第42章 ミニュアス人の系譜

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Create:2023.5.26, Update:2026.2.16

1 はじめに
BC1750年、パルナッソス山の北を流れるケピソス川の上流で大洪水が発生した。
オギュゴスに率いられたエクテネスは、ケピソス川の下流へ移住して、コパイス湖の南東に定住した。[1]
BC1580年、ヘレンの父デウカリオーンの祖父に率いられたエクテネスの一部は、ヒュアンテスなどの他の部族によって圧迫されて、ボイオティア地方から北へ移動した。デウカリオーンは、テッサリア地方北部を流れるペネイオス川に南から流れ込むエニペウス川の源流付近に、ピュラ (後のメリタイア)の町を創建した。[2]
デウカリオーンには2人の息子たち、ヘレンとアンピクテュオンがいた。[3]
ヘレンは、プティオティス地方を治め、その地方の人々はヘレネス、またはヘラスと呼ばれた。[4]
ヘレンには3人の息子たち、アイオロス、クストス、ドロスがいた。[5]
アイオロスは父の跡を継いでメリタイアの町に住み、プティオティス地方を治めた。[6]
アイオロスには5人の息子たち、ミマス、クレテウス、ヒュプセウス、シシュッポス、アタマスが生まれた。[7]
アイオロスの後裔は、アイオリス人 (または、アイオリス)と呼ばれるようになった。[8]
BC1420年、シシュッポスは、従兄弟アカイオスの息子たちと共に、メリタイアの町からペロポネソス北部のアイギアロス地方へ移住した。[9]
BC1407年、シシュッポスは、アイギアロス地方からシキュオンの町の東側へ移住して、エピュラ(後のコリントス)の町を創建した。[10]

2 ボイオティアへの移住
2.1 シシュッポスの子アルモス
BC1365年、アルモスは、エピュラの町からボイオティア地方のコパイス湖の北側へ移住して、オルモネスの町を創建した。[11]
パウサニアスは、アンドレウスの子エテオクレスがアルモスに土地を与えたと伝えている。[12]
しかし、実際は、エテオクレスではなく、アタマスがアルモスに土地を分け与えたと思われる。
エテオクレスは、ヘレンの子アイオロスの子ミマスの子ヒッポテスの子アイオロスの子アンドレウスの息子であり、アルモスは、ヘレンの子アイオロスの子シシュッポスの息子であった。つまり、アルモスは、エテオクレスの曾祖父ヒッポテスの従兄弟であった。
一方、アタマスは、ヘレンの子アイオロスの息子であり、アルモスの叔父であった。
アルモスは、エテオクレスではなく、叔父アタマスを頼って移住してきたと考えた方が妥当である。

2.2 コパイス周辺の状況
BC1390年、アイオロスの子アタマスは、テッサリア地方のハロスの町からコパイス湖の東側へ移住して、アクライピオンの町を創建した。[13]
アタマスの子プリクソスは、エピュライア (後のコリントス)の町のシシュッポスの子アイイテスと共に、黒海東岸のコルキス地方へ移住した。[14]
BC1380年、アイオロスの子アンドレウスは、テッサリア地方のアルネの町からボイオティア地方へ移住して来て、アンドレイス (後のオルコメノス)の町を創建した。[15]
BC1370年、プリクソスの子プレスボンは、コルキス地方から祖父アタマスが住むボイオティア地方のアクライピオンの町へ移住して来た。[16]
この時から、ボイオティア地方とコルキス地方との交易が始まり、航海術に優れた集団が誕生したと推定される。

2.3 アンドレイスの継承
アルモスには2人の娘たち、クリュソゲネイアとクリュセがいた。[17]
クリュセの子プレギュアスは、アンドレウスの子エテオクレスからアンドレイスの町を継承した。[18]
アンドレウスは、初代オルコメノス王であり、アンドレイスの町の創建者であった。[19]
プレギュアスの跡を、クリュソゲネイアの子クリュセが継いだ。[20]
クリュセの時代にコパイス湖の水位が上がってアンドレイスの町は人が住めなくなった。
BC1350年、クリュセは、コパイス湖西側のアコンティオス山の近くに新しいアンドレイス (後のオルコメノス)の町を建設した。[21]
クリュセには、息子ミニュアスがいた。[22]
クリュセには、イアシオスという名前の息子もいたと推定される。[23]

3 名祖ミニュアス
BC1335年、クリュセの跡を、彼の息子ミニュアスが継いだ。[24]
ミニュアスには2人の息子たち、オルコメノスとキュパリッソスがいた。[25]
ミニュアスの跡を、彼の息子オルコメノスが継いだ。彼の時代に、アンドレイスの町は、オルコメノスの町と呼ばれるようになった。[26]
BC1305年、ミニュアスの子キュパリッソスは、デルポイの近くへ移住して、キュパリッソスの町を創建した。[27]
ミニュアスには娘たち、クリュメネ、ペリクリュメネ、アルカトエ、アルシノエ、レウキッペがいた。[28]
ミニュアス統治下の人々は、ミニュアスの名前に因んで、ミニュアス人と呼ばれるようになった。[29]

3.1 ミニュアス人の種族
ミニュアスの父クリュセの父の種族は、不明である。
しかし、アイオリス人であるアンドレウスの子エテオクレスの跡を、プレギュアスが継ぎ、プレギュアスの跡を、クリュセが継いでいることから、クリュセの父もアイオリス人に属していたと推定される。
つまり、ミニュアス人は、アイオリス人の支族であった。

3.2 ミニュアス人の富
ミニュアス王は、莫大な収入を受け取り、初めて宝庫が建てられた。[30]
ミニュアス人の富の源泉について、伝承は明示していないが、ケピソス川が流入するコパイス湖周辺の肥沃な土地から得られたと思われる。
また、黒海方面との交易活動で得られる収入も大きかった。
その交易活動は、プリクソスの子プレスボンが黒海東岸のコルキス地方からボイオティア地方へ移住して来てから、本格的に始まった。

4 婚姻に伴う移住
ミニュアスの時代、ミニュアス人の富は広く知れ渡り、各地の有力者の息子たちが、ミニュアス人の町から妻を迎えるようになった。[42]
花嫁には、大勢のミニュアス人が同行して、ミニュアス人の居住地は、各地へ広がった。

4.1 テッサリアへの移住
BC1317年、ミニュアスの娘クリュメネは、テッサリア地方のピュラケの町に住むピュラコスに嫁いだ。[43]
BC1301年、ミニュアスの娘ペリクリュメネは、テッサリア地方のフェライの町に住むフェレスに嫁いだ。[44]
BC1299年、イアシオスの子アンピオンの娘ピュロマケは、テッサリア地方のイオルコスの町に住むクレテウスの子ペリアスに嫁いだ。[45]
BC1291年、ミニュアスの娘クリュメネの娘アルキメデは、テッサリア地方にアイソニス (または、アイソン)の町を創建したアイソンに嫁いだ。[46]
以上の結婚によって、テッサリア地方のパガサイ湾周辺の町には、多くのミニュアス人が居住するようになった。

4.1.1 イオルコスの発展
ミニュアス人は、黒海方面との交易を行い、パガサイ湾北岸のイオルコスの町は、急速に発展した。イオルコスの町は、クレテウスの子ペリアスの時代に黄金期を迎え、アルゴ船の遠征物語の舞台の一つとして登場するほどになった。[47]

4.1.2 イアソンの遠征
BC1268年、アイソンの子イアソンは、アイソニスの町に住むミニュアス人と共にコルキス地方へ遠征した。[48]
イアソンの母アルキメデは、ミニュアスの娘クリュメネの娘であり、アルキメデの嫁入りに際して、多くのミニュアス人が移住して来て、アイソニスの町に住んでいた。
この遠征で、イアソンは、コルキス地方に住んでいたアイイテスの娘メディアと結婚した。[49]

4.1.3 レムノスへの移住
BC1236年、イオルコスの町やフェライの町に居住していたミニュアス人が反乱を起こした。[50]
ミニュアス人は、アイアコスの子ペレウスによって、テッサリア地方から追放されて、レムノス島やインブロス島へ移住した。[51]
レムノス島は、パガサイ湾とコルキス地方を結ぶ航路の中継地であり、既に、ミニュアス人が住んでいた。

4.1.4 レムノスからの退去
BC1115年、レムノス島やインブロス島に住んでいたミニュアス人は、アテナイの町から移住して来たペラスゴイ人によって、島から追放された。[52]

4.1.4.1 ラケダイモンへの移住
レムノス島やインブロス島から追放されたミニュアス人の大部分は、ラケダイモンの町へ移住した。[53]
BC1099年、ミニュアス人の一部は、アウテシオンの子テラスと共に、テラ島へ移住した。[54]
BC630年、テラ島に住んでいたミニュアス人の一部は、ポリュムネストスの子バットスに率いられて、リビュアへ移住して、キュレネの町を創建した。[55]
BC780年、ラコニア地方のアミュクライの町に住み続けていたミニュアス人は、ドーリス人との戦いに敗れて、ペロポネソスから退去した。[56]

4.1.4.2 キュジコスへの移住
レムノス島やインブロス島から追放されたミニュアス人の一部は、キュジコスの町へ移住した。[57]
キュジコスの住人は、ペラスゴイ人から名前を変えたドリオネス人であった。[58]
ドリオネス人は、イダ山南のアンタンドロスの町へ移住した。[59]

4.2 エレイアへの移住
BC1277年、イアシオスの子アンピオンの娘クロリスは、オルコメノスの町からエレイア地方のピュロスの町に住むクレテウスの子ネレウスに嫁いだ。[60]
クロリスには、多くのミニュアス人が同行して、ピュロスの町へ移住した。[61]
BC1270年、ミニュアス人は、ピュロスの町からエレイア地方南部のトリピュリア地方のアレネの町へ移住した。[62]
BC1250年、トリピュリア地方のアレネの町のアレイトオスは土地の問題で、テゲアの町のアレウスの子リュクルゴスと戦って討ち取られた。[63]
アレイトオスは、ネレウスのもとへ嫁いだクロリスに同行してボイオティア地方のオルコメノスの町からエレイア地方へ移住して来たミニュアス人であった。[64]
アレイトオスの子メネスチオスは、ミニュアス人を率いて、トロイへ遠征した。[65]

5 ミニュアス人の盛衰
5.1 ミニュアスの後裔
ミニュアスの跡を、彼の息子オルコメノスが継ぎ、アンドレイスの町は、オルコメノスの町と呼ばれるようになった。[66]
オルコメノスには、息子がいなかったため、アクライピオンの町に住むアタマスの子プリクソスの子プレスボンの子クリュメノスが、オルコメノスの跡を継いだ。[67]
クリュメノスは、初代オルコメノス王アンドレウスの妻エウイッペの従兄プレスボンの息子であった。[68]
アタマスの後裔がオルコメノス王になったことで、ボイオティア地方の西半分がミニュアス人の勢力範囲になり、東半分を勢力下に置くテバイ人と争うことになった。

5.2 テバイ人との戦い
BC1256年、クリュメノスは、オンケストスの町で、テバイの町の支配者クレオンの息子メノイケウスの御者ペリエレスに殺された。[69]
クリュメノスの子エルギヌスは、テバイの町を攻めて、テバイ人に勝利した。[70]
その後、テバイ人は、ミニュアス人を攻めて、エルギヌスに勝利した。[71]
この戦いの後、ボイオティア地方のミニュアス人は、勢力を失った。

5.3 トラキア人による占拠と奪還
BC1188年、ミニュアス人が住んでいたオルコメノスの町がトラキア人によって占拠された。
ミニュアス人は、アイオロスの子アタマスの後裔アタマスに率いられて、小アジアのイオニア地方へ移住して、テオスの町を創建した。[72]
また、ミニュアス人の一部は、アテナイの町のムニュキアへ逃れた。[73]
BC1126年、ムニュキアに住んでいたミニュアス人は、ボイオティア人の助けを借りて、オルコメノスの町を占拠していたトラキア人を追い出して、町へ帰還した。
しかし、この時から、オルコメノスの町のミニュアス人は、ボイオティア人の支配下に入ることになった。
その後、オルコメノスの町のミニュアス人の一部は、テロの子カイロンに率いられて、ボイオティア地方西部のアルネ (後のカイロネイア)の町へ移住した。

5.4 サウロマタイの地への移住
BC1186年、トロイへ遠征したアカイア人は、イリオンの町との戦いに敗れて、各地へ逃れた。
ミニュアス人は、アステュオケ (または、ペルニス)の子イアルメノスに率いられて、黒海の北のサウロマタイの地へ移住した。[74]
イアルメノスの先祖プリクソスの孫娘ペルセイス (または、ペルセ)の子ペルセスは、タウリケ・ケルソネセ (現在のクリミア)の支配者であった。[75]
また、ペルセスの娘ヘカテ (または、イデュイア)の娘キルケは、サウロマタイ人の王に嫁いでいた。[76]
つまり、古い時代から、ミニュアス人は、黒海方面と、活発に交易していたと推定される。

6 ミニュアス人の居住地の広がり
BC1335年、ミニュアス人は、ボイオティア地方のアンドレイス (後のオルコメノス)の町で誕生した。
BC1317年、オルコメノスの町に住んでいたミニュアス人は、テッサリア地方のピュラケの町へ移住した。
BC1301年、オルコメノスの町に住んでいたミニュアス人は、テッサリア地方のフェライの町へ移住した。
BC1299年、オルコメノスの町に住んでいたミニュアス人は、テッサリア地方のイオルコスの町へ移住した。
BC1277年、オルコメノスの町に住んでいたミニュアス人は、エレイア地方のピュロスの町へ移住した。
BC1270年、ピュロスの町に住んでいたミニュアス人は、トリピュリア地方のアレネの町へ移住した。
BC1236年、テッサリア地方に住んでいたミニュアス人は、レムノス島やインブロス島へ移住した。
BC1188年、オルコメノスの町に住んでいたミニュアス人は、アテナイの町やイオニア地方のテオスの町へ移住した。
BC1186年、トロイへ遠征したミニュアス人は、サウロマタイの地へ移住した。
BC1126年、アテナイの町に住んでいたミニュアス人は、オルコメノスの町へ帰還した。
この時、ミニュアス人の一部は、アルネ (後のカイロネイア)の町へ移住した。
BC1115年、レムノス島やインブロス島に住んでいたミニュアス人は、ラコニア地方へ移住した。
BC1115年、レムノス島に住んでいたミニュアス人は、キュジコスの町へ移住した。
BC1099年、ラコニア地方に住んでいたミニュアス人は、テラ島へ移住した。
た。

7 ギリシア暗黒時代
ミニュアス人の大部分は、ボイオティア地方西部に住んでいた。
ミニュアス人は、キュジコスの町、エレイア地方、イオニア地方、サウロマタイの地、テラ島にも住んでいた。

おわり