第51章 テルキニア人の系譜

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Create:2023.4.13, Update:2025.8.3

1 はじめに
BC1750年、Parnassus山の北を流れるCephisus川の上流で大洪水が発生した。[1]
Inachusの2人の息子たち、PhoroneusとAegialeus (or Aezeius)に率いられた人々は、南へ移動して、Peloponnesus半島に定住して、Phoroneus (後のArgos)の町とAegialeia (後のSicyon)の町を創建した。[2]
BC1690年、Phoroneusの子Apisは、Aegialeia (後のSicyon)の町をPhoroneusの町に併合して、Peloponnesusの支配者になった。

2 名祖Telchin (or Telchis, Telches)
BC2世紀の年代記作者Castorは、初期のSicyon王たちの名前を次のように伝えている。
Aegialeus、Europs、Telchin、Apis、Thelxion、… [3]
AD2世紀の地理学者Pausaniasは、Aegialeusの子Europsの子Telchisの子Apisという系譜を伝えている。[4]
Castorは、Sicyon王たちの親子関係を記していないが、Pausaniasは、父から息子へ継承されたと解釈していたようである。
しかし、EuropsとApisは、Aegialeusの兄弟Phoroneusの息子たちであった。[5]
Aegialeusには、跡継ぎがいなかった。[6]
Aegialeusが死ぬと、Aegialeusの兄弟Phoroneusは、彼の息子EuropsをSicyon王にした。
Sicyonの町のTelchinは、Europsの王位を簒奪した。[7]
Argos王Phoroneusは、Parrhasiansと共に、Telchin率いるTelchinesを攻めたが、撃退された。[8]
BC1690年、Phoroneusの子Apisは、Telchinを破って、Sicyonの町をArgosの町に併合した。[9]
BC1665年、Telchinは、彼の息子Thelxionと共に、Apisを殺して、25年間のArgosの町の支配からSicyonの町を独立させた。[10]

3 Creteへの移住
BC1690年、Apisとの戦いに敗れたTelchinesの一部は、Telchinの子Cresに率いられて、Crete島へ移住した。[11]
CresはCrete島西部のLeuca山の北側の海に近い土地(後のApteraの町)に定住した。[12]
Telchinesは、Eteocretansに名前を変え、Cresは、Crete島のEteocretansの王になった。[13]
Crete島は Telchinia、島に住む人々は Telchines と呼ばれた。[14]
AD5世紀の神学者Jeromeは、Crete島を最初に統治したのは、Cresであり、Cresの名前に因んで、Crete島と呼ばれるようになったと伝えている。[15]

3.1 Idaean Dactylsの誕生
BC1438年、Crete島のIda山に発生した山林火災で、偶然、鉄が発見された。[16]
Telchinesは、Apteraの町で、初めて鉄を加工し、Idaean Dactylsと呼ばれるようになった。[17]

3.2 CreteからRhodesへの移住
TelchinesによるCrete島からRhodes島への移住は、少なくとも2回あった。
1) Erysichthonより前の移住
Telchinesの一部は、Crete島からOphiussa (後のRhodes)島へ移住して、島はTelchinis島と呼ばれるようになった。[18]
TelchinesがCrete島からRhodes島へ移住したのは、BC1690年からBC1470年までの間と推定される。[19]
2) Erysichthonの移住
BC1450年、Erysichthonは、Crete島東部のPrasusの町からRhodes島へ移住して来た。[20]
Erysichthonの移住は、Arcadia地方のTegeaの町からTegeatesの子Gortysに率いられたPelasgiansのCrete島入植が原因と推定される。[21]
Erysichthonは、Haliaの娘Rhodosと結婚し、Heliadaeと呼ばれる7人の息子たちが生まれた。[22]
Haliaは、先住民Telchinesの一人であった。[23]
Erysichthonと共に、Crete島から入植した人々は、Telchinesと共住した。
Erysichthonは、BC1690年にSicyonの町からCrete島へ移住したCresの後裔であり、Eteocretans (Telchines)であった。[24]

3.2.1 Rhodesから各地への移住
BC1425年、HeliadaeとTelchinesとの間で争いが生じて、Telchinesは島を追われて、各地へ移住した。[25]
Telchinesの一人Lycusは、Lycia地方のXanthus川近くへ移住した。[26]
Rhodes島には、Heliadaeに名前を変えたTelchinesが残った。
Telchinesの一部は、Samothrace島へ移住し、その後、近くのLemnos島にも住むようになった。[27]

3.2.1.1 SamothraceからBoeotiaへの移住
BC1420年、Samothrace島に住んでいたTelchinesは、Cadmusの移民団に参加して、Boeotia地方へ移住して、Teumessusの町に定住した。[28]
途中、Telchinesは、Thracia地方のChalcidice半島北方のPangaeus山付近で金鉱を発見した。[29]
Telchinesは、Cadmusが創建したCadmeiaの町で、cadmeaと名付けられる銅鉱石を発見した。[30]

3.2.1.2 Sparti
Cadmeiaの町でCadmusに次ぐ権力を持っていたSpartiは、大蛇の歯を播いた土から這い出てきたと伝えられている。旅の途中、Telchinesが各地で鉱石を探して試掘をしている様子から、この伝承が誕生したと思われる。Spartiの中には、Telchinesがいたと推定される。[31]
Spartiは、大蛇を象徴にしているが、Telchinesの島Telchinis (後のRhodes)の大蛇に関連していると思われる。
Spartiは、Cadmusの後裔たちがThebesの町を去った後も、予言者あるいは将軍として、指導的地位を1000年以上も保ち続けた。[32]

3.2.2 Rhodesから各地への移住
BC1415年、Heliadae (Ochimus、Cercaphus、Macareus、Triopas、Actis、Candalus、Tenages)の間で、争いが生じて、Heliadaeの一部は、各地へ移住した。
Macareus (or Macar)は、Lesbos島へ移住した。[33]
Candalusは、Cos島へ移住した。[34]
Actis (or Auges, Atlas)は、Egyptへ移住して、Heliopolisの町を創建した。[35]
Triopasは、Caria地方へ移住して、Triopium (or Triopia)の町を創建した。[36]

3.3 CreteからTroadへの移住
BC1435年、Apteraの町に住んでいたTelchinesは、Teucrusに率いられて、Crete島からTroad地方へ移住して、Ida山近くに定住した。[37]
Teucrusの移民団には、BC1450年に、Arcadia地方からCrete島へ移住して、Cydoniaの町に住んでいたPelasgians (Arcadians)も含まれていたと思われる。[38]
BC1420年、Samothrace島から移住して来たDardanus率いるPelasgians (Arcadians)は、Teucrusと共住した。[39]
BC1327年、Dardanusの子Erichthoniusの子Trosの子Ilusは、Wilusa王になった。[40]
Telchinesは、PelasgiansやWilusaの人々と混血して、Trojansに名前を変えた。
Priamの富は、Ida山近くのAstyraの金鉱から生れたと伝えられている。[41]
その採掘には、Ida山近くで、鉄の加工をしていたIdaean Dactyls (Telchines)が従事していたと推定される。[42]

3.3.1 TroadからLydiaへの移住
BC1325年、Ida山近くに住んでいたTantalusは、Iliumの町のIlusから攻められて、Lydia地方のSipylus山近くへ移住した。[43]
Tantalusの移住には、Telchinesも同行し、Sipylus山周辺で金を採掘した。[44]
Tantalusの子孫の富は、Sipylus山一帯の鉱床から生れたと伝えられている。[45]

3.3.1.1 LydiaからItalyへの移住
BC1318年、Atysの子Tyrrhenus率いるMaeoniansは、Hittiteに追われて、Lydia地方からLemnos島へ逃れた。
BC1300年、Tyrrhenusは、Lemnos島からItaly半島の西海岸へ移住した。[46]
Tyrrhenusには、Sipylus山周辺に住んでいたTelchinesも同行した。Italy半島とCyrnus島の間に浮かぶ銅や鉄を産出するElba島には、Aethaliaと名前が付けられていた。Aethaliaは、Lemnos島の古い名前であった。[47]

3.3.2 TroadからSicilyへの移住
BC1296年、Ilusの子Laomedonは、Phaenodamas (or Hippotes)によって、Iliumの町から追放された。Laomedonは、Hittiteの援助で、Iliumの町を奪還した。
この戦いで、Phaenodamasは死に、戦いに敗れたTrojansは、Phaenodamasの娘たちと共に、Sicily島へ逃れた。[48]
Sicily島で、Phaenodamasの娘Egestaに息子Aegestus (or Acestes)が生まれた。[49]

3.3.3 Troadから各地への移住
BC1244年、Trosの子Assaracusの後裔は、Egestaの子AegestusをSicily島から呼び寄せて、Laomedonの子Priamを追放して、Iliumの町を占領した。[50]
Priamは、Hittiteの援助で、Iliumの町を奪還した。
この戦いに敗れたTrojansは、各地へ移住した。

3.3.3.1 TroadからSicilyへの移住
BC1244年、Assaracusの子Capysの子Anchisesに率いられたTrojansは、Aegestusに案内されてSicily島へ移住した。[51]
Anchisesの子Aeneasは、Sicily島で生まれた。[52]
BC1184年、Aeneasは、Trojansを率いて、Sicily島からItaly半島中西部のLaurentumの町の近くへ移住した。[53]
Trojansは、Evanderと共に、移住して来たArcadiansや、先住民のLatinsと混血して、Romansに名前を変えた。

3.3.3.2 TroadからPaeoniaへの移住
BC1244年、Assaracusの子Capysの子Aesyetesの子Antenorに率いられたTrojansは、Paeonia地方へ移住した。[54]
Antenorには、Mysia of Olympeneに住んでいたMygdon率いるMygdoniansも同行していた。[55]
Antenorは、Mygdonの子Cisseusの娘Theanoを妻にしていた。[56]
Mygdoniansは、Thessaly地方からPhrygia地方のAscania湖付近へ移住して、Dolionesに名前を変えたPelasgiansであった。
Mygdoniansには、Ida山に住んでいたIdaean Dactyli (Telchines)も同行していた。[57]
後に、彼らは、Macedonia地方のBermius山周辺からMidasの富を掘り出す技術者になった。[58]
Midasは、Mygdonの後裔であり、Mygdoniansの王であった。[59]
BC1188年、Antenorの息子たちは、Trojansを率いて、Troad地方へ移住した。
Antenorの息子たちは、Priamの子HectorをIliumの町から追放して、町を占領した。[60]

3.3.4 Troadから各地への移住
BC1186年、Iliumの町を奪還するため、Priamの子Hectorは、Achaeansと共に、Antenorの息子たちと戦った。Hectorが戦死して、Trojansは各地へ移住した。

3.3.4.1 TroadからMolossiansの地へ移住
BC1186年、Trojansは、Priamの子Helenusと共に、Achillesの子Neoptolemusに率いられて、Molossiansの地へ移住した。[61]
Helenusには、彼の兄弟ChaonやHectorの息子たちが同行していた。[62]
BC1170年、Hectorの息子たちは、Trojansを率いて、Iliumの町を攻撃して、Antenorの息子たちを追放して、町を奪還した。
BC1156年、Molossiansの地に残っていたTrojansは、Hectorの妻Andromacheの子Pergamusに率いられて、Mysia地方へ移住して、Pergamonの町を創建した。[63]

3.4 CreteからEleiaへの移住
BC1420年、Idaean Heraclesは、Crete島からEleia地方のOlympiaの町へ移住した。[64]
Idaean Heraclesは、Idaean Dactylsの一人であった。[65]
つまり、Crete島からEleia地方へ移住した人々は、Telchinesであった。
Idaean Heraclesが去った後も、Olympiaの町には、Telchinesが残っていた。
BC1345年、Idaean Heraclesの孫Clymenusは、Crete島のCydoniaの町からOlympiaの町へ移住した。[66]
BC1344年、Clymenusは、Elisの町に住むAethliusの子Endymionによって、Olympiaの町から追放された。[67]
Clymenusの移住先は、Troad地方のIda山近くと思われる。[68]

3.5 CreteからCariaへの移住
BC1416年、Idaean Heraclesは、Caria地方のCherronesusへ移住して、たにいたCariansを追い出して、5つの町を創建した。[69]
Idaean Heraclesと共に、Caria地方へ移住した人々は、Cariansと混血して、TelchinesからLelegesに名前を変えた。
Idaean Heraclesの子Ancaeusは、Lelegesの王になった。[70]

3.5.1 Lelegesの居住地域
BC1404年、Ancaeusは、CherronesusからMaeander川の近くへ拠点を変えて、Lelegeis (後のMiletus)の町を創建した。[71]
Lelegesは、Anatolia半島中央部からAsia Minorへ勢力を伸ばすHittiteと戦った。
Lelegesは、Hittiteの勢力が強いときは、Samos島などへ逃れ、Hittiteの勢力が弱まると本土へ進出した。
Trojan War時代、Lelegesは、Caria地方からTroad地方まで、広範囲に居住していた。[72]

4 SicyonのTelchines
Apisを殺したThelxionがSicyon王になり、Thelxionの跡をAegydrus、Aegydrusの跡をThurimachusが継いだ。[73]

4.1 Argosの内紛
BC1635年、Argosの町で、Inachusの子Phoroneusが所属していた部族(以下、Inachians)とParrhasiansとの争いが起きた。
Inachiansに属するNiobeの子Argusの息子たち、TirynsとEpidaurusは、Argosの町から移住して、TirynsとEpidaurusの町を創建した。[74]

4.2 Mycenaeへの嫁入り
BC1601年、Thurimachusの娘Ismeneは、Mycenaeの町に住むArgusに嫁いだ。[75]
Argusは、Phoroneusの娘Niobeの子Argusの子Ecbasusの子Agenorの息子であった。[76]
Argusは、Argosの町に住むParrhasiansとの戦いに敗れて、当時、Telchinesが住んでいたMycenaeの町へ移住して、彼らと共住した。Mycenaeの町は、Argionと呼ばれるようになった。[77]
ArgusとIsmeneには、息子Messapusが生まれた。[78]

4.3 Mycenaeへの嫁入り
Thurimachusの跡を、彼の息子Leucippusが継いだ。[79]
BC1576年、Leucippusの娘Calchiniaは、Mycenaeの町に住むMessapusに嫁いだ。[80]
Messapusは、Calchiniaの従兄であった。

4.4 Argosの占領
Mycenae王Messapusは、Sicyon王になった。[81]
Messapusは、第7代Sicyon王Thurimachusの孫であり、第8代Sicyon王Leucippusの娘婿であった。
BC1560年、Messapusは、彼の父Argusを追放したArgosの町を攻めて、町を占領した。
Argosの町に住んでいたParrhasians (Pelasgians)は、各地へ移住した。[82]

4.5 Telchinesの黄金時代
この戦いの後で、Messapusは、Arcadia地方に住むPelasgiansを除いて、Peloponnesus半島に住む人々の大半を支配することになった。
Messapusの身近には、Inachians (Pelasgians)がいたが、大部分の住人は、Telchinesであった。
Telchinesが住むSicyonの町は、Mycenae、Argos、Tiryns、Epidaurusの町と共に、繁栄した。

4.6 Danausの出現
BC1430年、Plemnaeusの子Orthopolisの時代に、DanausがEgyptからArgosの町へ移住して来た。[83]
Danausは、BC1560年にArgosの町から追われたIasusの娘Ioの後裔であった。
Argosの町を支配していたSthenelasの子Gelanorは、Danausに追われて、Sicyonの町へ逃れた。[84]
このとき、Mycenaeの町は、Gelanorの兄弟Eurystheusが支配していた。[85]
Mycenaeの町も、Danausによって破壊され、Mycenaeの町に住んでいたTelchinesは、Sicyonの町へ逃れた。

4.7 Argosの占領
BC1408年、Sicyonの町へ亡命していたGelanorの子Lamedonは、Argosの町を攻めて、町を占領した。[86]
Danausの跡を継いだLynceusが死に、Lynceusの子Abas (or Triopas)が父の跡を継いでから、5年目であった。[87]
Argosの町は、再び、Telchinesの町になった。

4.8 Sicyonからの移住
BC1407年、Achaeusの2人の息子たち、ArchanderとArchitelesは、Argosの町を占拠していたLamedonを追い出した。[88]
さらに、彼らは、Aeolusの子Sisyphusと共に、Sicyonの町のTelchinesを追放して、Sicyonの町の東隣に、Corinthの町を創建した。[89]
Sicyonの町を去ったTelchinesの消息は、不明である。

5 Telchinesの居住地の広がり
BC1700年、Telchinesは、Peloponnesus北部のAegialeia (後のSicyon)の町で誕生した。
BC1690年、Aegialeiaに住んでいたTelchinesは、Crete島北西部へ移住して、Eteocretansに名前を変えた。
BC1690年からBC1470年までの間、Crete島に住んでいたTelchinesは、Rhodes島へ移住した。
BC1560年、Peloponnesusに残ったTelchinesは、Sicyon、Mycenae、Argosの町に住み、黄金時代を迎えた。
BC1450年、Crete島に住んでいたEteocretansは、Rhodes島へ移住して、Heliadaeに名前を変えた。
BC1435年、Crete島に住んでいたTelchinesは、Troad地方へ移住して、Trojansに名前を変えた。
BC1430年、Argosの町やMycenaeの町に住んでいたTelchinesは、Sicyonの町へ移住した。
BC1416年、Crete島に住んでいたTelchinesは、Caria地方へ移住して、Lelegesに名前を変えた。
BC1415年、Rhodes島に住んでいたHeliadaeは、Egyptへ移住して、Heliopolisの町を創建した。
BC1407年、Sicyonの町に住んでいたTelchinesは、Sicyonの町から追放された。
BC1244年、Troad地方に住んでいたTrojansは、Sicily島へ移住した。
BC1184年、Sicily島に住んでいたTrojansは、Italy半島中西部へ移住して、Romansに名前を変えた。

6 ギリシア暗黒時代
Telchinesから名前を変えたEteocretansがCrete島に、Eteocretansから名前を変えたTrojansがTroad地方に、Trojansから名前を変えたRomansがItaly半島に住んでいた。

おわり