第13章 アイオリス人の系譜

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1 始祖Aeolus
BC1580年、Hellenの父Deucalionの祖父は、Hyantesなどによって圧迫されて、Boeotia地方から北へ移動した。DeucalionはThessaly地方北部を流れるPeneius川に南から流れ込むEnipeus川の源流付近に、Pyrrha (後のMelitaea)の町を創建した。[1]
Deucalionには、2人の息子たち、HellenとAmphictyonがいた。[2]
Hellenは、Phthiotis地方を治め、その地方の人々はHellenesまたはHellasと呼ばれた。[3]
Hellenには、3人の息子たち、Aeolus、Xuthus、Dorusがいた。[4]
Aeolusは父の跡を継いでMelitaeaの町に住み、Phthiotis地方を治めた。[5]
AeolusはAegialeを妻に迎えて、5人の息子たち、Mimas、Cretheus、Hypseus、Sisyphus、Athamasが生まれた。[6]
Aeolusの一族は、Aeolians (or Aeolis)と呼ばれるようになった。[7]

2 Aeolusの子Mimas
Mimasは父の跡を継いでMelitaeaの町に住んだ。[8]
BC1435年、Mimasの父AeolusがThessaly地方から追い出したXuthusの息子Achaeusが、AegialusからPhthiotis地方に攻めて来た。Mimasは、Melitaeaの町からEnipeus川を北へ下り、西から流れて来るCuarius川に合流する付近へ移住して、Arneの町を創建した。[9]
Mimasの息子は、Hippotesのみが伝えられている。[10]

2.1 Mimasの子Hippotes
Hippotesの息子もAeolusのみが伝えられている。[11]
Homerは、Hippotesの子Aeolusの娘Melanippeの子Aeolusの父をHippotesと伝えているが、誤りと思われる。[12]
Hippotesの子Aeolusの後裔については後述する。

3 Aeolusの子Cretheus
BC1420年、Hellenの子Dorusの子TectamusはDorians、Aeolians、それにPelasgiansを率いてCrete島へ移住した。Aeoliansを率いたのは、Cretheusであった。[13]
Tectamus率いる移民団は、Crete島東部に定住した。[14]
Cretheusの娘は、Dorusの子Tectamusと結婚し、息子Asteriusが生まれた。[15]
Asteriusの妻Europeの前夫の息子Minosは、Lyctiusの娘Itoneと結婚した。[16]
そのLyctiusは、Cretheusの息子であったと推定される。
その理由は、Lyctiusは、Cnossusの町やGortynaの町と並ぶCrete島の3大都市の一つであるLyctusの町の創建者と思われることである。Lyctiusの娘Itoneの名前もThessaly地方のItonusの町の名前を連想させる。Itonusは、Cretheusの兄弟Mimasの子Hippotesの子Aeolusの娘Melanippeの夫の名前であった。[17]

4 Aeolusの子Hypseus
BC1445年、Hypseusは、父Aeolusの住むMelitaeaの町を離れて東へ土地を求め、Pelion山の近くへ移住した。Hypseusには2人の娘たち、CyreneとThemistoがいた。[18]
また、Hippotesの子Aeolusの妻Enareteの父Deimachusは、Hypseusの息子であったと思われる。[19]

4.1 Hypseusの娘Cyrene
BC1425年、Cyreneは、Xuthusの子Achaeusの子Archanderと結婚して、息子Aristaeusが生まれた。[20]
BC1420年、Cadmus率いる移民集団がThessaly地方を通過した。この混乱によって、Achaeusは息子たちと共にPeloponnesusへ移住した。[21]
CyreneもArchanderと息子Aristaeusと一緒にPeloponnesusへ移住した。その後、ArchanderはArgosの町のDanausの娘Scaeaを妻に迎えた。[22]
BC1402年、ArchanderはPeloponnesus半島からEgyptへ移住してNileDeltaにArchandropolisの町を創建した。Cyreneと息子AristaeusもEgyptへ移住した。[23]
AristaeusはSardinia島へ移住するが、Cyreneは生涯Egyptで暮らした。[24]

4.2 Hypseusの娘Themisto
Themistoは、Pagasetic Gulfの西岸にHalusの町を創建した彼女の叔父Athamasのもとへ嫁いだ。[25]
BC1390年、Halusの町は、津波で洗い流され、ThemistoはAthamasと共にBoeotia地方へ移住した。[26]

4.3 Hypseusの息子と思われるDeimachus
Deimachusは、父Hypseusの跡を継いでPelion山の近くへ住み、娘Enareteがいた。[27]
Enareteは、Thessaly地方のArneの町に住むHippotesの子Aeolusと結婚し、多くの子供たちを産んだ。[28]

5 Aeolusの子Sisyphus
BC1407年、Sisyphusは、Argosの町とSicyonの町との戦いに、Achaeusの子Archanderに加勢して、Argosの町に勝利をもたらした。[29]
戦いの後で、Sisyphusは、Sicyonの町の東側にEphyra (後のCorinth)の町を創建した。[30]
これ以後、Argosの町からCorinthの町に及ぶ地域にはAchaeusやSisyphusに従ってThessaly地方から移住してきたAeoliansが広く居住することになった。Aeoliansは、BC1074年にHippotasの子Aletes率いるDoriansに攻略されるまで、Corinthの町に住み続けた。[31]
Sisyphusには4人の息子たち、Aeetes、Aloeus、Thersander、Almusがいた。

5.1 Sisyphusの子Aeetes
BC1407年、Aeetesは父Sisyphusと共に、Argosの町とSicyonの町との戦いで、Achaeusの子Archanderに加勢した。[32]
BC1390年、Aeetesは大津波に襲われた人々を集めて新天地を求める旅に出た。
Aeetesは、Bosporos海峡を抜けて黒海に入り、岸を右に見ながら船を進めた。Aeetesは、黒海の東の端まで進んで、Phasis川の河口のColchis地方に入植した。Aeetesは、Sisyphusが死ぬとCorinthの町に呼び戻されるが、異母兄弟Almusの息子BunusにCorinthの町を譲って、再び、Colchis地方へ帰った。[33]
Aeetesには娘Chalciopeがいた。[34]

5.1.1 Aeetesの娘Chalciope
Chalciopeは、Aeetesと共にColchisへ移住したAthamasの子Phrixusと結婚した。Phrixusは、Aeetesの従兄弟であった。[35]
ChalciopeとPhrixusとの間には、4人の息子たち、Cytissorus (or Cylindrus, Cytisorus, Cytorus)、Presbon (or Phrontis)、Argus、Melasが生まれた。[36]
また、Perseisの息子Aeetesは、Colchisを継承しており、Aeetesの娘Medeaは、Corinthの町を継承している。したがって、Aeetesには、Crete島のEuropaの子Minosの子Asteriosと結婚して、娘Perseis (or Perse)の母となる娘もいたと思われる。[37]

5.2 Sisyphusの子Almus
BC1365年、AlmusはCorinthの町からOrchomenusの町へ移住し、Andreusの子Eteoclesから土地を分けてもらった。[38]
AlmusとEteoclesは、Hellenの子Aeolusを共通の先祖としていた。
Almusは、Boeotia地方のCopais湖の北側に定住して、Olmonesの町を創建した。[39]
Eteoclesが死ぬと、Orchomenusの町の支配権は、Andreusの後裔から、Sisyphusの後裔に移った。Almusの2人の娘たち、ChryseとChrysogeneiaの息子たちが順にOrchomenusの町を治めた。[40]
Almusは、父Sisyphusから領地を分け与えられていないことから、ThersanderとともにSisyphusの庶子であったと思われる。[41]

5.2.1 Almusの娘Chryse
Chryseは、息子Phlegyasを産んだ。[42]
BC1355年、Phlegyasは、EteoclesからOrchomenusの町を継承し、自分の名前に因んだ町を創建した。PhlegyasはGreece中から戦士を集め、戦士たちはPhlegyansと呼ばれた。[43]

5.2.2 Almusの娘Chrysogeneia
Chrysogeneiaは、息子Chrysesを産んだ。[44]
Chrysesには息子Minyasがいた。[45]
また、Iasiusという息子もいたと推定される。[46]

5.3 Sisyphusの子Thersander
Sisyphusが2人の息子たち、AeetesとAloeusに領地を分け与えていることからThersanderとAlmusは、Sisyphusの庶子であったと思われる。[47]
Thersanderには3人の息子たち、Proetus、Coronus、Haliartusがいた。[48]

5.3.1 Thersanderの子Proetus
Proetusは、Amphianaxの娘Antaiaと結婚して、娘Maeraが生まれた。[49]
Maeraは、Locris地方のAmphictyonの子Physcusに嫁ぎ、2人の息子たち、LocrusとAetolusが生まれた。[50]

5.3.2 Thersanderの子Coronus
BC1371年、Coronusは、跡継ぎのいなくなった父の叔父Athamasの養子となり、Athamasから領地の一部を譲られて、Boeotia地方のCopais Lakeの南岸にCoroneiaの町を創建した。[51]

5.3.3 Thersanderの子Haliartus
BC1371年、HaliartusもAthamasの養子となり、領地の一部を与えられて、Coroneiaの町の東側にHaliartusの町を創建した。[52]
Haliartusには、息子Hippomenes (or Oncestus)が生まれた。[53]
また、Haliartusの妻は、Ascraと思われ、Oeoclusも彼の息子と推定される。[54]

5.4 Sisyphusの子Aloeus
Aloeusは、父SisyphusからSicyonの町を分け与えられた。[55]
Aloeusは、Mimasの子Hippotesの子Aeolusの娘Canaceと結婚して、5人の息子たち、Triops、Hopleus、Nireus、Epopeus、Aloeusが生まれた。[56]
Aloeusには、Ascraという娘もいたと思われる。[57]

5.4.1 Aloeusの子Triops
Triopsの娘Iphimediaは、叔父Aloeusと結婚して2人の息子たち、OtusとEphialtesと娘Pancratisを産んだ。[58]

5.4.2 Aloeusの子Aloeus (or Haloeus)
Aloeusは、兄Triopsの娘Iphimediaと結婚して、娘Pancratisと2人の息子たち、OtusとEphialtesとをもうけた。[59]
OtusとEphialtesの墓がBoeotia地方の沿岸部のAnthedonの町にあったことから、AloeusはSicyonの町からAnthedonの町へ移住したものと思われる。[60]
Aloeusの移住は、BC1360年頃と推定される。

5.4.3 Aloeusの2人の息子たち、HopleusとNireus
HopleusとNireusの消息は伝えられていないが、後のCorinth王として知られるCreonの父Lycaethusは、いずれかの息子または孫であったと思われる。[61]

5.4.4 Aloeusの子Epopeus
BC1375年、Epopeusは、母方の祖父Aeolusの養子になった。[62]
Thessaly地方のArneの町を領するAeolusには、多くの息子たちがいたが、跡を継ぐ者がなく、彼の娘Canaceの息子Epopeusを養子に迎えたと推定される。[63]
BC1370年、PelasgiansによってItaly半島に連れ去られたAeolusの娘Melanippeとその息子BoeotusがArneの町に帰還した。Boeotusが祖父の跡を継ぐことになり、EpopeusはSicyonの町へ帰還した。[64]
その後、Corinthの町のBunusが死ぬと、Corinthの町の創建者Sisyphusの孫であるEpopeusは、Corinthの町をも治めることになった。[65]
Epopeusの子供たちは、息子Marathonと娘Oenopeが知られている。その他に、Asopus河神の娘たちもEpopeusの娘たちであったと思われる。[66]

5.4.5 Aloeusの娘と思われるAscra
Ascraには息子Oeoclusが生まれた。[67]
BC1320年、Oeoclusは、姉妹Iphimediaの2人の息子たち、OtusとEphialtesとともに、Boeotia地方の南を西から東に流れるAsopus川の源流付近へ移住して町を創建し、母の名前に因んで、Ascraと名付けた。[68]
Oeoclusの子供は伝えられていないが、Boeotia地方のAsopusの河神と呼ばれるAeolusは、Oeoclusの息子であったと推定される。[69]

6 Aeolusの子Athamas
BC1415年、Athamasは、Pagasetic Gulfの西岸へ移住して、Halusの町を創建した。[70]
BC1390年に発生した大津波は、Pagasetic Gulf内にも及んで、湾岸にあったHalusの町を洗い流した。[71]
AthamasはBoeotia地方のCopais湖東岸へ移住して、Acraephniumの町を創建した。[72]
入植当時55歳と推定されるAthamasとCadmusの娘Inoとの物語は、多くの人々によって語られているが、作り話と思われる。[73]
Athamasには、Hypseusの娘Themistoとの間に、Leucon、Erythrius、Schoeneus、Ptous、Sphincius、Orchomenusという息子たちがいたが、いずれも早世した。[74]
また、AthamasとNepheleとの間に息子Phrixusと娘Helleがいた。Phrixusは従兄弟Aeetesと共にColchis地方へ移住した。[75]
後継ぎがいなくなったAthamasは、兄Sisyphusの子Thersanderの2人の息子たち、HaliartusとCoronusを養子に迎えた。[76]

6.1 AthamasとThemistoとの息子Leucon
Leuconは、Athamasの長男であったが病死した。[77]
Greece全体に及んだ疫病のためと思われる。[78]
Leuconには、息子Erythrasと、娘Euippeがいた。[79]

6.1.1 Leuconの子Erythras
Erythrasは、Pisaの町のOenomausの娘Hippodamaeiaに求婚して、Oenomausに殺されたと伝えられる。[80]
しかし、Hippodamaeiaの結婚は、Athamasが養子を迎えた後であり、Erythrasがいたのであれば、Athamasが養子を迎える必要がなくなる。恐らく、Erythrasは、Athamasが養子を迎える前に死んだと推定される。
また、Boeotia地方のCithaeron山麓の町Erythraeは、Erythrasに因んで名付けられたとも伝えられる。[81]
しかし、当時、その土地の周辺はCadmusと共に渡来した人々が住んでいて、その中にAeolisが入植できたとは思われない。後に、Thebesの町の勢力が衰えたときに、そこへ移り住んだErythrasの後裔が本人を偲んで命名したものと思われる。

6.1.2 Leuconの娘Euippe
Euippeは、初代Orchomenus王Andreusに嫁ぎ、次の王となる息子Eteoclesを産んだ。[82]

6.2 AthamasとThemistoとの息子Schoeneus
BC1380年、Schoeneusは、Thebesの町からAnthedonの町の方へ約9kmのところにSchoenusの町を創建した。[83]
BC1256年、Schoeneusの後裔Schoeneusは、Thebesの町から圧迫されて、Arcadia地方へ移住した。Schoeneusは、Tegeaの町の北西、Methydriumの町とAnemosaの町との間にSchoenusの町を創建した。 [84]
Schoeneusの娘Atalantaは、Boeotia地方のOncestusの町のMegareusの子Hippomenesと結婚して、息子Parthenopaeusが生まれた。Parthenopaeusは、Argivesと共にThebes攻めに参加した。[85]

6.3 AthamasとThemistoとの息子Ptous
BC1390年、Ptousは、父AthamasとともにBoeotia地方のCopais湖の東側に入植したが、父より先に死んだ。[86]
Copais湖の東側にPtousの名前に因んだ山があり、近くにPtousの名前のついたApolloの神域があった。[87]
Ptous山に有名な神託所を開設した予言者Tenerusは、Athamasの兄Sisyphusの子Aloeusの子Epopeusの息子と思われ、Ptousと同じく、Aeoliansであった。[88]

6.4 AthamasとThemistoとの息子たち、ErythriusとSphincius
Athamasが、Thersanderの息子たちを養子に迎えていることから、ErythriusとSphinciusは、若くして死んだと思われる。[89]

6.5 AthamasとThemistoとの息子Orchomenus
Orchomenusは、Mideiaを妻に迎えて3人の息子たち、Aspledon、Clymenus、それにAmphidocusが生まれた。[90]

6.5.1 Orchomenusの子Aspledon
BC1350年、Aspledonは、Copais湖の北西にAspledonの町を創建した。[91]
BC1340年、Aspledonは、Copais湖の南西に母の名前に因んだMideiaの町を創建した。[92]
BC1260年、Pandionの子Lycaonの子Lebadusは、Aegeusによって追われて、Athensの町からMideiaの町へ移住した。その後、町の名前はLebadeiaと呼ばれるようになった。[93]

6.6 AthamasとNepheleとの息子Phrixus
BC1390年、Phrixusは、大津波で被災したThessaly地方東部のHalusの町からEphyraeaの町へ移住した。Ephyraeaの町は、Athamasの兄弟SisyphusがBC1407年に創建した町であった。[94]
BC1390年、Sisyphusの子Aeetesは、被災したEphyraea(後のCorinth)の町の住人と共に新天地を探す遠征の準備をしていた。Phrixusは、その遠征に参加して、Aeetesの娘Chalciopeと結婚した。[95]
Phrixusには4人の息子たち、Argus、Cytissorus (or Cylindrus, Cytisorus, Cytorus)、Presbon (or Phrontis)、Melasが知られている。[96]

6.6.1 Phrixusの子Argus
Argusは、兄弟の中で唯一消息が不明で、恐らく、祖父AeetesからColchisを継承したと推定される。

6.6.2 Phrixusの子Cytissorus
BC1360年、Cytissorusは、Colchisから黒海南岸へ移住して、Cytorusの町を創建した。[97]
その後、Cytissorusは、Sicyonの町のEpopeusの娘Sinopeを妻に迎えた。
Cytorusの町の東側に作られた町に、Cytissorusの妻Sinopeの名前が付けられた。[98]

6.6.3 Phrixusの子Presbon
BC1360年、Presbonは、兄弟Melasと共に祖父Athamasが住むBoeotia地方へ移住した。Athamasは養子を迎えた後であったが、PresbonはAthamasが養子に与えた土地以外のAthamasの領地を相続することになった。[99]
Presbonには、Orchomenus王になる息子Clymenusが生まれた。[100]

6.6.4 Phrixusの子Melas
Melasは、Presbonと共にColchis地方からBoeotia地方へ移住し、AthamasとThemistoの間の娘Eurycleiaを妻に迎えて、息子Hyperesが生まれた。Hyperesは、Thessaly地方のIolcusの町の近くのPheraeの町にあるHypereiaの泉の近くに住んだ。[101]

6.7 AthamasとNepheleとの娘Helle
Helleは兄弟のPhrixusと共にColchis地方へ移住した。[102]

7 Mimasの子Hippotesの子Aeolusとその妻たち
BC1432年、Aeolusは、Mimasの子HippotesとMelanippeの息子として生まれた。[103] 
Aeolusには、少なくとも5人の妻がいた。

7.1 Deimachusの娘Enarete
Deimachusは、Aeolusの祖父Mimasの兄弟で、Thessaly地方東部のPelion山近くに住んでいたHypseusの息子で、Aeolusと妻Enareteは又従兄妹同士であったと推定される。[104]

7.2 Deucalionの娘Protogenia
Elisの町を創建したAethliusは、AeolusとDeucalionの娘Protogeniaの息子であった。つまり、ProtogeniaもAeolusの妻であった。[105]
Protogeniaの父Deucalionは、Hellenの子Dorusの息子で、Locris地方に住んでいた。[106]

7.3 Deucalionの娘Thyia
Macedoniaの名付け親MacedonとMagnesは、Deucalionの娘Thyiaの息子であった。[107]
また、Magnesは、Aeolusの息子だと伝えられている。[108]
つまり、ThyiaもAeolusの妻であった。

7.4 Peneiusの娘Stilbe
Lapithsの始祖Lapithesの父はAeolusであり、母はStilbeであった。[109]
つまり、StilbeもAeolusの妻であった。
Stilbeの父Peneiusは、Thessaly地方の北部を流れる川の名付け親と思われ、Dorusの子Tectamusの息子と推定される。[110]

7.5 Peneiusの娘Iphis (or Iphys)
Salmoneusの父はAeolusであり、母はIphisであった。[111]
つまり、IphisもAeolusの妻であった。
Iphisは、Aeolusの知られている妻の中で一番若い妻であった。

8 Hippotesの子AeolusとEnareteとの娘Melanippe
Melanippeは、ArneやAntiopaという名前でも史料に登場するが、祖母の名と同じMelanippeが本当の名前と思われる。[112]
Melanippeは、Locris地方のAntheiaの町からPagasetic Gulf西岸へ移住してItonusの町を創建したDeucalionの子Amphictyonの子Itonusと結婚した。[113]
BC1390年、大津波がThessaly地方の沿岸部に住むPelasgiansの町を襲った。Itonusの町の近くのAeolusの子Athamasが創建したHalusの町は津波で洗い流された。[114]
Itonusの町は、Halusの町より少し内陸にあるため津波の被害は免れたものの、住居を失ったPelasgiansがItonusの町を襲った。Itonusの妻MelanippeはPelasgiansのDiusの捕虜となって連れ去られた。[115]
Melanippeは、Diusと共に西へ向かいDodonaを経由してItaly半島へ連れて行かれた。[116]
Melanippeは、Italy半島南部のMetabum (後のMetapontium、現在のMetaponto)の町まで連れて行かれた。Melanippeは、その地で2人の息子たち、AeolusとBoeotusを産んだ。[117]
Italy 半島からThessaly地方へ帰ったBoeotusが父Itonusの跡を継がないで、母の祖父の跡を継承している。このことから、BoeotusはItonusの息子ではなく、Diusの息子であったと推定される。[118]

8.1 Melanippeの息子Boeotus
BC1370年、Boeotusは母Melanippeと共にThessaly地方のArneの町に帰還した。Boeotusは、祖父Aeolusの跡を継ぎ、Arneの町の住民はBoeotiansと呼ばれるようになった。[119]
Boeotusには、息子Itonusがいた。[120]

8.1.1 Boeotusの子Itonus
Itonusの祖母Melanippeの夫Itonusは、Locris地方のAntheiaの町に住むDeucalionの子Amphictyonの息子であり、Physciusという兄弟がいた。[121]
Physciusの娘Thebeは、Boeotia地方のLeuctraの町から少しThebesの町寄りにあるEutresisの村に住むAntiopeの子Zethusに嫁いだ。[122]
Zethusは、双子の兄弟Amphionと共に、当時、Labdacusの子Laiusの後見人Hyrieusの子Lycusが支配していたCadmeiaの町を奪い、Thebesの町を創建した。[123]
この戦いに、Zethusの妻Thebeの兄弟Locrusも協力した。[124]
また、Boeotusの子Itonusも協力したと思われる。というのは、Itonusは、Locrusの父Physciusの兄Itonusの妻Melanippeの子Boeotusの息子であり、Locrusとは、従兄弟同士であった。[125]
この戦いの後で、Arneの町からBoeotia地方への移住が行われた。後に、Melanippeの子Boeotusの後裔、BoeotiansはThebesの町を中心に居住地を広げ、その地方は、Boeotia地方と呼ばれるようになった。[126]

8.2 Melanippeの息子Aeolus
BC1365年、AeolusはMetabumの町からSicily島の北東に浮かぶLipara島へ移住して、その島に住むLiparusの娘Cyaneと結婚した。Liparusは、他の兄弟によりItaly半島から追われてLipara島に移り住んでいたが、Italy半島への帰還を望んでいた。Aeolusは、LiparusがCrater Gulf (現在のGulf of Naples)の入り口にあるSurrentumの町 (現在のSorrento)付近へ移住するのを援助した。[127]
Aeolusの息子の一人Astyochusは、Lipara島を継承し、他の息子たちはSicily島北部の沿海部やItaly半島最南端に入植した。[128]

9 Hippotesの子AeolusとEnareteとの娘Calyce
Calyceは、Arneの町からElisの町の創建者したAethliusへ嫁いだ。[129]
Aethliusは、Calyceの異母兄妹であった。[130]
AethliusとCalyceから、息子Endymionが生まれた。[131]

10 Hippotesの子AeolusとEnareteとの息子Andreus (or Minyas)
Pausaniasによれば、Orchomenusの地に初めて住んだのはPeneius河神の子Andreusであった。また、Apollonius of Rhodesによれば、Orchomenusの町の創建者は、Aeolusの子Minyasであった。[132]
つまり、AndreusはAeolusの息子であり、Minyasという別名を持っていたと推定される。
BC1380年、AndreusはThessaly地方のArneの町からBoeotia地方へ移住して、Andreisの町を創建した。[133]
Andreusは、Athamasの子Leuconの娘Euippeを妻に迎えて、息子Eteoclesが生まれた。[134]

10.1 Andreusの子Eteocles (or Cephisiades)
Eteoclesは、Andreusの跡を継いで、Andreisの町を治めた。[135]
Eteoclesが後継者を残さずに死去すると、王統は、Sisyphusの子Almusの後裔に移った。[136]

11 Hippotesの子AeolusとEnareteとの娘Canace
Canaceは、Arneの町からSicyonの町のSisyphusの子Aloeusへ嫁いだ。[137]

12 Hippotesの子AeolusとEnareteとの息子Deion (or Deion, Deioneus)
BC1365年、Deionは、Arneの町から、Phocis地方へ移住した。[138]
Deionは、Xuthusの娘Diomedeを妻に迎えて、息子たち、Aenetus、Actor、PhylacusとCephalus、娘Asterodiaが生まれた。[139]

12.1 Deionの息子たち、AenetusとActor
AenetusとActorについては、名前のみが伝えられている。[140]

12.2 Deionの子Phylacus
BC1325年、Phylacusは、Phocis地方からThessaly地方へ移住し、Pagasetic Gulfの北西にPhylaceの町を創建した。[141]
PhylacusはOrchomenusの町から、Minyasの娘Clymeneを妻に迎えて、息子Iphiclusと娘Alcimedeが生まれた。[142]

12.2.1 Phylacusの子Iphiclus
Iphiclusは父からPhylaceの町を継承し、Diomediaを妻に迎えて、2人の息子たち、Protesilaus (or Iolaus)とPodarcesが生まれた。[143]
Protesilausは、Phylaceの町の北東約20kmのIolcusの町からAcastusの娘Laodamiaを妻に迎えた。[144]
Protesilausは、Phylaceの町からTroyへ遠征した。[145]
Podarcesも兄Protesilausと共にTroyへ遠征した。[146]

12.2.2 Phylacusの娘Alcimede
Alcimedeは、Thessaly地方のAesonisの町に住むTyroの子Aesonに嫁ぎ、Argonautsの遠征物語に登場するJasonの母となった。[147]

12.3 Deionの子Cephalus
Cephalusは、Deionの跡を継ぎ、息子Canesが生まれた。[148]

12.3.1 Cephalusの息子Canes
Canesは、父の跡を継いで、Iolcus町のPeliasの娘Euadneを妻に迎えた。[149]

12.4 Deionの娘Asterodia
Asterodiaは、Elisの町のAethliusの子Endymionに嫁ぎ、息子たち、Epeius、Aetolus、Paeon、それに娘Eurycydaが生まれた。[150]
Endymionは、Asterodiaの父Deionの兄弟Aethliusの息子であり、Asterodiaの従兄妹であった。

13 Hippotesの子AeolusとProtogeniaとの息子Macareus (or Macar)
BC1390年、Macareusは、兄弟のAethliusやPerieresと共に、Arneの町からAeoliansの中で最初に、Aetolia地方から海峡を渡った。[151]
その後、Macareusは、大津波で被災したIoniansやPelasgiansなど、雑多な種族で構成された移民団を率いて、Pelasgia (後のLesbos)島へ移住した。[152]
Macareusは近隣の島々に息子たちを移住させて勢力範囲を広げ、Pelasgia島は、Macareus入植後、Macareusの家とも呼ばれるようになった。[153]

13.1 Macareusの子Cydrolaus
BC1365年、Macareusの子Cydrolausは、Lesbos島からSamos島へ移住した。[154]

13.2 Macareusの子Neandrus
BC1340年、Macareusの子Neandrusは、Lesbos島からCos島へ移住した。[155]

13.3 Macareusの娘Amphissa
Macareusの長女Amphissaは、Ozolian Locris地方へ嫁ぎ、後に彼女の名前が付けられる町に住んだ。[156]
Ozolian Locris地方にあるAmphissaの町は、BC1410年にDeucalionの子OrestheusがLocris地方のCynusの町から移住して創建した町であった。
Macareusの娘Amphissaの夫は、Orestheusの子Phytiusの子Oineusであったと推定される。[157]

13.4 Macareusの娘Methyma
BC1340年、Macareusの兄弟Lapithusの子LesbosがThessaly地方から植民団を率いて島に移住した。Macareusは、娘MethymaをLesbosと結婚させて、彼の後継者にした。[158]
Methymaは、Lesbosの父Lapithusの兄弟Macareusの娘であり、Lesbosの従兄妹であった。

14 Hippotesの子AeolusとProtogeniaとの息子Aethlius
BC1390年、Aethliusは、兄弟MacareusやPerieresと共に、Arneの町からPeloponnesus半島へ移住した。
Aethliusは、Eleia地方北部のPeneius川の近くへ移住して、Elisの町を創建した。[159]
Aethliusは、異母妹のCalyceを妻に迎えて、息子Endymionが生まれた。[160]

14.1 Aethliusの子Endymion
EndymionはAethliusの跡を継いで、Elisの町を治めた。[161]
BC1345年、Olympiaの町へCrete島のCydoniaの町からCardysの子Clymenusが移住して来た。EndymionはClymenusを追放して、Olympiaの町をElisの町の支配下に置いた。[162]
Endymionは、Phocis地方に住むDeionの娘Asterodiaを妻に迎えて、3人の息子たち、Epeius、Aetolus、Paeon、それに娘Eurycydaが生まれた。[163]
Asterodiaは、Endymionの父Aethliusの兄弟Deionの娘であり、Endymionの従兄妹であった。

14.1.1 Endymionの子Epeius
Epeiusは、父Endymionの跡を継いで、Elisの町を治めた。Epeiusは、Sicyonの町からCoronusの娘Anaxiroeを妻に迎えて、娘Hyrminaが生まれた。[164]
EpeiusとAnaxiroeは、Aeoliansの始祖Aeolusを共通の先祖とする同族であった。
Epeiusの名前に因んで、Elisの町の住人は、Epeiansと呼ばれるようになった。[165]
Endymionの娘Hyrminaは、当時Elisの町の支配下にあったOlenusの町に招かれてRhodes島から移住して来たPhorbasに嫁いだ。[166]

14.1.2 Endymionの子Aetolus
Endymionの子Aetolusは、Epeiusの跡を継いだが、BC1320年、Salmoneの町のSalmoneusによって、Elisの町を追われた。[167]
AetolusはPeloponnesus半島から海峡を渡って本土へ移住した。Aetolusは先住民のCuretesを追い出して、彼らの土地に定住し、その地方を自身の名に因んでAetolia地方と呼ばせた。[168]
Aetolusは、Olenusの町のPhorbasの娘Pronoeを妻に迎えて、2人の息子たち、PleuronとCalydonが生まれた。[169]

14.1.3 Endymionの子Paeon
Paeonは、Thessaly地方の北に位置するThermaic GulfからAxius川を遡った地方へ移住し、その地は彼の名前に因んでPaeonia地方と呼ばれるようになった。[170]
Paeonには、息子Aristaeusと娘Evippe (or Aethuse)が生まれた。[171]
Evippeは、Macedonia地方のPieriaの町に住むMagnesの子Pierusと結婚して、Linusが生まれた。[172]
Linusの子Pierusは、Pieriaの町からBoeotia地方のThespiaeの町へ移住した。[173]
Pierusは、有名な詩人Orpheusの祖父になった。[174]

14.1.4 Endymionの娘Eurycyda
Eurycydaは、Salmoneの町に住むSalmoneusの子Alectorに嫁いで、Eleansの名付け親となる息子Eleiusが生まれた。Eleiusには、後にHeraclesと戦うことになるAugeas (or Augeus, Aegeas, Augeias)が生まれた。[175]

15 Hippotesの子AeolusとProtogeniaとの息子Perieres
BC1390年、Perieresは、兄弟のMacareusやAethliusと共にArneの町からPeloponnesus半島北西部へ移住した。[176]

15.1 Perieresの子Pisus
BC1345年、Pisusは、Aethliusが創建したElisの町よりも南のAlpheius川のほとりにPisaの町を創建した。[177]
BC1330年、Alpheius川の少し上流にArcadiansがHarpinaの町をつくった。Harpinaの町の創建者は、Alpheius川のさらに上流のLadon川の合流点近くにHeraeaの町を創建したLycaonの子Heraeeusの孫Alxionの子Oenomausであった。[178]
BC1315年、Pisusは、OenomausによってPisaの町から追放された。

16 Hippotesの子AeolusとThyiaとの息子Macedon
BC1350年、Macedonは、兄弟Magnesと共に、Arneの町からOlympus山近くへ移住した。[179]
Macedonは、Athensの町のCecropsの娘Oreithyiaを妻に迎えて、2人の息子たち、EuropusとBeresが生まれた。[180]

16.1 Macedonの子Europus
BC1305年、Europusは、Olympus山近くからLudias川とAxius川の間の土地(後のPellaの少し北)へ移住して、Europusの町を創建した。[181]

16.2 Macedonの子Beres
Beresには、Macedonia地方の町の名前になった娘たち、Mieza、Beroea、Olganosが生まれた。[182]

17 Hippotesの子AeolusとThyiaとの息子Magnes
BC1350年、Magnesは、兄弟Macedonと共に、Arneの町からOlympus山近くへ移住した。[183]

17.1 Magnesの息子たち、PolydectesとDictys
Magnesの2人の息子たち、PolydectesとDictysがSeriphus島に住み、Perseusの保護者であったという伝承もある。[184]
しかし、彼らの父は、Danausの娘Amymoneの子Naupliusの子Damastorの子Peristhenesであった。[185]
Magnesの息子たちとSeriphus島やPerseusとの繋がりはない。

17.2 Magnesの子Eioneus (or Deioneus)
Magnesの子Eioneusは父Magnesの跡を継いだ。[186]
Eioneusには、Diaという娘がいた。[187]

17.2.1 Eioneusの娘Dia
Diaは、Olympus山の近くから少し南にあるPeneius川流域のGyrtonの町のAntionの子Ixionに嫁いで、息子Peirithous(or Pirithous, Perithous)が生まれた。[188]

17.3 Magnesの子Methone
BC1330年、Magnesの子Methoneは、Olympus山近くからThermaic Gulf北西岸へ移住して、Methoneの町を創建した。[189]

17.4 Magnesの子Pierus
BC1300年、Magnesの子Pierusは、Olympus山の北側にPieria (後のLyngus)の町を創建した。[190]
Pierusは、Paeonの娘Evippeと結婚して、Linusが生まれた。[191]
Linusには息子Pierusが生まれ、Pierusは、Pieriaの町からBoeotia地方のThespiaeの町へ移住した。[192]
Linusの子Pierusは、有名な詩人Orpheusの祖父になった。[193]

18 Hippotesの子AeolusとIphisとの息子Lapithus (or Lapithes)
BC1365年、Lapithusは、Arneの町からPeneius川近くへ移住した。LapithusはEurynomusの娘Orsinomeと結婚して、3人の息子たち、Periphas、Lesbos、Phorbasと娘Diomedeが生まれた。Lapithusの後裔は、勢力を増してLapithsと呼ばれるようになった。[194]
Lapithusの後裔については、「Lapithsの系譜」に別途記述。

19 Hippotesの子AeolusとIphisとの息子Salmoneus
BC1335年、Salmoneusは、Arneの町から、異母兄弟Aethliusが創建したElisの町の近くへ移住した。Salmoneusは、Alpheius川の支流であるEnipeus川の源泉であるSalmoneの泉近くにSalmoneの町を創建した。[195]
Salmoneusの子供は、娘Tyroのみが知られているが、Alectorという息子もいたと思われる。[196]

19.1 Salmoneusの娘Tyro
BC1338年、Tyroは、Arneの町の近くのPylusの町に住むHippocoonに嫁いで、3人の息子たち、Amythaon、Pheres、Aesonが生まれた。[197]
Hippocoonは、Enipeus河神と呼ばれた人物で、Salmoneusは、Enipeus川を挟んでPylusの反対側のArneの町に住んでいた。[198]
Hippocoonが住んでいたPylusの町は、PelasgianのCrannonが創建したCrannonの町の近くにあった。[199]
BC1390年、Locris地方のDeucalionの子Pronousは、兄弟たちと一緒に、PelasgiansをThessaly地方から追い出した。[200]
その後、PronousはPhthiaの町に住み、Pronousの子Helenの子Neonusは、Phthiaの町を継承したものと思われる。[201]
Hippocoonは、Neonusの兄弟であり、Phthiaの町から北にあるCrannonの町の近くへ移住して、BC1340年頃にPylusの町を創建したものと思われる。
BC1318年、Hippocoonが死ぬとTyroは、近くのIolcusの町に住む、父の弟Cretheusのもとへ嫁いで、双子の息子たち、NeleusとPeliasが生まれた。[202]

19.2 Salmoneusの息子と思われるAlector
Lapithusの子PhorbasをOlenusの町へ呼び寄せたEleiaの王Alectorについては、Diodorusのみが伝えている。[203]
このAlectorは、つぎの理由からSalmoneusの息子であったと推定される。
Elis王Aetolusは、Arcadia地方で殺人を犯したことによって、Salmoneusに追放されたと伝えられる。[204]
しかし、Aetolusを追放したのは、Arcadiansではなく、同じAeoliansのSalmoneusであった。つまり、Aetolusが追放されたのは殺人を犯したからではなく、Elisの町の問題であったと思われる。
実際、AetolusのAetolia地方への移住は単なる亡命ではなく、移住先の住人を駆逐する勢力を伴った集団移住であった。
追放されたAetolusの後でElis王となったのは、当時5歳と推定されるEmdymionの娘Eurycydaの息子Eleiusであった。[205]
SalmoneusがElis王とその支援者を追放したのは、SalmoneusとAetolusの後でElis王になったEleiusとの間に血縁関係があったからと推定される。[206]
つまり、AlectorはSalmoneusの息子であり、Emdymionの娘Eurycydaを妻に迎えて、息子Eleiusが生まれたと思われる。[207]
Aetolusの追放後、EleiusはElis王となり、Alectorは幼少の息子の後見人として、Salmoneの町からElisの町に移って統治した。
その後、Peloponnesus半島に来航したPelopsがPisaの町の王となり、一緒へ移住してきたLydiansの勢力や財力で周辺を圧倒した。Alectorは、彼の父Salmoneusの兄弟Lapithusの子Phorbasを当時Elis領であったOlenusの町に呼び寄せて統治させた。[208]

20 Hippotesの子AeolusとIphisとの息子Cretheus
BC1350年、Cretheusは、Arneの町からPagasetic Gulf北岸へ移住して、Iolcusの町を創建した。[209]
Cretheusは、彼の兄弟Salmoneusの娘Tyroを妻に迎えて、双子の息子たち、PeliasとNeleusが生まれた。Cretheusには、Tyroの前夫Hippocoonの子であるAmythaon、Pheres、Aesonと合わせて5人の息子たちが知られている。

20.1 CretheusとTyroの息子Pelias
伝承によれば、Peliasは、父Cretheusが死ぬと兄弟Neleusと王権を争ったと伝えられている。[210]
しかし、後にPeliasがNeleusとともに共同で、Olympia競技会を開催していることから、NeleusがPeliasに父を継承させて、Neleus自身はAmythaonと共に新天地を求めたものと思われる。[211]
Peliasの息子は、Acastusのみが知られている。[212]
Peliasは、Argonautsの遠征物語でJasonに遠征を命じたIolcus王として登場する。
Peliasには少なくとも9人の娘がいたが、そのうち、彼女たちの夫が判明しているのは、Alcestis、Pelopia、Euadne、Amphinomeの4人である。

20.1.1 Peliasの妻
Peliasは、Amphionの娘Phylomacheを妻に迎えて、息子Acastusと娘たちが生まれた。
また、Peliasは、Biasの娘Anaxibiaをも妻に迎えて、娘Alcestisが生まれた。[213]
最初の妻Phylomacheは、当時富裕を誇ったOrchomenusの町のIasiusの子Amphionの娘であった。Phylomacheの姉妹Chlorisは、Peliasの兄弟Neleusと結婚した。[214]

20.1.2 Peliasの子Acastus
BC1248年、Acastusは、従兄弟のJasonが率いるArgonautsの遠征に参加した。[215]
BC1246年、Acastusは、Calydonの猪狩りでPhthiaの町のEurytionを誤って殺したPeleusの罪を清めた。[216]
BC1245年、Acastusは、父Peliasのための葬送競技大会を催し、父の跡を継いでIolcusの町を治めた。[217]
BC1236年、Acastusは強権的に、Iolcusの町を治めたため、Orchomenusの町から移住して来て、Iolcusの町に居住していたMinyansが反乱を起こした。AcastusはMinyansによって殺され、Iolcusの町は破壊された。[218]

20.1.3 Peliasの娘Alcestis
Alcestisは、Oechaliaの町のEurytusの子Hippasusに嫁いだ。[219]
しかし、Hippasusは死に、Alcestisは息子Theseusを連れて、Iolcusの町の近くのPheraeの町を創建したPheresの子Admetusに嫁いだ。[220]
Pheresは、Alcestisの父Peliasの異父兄弟であり、AdmetusはAlcestisの従兄妹であった。

20.1.4 Peliasの娘Pelopia
Pelopiaは、Iolcusの町の近くのItonusの町のCercaphusの子Aethalidesに嫁いで、息子Cycnusが生まれた。[221]

20.1.5 Peliasの娘Euadne
Euadneは、Phocis地方のCephalusの子Canesに嫁いだ。[222]

20.1.6 Peliasの娘Amphinome
Amphinomeは、Peneius川の近くに住むPeriphasの子Andraemonに嫁いだ。[223]

20.2 CretheusとTyroの息子Neleus
BC1303年、Neleusは、異父兄弟Amythaonやその息子たち、MelampusやBiasとともにIolcusの町からPeloponnesus半島北西部へ移住した。NeleusはElisの町からPeneius川を遡り、支流のLadon川を少し遡った所にPylusの町を創建した。[224]

20.2.1 Neleusの妻Chloris
Neleusの妻は、Amphionの娘Chlorisであったが、Amphionについて、複数の史料は2通りの説を伝えている。
1) ThebesのAmphion
BC1世紀の歴史家Diodorusは、AmphionはThebanだと伝えている。
BC1世紀の著作家HyginusとAD1世紀の神話作家Apollodorusは、Niobeの夫だと伝えている。[225]
2) OrchomenusのAmphion
BC8世紀の吟遊詩人Homerは、当時栄華を誇っていたOrchomenusの町のMinyansのIasiusの子Amphionだと伝えている。
AD2世紀の地理学者Pausaniasも、Orchomenusの町のIasiusの子だと伝えている。
BC1世紀の地理学者Strabonは、ChlorisがMinyansのOrchomenusの町の出身だと伝えている。[226]
Thebes説は、Chlorisの父Amphionの母がAntiopeだと簡記している。
Orchomenus説は、具体的に記述しており、信ぴょう性がある。
Neleusの末の息子Nestorの妻もOrchomenusの町のAnaxibia (or Eurydice)であったことから、Orchomenus説が妥当と思われる。[227]
なお、Iasiusは、息子AmphionがOrchomenusの町に住んでいたMinyansであることから、Chrysogeneiaの子Chrysesの子Minyasの兄弟であったと推定される。

20.2.2 Neleusの子供たち
Neleusには12人の息子たち、Periclymenus、Taurus、Asterius、Pylaon、Deimachus、Eurybius、Epilaus、Phrasius、Eurymenes、Evagoras、Alastor、Chromius、Nestorと娘Peroがいた。[228]
Peroは、従兄であるAmythaonの子Biasと結婚した。[229]
また、NeleusはAmythaonの息子たちを遠くへ追いやり、自らの息子たちにもEleia地方南部へ土地を求めさせた。
BC1245年、Neleusの息子たちは、Lepreusの町の東方の海岸近くにPylusの町を建設した。そこは、Triphylia地方と呼ばれ、3つの部族、つまりEpeians (Eleians)、Minyans、そして、Arcadiansが共住していた。[230]
Lepreusの町近くのChaaの町の帰属をめぐって、Neleusの息子たちとArcadiansとの間に戦いがあり、Nestorが武勇を発揮した。[231]

20.3 HippocoonとTyroの息子Amythaon
Amythaonは、Neleusより先にOlympia競技会を開催したとされ、Neleusより1世代前の人物であった。[232]
TyroがCretheusと再婚したとき、Amythaonは既に結婚していて、息子Melampusが生まれていた。Melampusは、Pylusの町で生まれた。[233]
Thessaly地方のArneの町からEnipeus川を越えた所にPylusの町があり、Tyroの最初の夫Hippocoonの領地であった。[234]
Cretheusが死ぬと、Iolcusの町はPeliasが継ぐことになり、NeleusはAmythaonに連れられてThessaly地方からEleia地方へ移住した。[235]
Eleia地方には、Amythaonの母Tyroの父SalmoneusがAmythaonより前に移住して住んでいた。[236]

20.3.1 Amythaonの妻
Amythaonの妻は、Aglaiaという名前であった。[237]
Aglaiaの息子Melampusは予言者であったが、その予言術は自ら編み出したとも、蛇から授かったとも伝えられている。[238]
しかし、Melampusの予言術は、代々子孫に伝えられていた。Hesiodに予言術を伝授したAcarnania地方の予言者や、BC480年のThermopylaeの戦いに参加したAcarnania地方出身の予言者MegistiasはMelampusの後裔であった。[239]
Amythaonの兄弟4人全員がBoeotia地方のOrchomenusの町の有力者Iasiusの子Amphionの娘たちやMinyasの娘や孫を妻としている。AmythaonもBoeotia地方からAglaiaを嫁に迎えたものと思われる。
Aglaiaは、Boeotia地方のPtous山に有名な神託所を開いた予言者Tenerusの娘であり、TenerusがMelampusに予言術を伝授したと推定される。[240]

20.3.2 Amythaonの子Melampus (or Melampous)
Melampusは、Thessaly地方のPylusの町で生まれた。[241]
Melampusは父と共にEleia地方へ移住して、Elisの町の近くのPylusの町に住んでいた。その後、MelampusはPylusの町から遥か南方のTriphylia地方へ移住した。[242]
Melampusには、2人の息子たち、Abas (or Manto, Mantius)とMantius (or Antiphates)がいた。[243]

20.3.3 Amythaonの子Bias
Biasは、Thessaly地方のPylusの町で生まれた。[244]
BiasはNeleusの娘Peroを妻に迎えて、3人の息子たち、Talaus、Areius、Leodocus、それに娘Anaxibiaが生まれた。[245]
Biasは父と共にEleia地方へ移住して、Elisの町の近くのPylusの町に住んでいた。その後、BiasはPylusの町から遥か南方のTriphylia地方へ移住した。[246]
Biasには、3人の息子たち、Talaus、Areius、Leodocus、娘Anaxibiaがいた。[247]

20.3.4 Amythaonの娘Aeolia
Aeoliaは、Thessaly地方のPylusの町で生まれ、Aetolia地方のCalydonの町のAetolusの子Calydonに嫁いだ。[248]
Calydonは、Aeoliaの父Amythaonの母Tyroの父Salmoneusの兄弟Aethliusの子Endymionの子Aetolusの息子であった。つまり、CalydonとAeoliaは、3従兄妹であった。

20.3.5 Amythaonの娘Perimela
Perimelaは、Thessaly地方のPylusの町で生まれ、Thessaly地方のGyrtonの町に住むPeriphasの子Antionに嫁いだ。[249]
Antionは、Perimelaの父Amythaonの母Tyroの父Salmoneusの兄弟Lapithusの子Periphasの息子であった。つまり、Antionは、Perimelaの父の又従兄弟であった。

20.4 HippocoonとTyroの息子Pheres
BC1303年、Pheresは、Thessaly地方のPylusの町からIolcusの町の近くへ移住して、Pheraeの町を創建した。[250]
Pheresは、Orchomenusの町からMinyasの娘Periclymeneを妻に迎えて、2人の息子たち、AdmetusとLycurgus、それに2人の娘たち、AntigonaとPeriopisが生まれた。[251]

20.5 HippocoonとTyroの息子Aeson
Aesonは、Thessaly地方のPylusの町で生まれた。
Aesonは、Aesonisの町を創建した。[252]
Aesonは、Phylaceの町からPhylacusの娘Alcimedeを妻に迎えて、2人の息子たち、JasonとPromachusが生まれた。[253]

おわり