ウィーン市庁舎 |
今月から舞台はオーストリアのウィーンに移ります。私がウィーンに特急で到着したのは、8月23日の午後9時近くでした。予定した時間よりかなり遅くなったのは、チェコの国境で強制的に下車させられ、詰所に連行されたからです。薄暗い部屋に一人っきりで放置された後は、東の秘密警察やスパイ映画のシーンが次々に浮かび、一時は最悪の事態も覚悟しました。結果的には通過査証を交付してくれましたが、それは恐らく、ヘルダー・インスティテュートの責任者が発行してくれた私の身分証と、国境警備隊の責任者宛の国境通過許可依頼のせいだと思いますし、私があくまでも強気に「責任者に会わせるべきだ」と主張したこともプラスになったのかも知れません。
話を前に戻しますが、到着列車の終着駅はウィーンの中心から離れたフランツ・ヨーゼフ駅でした。その周りにはホテルなど無く、両替時間はとっくに過ぎているのに手持ちのオーストリア紙幣は僅かです。ドイツ語のアクセントも耳慣れず、しかも早口なのでうまく聞き取れません。途方に暮れたとき、一台のタクシーがそばに止まったので、勇気を出して話かけました。「私は両替のため西駅に行きたいのだが、現在200シリングしかもっていない。あなたの車に乗せてもらえるだろうか」。
すると運転手は、それで十分だといって私を乗せてくれました。親切そうな印象を受けたので、今夜泊まるホテルを探していることや、明日からは13地区の宿泊施設に泊まれることなどを話しました。彼は、駅の両替は手数料が高いから、今夜のホテル代程度の両替にとどめた方が良いとか、13地区は市の周辺に位置しており、ホテル代も安いし、明日の行動にも便利だからその地区のホテルを紹介してあげると言って、静かな感じのビジネスホテルを捜し、私が希望する値段で交渉までしてくれたのです。しかもそのホテルのもてなしの自然でゆきとどいていることー東とも西とも違う、ある意味では日本のサーヴィスにも通じる心地よさー「お部屋をごらんになりますか」と、まず部屋をみせてから決めさせる。翌日の朝食で食べたソーセージがこれまた美味しく、ああこれが本物の自家製ソーセージなのかと感激しました。
東と西の間(はざま)にいて、中立を通すことによって辛うじて自国の消滅を阻止できたオーストリア・どの国とも仲良くし、観光とサーヴィスに徹する国・国連都市ウノシティを莫大な費用をかけ誘致して東西の緊張緩和に積極的な役割を果たそうとする、人口わずか800万弱のオーストリア。ここには実にさまざまな歴史的文化的遺産が集中して存在しているのです。
(以下次号) |
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