ビッテンフェルト元帥の娘ルイーゼ・ビッテンフェルトは、交際中のワーレン元帥の息子アルフォンス・ワーレンと、この度めでたく婚約が整った。交際を始める前のすったもんだに比べれば、その後は意外なほど早い進み具合である。
　折しも世間では、アレク陛下とマリアンヌ皇妃の結婚以来、結婚ラッシュが続いていた。この機会に＜陛下にあやかっての結婚！＞というカップルが後を絶たず、帝国全体が幸せな活気に溢れていた。
　アレクの世紀の結婚式の際、皇妃となったマリアンヌのブーケトスを、ルイーゼが賜ったということもあって、人々はアルフォンスとルイーゼの結婚も近いものと思いこんでしまった。
　ビッテンフェルトが誰かに会う度、必ずといっていいほどこの話題が持ち上がった。ビッテンフェルトとしては内心かなり面白くないのだが、周囲はルイーゼの結婚も間近と決めつけている。こんなふうに周りが盛り上がってしまうと、今更娘の婚約に反対するのも間が抜けているような気がして、ビッテンフェルトは何も言えなくなっていた。それにビッテンフェルト自身、相手のアルフォンスに対してもなんの不足もない。ルイーゼの幸せそうな顔を見るにつけ、父親は心の中の不満を隠し、不本意ながら二人の婚約を認めるという状況になっていた。



　ビッテンフェルトの複雑な心情を当然察していたミュラーであったが、その事にはあえて触れず、若いカップルのトントン拍子に進むこの状態を楽しんでいた。ミュラーは、自分の部下であるアルフォンスと可愛がっているルイーゼの結婚を心から喜んでいた。ルイーゼを実の妹のように思っている妻のエリスも、結婚準備を手伝うのが嬉しそうで、夫婦共々この若いカップルの前途を祝っていた。
　そんなある日、ミュラー家のリビングでなにやら話し込んでいたエリスとルイーゼが、主人であるミュラーの帰宅を知って慌てた。
「もうこんな時間だったのね。つい時間を忘れてお喋りしてしまったわ」
　帰り支度をするルイーゼに、エリスが声をかける。
「ルイーゼ、あんまり思い詰めないでね」
「ええ、もう少し様子を見てみるわ。エリス姉さんの言うとおり、私の考えすぎかも知れないし・・・。それじゃ、ミュラーおじさんもごきげんよう！」
　ミュラーに陽気に挨拶したルイーゼであったが、その目は泣いていたようで赤みを帯びていた。その目に気が付かない振りをしたミュラーが、帰っていくルイーゼを見送る。
「ルイーゼ、どうしたんだい？何だか顔が雨模様のようだったが・・・」
　ルイーゼの様子が気になったミュラーが、早速エリスに尋ねる。
「えぇ、ちょっとね。その話は食事をしながらゆっくりと・・・」
　苦笑いしながらエリスは、夕食の支度を始めた。


　＜何事も夫婦二人で分かち合う＞というのがミュラー夫妻のモットーである。従ってどんな些細なことでも互いに報告し合う為、ミュラー家の夕食の会話が途切れるという事は無かった。今夜は、やはりルイーゼの事が話題となっていた。
「結婚式の準備で、何か問題があったのかい？」
「いえ、そちらのほうは順調なんです。ただ、ルイーゼ自身が結婚することに不安を感じてしまって・・・」
「ルイーゼが？・・・もしかして、ルイーゼはマリッジ・ブルーになっているのかい？」
　マリッジ・ブルーとは、結婚が近くなるにつれいろいろな不安を募らせて気持ちがブルーになってしまう事から付けられた言葉である。明るい性格のルイーゼはマリッジ・ブルーとは無縁だと思っていたが、ミュラーは先ほどの泣きべそ顔が引っかかっていた。
「アルフォンスは、このことを知っているのかい？周りが騒ぎ立てるより彼に任せたらどうだろう？意外と簡単に解決するかもしれないよ」
「いえ、これはアルフォンスだと余計にこじれるかもしれませんよ。だって、マリッジ・ブルーになっているのは、ルイーゼではなく父親のビッテンフェルト提督のようですから・・・」
　エリスの言葉に、ミュラーは飲みかけたスープを吹き出してしまった。
「えっ、どういう事だい？」
「ルイーゼの話によりますと、このところ父親のビッテンフェルト提督の様子が不自然で、特に自分を避けている気がするというのです。ルイーゼも話している途中から、感情的になって泣き出してしまって・・・」
「ビッテンフェルト提督がルイーゼを避けている？まさか！・・・ルイーゼの考えすぎじゃないのかい？」
「私もそう思うのですが・・・。ナイトハルト、最近、ビッテンフェルト提督に何か変わった様子はありませんか？私がビッテンフェルト家を訪ねる時間と、帰宅が遅い提督とではすれ違ってばかりでよく判らないのです」
「そういえば私もこのところ忙しさに紛れて、ビッテンフェルト提督には逢っていないような気がするよ・・・」
　ミュラーは、ここ数週間を振り返ってみた。いつもはミュラーの仕事の合間を見計らったように、タイミングよくビッテンフェルトから酒の誘いがあった。しかし、ここ暫くその連絡が無い。
「ビッテンフェルト提督と明日にでも逢って、よく話を聞いてみるよ。それに、ルイーゼの方もちょっと心配だな。そうなふうに思い込んでいたら、父親の何気ない行動まで悪いほうに取ってしまうかもしれない。婚約者のアルフォンスだって、この事を知ったら不安になってしまうだろうし・・・」
「ええ、私もフィーネからもこの件について少し聞いてみますね。フィーネの事だから、なにか気が付いているかも知れませんし・・・」
　ルイーゼの妹であるヨゼフィーネは、小さい頃から感受性が強く、相手の出さない感情まで敏感に感じ取る傾向があった。大人しい性格ではあったが、人の心理を読みとる勘は鋭かった。
「ルイーゼも結婚が近いということで、少しナーバスになって父親の態度に過敏になっているのかも知れません。とにかく、みんなが心おきなく結婚式を迎えられるようにしてあげなくては・・・」
　エリスの心配そうな顔に、ミュラーが呟いた。
「う～ん、やっぱりビッテンフェルト提督は、ルイーゼの結婚には冷静でいられなかったか・・・。実際、婚約まですんなり進んだのが不思議なくらいだったからなぁ～」
「まあね・・・」
　エリスも同じように感じていたのか、苦笑いしながらミュラーに同調していた。
　溺愛する娘ルイーゼの婚約迄、ビッテンフェルトからこれといった反対もなく、割と順調であった。心配性のミュラーは、ビッテンフェルトの不思議な静けさに不気味さえ感じていた。
（このままで済むはずがない・・・）という一抹の不安が、ミュラーの中でずっと潜んでいた。その不安が姿を見せ始めたことに、ミュラーは今後の展開が心配になってきた。


「閣下、今夜はビッテンフェルト元帥とご一緒でよろしかったでしょうか？」
　軍務省のミュラーの執務室で副官のドレウェンツは、上官の今夜の予定を確認していた。
「ああ、ビッテンフェルト提督と飲むのは久しぶりだから、明日の朝は二日酔いになっているかも知れないぞ。ルイーゼの結婚が本格的になって、父親といては落ち着かないらしい」
「そう言えば、黒色槍騎兵艦隊ではアルフォンスとルイーゼとのお祝い事をネタに、いろいろな噂が飛び交っていますよ」
「へぇ～、どんな噂なんだい？」
（今夜の酒の肴にでもなるだろうか？）と思ったミュラーが、ドレウェンツに訊いてみた。
「なんでも、ビッテンフェルト元帥の娘への溺愛振りを知っている兵士達の間では、結婚式が賭け事になっているんだそうです」
「結婚式が賭け事？・・・どうなふうにするんだろう？」
　ミュラーが不思議そうに尋ねる。
「なんでも、結婚式でビッテンフェルト元帥が起こすと予想される行動が、いろいろなパターンに分かれていて、兵士達はその中から選んで賭けるのだそうなんです」
「はあぁ？」
　ドレウェンツは得意気に、自分の集めた情報を披露した。
「まず一番の本命は、＜式の最中、あの大声で泣き出す＞というパターンですね。多くの兵士がこれに賭けています。あと＜どうにも我慢できず式の最中に『やっぱり嫁に出さない～！』と言って暴れ出す＞とか、＜当日になって『式には欠席する！』とごね出す＞とかが対抗馬となっています」
「・・・」
　ミュラーの考えていた不安と同じような事を、黒色槍騎兵艦隊の兵士達も考えていた。ただ大きな違いは、ミュラーにとってそれは恐ろしい予想であったが、兵士達にとっては楽しい興奮となっているらしい。
「そして、一番の大穴が＜普通の結婚式と同じように、何事もなく無事に終わる＞という面白くない予想で、今のところこの行動に賭ける兵士は少なく配当率が高い模様です」
（結婚式が無事終わるのが面白くない・・・）
　このドレウェンツの言葉に、ミュラーは絶句していた。
（ドレウェンツを初め多くの者が＜この結婚式でビッテンフェルト提督は何かをしでかす筈！＞と期待している・・・）
　そう感じたミュラーは、早くも二日酔いのような頭痛がしてきた。
「黒色槍騎兵艦隊の兵士らしいが・・・」
　引きつった笑いのミュラーが、動揺を隠してドレウェンツに明るく伝える。
「ともかく今夜は、久しぶりにビッテンフェルト提督と飲んで話をしてくるよ。彼のことだから愚痴を私に話してさっぱりしたら、次の日からはケロッとしているかも知れないし・・・」
「いつもの事ながら、閣下も大変ですね」
　ビッテンフェルトのもめ事や不満を受けとめるミュラーの大変さを、長年見てきたドレウェンツは小さな溜息をついた。
「しかし、黒色槍騎兵艦隊の賭け事の話は、アルフォンスには内緒にしておいた方がいいぞ。彼は結婚したら、義理の息子としてビッテンフェルト提督と長いつき合いが始まる。今から気苦労を背負うこともないさ・・・」
「そうですね・・・」
　ドレウェンツはアルフォンスの未来にも、少し同情していた。


　軍務省にてミュラーとドレウェンツが黒色槍騎兵艦隊の賭け事についての話をしていた頃、エリスはヨゼフィーネを自宅のお茶に招いていた。
「父上は姉さんの結婚に対して、反対までしなくてもチョットごねたかったのよ。それなのに、それを実行するタイミングを失って慣れない我慢をしているものだから、そのストレスがあの訳のわからない行動となって表れているのね」
　父親ビッテンフェルトの最近の行動を、ヨゼフィーネはこのように解説していた。父と姉の状態を間近で見ている彼女は、意外と冷静であった。母親アマンダにそっくりの顔立ちのヨゼフィーネは、外見だけでなく理論的な考えをする性格も受け継いだらしい。
「結婚式当日に、父上の我慢が一気に爆発するかもね～」
「驚かせないで、フィーネ」
　コロコロと笑い出したヨゼフィーネに、エリスが身震いをして大げさに反応する。
「父上は、あのとおり姉さんを手離したくないという思いが人一倍強いでしょう。なのに陛下の結婚以来、みんなは姉さんとアルフォンスも結婚するものと思いこんで、すっかりお祝いムードになってしまった。式の日取りや会場もあっと言う間に決まって、父上は口出しが間に合わなかったくらいだし・・・」
　ワーレンとビッテンフェルトの両元帥の子供同士の結婚に、双方の副官達が気を利かせた。アルフォンスとルイーゼの結婚が近いと思い込んでしまった副官達は、ミュラーの副官ドレウェンツも交えて話し合い、忙しい三人の元帥のスケジュールを考慮し、いくつかの候補の日をアルフォンスに教えたのだ。その結果、結婚式の日取りはあっという間に決まってしまった。
　又、気の早い黒色槍騎兵艦隊の幕僚達からの結婚祝いの贈り物が、ビッテンフェルト家に次々届いたりもしていた。
「結婚式の準備がどんどん進んでいる状態で、もし花嫁の父親が反対をしたら大事になりかねない。父上としては、姉さんとアルフォンスの仲を裂くつもりは無いけれど、自分の悶々とした不満の持っていきように困っている・・・そんな感じかな！」
　生意気に父親の心理を分析しているヨゼフィーネであった。
「ねぇ、どうすればいいと思う？ルイーゼも落ち込んでいるのよ」
「全く姉さんも、父上の行動なんか気にしないで放っておけばいいのに・・・。いちいち気にしていたら、姉さんはアルフォンスといつまで経っても結婚ができないわよ！」
　ヨゼフィーネがあっさりと告げる。
「結局のところ、父上は姉さんをまだ手放したくないのよ！もう少し結婚というものを、気軽に考えればいいのにね。姉さんは結婚した後、宇宙の果てに行ってしまうわけではないのよ！結婚後に住むワーレン家は、酔った父上が歩いて帰ってこれる距離なのに・・・」
　結婚後ルイーゼは、ワーレン家でアルフォンスの家族である父親のワーレンや祖父のテオドールと同居する予定になっていた。
「確かに近くに住むことになるルイーゼとは、結婚後もいつでも逢えるのだけど、ビッテンフェルト提督にしてみればどうにも割り切れないところがあるのでしょうね」
「私は、アルフォンスが義兄さんになってくれるのが待ち遠しいけど・・・」
　ヨゼフィーネとて姉のルイーゼが結婚する寂しさはある。だが大好きなアルフォンスが家族の一員となる嬉しさの方が勝るらしい。ルイーゼとはいつでも逢えるという事で、結婚で姉と離れるという認識も薄いようであった。
「ビッテンフェルト提督もルイーゼを手放すと思わず、新しく息子が出来ると考えてくれればいいのだけど・・・」
　エリスが小さな溜息をついた。しかし、エリスとて判っているのだ。ビッテンフェルトは本心はルイーゼの結婚をとても喜んでいる。だが、今は父親として複雑な感情が変に絡み合い、どうにも出来ずジタバタと喘いでいるだけなのだということを・・・。
（今夜、ナイトハルトがビッテンフェルト提督に逢う予定だ。夫が何とかしてくれるかも・・・）
　エリスは、難しくなったビッテンフェルトの扱いに慣れている夫のミュラーの手腕に期待した。


＜続く＞