ヨーロッパの国々V 東ドイツの事情(3)
ライプツィヒ 聖トマス教会 聖ニコライ教会
 第1回で触れたR教授の話に、「若い後継者はいるけれども、その男はもっと固い」は、当時からナンバー2の呼び声が高かったクレンツ氏のことでした。彼はホーネッカー氏の秘蔵っ子として、若者の教育に深く関わっており、当時の旧体制を存続させる重要な人物だったのです。彼が新しいリーダーになってから、私の見るかぎり、思い切った改革を行ったようですが、如何せん過去の業績が災いし、結局失脚してしまいました。
 ここで、ライプチヒの教会についてお話しましょう。ライプチヒが、都市として出発したのは12世紀後半のことです。この都市は、今日では学問、商業、音楽を特色とする60万都市ですが、ライプチヒ大学やゲヴァントハウス(織物商館)、聖トマス教会が建立されたのは15世紀になってからでした。16世紀には聖ニコライ教会が建立され、18世紀にバッハが活躍したこれら両教会は、都市の中心に位置し、今日でも宗教と音楽の面で重要な役割を果たしています。今回東ドイツでは、新フォーラムが聖ニコライ教会をバックに活動を行いました。デモの集合地点になったり、参加者が官憲の弾圧を逃れて保護されたり、建物の中から声明を出したり、このほとんどに、聖ニコライ教会が関わったのでした。私が日曜日のミサに参加するため、問い合わせてもらったところ、この教会では時間をずらしてプロテスタントの礼拝とカトリックのミサを行っていたのです。でも「オルガンコンサート」に行きますと、祭服を着たカトリックの神父がまず演説し、その後でコンサートが始まります。これと同じ体験はドレスデンのカテドラルでも味わいました。一方の聖トマス教会ではこのようなことは無く、すぐコンサートが始まります。残念ながら、私の語学力では、彼らの話を理解することはできませんでしたが、それが単に宗教的な次元に留まらず、政治的な話題をも含んでいることは何とか想像がつきました。ミサはもちろんドイツ語で行われます。御多分に漏れず、司祭の説教は熱弁でしかも長時間です。私は当教会の主任司祭の説教をいささか長いなあ思っていますが、どうしてそんなものではありません。特に年配の司祭になるほどそう感じました。
 一番感心したのは聖歌が単純で音域も狭く、誰でも歌えるような易しい曲ばかりなのです。キリエとサンクトゥスが同じ旋律のものもあります。このことは、ウィーンのところでもう一度触れるつもりです。「主の平和」では、前後左右一人一人が心を込めて握手をするのですが、兄弟的一致を強く感じさせ、穏やかな瞳と手のぬくもりがいつまでも残りました。    
 (以下次号)

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