ヨゼフィーネの会見は無事終わり、会場にいる人々は<レオンハルト皇子の生い立ち>の映像に見入っている。
一番奥でそれを見守っていたフェリックスのところに、アルフォンスが近づき話しかけた。
「フェリックス、フィーネ達は無事ハルツに向かったよ」
「そうか!良かった。これで一安心だ」
<早く娘に逢いたい!>という妻の希望を叶える為、フェリックスは(周囲が会見後の映像を見ている内に、士官学校からフィーネを脱出させれば、マスコミに見つかる可能性が低いかも・・・)と考えた。とはいえ、会場から夫婦で抜け出す訳にもいかず、かといってヨゼフィーネだけでハルツまで向かわせるのも、フェリックスは心配だった。報道協定があるとはいえ、まだマスコミ各社に徹底されているとは限らない。そこでフェリックスはアルフォンスに、ヨゼフィーネをハルツまで送り届ける役目を頼んだのである。
ハルツの別荘は、ヨゼフィーネがレオンハルトを産んだ頃から、ビッテンフェルトの意向もあって、出来るだけ場所を秘密にするようになっていた。ビッテンフェルトは、山奥の一軒家で通信も何かと不便なこの別荘は、王室で何か異変があったとき、皇子である孫のレオンハルトの避難場所にもなり得ると考えたからである。
実際この別荘は、避難場所として何度か利用されている。
皇妃であるマリアンヌも、結婚前にアレクの想い人としてマスコミに暴露されたとき一時的に避難していたし、ヨゼフィーネがレオンハルトを産むときも、隠れるように滞在していた。又、別荘が前の持ち主でオーベルシュタイン家の執事であったエーレンベルグ氏が所有していたときには、アマンダがここに身を寄せてルイーゼを産み、シングルマザーとして暫く生活していた事もある。ビッテンフェルトと結婚した後も、ヨゼフィーネを産む産まないで夫婦で言い争った際に、家を出たアマンダが立ち寄った場所もこの別荘であった。そして今、孫娘のエルフリーデが避難している。
ハルツの別荘は、ビッテンフェルト家にとって、こんな使われ方をしている別荘でもあった。従って一族以外、この場所を知っている者は、ごく親しい関係者だけという閉鎖的な状態にもなっていた。
フェリックスは、自分の部下や士官学校の関係者に、ヨゼフィーネをハルツの別荘まで送ってもらう訳にもいかず、結局身内のアルフォンスに頼んでいたのである。
会見を終えたヨゼフィーネが心配なのは、アルフォンスとて同様である。彼は、義妹をハルツまで送り届けるつもりで準備をしていたが、当日になってミュラーが、ヨゼフィーネを別荘まで連れて行く役目を申し出た。結局、ミュラーがヨゼフィーネをハルツまで送り届ける事になったのである。
「それにしてもミュラー閣下は、本当にフィーネの事が可愛くてしょうがないんだな。普段は、母親代わりのミュラー夫人の方に目が行く分目立たないけれど・・・」
アルフォンスの言葉に、フェリックスも笑って同意する。
「うん、そうなんだ。実際、実の父親の義父上がいるから、ミュラー閣下はあまり表面に出さないけれど、こんなときに判るよ。ミュラー閣下にとっても、ルイーゼやフィーネは娘みたいな存在なんだって・・・」
「まあ、ミュラー夫人は、ルイーゼのベビーシッターをしていて、それが縁でミュラー閣下と結婚したんだ。フィーネのときは体調を崩していた義母上の代わりに、産まれたときから育児を手伝っていた。夫婦であの姉妹の成長を、ずっと身近で見守ってきた分、ミュラー閣下の彼女たちに対する思い入れも、結構強いものがあるんだと思うよ」
アルフォンスが、ルイーゼやヨゼフィーネとミュラー夫妻との繋がりの強さを改めて感じていた。
「全く、我が妻たちの後ろ盾は、本当に強力だよ!あの義父上の他にミュラー閣下だろう!それに、ベッカーにも言われたよ。『皇妃候補で騒がれていたときのルイーゼには、黒色槍騎兵艦隊がバックについていた。フィーネの場合は、将来の士官候補の学生達が、親衛隊として守っている』って・・・。我々夫は、妻たちに下手な事は出来ないぞ!」
フェリックスの言葉に、アルフォンスが笑う。
「そんな事、ルイーゼと結婚する前から覚悟していたよ!でも、俺達だからこそ、あの義父上の婿が務まっていると思わないかい?」
婿としてビッテンフェルトの相手を長年務めてきたアルフォンスが、自信に満ちた顔でフェリックスに持ち掛ける。義兄の言葉に、同じように婿であるフェリックスも得意げに頷いて同意した。
いつしか会場の映像は、<士官学校の学校紹介映像>に代わっていた。レオンハルトがテオドールやヨーゼフと共に、学生達と一緒に士官学校を見学している様子が映し出されている。その映像を見ながら、アルフォンスが呟いた。
「しかし、親父の奴、前々からこんな会見を想定していたのかな?この映像の事だって、俺は全く知らなかった。あの頃、テオやヨーゼフをしきりに士官学校に誘っていたのは、この仕込みの為だったんだな。俺は、自分の職場に孫を来させるなんて、親父らしくないとは思っていたんだ。ちゃんと裏があったんだな・・・」
アルフォンスが、あの厳格な父親が周囲から<孫に甘い学長>と言われながらも気にせず、孫達を士官学校に呼んでいた理由<わけ>を今になって理解する。
「俺も当時は、フィーネとレオンハルト皇子の交流がスムーズにいく為に、ワーレン学長が一肌脱いでくれているとばかり思っていたよ。フィーネもレオンハルト皇子も、最初は遠慮し合ってぎこちなかっただろう。実際、士官学校に来るようになったのがきっかけで、二人の関係は上手くいくようになったし・・・」
フェリックスも、ワーレンが自分たちより先を見越し、後々利用出来るかも知れないレオンハルトとヨゼフィーネのツーショットを準備していた事に驚いていた。
「しかし、こうして改めて見ると、この映像も上手くできているよ。学生達が格好良く見える!この分だと、来年の士官学校の志願者は増えそうだな!これは、スーザンの思惑通りかな?」
アルフォンスが、この映像の反響を予想する。
「うん、今まで軍人を下に見ていた貴族達の子弟も来るだろうな~。これを見れば、レオンハルト皇子が士官学校に進学するのが予想できるし、少しでも我が子と皇子との関りを深めたいという野心が貴族連中に沸くだろうし・・・」
「そうだな。自分の子どもたちが士官学校に入学すれば、貴族達の軍に対する見方も変わってくるだろう。まあ、昔のように、貴族の子弟だからといって優遇する事はないが・・・。しかし、<一つの種から、より多くの収穫を得る!>・・・相変わらずうちの親父は、抜け目がないというかなんというか・・・」
アルフォンスが、自分の父親の効率的な作戦に舌を巻く。
「君の親父さんは、なかなかの策士だよ。さすが堅実な用兵家として名高いだけのことはある。しかし、俺の親父や義父上もそうだが、あの世代は相当したたかだよ。今の俺たちより若いときに、戦争を勝ち抜き新しい王朝を築いているんだから敵わない・・・」
「ホント、太刀打ちできない・・・。乗り越えるにも、あの御仁らの背中は大き過ぎる!」
<獅子の泉の七元帥>を父や義父に持つフェリックスとアルフォンスが、乗り越える父親達の偉大さを実感していた。
ミュラーが運転する地上車が、会見を終えたヨゼフィーネを乗せて、ハルツに向かっている。
「軍務尚書を、運転手代わりに使う軍人なんて、きっと私くらいだわ・・・」
ヨゼフィーネが肩を竦ませた。
「今日は、私もビッテンフェルト提督に逢うためにハルツに向かう予定だった。フィーネはついでに乗せているんだし、私は私服でプライベートなんだから、気にしないように!」
ミュラーはそう言ったものの、ヨゼフィーネは、(おそらくフェリックスから自分の願いを聞いて、わざわざ名乗り出てくれたのだろう・・・)と感じていた。
「会見は上手くいったね。質問形式にした事でフィーネは話しやすかっただろう?」
「ええ、確かに自分で一から話すより、質問に答えるという形の方が説明しやすかったけれど、ちゃんと伝わったのかしら?」
「大丈夫!フィーネの気持ちはちゃんと伝わったよ。いい会見だった」
ミュラーの感想を聞いたヨゼフィーネが、ホッとしたように大きく深呼吸する。ようやく緊張感から解放されて、肩の力が抜けた様子のヨゼフィーネに、ミュラーが声を掛ける。
「今流れている<レオンハルト皇子の生いたち>と同じ映像を、後ろの席のモニターで見る事が出来るよ。フィーネも見てみたら?」
「ええ、そうするわ」
ミュラーに促されたヨゼフィーネは、モニターを操作させると<レオンハルト皇子の生い立ち>を世間より一足遅れて鑑賞し始めた。
エリスが描いた絵が映し出されると、ヨゼフィーネは画面を一時停止させてその絵をじっと見つめていた。
「あの頃、私、こんな表情<かお>をしていたのね・・・。エリス姉さんが、この絵を描いていた事は知らなかったわ」
ぽつりと告げたヨゼフィーネに、ミュラーが説明する。
「その三枚の絵は、ずっと私とエリスの秘密だった。十五歳のフィーネの妊婦姿と赤ん坊を抱いている絵だし、もうひとつはレオンハルト皇子と一緒だ。公表前に世に出すわけにはいかなかったからね」
「この絵を見たのが現在<いま>でよかった。レオンハルト皇子から距離を置いている頃に見ていたら、多分辛かったと思うし・・・」
ヨゼフィーネの気持ちが、エリスやミュラーにも予想できたからこそ、あの絵はずっと夫婦の秘密となっていたのである。
「今なら、大丈夫なのかい?」
ミュラーの問いかけに、ヨゼフィーネが頷く。
「ええ、懐かしいっていう想いの方が強いわ。それに、今が満ち足りているから、冷静にあの時代を振り返られる」
「そうか、良かった。それで、この絵の事なんだが、皇妃が<是非、三枚とも購入したい!>と申し出ている。多分、レオンハルト皇子の為だと思うが・・・。エリスはフィーネさえよければって言っている」
ミュラーの申し出に、ヨゼフィーネも頷いて伝える。
「ええ、どうぞ、皇妃さまに、この絵を差し上げてください。あの絵の中の私も、レオンハルト皇子のそばにいたがっていますから・・・」
「そうか、判った。私の方からエリスに伝えておくよ。今、あの絵は、エリスのアトリエに置いてあるんだ。王宮に運ぶ前に、一度、絵を見に我が家においで!エリスも喜ぶ」
「ええ、近いうちに是非伺うわ」
ヨゼフィーネがにっこりと笑う。
「しかし、フィーネは強くなったな・・・」
ミュラーが、しみじみと語った。
「フェリックスからも、そう言われたわ。今の私が強いって言われるって事は、昔の私が相当弱かったって証拠ね・・・」
ヨゼフィーネが小さなため息を付く。
「いや、十五歳の君には、あの出来事は重すぎたよ。乗り越えただけで充分だった。それに、私やフェリックスは当時のフィーネの印象が強く残っているから、余計に今の君が逞しく見えるんじゃないのかな?」
ミュラーが笑いながら弁明する。
ミュラーもフェリックスも、レオンハルトを身籠っていた頃のヨゼフィーネの状態を知っている。それこそ、支えていなければ崩れ落ちてしまいそうな危うさで、周りは随分心配したものだった。又、産まれたばかりのレオンハルトを手放してからも、母親としての想いを必死に隠して耐えていた切ないヨゼフィーネも知っている。だからこそ二人は、現在<いま>の妻や母として、そして士官学校の教官としてすっかり逞しくなったヨゼフィーネとのギャップを感じてしまうのだろう。
「今まで、ミュラー叔父さんやエリス姉さんが支えてくれたから、乗り越えられたの。本当にありがとうございます」
改まって礼を言うヨゼフィーネに、ミュラーが告げる。
「水臭い事を言わない!私もエリスも、君やルイーゼのお陰で子育ての気持ちを味わう事が出来た。こっちこそ君たちに礼を言いたいくらいだよ!」
ルイーゼやヨゼフィーネの成長を我が子のように見守ってきたミュラーが、逆に礼を言う。
「会見の最後に学生達が君に敬礼をしたとき、フィーネは軽く微笑んで答礼しただろう。あの微笑みを見て、私はアマンダさんを思い出したよ。君の母上も、よくあんな感じに微笑む人だった」
「母上の笑い方に似ていたの?私、顔はよくそっくりって言われるけれど、笑い方が似ているって言われるのは初めてだわ」
ヨゼフィーネが意外そうな顔で伝える。
「そうか。・・・私が初めて逢った頃のアマンダさんと今のフィーネが、同じくらいの年齢になってきたせいもあるのかな?」
ミュラーが少し考え込む。
「それだけ私も、齢をとったって事ね・・・」
苦笑いをするヨゼフィーネに、自分の感覚を自覚したミュラーが説明する。
「いや、違うよ、フィーネ!君もアマンダさんも辛い経験をして、それを糧にしてきた分、穏やかないい笑顔を見せるようになったんだよ!アマンダさんは軍人で戦争も経験している。悲惨な過去を乗り越えてきたからこそ、人々に安らぎを与えるような笑顔になったんだ。フィーネもアマンダさんと同じように、いろいろな想いを乗り越えたきた分、素敵な微笑みをする女性になった・・・」
ミュラーが温和な笑顔で、ヨゼフィーネに伝える。
「ありがとう、ミュラーおじさん。私、母上にそっくりと言われて、こんなに嬉しくなったことないわ・・・」
ミュラーの言葉に感激したヨゼフィーネが、目を潤ませながら礼を言った。
ミュラーとヨゼフィーネを乗せた車が、ハルツの別荘に着いた。
「お帰りなさい、フィーネ!ミュラーおじさんも、お疲れ様です」
出迎えたルイーゼが、二人を招き入れる。
「エルフィーは、ついさっきテオと散歩に出かけてしまったのよ。フィーネがこんなに早く来てくれるとは思わなくて・・・。多分、この辺を一回りしたら帰ってくると思うから、チョット待って頂戴」
「ええ、大丈夫よ、姉さん。エルフィーが世話になったわ」
「気にしないで!エルフィーとのおしゃべりは楽しいわ!やっぱり女の子は可愛いわね♪」
自分の子ども達が男の子だっただけに、ルイーゼは姪のエルフリーデを娘のようにかわいがっていた。
その後、リビングでくつろいでいるビッテンフェルトに、ヨゼフィーネが報告する。
「父上・・・無事、会見を終えました」
「ああ、いい会見だった・・・。上出来だ!」
ビッテンフェルトは、ヨゼフィーネの頭の上に手を置くと髪をくしゃくしゃにした。この仕草は、娘たちが小さい頃から、褒めたり励ましたりするとき、よくするビッテンフェルトの癖でもある。久しぶりに父親からその愛情表現を受けたヨゼフィーネは、子どもの頃を思い出し懐かしくなっていた。
そんな二人の前に、エルフリーデをオンブしたテオドールが駆け込んできた。
「エルフィーと外を散歩していたら、ミュラー叔父さんの車が来たのが見えたんだ。そしたらエルフィーが、フィーネ叔母さんも一緒にいるって言うから、急いで戻ってきた!」
夢中で走ってきたらしく息切れをしているテオドールが、背中にいるエルフリーデをゆっくりと降ろす。途端にエルフリーデが、母親の胸に飛び込んできた。
「ムッター、お帰りなさい♪」
「エルフィー、ただいま!いい子で待ってくれてありがとう」
ヨゼフィーネが十日ぶりに逢う娘を抱きしめる。エルフリーデも嬉しくて堪らないように母親にしがみつく。
「テオ、ご苦労さん!エルフィーの事、守ってくれてありがとう!」
ヨゼフィーネが、娘の面倒を見てくれた甥を労う。
「フィーネ叔母さん、会見を見たよ!物凄く格好良かった♪」
興奮気味のテオドールに、ヨゼフィーネが少し照れくさそうに話す。
「あら、そう見えた?始まる前は、これでも緊張していたのよ。でも、場所が士官学校だったのが良かったのかもしれない。話しているうちに、なんだか教官として、学生達の代表と質疑応答しているような感じに思えてきて・・・」
「カメラを持って待ち構えている記者が、学生に思えたの?逞しい教官魂だね」
「場所が場所だけに、条件反射もあったかも知れないわね」
テオドールとヨゼフィーネが、顔を見合せて笑った。そんなヨゼフィーネに、ビッテンフェルトが伝える。
「フィーネ、ライナー先生には俺から連絡しておいた。調べ上げたマスコミが、先生のところまで押し掛けてくる可能性もあるからな!」
「ありがとうございます、父上。私の方でも、近い内にフェリックスと一緒に、ライナー先生にご挨拶に伺います」
「そうだな。ライナー先生もお前の顔を見たら喜ぶだろう。しかし、彼は、レオンハルト皇子がフィーネの産んだ赤ん坊だと気が付いていたようだった。はっきりとは言わなかったが、自分で取り上げた赤ん坊だからこそ判ったんだろうな・・・」
ビッテンフェルトは、ライナーとの会話の中でそう感じたらしい。
「ライナー先生も、私が産んだ坊やがレオンハルト皇子だと知っていても、ずっと黙っていてくださった。父上や私の周りには、そのように配慮してくださった方々がいて、私は守られてきました。有難く思っています」
スーザンやライナーの他にも、王宮の関係者やビッテンフェルトの同僚や部下たちなど、自分とレオンハルトとの関係に気が付いていたが知らぬ振りしてくれた人々がいると、ヨゼフィーネは実感していた。
「うん、そうだな。俺たちの見えないところでも、きっと沢山の人から、応援してもらったり支えてもらったりと、いろいろ世話になっていたと思う・・・」
娘の感謝の気持ちに、ビッテンフェルトも同じように、<自分も周りに助けられてきた・・・>と感謝するのであった。そんな二人に、ルイーゼが声を掛けた。
「フィーネも父上も、今まで本当にご苦労様でした。フィーネが立派に会見する姿を見て、私は涙が止まらなかったわ。今での事が思い出されてしまって・・・」
まだ少し目が潤んでいるルイーぜに、ヨゼフィーネが抱きついた。
「姉さん、今までありがとう。姉さんや義兄さん、そしてテオやヨーゼフ、みんなのお陰で今の私がいる。本当に感謝しているわ」
「何を言っているの、フィーネ!私たちは家族なんだから、助け合うのは当たり前なのよ。これからも、姉妹で支え合いましょう」
ルイーゼも抱きついた妹の背中を軽くたたいて応じる。
「ええ、姉さんが、私の姉さんでよかった」
「ありがとう!フィーネは私の自慢の妹よ!」
抱き合う二人の娘たちを見たビッテンフェルトも、つい涙腺が緩むのであった。
その後、ヨゼフィーネはエルフィーが夢中で話しかける言葉に耳を傾けて、母と娘の時間に浸っていた。ルイーゼは、息子のテオドールを伴い、ふもとの町まで買い出しに出かけている。
そして、ルイーゼから留守を頼まれたビッテンフェルトとミュラーは、リビングで二人で話し込んでいた。
「ミュラー、今までいろいろと世話になったな!お前、本当はもっと早く退役したかったのに、フィーネの事が心配で軍人を続けていたんだろう?」
ビッテンフェルトの言葉に、ミュラーが首を振る。
「いえ、そういう訳でもありませんが・・・。只、フィーネの会見が無事終わって、なんだか肩の荷が下りたような気はします」
ミュラーが、今の自分の気持ちを正直に語る。
皇帝からの信頼が厚いミュラーは、長きに渡って軍務尚書を務めている。異例とも言えるその状態は、アレクがミュラーを拠り所にしている証でもあり、彼の軍務尚書としての手腕を、誰もが認め満足している証拠でもある。それに、何かと軍と敵対する貴族達からも、温厚なミュラーは軍人としては珍しく一目置かれ好意的に思われていた。周囲から<ミュラー以外の軍務尚書は考えられない>という評価を得ていただけに、ミュラーの軍務尚書としての長い在任に、誰も異論がなかったのである。
しかし、ミュラーにしていれば、皇子であるレオンハルトを産んだヨゼフィーネの事がずっと心配で、アレクとビッテンフェルト家の関係が上手くいくように願っていたのと、そのヨゼフィーネが軍人になった事で近くで見守りたいという気持ちもあって、いつの間にか軍務尚書の在任期間が長くなったという感じが強かった。ビッテンフェルトもそんなミュラーの状況に気が付いていて、この機会に長年持ち続けていた感謝の気持ちを述べたのである。
「お前も、そろそろ、エリスとの夢に向けて準備をして欲しい!二人で、絵の教室を始める予定なんだろう!」
「ええ、エリスの願いは叶えてやりたいです」
ミュラーが頷いた。
エリスは独身時代、子どもたちの絵の教室の講師をしていた。ミュラーとの結婚と同時にその仕事は辞めたものの、いつかまた子どもたちに絵を描く喜びを伝えたいという希望を持っていたのである。ミュラーは妻のその夢の為、退役後はエリスと一緒に子ども達相手に絵の教室を開きたいと計画していたのだ。ビッテンフェルトも、ミュラーからその話は聞いて知っていた。
「お前をずっと頼りにしていた陛下も、もう心配はいらない。あとはフェリックスやアルフォンスに任せても大丈夫だろう」
「ええ、実際いい潮時だと思っています。これから過ごす私の第二の人生は、子どもが相手になりそうです」
ミュラーが笑った。
「しかし、今日の映像を見て感じたんだが、帝国軍は随分変わった。女性軍人が、結婚しても子どもが生まれても退役せず、普通に軍務をこなしているのが当たり前になっているんだな。俺もフィーネを見ているから、ある程度は理解しているつもりだったが、予想以上だったよ」
ビッテンフェルトの感想に、ミュラーも同意する。
「ええ、これからもっと変わるでしょう。皇太后のあの<女性軍人が結婚しても、安心して仕事を続け、出産後も当たり前に職場復帰できる組織である事を、帝国軍の誇りとしてほしい!>というお言葉があって以来、軍管轄の保育園や学童施設が増えました。男性の育児休暇も取りやすくなって、利用する軍人も増えています。軍の中で子どもを産んで育てる環境が充実した事が、退職しない女性軍人の増えた大きな理由でしょう。それに、今日の軍を紹介した映像でも、その辺を随分アピールしていましたから、来年は士官学校も女性の志願者が増えると思いますよ」
「う~ん、俺のような古い人間は、ついていけなくなったな・・・」
世代の違いを感じたビッテンフェルトが、大きなため息を付く。
「近い将来、女性軍人による司令官や元帥が出てくると思いますよ!さしずめフィーネあたりが、父親と同じカリスマ的な司令官になって、艦隊を指揮するんじゃないですか?」
ミュラーの予想に、ビッテンフェルトが昔、アマンダから言われた言葉を思い出した。
「そういえばアマンダは、二人で王虎の艦橋にいたときに、『お腹の子が<王虎>に乗りたがっている』と言ってフィーネを身籠った事を俺に教えたんだ・・・」
「へー、そうだったんですか・・・」
妻との忘れていた会話を思い出したビッテンフェルトも、教えてもらったミュラーも、現実味があるアマンダの言葉に驚く。
「今思えばアマンダは、お腹の中にいたフィーネが軍人になると判っていたのかな?」
「アマンダさんの事だから、そうかもしれませんよ・・・」
二人で生前のアマンダを思い出し納得する。
「ミュラー、昔、エリスが描いた絵の中に、軽く微笑んだアマンダを描いた絵があっただろう?タイトルは確か<古拙の微笑>だったかな?」
「ええ、知っています。その絵は現在<いま>、ルイーゼがもっていますよ」
「そうか。今日の会見で、フィーネが最後に学生達と敬礼を交わしただろう。そのときの顔を見て、俺はあの絵のアマンダを思い出したよ」
ビッテンフェルトもミュラーと同じように、ヨゼフィーネの微笑みにアマンダの面影を感じたらしい。
「あの絵のアマンダさんを、私とエリスは<アルカイック・スマイルのアマンダさん>と呼んでいるんですよ。実は、エリスがあのアマンダさんの絵を描くきっかけになった本があるんです。今度、持って来て提督にもお見せしましょう」
「おう、是非、見せてくれ!ところでミュラー、エリスの絵と言えば<レオンハルト皇子の生い立ち>の映像にあったあの絵の事なんだが・・・」
ビッテンフェルトが会見後の映像に流れていたエリスが描いた絵の事を、ミュラーに持ちかける。ビッテンフェルトの次の言葉を予想したミュラーが、済まなそうな顔で伝える。
「実は、あの絵はもう売約済みになりました」
「なに!しまった~。もう、先を越されていたか!!」
悔しがるビッテンフェルトに、ミュラーが謝る。
「申し訳ありません。提督にお声を掛ける前に、絵の購入が決まってしまって・・・」
「まあ、いいか!あの絵が見たくなったら、王宮に出向けばいいんだろう!」
ミュラーが教えなくても、絵の購入先が判ったビッテンフェルトが、ニンマリとしながら伝える。
「ええ、それに陛下が、レオンハルト皇子の後見人となった提督の為、王宮に新たに執務室を設けると仰っていました。その部屋にもあの絵を飾るという事で、提督には納得して貰いたいとの事です」
アレクの言葉を伝えるミュラーに、ビッテンフェルトが頷く。
「しかし、今思えば、あの頃のフィーネの写真を、少しは残しておけば良かったな~」
「まあ、あれは徹底した極秘事項でしたから・・・。我々も身重のフィーネの写真を撮っておく事なんて、考えもしませんでした」
「それだけ俺たちに、余裕がなかったって事だな」
「ええ、フィーネの一大事でしたからね。それに、ヨーゼフの手術とかも重なりましたし・・・」
「過ぎてしまえば、何もかもいい思い出になっているがな・・・」
「そうですね。長いようであっという間に過ぎましたね・・・」
しみじみとなった二人に、ヨゼフィーネが新たなお茶を持ってきた。
「あれ、エルフィーはどうしている?」
ビッテンフェルトが、孫娘の様子を尋ねる。
「エルフィーは、私が戻ってきた事を<妖精さんに教える♪>っと言って、屋根裏部屋に行ったわ」
「はあ、妖精?」
「へぇ~、此処の屋根裏部屋には、妖精が住んでいるのかい?」
ヨゼフィーネの言葉に、ビッテンフェルトとミュラーが驚いた。
「そうなの。私には分からないけれど、エルフィーには見えるみたいで・・・。とっても仲良しらしいわよ」
ヨゼフィーネが笑って説明する。
「小さな女の子の世界は、メルヘンがあっていいね」
「エルフィーは、まだ空想と現実の境がないみたいで、いわゆる<イマジナリーフレンド>って感じかな・・・」
「なるほど、子どもの想像力って面白いし、エルフィーはファンタジー傾向が強いのかもしれない」
ミュラーとヨゼフィーネの会話を聞きながら、孫娘の世界に興味を持ったビッテンフェルトが思い付く。
「俺、チョット覗いてみようかな?」
「邪魔するのはやめたら?父上に驚いて、妖精さんが隠れてしまうかもよ」
「大丈夫!エルフィーに気付かれないように、ドアの向こう側からこっそり覗くだけだから・・・」
ビッテンフェルトは席を立つと、娘の警告を無視して忍び足で階段を登り始めた。
「全く、父上の精神年齢は、エルフィーと同じかもよ」
父親の行動に、ヨゼフィーネが呆れる。
「もしかすると、ビッテンフェルト提督にも妖精の姿が見えるかも知れないよ。純粋で子供みたいなところがあるから・・・」
「まあ確かに、子供みたいという部分は認めるわ」
ヨゼフィーネの言い分にミュラーが笑う。
リビングで話していたヨゼフィーネとミュラーの耳に、突然ビッテンフェルトの怒鳴り声とその後に続くエルフリーデの泣き声が聞こえた。ビックリして顔を見合わせた二人が、慌てて階段を上り屋根裏部屋に向かう。
駆けつけたヨゼフィーネは、無造作に壁に立てかけていた肖像画に向かって、大声で怒鳴っているビッテンフェルトの姿に驚いた。
「よくも、俺の可愛い孫娘を・・・」
興奮して怒っているビッテンフェルトのそばで、エルフリーデが泣きじゃくっている。ただならぬ様子に思わずヨゼフィーネが、肖像画とビッテンフェルトの間に割って入って、父親に声を掛ける。
「父上、どうしたの?どうしてそんなに怒っているの?」
「あっ!アマンダ・・・」
自分とオーベルシュタインの肖像画の間に割り込んできた軍服姿のヨゼフィーネを見て、ビッテンフェルトは一瞬にして昔に舞い戻った感覚に陥った。そして、目の前のヨゼフィーネを見つめながら、ビッテンフェルトが再び呟く。
「アマンダ・・・」
父親と目を合わせたヨゼフィーネは、その言葉に動揺していた。
最初の呼びかけは咄嗟の事だし、自分を母親と間違えたのはまだ判る。しかし、二度目はちゃんと向き合ってお互いの顔を見ているのに、母親の名前で呼ばれたのである。ヨゼフィーネに大きな不安が襲い、心細くなった彼女は昔のようにミュラーに救いを求めた。
「ミュラーおじさん、どうしよう!父上がボケちゃった!私の事、母上だと間違えている!!」
「・・・」
ヨゼフィーネの言葉に、ビッテンフェルトは口をアングリと開けたまま呆れていた。ミュラーは、先ほど会見で見せた凛々しいヨゼフィーネが、一転して小さい頃のようにベソ顔になった様子に、思わず笑いを堪える。
(俺がボケた?)
「ば、ばかもん!!」
真っ赤な顔で怒鳴ったビッテンフェルトが、娘に言い訳する。
「軍服を着たお前が、ここに割り込んでくるから・・・勘違いしただけだ!」
いつもの父親に戻った様子に、ヨゼフィーネがほっとする。
「もう、驚いたわよ・・・」
「何、バカな事を言っているんだ!それより、泣いているエルフィーを何とかしろ!」
ビッテンフェルトが娘に言いつける。
(全く、誰が泣かせたのよ・・・)
内心ブツブツ言いながら、ヨゼフィーネが泣いている娘を抱き上げた。
「泣かないでエルフィー、いったいどうしたの?」
「おじいちゃんがパウルとケンカしたの・・・。お願い、おじいちゃん、パウルと仲良くして・・・」
金銀妖瞳<ヘテロクロミア>を涙目にさせたエルフリーデが、祈るように小さな両手を合わせて、ビッテンフェルトに頼み込んでいる。
(ロイエンタール・・・お前が俺に、あのオーベルシュタインと仲良くしろって言うのか!?)
孫娘の金銀妖瞳<ヘテロクロミア>の瞳の奥にいる亡き僚友の面影に、ビッテンフェルトが問い掛ける。
難しい顔で返事を渋っているビッテンフェルトの代わりに、ヨゼフィーネが娘に尋ねた。
「エルフィー、パウルって誰の事なの?」
「パウルは、ここに住んでいる妖精さんなの・・・」
「そうなの。大丈夫よ!おじいちゃんは妖精のパウルと仲直りするから・・・」
ヨゼフィーネは娘にそう言うと、ビッテンフェルトの方を振り向き(仲直りすると言って!)とばかりに、父親に目で訴える。
母親に抱かれたエルフリーデも「おじいちゃん、お願い!」と言って、更に念押しをする。
目に入れても痛くない可愛い孫娘の頼みと娘の鋭い視線に、ビッテンフェルトはいつまでも渋い顔でいられなくなった。
「うう、な、仲良くする・・・」
引きつった笑いで、孫娘を安心させるビッテンフェルトであった。
「エルフィー、おじいちゃんとパウルが仲直りしてよかったわね!もう下に行きましょう!そろそろ、テオ達が買い物から戻ってくるわ」
「はい、ムッター。パウル、また遊んでね♪」
エルフリーデがオーベルシュタインの肖像画に向かって、手を振ってバイバイをする。
屋根裏部屋には、苦虫を潰したような顔のビッテンフェルトと、何とも言えない表情をしたミュラーが残された。
「なんでこんなところに、あいつの肖像画があるんだ!ここは俺の別荘だぞ!!」
堪らずビッテンフェルトが、ミュラーに訴える。
「あれ?ビッテンフェルト提督は、オーベルシュタイン元帥の肖像画がある事、ご存知なかったんですか?」
「なんだミュラー、お前は知っていたのか?」
「私も、実物を見たのは初めてですけれど・・・。屋根裏部屋に、彼の肖像画があるって事は、エリスから聞いて知っていました」
自分よりも別荘の状態を把握していたミュラーに、ビッテンフェルトが尋ねる。
「あいつ、いつから此処に居たんだ?」
ビッテンフェルトの疑問に、ミュラーが遠慮がちに告げる。
「最初からのような気がします。この別荘の前の持ち主がオーベルシュタイン元帥の執事だった方ですし、アマンダさんからすればあの方は上官ですから・・・」
「くそ~、アマンダの奴、俺がこの絵を絶対捨てると思って、ここに隠していたんだな!」
「そうかも知れませんね・・・」
今にも処分しそうな勢いのビッテンフェルトを見て、ミュラーは(確かに、アマンダさんがこの絵を、ビッテンフェルト提督にバレないようにここに隠したのも無理もない・・・)とアマンダの行動を擁護する。
「でも小さい頃のルイーゼやフィーネ、それにテオやヨーゼフも、この絵には特に関心を持たなかったようなのに、エルフィーだけは随分気に入ったようですね。お友達の妖精だって言っていましたし・・・」
「うわ~、ミュラー~~。エルフィーがこいつを気に入ったなんて、言わないでくれ!だいいち、これは妖精じゃない!妖怪だろう!!」
肖像画を指さして、化け物扱いをするビッテンフェルトに、思わずミュラーが吹き出す。
「しかし、先ほど、フィーネがこの絵と提督の間に飛び込んだ姿を見て、私は昔のハイネセンでの事を思い出しました。まるでついさっきの出来事のように、アマンダさんと提督とオーベルシュタイン元帥の三人の姿が、鮮やかに目に浮かびました」
ミュラーの言葉に、ビッテンフェルトもふっと笑って応じた。
「俺もだ・・・。怒っている俺と冷ややかな目をしたオーベルシュタインの間に、アマンダが割り込んできた。・・・まるで時間<とき>を超えたかのように、あの頃の俺になっていた・・・」
「みんな若かったですね・・・」
「ああ・・・こいつとアマンダは若いままで、俺とお前は随分齢をとってしまった・・・。それこそ、娘にボケたと思われるくらいに・・・」
苦笑いをするビッテンフェルトに、ミュラーが気合を入れる。
「ビッテンフェルト提督、まだまだ老け込んでいる場合ではないですよ!レオンハルト皇子の後見人という新しい仕事が待っているんですから・・・」
「ああ、そうだな。俺は忙しくなって、暫くはここにも来られないだろう。仕方ないが、この絵は屋根裏に置いたままにしておく・・・」
「ええ、彼はずっと此処にいたようですし、なによりエルフィーのお友達ですからね・・・」
ビッテンフェルトがこの肖像画を処分しないことに、ミュラーが安心した。
疲れたように大きなため息を付いたビッテンフェルトが、目の前のオーベルシュタインの肖像画に向かって再び怒鳴る。
「いいか、お前は居候なんだから、そんな大きな顔をするな!」
吐き捨てるように言うと、ビッテンフェルトは屋根裏部屋から出ていってしまった。
一人残されたミュラーが、改めて自分の前任の軍務尚書を見つめて語りかける。
「オーベルシュタイン元帥、貴方は生まれ変わったロイエンタール元帥とは、お友達になったのですね・・・」
ミュラーの砂色の瞳に、肖像画の中のオーベルシュタインの口許が少し緩み、はにかんだような表情になっているのが映し出されていた。
<完>
~あとがき~
処女作アルカイック・スマイルから始まったビッテンの物語、未来の時代は一応ここで止めます。
ラストシーンに最初のハイネセンでのビッテンとアマンダの出会いの再演と、ロイエンタールとオーベルシュタインとの和解を持ってくるという構想は、何年も前から考えていました。
ハイネセンでのシーンを再演する為には、軍服姿のアマンダ=軍服を着たヨゼフィーネが必要で、それで会見を軍服姿で行うというチョットこじつけた流れになりました・・・(;^_^A)
ロイエンタールとオーベルシュタインが和解をする・・・これは、ずっと私の念願でした!
どちらも好きなキャラですが、原作では二人とも敵対したまま亡くなっています。
ですので、ビッテン主体のこの未来のお話の中で、こんな形で二人を仲直りをさせました(笑)
彷徨うオペさんの依代は、ビッテンの別荘の屋根裏部屋にひっそりと置かれてあった自分の肖像画だったんです。
ロイエンタールの生まれ変わりと言われているフェリックスの娘エルフリーデと妖精さん(彷徨うオペさん)がお友達になる事で、二人の確執は解けたと解釈してください(^^)
尚、このオペさんの依代である肖像画は、<啐啄(9)>で、ヨゼフィーネの危機をエリスに知らせるという形でも登場しています。
彷徨うオペさんは、昔から意外な場面でビッテンフェルト家の人々と関わっていました(笑)