのでルイーゼも気にしないように心がけた。
ルイーゼが落ち着いてきた事でミュラー夫妻も安心し、次の心配事の対策を練ることにした。結婚式を無事平穏に終わらせるために、ミュラーはある人物を頼る事にした。ビッテンフェルトを操る事に関しては右に出る者がいないとされるベテラン副官オイゲンの登場であった。
オイゲン夫妻は、ビッテンフェルト家とは長いつきあいで、花嫁のルイーゼを小さい頃から可愛がっている。当然、式には出席する事になっていた。
ミュラーとオイゲン、そして心配して秘かにビッテンフェルトの様子を伺っていた新郎の父親のワーレンも加わり、三人で結婚式まで何度か打ち合わせが持たれた。それぞれ、ビッテンフェルトの性格をよく知っているし、行動パターンなども身をもって体験している。三人で起こりえる問題点を持ち出しては対処方法を話し合い、きたる結婚式に備えた。
ルイーゼの結婚式当日の朝、ミュラーはビッテンフェルトが身支度の準備をしているか心配になり様子を伺った。
「父上はちゃんと結婚式に行く服装になっているから、ごねて欠席という事はないわ。ただ、今朝から様子がちょっと変なのよ。何だか心配・・・」
(えっ!)
ヨゼフィーネの言葉に、ミュラーはビッテンフェルトの出席に安堵したものの、もやもやとした不安が広がった。
「とにかく、教会で会おう!大丈夫さ、いろいろ対策はとってあるから・・・」
危機感を感じたミュラーだが、ヨゼフィーネの心配を取り払うかのように自信たっぷりに答えた。
その後、教会でやけに上機嫌のビッテンフェルトを見たミュラーは、まるで子供が悪戯を企んでワクワクしているような感じがして、胃が痛くなってきた。実際、ビッテンフェルトがこんな目をしているときは、何かが起こる事が殆どである。被害者である事が多いミュラーは、経験上よく知っている。
(ビッテンフェルト提督は、何かしでかす気だ・・・)
ミュラーはビッテンフェルトから目が離せなくなってしまった。
結婚式も始まりシーンとした会場に、父親のビッテンフェルトと腕を組んだ花嫁のルイーゼが登場した。列席者の拍手のなか、父と娘はゆっくりとバージンロードを歩き、新郎の待つ祭壇の前に辿り着いた。
ビッテンフェルトはルイーゼをアルフォンスに引き渡すと、自分の席に着いた。隣に座っていたミュラーや、通路を挟んですぐ隣に座っているワーレンも、スムーズに行われた花嫁の引き渡しに、ほっとした様子でひと息ついていた。ひとまず、予想していた一つである<アルフォンスにルイーゼを渡さないかも・・・>という事態は間逃れた。
誓いの言葉や指輪交換など式は次々進行しているが、ミュラーもワーレンもビッテンフェルトのそわそわした様子が気になってしょうがない。
そんな中ミュラーに、後ろの席から鼻の啜る音とワナワナと震えるような泣き声が聞こえてきた。感動して泣いているらしいが、どうも少し響き過ぎている。ビッテンフェルトも気になってきたらしく、とうとう後ろを振り返って相手を確かめた。泣いていたのは、自分の副官オイゲンであった。彼は、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。いつも冷静なオイゲンが、こんな感情的になるのは珍しい事である。
「おい、オイゲン・・・」と苦笑いのビッテンフェルトが声をかけたときに、穏やかな微笑みで自分を見つめるアマンダと目があった。夫と同じように泣き顔で隣に座っているオイゲン夫人が、アマンダの遺影を胸に抱き共に式に参列していたのである。
「・・・オ、オイゲン、今日はめでたい日なのだから、そんなに泣くな!」
ビッテンフェルトは動揺しながらも泣き顔のオイゲンにひと言告げると、素早く体の向きを直した。その後、ビッテンフェルトは俯きながら、自分の握り拳の手をじっと見つめていた。
オイゲン~
お前がそんなに泣き崩れてしまったら、
暴れる俺を止める奴がいなくなるじゃないか~
いつもお前が適度なところで止めてくれるから
俺は安心して、思う存分暴れられるんだ~
なのに、お前がそんな状態だと
俺は、動けないじゃないか!!
それに、アマンダ・・・
あの写真は、
フィーネが初めての誕生日を迎えた日に、俺が撮ったものだ
超未熟児だったフィーネの成長振りが順調で、
それまでの俺たちの心配が、安心に代わった頃だった
幸せに満ち溢れていたアマンダの笑顔を残したくて、
あの日、俺は夢中で写真を撮っていた
ルイーゼの結婚式は
お前が一番、楽しみにしていたはずだ
その目で、ルイーゼの花嫁姿を見たかったろう・・・
俺は、お前と約束していたな
娘達の結婚式の様子を土産話にするって・・・
母親のお前の分まで
残された俺は、しっかり見届けないといけない!
この結婚式で暴れたら、
俺は、ヴァルハラで待つお前に
逢わす顔がなくなる・・・
先ほどとうって変わって、威厳と優しさに満ちた目で花嫁の娘を見つめだしたビッテンフェルトに、ミュラーもワーレンもようやく安心していた。
落ち着き始めたビッテンフェルトに、結婚式の撮影を担当していたディルクセンは少しがっかりしていた。黒色槍騎兵艦隊でのあの賭け事にも参加していたディルクセンは、さっきまでのビッテンフェルトの様子で、(何かが起こる筈~)とかなり期待していたのだった。
残念がるディルクセンが心の中で舌打ちをしたとき、聞こえたかのようにタイミングよくビッテンフェルトと、カメラのファインダー越しに目があった。
ビッテンフェルトは、撮影しているディルクセンが、あの部下同士の賭け事で<結婚式では司令官は大泣きする>に賭けていた事を思い出した。その途端、ビッテンフェルトは何を思ったかカメラに向かって、これ見よがしに白い歯を見せてニッコリと不気味に笑って見せた。
敬愛する司令官に対して心の中とはいえ舌打ちしてしまった後ろめたさがあったディルクセンは、ビッテンフェルトの恐怖の笑い顔にギョッとして思わず後ずさりをした。そしてバランスを崩し、哀れにも思いっきり無様に転倒してしまった。
結局、この式でのアクシデントは、<カメラマンがコケた>という一件のみで終わったことになった。
結婚式も終了し庭に設けられたパーティ会場では、各々が飲み物や軽食をとりながら楽しんでいた。式ではビッテンフェルトの動きに目がいって、新郎より緊張していたミュラーも、ここにきてようやくひと息ついていた。
ミュラーはなんとか無事に終わった式を振り返っていた。
(打ち合わせになかったあのオイゲンの号泣状態は、ビッテンフェルト提督の行動を牽制するためにわざと大げさにしたのか、それとも亡きアマンダさんとの交流を思い出し溜まらず泣き崩れてしまったのか、どちらだろう?)
ミュラーは、どちらにもとれるオイゲンの本当のところが、よく判らなかった。
だが、感情的になってやってしまった咄嗟の行動が、結果的に良い状況に結びつくというのはビッテンフェルトの得意技である。ミュラーは、副官のオイゲンもその技をしっかりと受け継いでいるように感じた。(もしかしたら黒色槍騎兵艦隊全体で、司令官のあの技を受け継いでいるのかも・・・)と考えたミュラーは、その可笑しさに思わず独りで笑っていた。
「なにか、面白いことでも?」
含み笑いをするミュラーに声をかけたのは、妻のエリスであった。ミュラーはエリスが持ってきてくれたグラスを受け取り、「あれこれ考えていた自分の心配が、取り越し苦労に終わったんでつい可笑しくて・・・」と説明した。
「とてもいい結婚式でしたね・・・。アマンダさんにも、是非見て欲しかった・・・」
しんみりと語ったエリスに、(ビッテンフェルト提督の行動を制したのは、あの写真の中のアマンダさんだったのかも・・・)とミュラーは改めて思った。
先ほどまでの静寂に包まれた式とはがらりと変わって、庭でのパーティーは賑やかに過ぎていった。
パーティーも終盤になった頃、ミュラーは若い連中が新郎新婦を囲んで何やら盛り上がっているのが目に付いた。どうやらこれから、花嫁のブーケトスが始まるらしい。遠い昔、自分もその中にいたことを思い出したミュラーが、エリスに教えた。
「ビッテンフェルト提督とアマンダさんとの結婚式のとき、私が花嫁のアマンダさんからのブーケトスを受け取ったんだよ」
「まぁ、そうでしたの」
ビッテンフェルト夫妻の結婚式のとき、アマンダは自分の持っていたブーケを、当時独身であったミュラーに向けて放ったのだ。
「ブーケを受け取った女性が次の花嫁になれるという言い伝えは、幸せになるという意味でもあるそうですよ」
「そのせいかな?私がアマンダさんからブーケを譲り受けた後、すぐ君に巡り会って結婚できたのは・・・」
二人とも出会った頃を思い出し、思わず微笑み合う。
「いろいろ心配していたアルフォンスとルイーゼの結婚が、あっという間だったのも、ルイーゼがマリアンヌ皇妃からブーケトスを賜ったお陰かも知れませんね」
「そうかも知れないなぁ~。あの出来事が二人の婚約のきっかけになった感じだし・・・。今回のルイーゼのブーケトスは、誰が受け取るのだろう?」
「フィーネが、ルイーゼのブーケを欲しがっていたようですけれど・・・」
何気なくミュラー夫妻の会話を聞いていたビッテンフェルトが、その言葉に怖い顔で反応した。
(ブーケを受けとった者が次の花嫁・・・。まずい!フィーネの結婚が決まってしまうぞ~)
彼の頭に、まだあどけなさが残るヨゼフィーネの花嫁姿が浮かんだ。それとほぼ同時に、実際の映像としてルイーゼがヨゼフィーネに向けて合図をし、ブーケを放とうとしているのが目に入った。
それを見た瞬間、ビッテンフェルトは持っていたグラスを投げ捨て、猛ダッシュで走り出した。そして、ヨゼフィーネの手に収まる寸前のブーケを、横からバクッと奪い取った。その一瞬の出来事に、周囲は何が起こったのかよく判らなかった。
気が付くと、血相を変えて仁王立ちに立っていたビッテンフェルトの手に、ルイーゼが放ったブーケがしっかりと握りしめられていた。そして、ゼイゼイと苦しそうな呼吸をしているビッテンフェルトが、ヨゼフィーネをじっと見つめている。
ビッテンフェルトの意味不明の行動に、誰もが驚いて唖然としていた。そんな中、ビッテンフェルトは呼吸を整えると、大声で叫んだ。
「フィーネ!お前の結婚はまだ早い!お、俺は許さないぞ~~」
父親ビッテンフェルトの言葉に、花嫁のルイーゼもブーケを受け取るつもりで手を差し出していたヨゼフィーネも(はぁ~?)と呆れた表情をしていた。
ヨゼフィーネ現在12歳。どう考えても彼女の結婚は、何年も先のことである。ビッテンフェルトの奇妙な言動は、たちまちみんなの注目を浴びてしまった。
大勢の視線を感じたヨゼフィーネは、恥ずかしさのあまり真っ赤になった顔で、ビッテンフェルトを恨めしそうに見つめた。花婿のアルフォンスや花嫁のルイーゼも、先走った思い込みで興奮状態のビッテンフェルトを見て、お互い小さな溜息をついていた。
招待客達はこのビッテンフェルトの騒動を、娘を手放す寂しさからつい引き起こしてしまったものと感じた。そして、もう一人の娘であるヨゼフィーネのまだ決まってもいない将来の結婚相手に、今から深く同情するのであった。
<END>
~あとがき~
「花嫁の父」はいろいろな妄想が沸いていた割に、思っていたより筆は進んでくれませんでした。
流れがスムーズにいかず、筆が止まってばかりでした。
いつもは勝手に暴走してどんどん話を進めるビッテンフェルトが、今回は足踏みばかりして・・・(笑)
彼はルイーゼのお相手のアルフォンスは気に入っていても、やっぱり結婚ともなると複雑な心境で、多分逃げ腰だったのでしょうね。
ビッテンフェルトが花嫁のブーケトスを受け取る(奪う)という行動は、黒色槍騎兵艦隊の兵士達の予想外のパターンでした。
結局、兵士達の予測していた行動は、全て外れてしまいました。集まったお金は、黒色槍騎兵艦隊からの結婚祝いとして、ワーレン夫妻(アルフォンス&ルイーゼ)の名前で、慈善団体に寄付したということです(笑)
尚、ミュラーがアマンダからのブーケトスを受け取るシーンは、小説「ウエディング・スマイル」で最後の方に書かれている出来事です。
※小説「ウエディング・スマイル」は2019年にリメイクして、小説「デキ婚から始まった恋愛(11)に組み込まれました。