1 はじめに  
BC1750年、Parnassus山の北を流れるCephisus川の上流で大洪水が発生した。[1] 
Inachusの2人の息子たち、PhoroneusとAegialeus (or Aezeius)に率いられた人々は、南へ移動して、Peloponnesus半島に定住して、Phoroneus (後のArgos)の町とAegialeia (後のSicyon)の町を創建した。[2] 
BC1690年、Phoroneusの子Apisは、Aegialeia  (後のSicyon)の町をPhoroneusの町に併合して、Peloponnesusの支配者になった。  
      2 名祖Telchin  (or Telchis, Telches) 
        BC2世紀の年代記作者Castorは、初期のSicyon王たちの名前を次のように伝えている。  
        Aegialeus、Europs、Telchin、Apis、Thelxion、… [3] 
        AD2世紀の地理学者Pausaniasは、Aegialeusの子Europsの子Telchisの子Apisという系譜を伝えている。[4] 
        Castorは、Sicyon王たちの親子関係を記していないが、Pausaniasは、父から息子へ継承されたと解釈していたようである。  
        しかし、EuropsとApisは、Aegialeusの兄弟Phoroneusの息子たちであった。[5] 
        Aegialeusには、跡継ぎがいなかった。[6] 
        Aegialeusが死ぬと、Aegialeusの兄弟Phoroneusは、彼の息子EuropsをSicyon王にした。  
        Sicyonの町のTelchinは、Europsの王位を簒奪した。[7] 
        Argos王Phoroneusは、Parrhasiansと共に、Telchin率いるTelchinesを攻めたが、撃退された。[8] 
        BC1690年、Phoroneusの子Apisは、Telchinを破って、Sicyonの町をArgosの町に併合した。[9] 
        BC1665年、Telchinは、彼の息子Thelxionと共に、Apisを殺して、25年間のArgosの町の支配からSicyonの町を独立させた。[10] 
      3 Creteへの移住  
        BC1690年、Apisとの戦いに敗れたTelchinesの一部は、Telchinの子Cresに率いられて、Crete島へ移住した。[11] 
        CresはCrete島西部のLeuca山の北側の海に近い土地(後のApteraの町)に定住した。[12] 
        Telchinesは、Eteocretansに名前を変え、Cresは、Crete島のEteocretansの王になった。[13] 
        Crete島は  Telchinia、島に住む人々は Telchines と呼ばれた。[14] 
        AD5世紀の神学者Jeromeは、Crete島を最初に統治したのは、Cresであり、Cresの名前に因んで、Crete島と呼ばれるようになったと伝えている。[15] 
      3.1 Telchinesについて  
        3.1.1 鉄の発見者  
        BC1438年、Crete島のIda山に発生した山林火災で、偶然、鉄が発見された。[16] 
        Telchinesは、Apteraの町で、初めて鉄を加工し、Idaean Dactylsと呼ばれるようになった。[17] 
      3.1.2 金属加工技師  
        Telchinesは、鉄の鍛錬方法を発明した。[17-1] 
        また、Telchinesは、初めて、鉄と銅を加工した。[17-2] 
      3.1.3 鉱山師  
        Telchinesは、Cadmusに同行して、Pangaeus山付近で金鉱を発見し、Cadmeiaの町で銅を見つけた。[17-3] 
        また、Telchinesは、Euboea島のChalcisの町で銅鉱床を見つけた。[17-4] 
      3.1.4 Linear Bの発明者  
        Linear Bはギリシア語であり、最古の使用は、BC1450年頃だそうである。[17-5] 
        Linear Bは、未解読のLinear Aをもとにして、Crete島で発明されたと推定されている。  
        Telchinesの次にCrete島へ移住したギリシア人は、BC1450年にArcadia地方からCrete島へ移住したPelasgiansであった。[17-6] 
        しかし、Arcadia地方に住んでいたPelasgiansが、Linear Bを発明したとは、考えられない。  
        彼らより前に、Crete島に住んでいて、Linear Aの書き手から知識を得ることができたTelchinesが、Linear Bを発明したと推定される。  
      3.2 CreteからRhodesへの移住  
        TelchinesによるCrete島からRhodes島への移住は、少なくとも2回あった。  
        1)  Erysichthonより前の移住  
        Telchinesの一部は、Crete島からOphiussa (後のRhodes)島へ移住して、島はTelchinis島と呼ばれるようになった。[18] 
        TelchinesがCrete島からRhodes島へ移住したのは、BC1690年からBC1470年までの間と推定される。[19] 
        2)  Erysichthonの移住  
        BC1450年、Erysichthonは、Crete島東部のPrasusの町からRhodes島へ移住した。[20] 
        Erysichthonの移住は、Arcadia地方のTegeaの町からTegeatesの子Gortysに率いられたPelasgiansのCrete島入植が原因と推定される。[21] 
        Erysichthonは、Haliaの娘Rhodosと結婚し、Heliadaeと呼ばれる7人の息子たちが生まれた。[22] 
        Haliaは、先住民Telchinesの一人であった。[23] 
        Erysichthonと共に、Crete島から入植した人々は、Telchinesと共住した。  
        Erysichthonは、BC1690年にSicyonの町からCrete島へ移住したCresの後裔であり、Eteocretans (Telchines)であった。[24] 
      3.2.1 Rhodesから各地への移住  
        BC1425年、HeliadaeとTelchinesとの間で争いが生じて、Telchinesは島を追われて、各地へ移住した。[25] 
        Telchinesの一人Lycusは、Lycia地方のXanthus川近くへ移住した。[26] 
        Rhodes島には、Heliadaeに名前を変えたTelchinesが残った。  
        Telchinesの一部は、Samothrace島へ移住し、その後、近くのLemnos島にも住むようになった。[27] 
      3.2.1.1  SamothraceからBoeotiaへの移住  
        BC1420年、Samothrace島に住んでいたTelchinesは、Cadmusの移民団に参加して、Boeotia地方へ移住して、Teumessusの町に定住した。[28] 
        途中、Telchinesは、Thracia地方のChalcidice半島北方のPangaeus山付近で金鉱を発見した。[29] 
        Telchinesは、Cadmusが創建したCadmeiaの町で、cadmeaと名付けられる銅鉱石を発見した。[30] 
      3.2.1.2  Sparti 
        Cadmeiaの町でCadmusに次ぐ権力を持っていたSpartiは、大蛇の歯を播いた土から這い出てきたと伝えられている。旅の途中、Telchinesが各地で鉱石を探して試掘をしている様子から、この伝承が誕生したと思われる。Spartiの中には、Telchinesがいたと推定される。[31] 
        Spartiは、大蛇を象徴にしているが、Telchinesの島Telchinis (後のRhodes)の大蛇に関連していると思われる。  
        Spartiは、Cadmusの後裔たちがThebesの町を去った後も、予言者あるいは将軍として、指導的地位を1000年以上も保ち続けた。[32] 
      3.2.2 Rhodesから各地への移住  
        BC1415年、Heliadae  (Ochimus、Cercaphus、Macareus、Triopas、Actis、Candalus、Tenages)の間で、争いが生じて、Heliadaeの一部は、各地へ移住した。  
        Macareus (or  Macar)は、Lesbos島へ移住した。[33] 
        Candalusは、Cos島へ移住した。[34] 
        Actis (or  Auges, Atlas)は、Egyptへ移住して、Heliopolisの町を創建した。[35] 
        Triopasは、Caria地方へ移住して、Triopium (or Triopia)の町を創建した。[36] 
      3.3 CreteからTroadへの移住  
        BC1435年、Apteraの町に住んでいたTelchinesは、Teucrusに率いられて、Crete島からTroad地方へ移住して、Ida山近くに定住した。[37] 
        Teucrusの移民団には、BC1450年に、Arcadia地方からCrete島へ移住して、Cydoniaの町に住んでいたPelasgians (Arcadians)も含まれていたと思われる。[38] 
        BC1420年、Samothrace島から移住して来たDardanus率いるPelasgians (Arcadians)は、Teucrusと共住した。[39] 
        BC1327年、Dardanusの子Erichthoniusの子Trosの子Ilusは、Wilusa王になった。[40] 
        Telchinesは、PelasgiansやWilusaの人々と混血して、Trojansに名前を変えた。  
        Priamの富は、Ida山近くのAstyraの金鉱から生れたと伝えられている。[41] 
        その採掘には、Ida山近くで、鉄の加工をしていたIdaean Dactyls (Telchines)が従事していたと推定される。[42] 
      3.3.1 TroadからLydiaへの移住  
        BC1325年、Ida山近くに住んでいたTantalusは、Iliumの町のIlusから攻められて、Lydia地方のSipylus山近くへ移住した。[43] 
        Tantalusの移住には、Telchinesも同行し、Sipylus山周辺で金を採掘した。[44] 
        Tantalusの子孫の富は、Sipylus山一帯の鉱床から生れた。[45] 
      3.3.1.1 LydiaからItalyへの移住  
        BC1318年、Atysの子Tyrrhenus率いるMaeoniansは、Hittiteに追われて、Lydia地方からLemnos島へ逃れた。  
        BC1300年、Tyrrhenusは、Lemnos島からItaly半島の西海岸へ移住した。[46] 
        Tyrrhenusには、Sipylus山周辺に住んでいたTelchinesも同行した。Italy半島とCyrnus島の間に浮かぶ銅や鉄を産出するElba島には、Aethaliaと名前が付けられていた。Aethaliaは、Lemnos島の古い名前であった。[47] 
      3.3.2 TroadからSicilyへの移住  
        BC1295年、Ilusの子Laomedonは、Phaenodamas  (or Hippotes)によって、Iliumの町から追放された。Laomedonは、Hittiteの援助で、Iliumの町を奪還した。  
        この戦いで、Phaenodamasは死に、戦いに敗れたTrojansは、Phaenodamasの娘たちと共に、Sicily島へ逃れた。[48] 
        Sicily島で、Phaenodamasの娘Egestaに息子Aegestus (or Acestes)が生まれた。[49] 
      3.3.3 Troadから各地への移住  
        BC1244年、Trosの子Assaracusの後裔は、Egestaの子AegestusをSicily島から呼び寄せて、Laomedonの子Priamを追放して、Iliumの町を占領した。[50] 
        Priamは、Hittiteの援助で、Iliumの町を奪還した。  
        この戦いに敗れたTrojansは、各地へ移住した。  
      3.3.3.1 TroadからSicilyへの移住  
        BC1244年、Assaracusの子Capysの子Anchisesに率いられたTrojansは、Aegestusに案内されてSicily島へ移住した。[51] 
        Anchisesの子Aeneasは、Sicily島で生まれた。[52] 
        BC1184年、Aeneasは、Trojansを率いて、Sicily島からItaly半島中西部のLaurentumの町の近くへ移住した。[53] 
        Trojansは、Evanderと共に、移住して来たArcadiansや、先住民のLatinsと混血して、Romansに名前を変えた。  
      3.3.3.2 TroadからPaeoniaへの移住  
        BC1244年、Assaracusの子Capysの子Aesyetesの子Antenorに率いられたTrojansは、Paeonia地方へ移住した。[54] 
        Antenorには、Mysia of Olympeneに住んでいたMygdon率いるMygdoniansも同行した。[55] 
        Antenorの妻は、Mygdonの子Cisseusの娘Theanoであった。[56] 
        Mygdoniansは、Thessaly地方からPhrygia地方のAscania湖付近へ移住して、Dolionesに名前を変えたPelasgiansであった。  
        Mygdoniansには、Ida山に住んでいたIdaean Dactyli (Telchines)も同行していた。[57] 
        後に、彼らは、Macedonia地方のBermius山周辺からMidasの富を掘り出す技術者になった。[58] 
        Midasは、Mygdonの後裔であり、Mygdoniansの王であった。[59] 
        BC1188年、Antenorの息子たちは、Trojansを率いて、Troad地方へ移住した。  
        Antenorの息子たちは、Priamの子HectorをIliumの町から追放して、町を占領した。[60] 
      3.3.4 Troadから各地への移住  
        BC1186年、Iliumの町を奪還するため、Priamの子Hectorは、Achaeansと共に、Antenorの息子たちと戦った。Hectorが戦死して、Trojansは各地へ移住した。  
      3.3.4.1 TroadからMolossiansの地へ移住  
        BC1186年、Trojansは、Priamの子Helenusと共に、Achillesの子Neoptolemusに率いられて、Molossiansの地へ移住した。[61] 
        Helenusには、彼の兄弟ChaonやHectorの息子たちが同行していた。[62] 
        Chaonに率いられたTrojansは、Chaoniansに名前を変えた。[62-1] 
        BC1170年、Hectorの息子たちは、Trojansを率いて、Iliumの町を攻撃して、Antenorの息子たちを追放して、町を奪還した。  
        BC1156年、Molossiansの地に残っていたTrojansは、Hectorの妻Andromacheの子Pergamusに率いられて、Mysia地方へ移住して、Pergamonの町を創建した。[63] 
      3.4 CreteからEleiaへの移住  
        BC1420年、Acmon (or Idaean Heracles)は、Crete島からEleia地方のOlympiaの町へ移住した。[64] 
        Acmonは、Idaean  Dactylsの一人であった。[65] 
        つまり、Crete島からEleia地方へ移住した人々は、Telchinesであった。  
        Acmonが去った後も、Olympiaの町には、Telchinesが残っていた。  
        BC1345年、Acmonの孫Clymenusは、Crete島のCydoniaの町からOlympiaの町へ移住した。[66] 
        BC1344年、Clymenusは、Elisの町に住むAethliusの子Endymionによって、Olympiaの町から追放された。[67] 
        Clymenusの移住先は、Troad地方のIda山近くと思われる。[68] 
      3.5 CreteからCariaへの移住  
        BC1416年、Acmonは、Caria地方のCherronesusへ移住して、Cariansを追い出して、5つの町を創建した。[69] 
        Acmonと共に、Caria地方へ移住した人々は、Cariansと混血して、TelchinesからLelegesに名前を変えた。  
        Acmonの子Ancaeusは、Lelegesの王になった。[70] 
      3.5.1 Lelegesの居住地域  
        BC1404年、Ancaeusは、CherronesusからMaeander川の近くへ拠点を変えて、Lelegeis (後のMiletus)の町を創建した。[71] 
        Lelegesは、Anatolia半島中央部からAsia Minorへ勢力を伸ばすHittiteと戦った。  
        Lelegesは、Hittiteの勢力が強いときは、Samos島などへ逃れ、Hittiteの勢力が弱まると本土へ進出した。  
        Trojan War時代、Lelegesは、Caria地方からTroad地方まで、広範囲に居住していた。[72] 
      4 SicyonのTelchines 
        Apisを殺したThelxionがSicyon王になり、Thelxionの跡をAegydrus、Aegydrusの跡をThurimachusが継いだ。[73] 
      4.1 Argosの内紛  
        BC1635年、Argosの町で、Inachusの子Phoroneusが所属していた部族(以下、Inachians)とParrhasiansとの争いが起きた。  
        Inachiansに属するNiobeの子Argusの息子たち、TirynsとEpidaurusは、Argosの町から移住して、TirynsとEpidaurusの町を創建した。[74] 
      4.2 Mycenaeへの嫁入り  
        BC1601年、Thurimachusの娘Ismeneは、Mycenaeの町に住むArgusに嫁いだ。[75] 
        Argusは、Phoroneusの娘Niobeの子Argusの子Ecbasusの子Agenorの息子であった。[76] 
        Argusは、Argosの町に住むParrhasiansとの戦いに敗れて、当時、Telchinesが住んでいたMycenaeの町へ移住して、彼らと共住した。Mycenaeの町は、Argionと呼ばれるようになった。[77] 
        ArgusとIsmeneには、息子Messapusが生まれた。[78] 
      4.3 Mycenaeへの嫁入り  
        Thurimachusの跡を、彼の息子Leucippusが継いだ。[79] 
        BC1576年、Leucippusの娘Calchiniaは、Mycenaeの町に住むMessapusに嫁いだ。[80] 
        Messapusは、Calchiniaの従兄であった。  
      4.4 Argosの占領  
        Mycenae王Messapusは、Sicyon王になった。[81] 
        Messapusは、第7代Sicyon王Thurimachusの孫であり、第8代Sicyon王Leucippusの娘婿であった。  
        BC1560年、Messapusは、彼の父Argusを追放したArgosの町を攻めて、町を占領した。  
        Argosの町に住んでいたParrhasians (Pelasgians)は、各地へ移住した。[82] 
      4.5 Telchinesの黄金時代  
        この戦いの後で、Messapusは、Arcadia地方に住むPelasgiansを除いて、Peloponnesus半島に住む人々の大半を支配することになった。  
        Messapusの身近には、Inachians (Pelasgians)がいたが、大部分の住人は、Telchinesであった。  
        Telchinesが住むSicyonの町は、Mycenae、Argos、Tiryns、Epidaurusの町と共に、繁栄した。  
      4.6 Danausの出現  
        BC1430年、Plemnaeusの子Orthopolisの時代に、DanausがEgyptからArgosの町へ移住して来た。[83] 
        Danausは、BC1560年にArgosの町から追われたIasusの娘Ioの後裔であった。  
        Argosの町を支配していたSthenelasの子Gelanorは、Danausに追われて、Sicyonの町へ逃れた。[84] 
        このとき、Mycenaeの町は、Gelanorの兄弟Eurystheusが支配していた。[85] 
        Mycenaeの町も、Danausによって破壊され、Mycenaeの町に住んでいたTelchinesは、Sicyonの町へ逃れた。  
      4.7 Argosの占領  
        BC1408年、Sicyonの町へ亡命していたGelanorの子Lamedonは、Argosの町を攻めて、町を占領した。[86] 
        Danausの跡を継いだLynceusが死に、Lynceusの子Abas (or Triopas)が父の跡を継いでから、5年目であった。[87] 
        Argosの町は、再び、Telchinesの町になった。  
      4.8 Sicyonからの移住  
        BC1407年、Achaeusの2人の息子たち、ArchanderとArchitelesに率いられたAchaeansは、Argosの町を占拠していたLamedonを追い出した。[88] 
        さらに、Achaeansは、Aeolusの子Sisyphusと共に、Sicyonの町のTelchinesを追放して、Sicyonの町の東隣に、Corinthの町を創建した。[89] 
      4.9  Telchinesの行方  
        Mycenaeの町やSicyonの町から追われたTelchinesは、Messenia地方西部へ逃れて、Iklainaの町を創建したと推定される。  
      4.9.1 空白地帯  
        Pausaniasは、BC1405年にLacedaemonの町のLelexの子Polycaonが、Andaniaの町を創建したとき、Messenia地方は、無人であったと記している。[90] 
        その後、BC1280年にPerieresの子Aphareusが、Areneの町を創建するまで、Messenia地方西部の状況は、まったく不明である。[91] 
        BC1280年より前のMessenia地方西部は、伝承が残っていない空白地帯であった。  
      4.9.2 Iklainaの創建者  
        最近の考古学調査で、BC1405年にAndaniaの町の創建されたとき、Messenia地方西部に、Iklainaの町が存在していたことが判明した。[92] 
        Iklainaの町の遺跡から、その頃のLinear Bが記された粘土板が出土している。[93] 
        BC1330年にPerseusが創建する前のMycenaeの町の状況は、ギリシアの伝承から知ることはできない。しかし、実際は、Argosの町やSicyonの町を支配下に置いたMycenaeの町が存在していた。  
        これと同じように、ギリシアの伝承には記されていないIklainaの町が、Messenia地方西部に存在していた。  
        Iklainaの町は、Mycenaeの町やSicyonの町から逃れたTelchinesが創建した町であったと思われる。  
      4.9.3 Iklainaの創建年  
        Iklainaの創建年は、Mycenaeの町から、直接、Messenia地方へ逃れたTelchinesが町を創建したとすれば、BC1430年と思われる。  
        また、Mycenaeの町からSicyonの町を経由して、Messenia地方へ逃れたTelchinesが町を創建したとすれば、BC1407年と思われる。  
      4.9.4 Iklainaの古名  
        Perieresの子Aphareusは、Messenia地方の西海岸に、Areneの町を創建した。[94] 
        また、Aphareusの息子たちは、Papaeの町に住んでいて、その町の植民市がCrete島にあったとも伝えられている。[95] 
        BC1405年にAndaniaの町が創建されてから、BC1280年にAreneの町が創建されるまでの間に、Iklainaの町は、Andaniaの町の支配下に入ったと推定される。  
        Papaeは、Iklainaの町の古名であったと思われる。  
      4.9.5 Iklainaの破壊者  
        Iklainaの町は、BC1200年頃に破壊されたようである。[96] 
        破壊者は、Neleusの子Nestorであったと推定される。  
        BC1209年、Nestorは、Eleia地方南部のLepreatic Pylusの町からMessenia地方へ移住して、Iklainaの町の近くにPylusの町を創建した。[97] 
        Pausaniasは、Nestorが、Aphareusの子Idasの跡を継いだと記している。[98] 
        しかし、Nestorは、Idasが住んでいたAreneの町に居住せずに、Pylusの町を創建していることから、武力でMessenia地方西部を獲得したと推定される。  
      4.9.6 Linear Bの書き手  
        Linear Bの書き手は、Mycenaeの町からIklainaの町へ移住し、その後、Iklainaの町からPylusの町へ移住したと推定される。  
      5 Telchinesの居住地の広がり  
        BC1700年、Telchinesは、Peloponnesus北部のAegialeia (後のSicyon)の町で誕生した。  
        BC1690年、Aegialeiaの町に住んでいたTelchinesは、Crete島北西部へ移住して、Eteocretans、あるいは、Telchinesに名前を変えた。  
        BC1690年からBC1470年までの間、Crete島に住んでいたTelchinesは、Rhodes島へ移住した。  
        BC1560年、Peloponnesusに残ったTelchinesは、Sicyon、Mycenae、Argosの町に住み、黄金時代を迎えた。  
        BC1450年、Crete島に住んでいたEteocretansは、Rhodes島へ移住して、Heliadaeに名前を変えた。  
        BC1435年、Crete島に住んでいたTelchinesは、Troad地方へ移住して、Trojansに名前を変えた。  
        BC1430年、Argosの町やMycenaeの町に住んでいたTelchinesは、Sicyonの町へ移住した。  
        BC1416年、Crete島に住んでいたTelchinesは、Caria地方へ移住して、Lelegesに名前を変えた。  
        BC1415年、Rhodes島に住んでいたHeliadaeは、Egyptへ移住して、Heliopolisの町を創建した。  
        BC1407年、Sicyonの町に住んでいたTelchinesは、Sicyonの町から追放された。  
        BC1244年、Troad地方に住んでいたTrojansは、Sicily島へ移住した。  
        BC1184年、Sicily島に住んでいたTrojansは、Italy半島中西部へ移住して、Romansに名前を変えた。  
      6 ギリシア暗黒時代  
        Telchinesから名前を変えたEteocretansがCrete島に、Eteocretansから名前を変えたTrojansがTroad地方に、Trojansから名前を変えたRomansがItaly半島に住んでいた。  
      おわり   |