ヨーロッパの国々W 東ドイツの事情(4)
ドレスデン市 ゼンパーオペラ劇場 ドレスデン市ツヴィンガー宮殿
今回はドレスデンでのお話をしましょう。ライプチヒから急行で2時間ほど東の50万都市ドレスデンは、かつてザクセンのフィレンツェと呼ばれたほど美しい都市でした。それが第二次大戦末期における連合軍の空襲で完全に破壊され、原爆を受けた広島に劣らぬほど沢山の犠牲者を出しました。都市の周辺にナチが重工業地帯を建設したのがあだとなり、ツヴィンガー宮殿やゼンパー・オペラ劇場など多くの文化遺産が破壊され、復興不能に近いほどのダメージを受けたのです。従って今日でもまだ再建の途中で、もとの美しい姿に戻るのは何百年後になるか分からないと言うことを聞きました。
 一方、石油が採れないこの国は、国内で産出する質の悪い石炭をエネルギーにするので、大気汚染によっても建物は被害を受けているのです。折角復元した建物もすぐ修復しなければなりません。こうした汚染によって気管支炎や喘息を患う人も多く、私もライプチヒで喘息になりました。日本に比べ年数を経た木々が沢山あるのに夏の盛りにどの葉もちじれているのを見るのは、あまり気持の良いものではありません。
 話を教会に移しますが、ドレスデンではカトリックのカテドラルと、少年合唱団で有名なプロテスタントの聖十字架教会が代表的です。ドイツの改革では、主に後者が活躍しました。教会の内部ではカテドラルの方がはるかに美しく、心の安らぎを覚えますが、聖十字架教会の内部は薄暗く、東ドイツの矛盾や悲劇を意図的に象徴しているのではないかと感ぐったほどです。
 終わりに私の体験を一つお話しましょう。ある国営レストランでのできごとです。垢にまみれたエプロンを締め、痩せて小柄な中学生ぐらいの女の子が、飲みかけのジョッキや食べ残しの皿を片付けていました。恐らくここのウエイトレスでしょう。群がる蠅を左手で払いながら右手でワゴン車を押しているのですが、その足元にまだよちよち歩きの幼児がまつわっているのです。私はハッとしました。この国の離婚率は、社会主義諸国でも非常に高く、若者たちが簡単に結婚や離婚を繰り返すことは知っていましたが、目の前の光景は非常にショックでした。これは姉と妹に違いないと無理に自分に言い聞かせるのですが、抱き上げられてオッパイをまさぐる幼児と、対する少女の慈しみのしぐさはどうみても母と娘のそれです。青白く、既に生活の疲れが滲み出ている母親と、汚れた服の幼児の姿を見ていると、何故かこの都市が所有するラファエロの世界的名画「システィーナのマドンナ」が思い出され、この母と子の縁がいかに重いかを悟り、粛然と襟を正すような気持にさせられました。
    (以下次号)
 
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