第47章 ロクリス人の系譜

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Create:2023.5.26, Update:2026.2.16

1 はじめに
BC1750年、パルナッソス山の北を流れるケピソス川の上流で大洪水が発生した。
オギュゴスに率いられたエクテネスは、ケピソス川の下流へ移住して、コパイス湖の南東に定住した。[1]
BC1580年、ヘレンの父デウカリオーンの祖父に率いられたエクテネスの一部は、ヒュアンテスなどの他の部族によって圧迫されて、ボイオティア地方から北へ移動した。デウカリオーンは、テッサリア地方北部を流れるペネイオス川に南から流れ込むエニペウス川の源流付近に、ピュラ (後のメリタイア)の町を創建した。[2]
デウカリオーンには、2人の息子たち、ヘレンとアンピクテュオンがいた。[3]
ヘレンは、プティオティス地方を治め、その地方の人々はヘレネス、または、ヘラスと呼ばれた。[4]
ヘレンには、3人の息子たち、アイオロス、クストス、ドロスがいた。[5]
BC1460年、ドロスは、メリタイアの町からエニペウス川沿いに下って、ペネイオス川との合流地点の北側へ移住した。その地方は、ドーリス地方と呼ばれ、住人は、ドーリス人と呼ばれるようになった。[6]
BC1420年、カドモス率いる大集団がトラキア地方から南下して、テッサリア地方に侵入した。ドーリス地方に住んでいたドロスは、ドーリス人を率いて南へ移動し、オイタ山とパルナッソス山の間に定住した。[7]
その地方は、ドーリス地方と呼ばれるようになった。[8]

2 ドロスの子デウカリオーン
ヘレンの子ドロスの息子はテクタモスのみが伝えられているが、デウカリオーンという名前の息子もいたと思われる。つまり、BC1390年にテッサリア地方からペラスゴイ人を追い出した者たちの父デウカリオーンである。[9]
BC1415年、デウカリオーンは、オイタ山とパルナッソス山の間のドーリス地方から東側の海岸地方へ移住して、オプス湾近くに定住した。[10]
デウカリオーンは、ロクリス地方に初めて住んだギリシア人であり、ロクリス人の始祖であった。
デウカリオーンには4人の息子たち、マラトニウス、アンピクテュオン、プロノオス、オレステウスと、2人の娘たち、プロトゲニアとテュイアがいた。[11]
BC1413年、プロトゲニアは、オプス湾近くからテッサリア地方のアルネの町に住むヒッポテスの子アイオロスに嫁いだ。[12]
BC1387年、テュイアは、オプス湾近くからテッサリア地方のアルネの町に住むヒッポテスの子アイオロスに嫁いだ。[13]

3 デウカリオーンの子マラトニウス
BC1407年、マラトニウスは、シキュオンの町との戦いでアルゴスの町に加勢し、シキュオンの町のオルトポリスの娘クリュソルテを妻にした。[14]
マラトニウスは、BC2世紀の年代記作者カストールが伝えているシキュオン王のリストに名を連ねている。[15]
しかし、それは、マラトニウスがシキュオン王オルトポリスの娘婿であったためであり、実質的なシキュオン王は、アイオロスの子シシュッポスの後裔たちであった。[16]

4 デウカリオーンの子アンピクテュオン
BC1410年、アンピクテュオンは、オプス湾近くから北西方向のテルモピュライ付近の海岸近くへ移住して、アンテイア (または、アンテラ)の町を創建した。[17]
アンピクテュオンは、クトノパトラと結婚して、2人の息子たち、イトノスとアイトロスが生まれた。[18]

4.1 アンピクテュオンの子イトノス
4.1.1 イトノスの創建
BC1392年、イトノスは、アンテイアの町からテッサリア地方のパガサイ湾西岸へ移住して、イトノスの町を創建した。[19]
少し前に、アイオロスの子アタマスがイトノスの町の近くにハロスの町を創建していた。[20]
イトノスは、アタマスの父アイオロスの兄弟ドロスの子デウカリオーンの子アンピクテュオンの息子であった。つまり、アタマスは、イトノスの祖父の従兄弟であった。

4.1.2 イトノスの妻メラニッペ
BC1391年、イトノスは、イトノスの町の西北西約60kmの所にあるクアリオス川近くのアルネの町から、アイオロスの娘メラニッペを妻に迎えた。[21]
BC1390年、大津波がテッサリア地方の沿岸部に住むペラスゴイ人の町を襲い、パガサイ湾 の岸辺のハロスの町は津波によって洗い流された。[22]
イトノスの町は、津波の被害は免れたものの、住居を失ったペラスゴイ人に襲撃された。イトノスの妻メラニッペは、ペラスゴイ人のディオスによって、戦利品として連れ去られた。[23]
ディオス率いるペラスゴイ人は、ドドナを経由して、イタリア半島へ移住した。[24]
メラニッペは、イタリア半島南部のメタポンティオンの町まで連れて行かれ、その地で2人の息子たち、ボイオトスとアイオロスが生まれた。[25]
戦争捕虜となった娘から息子が生まれた例として、つぎのものがある。
オイネウスとペリボイアの息子テュデオス、ヘラクレスとアステュオケの息子トレポレモス、ヒュッロスとイオレの息子クレオダイオス、アルクマイオンとマントの息子アンピロコス、プレウロンとクサンティッペの息子テスティオスなどがある。[26]

4.1.3 ペラスゴイ人の追放
イトノスの父アンピクテュオンは、ペラスゴイ人をテッサリア地方から追い出すために同族を結集した。
参加した部族は、つぎのとおりであった。[27]
デウカリオーンの子アンピクテュオン率いるドーリス人。
アイオロスの子ヒュプセウスの子デイマコス率いるペリオン山近くのマグネシア人。
メラニッペの父アイオロス率いるプティオティア人。
ヘレンの子クストスの子イオンの息子たち率いるイオニア人。
デルポイ周辺に住むポキス人。
テルモピュライとオプスの町の中間のくぼ地に住むロクリス人。
テッサリア地方のマリア人、ドロピア人、ペッライボイ人、アイニアネス人。
これらの部族は、後にアルゴスの町のアクリシオスによって隣保同盟として組織された。[28]
デウカリオーンの子アンピクテュオンに追われたペラスゴイ人は、テッサリア地方から各地へ移住した。[29]
ペラスゴイ人は、BC1560年にアルゴスの町からペラスゴスの娘ラリッサの家族に率いられてテッサリア地方へ移住して来て、170年間住んでいた。

4.2 アンピクテュオンの子アイトロスの子ピュスキウス
アンピクテュオンの子アイトロスには、息子ピュスキウスが生まれた。[30]
ピュスキウスは、プロイトスの娘マイラと結婚して、息子ロクルスと娘テーベが生まれた。[31]
BC1370年、ピュスキウスは、ロクリス地方にピュスコスの町を創建した。[32]
ピュスコスの町は、テルモピュライ付近のアソポス川の近くにあったと思われる。[33]
ピュスキウスの娘テーベは、アソポス河神の娘であった。[34]

4.2.1 ピュスキウスの娘テーベ
BC1332年、テーベは、ボイオティア地方のエウトレシスの町に住むエレウテルの子ゼトスに嫁いだ。ゼトスとテーベには、息子ネイスが生まれた。[35]
BC1325年、ゼトスは、双子の兄弟アンピオンと共に、ラブダコスの子ライオスの後見人リュコスが統治するカドメイアの町を攻めて、町を占領した。[36]
その後、アンピオン一家は悪疫のために死に、テーベもゼトスとネイスを失った。[37]
ゼトスがカドメイアの町の下方につくった町は、テーベの名前に因んで、テバイと呼ばれた。テバイの町のネイタイ門は、テーベの子ネイスに因んで名付けられた。[38]
また、プロイティデス門は、テーベの母マイラの父プロイトスの名前に因んで名付けられた。[39]

4.2.2 ピュスキウスの子ロクルス
ロクルスは、ピュスコスの町に住み、カンビュセ (または、カビュエ, プロトゲネイア)と結婚して、息子オプスが生まれた。[40]
BC1325年、ロクルスは、義兄弟たち、アンピオンとゼトスと共にテバイの町へ遠征した。[41]
この遠征の後で、ロクリス人の一部は、ボイオティア地方へ移住した。アリストテレスは、レレゲスがボイオティア地方を領したと伝えている。[42]
ロクルスの名前に因んで、ロクルスの住む地方は、ロクリス、その地方に住む人々は、ロクリス人と呼ばれるようになった。[43]

4.2.3 ロクルスの子オプス
BC1262年、オプスは、ピュスコスの町からテルモピュライとエウリポス海峡との間へ移住してオプスの町を創建し、息子キュノスをもうけた。[44]
オプスは、町の住人を各地から募集し、アルゴスの町やテバイの町、アルカディア地方の町やピサの町から人々が移住して来た。オプスは、移住者の中で、プティアの町から移住して来たアクトールの子メノイティウスを最も尊敬して、メノイティウスを自分の後継者にした。[45]

4.2.4 レレゲスの誕生
レレゲス (または、レレゲス人)が、ロクルスの名前に因んで、ロクリス人と呼ばれるようになったという伝承がある。[46]
しかし、ロクリス地方に住む人々が、レレゲスと呼ばれるようになったのは、オプスの町の創建後と思われる。
オプスの町には、ドーリス人の他に、アルゴス人、テバイ人、アルカディア人、ミュルミドン族が住んでいた。彼らは、混血して、特定の種族に属さない人々に与えられた名称であるレレゲスと呼ばれた。[47]

4.2.5 オプスの子キュノス
BC1260年、キュノスは、オプスの町から、オプス湾近くへ移住して、キュノスの町を創建した。[48]
BC1260年、キュノスの娘ラリュムナは、キュノスの町から東側のケピソス川の河口近くの町へ嫁いだ。その町は、彼女の名前に因んで、ラリュムナと呼ばれるようになった。[49]
ラリュムナの町は、オプス地方に属していたが、テバイの町の勢力が強くなると、ボイオティア地方に属するようになった。[50]

4.2.6 キュノスの子ホドイドコス
キュノスの子ホドイドコス (または、オドイドコス)は、キュノスの跡を継ぎ、ホドイドコスの跡を彼の息子イレウスが継承した。[51]
BC1250年、イレウスの兄弟オイレウス (または、オイレウス)は、キュノスの町から西方の内陸部へ移住して、ナリュコスの町を創建した。[52]
BC1245年、イレウスとオイレウスの異母兄弟カッリアロスは、キュノスの町の近くに自分の名に因んだカッリアロスの町を創建した。[53]

4.2.7 トロイ戦争時代
オイレウスとエリオピスとの間の息子アイアス (または、アイアス)は、父の跡を継いでナリュコスの町に住み、ロクリス人を率いてトロイへ遠征した。[54]
BC1220年、アイアスの異母兄弟メドンは継母エリオピスの兄弟を殺害して、ナリュコスの町からテッサリア地方のピュラケの町へ移住した。[55]
その後、メドンは、マグネシア人を率いてトロイへ遠征した。[56]

5 デウカリオーンの子プロノオス
BC1390年、プロノオスは、兄弟のアンピクテュオンと共に、テッサリア地方からペラスゴイ人を追い出して、テッサリア地方に定住した。[57]
プロノオスの子ヘレンの子ネオノスの子ドトスは、テッサリア地方のドティオン平原にあったドティオンの町に自分の名前を与えた。[58]
ペラスゴイ人が去った後のドティオン平原には、ペネイオス川近くに住んでいたペッライボイ人やアイニアネス人が移り住んだ。[59]
プロノオスは、ペラスゴスの娘ラリッサの子プティオスの後裔が去った後のプティアの町に住んだ。[60]

5.1 プロノオスの子ヘレンの子ネオノス
ネオノスは、プティアの町を継承し、クレトール (または、クリトール)の娘エウリュメドーサを妻に迎えて、2人の息子たち、ドトスとミュルミドンが生まれた。[61]
ミュルミドンの後裔については、『ミュルミドン族の系譜』に記述する。

5.2 プロノオスの子ヘレンの子ヒッポコーン
AD1世紀初期の著作家ヒュギーヌスは、ネストルの父ネレウスの父の名前をヒッポコーンとしている。しかし、ネレウスの父はアイオロスの子クレテウスであり、ヒッポコーンは、クレテウスの妻テュロの前夫の名前であった。[62]
ヒッポコーンとテュロの息子アミュタオンは、エレイア地方へ移住する前に、テッサリア地方のピュロスの町に住んでいた。[63]
ピュロスの町は、テッタリオティスにあり、ペラスゴイ人のクランノンが創建したクランノンの町の近くにあった。[64]
ピュロスの町は、BC1390年にテッサリア地方内に住んでいたペラスゴイ人が追い出されてから創建された町であった。BC1340年、ヒッポコーンがピュロスの町を創建したと推定される。[65]

5.3 ヒッポコーンの子アミュタオン
BC1303年、アミュタオンは、テッサリア地方からエレイア地方へ移住して、ピュロスの町を創建した。[66]
BC1292年、アミュタオンの息子たち、メランプスとビアスは、エレイア地方の南へ移住して、ピュロス・レプレアティコスの町を創建した。[67]
BC1290年、メランプスとビアスは、アルゴスの町へ移住した。[68]
BC1275年、ビアスの息子と思われるヒュイットスは、アルゴスの町からボイオティア地方へ移住して、ヒュイットスの町を創建した。[69]
BC1247年、メランプスは、メガラ地方へ移住した。[70]
BC1204年、メランプスの後裔アルクマイオンは、アカルナニア地方へ移住してアルゴス・アンピロキコンを創建した。[71]

5.4 ヒッポコーンの子フェレス
BC1303年、ヒッポコーンの子フェレスは、ピュッロスの町からイオルコスの町の近くへ移住してフェライの町を創建した。[72]

5.5 ヒッポコーンの子アイソン
BC1300年、ヒッポコーンの子アイソンは、ピュッロスの町からパガサイ湾近くへ移住して、アイソニス (または、アイソン)の町を創建した。[73]
BC1247年、アイソンの子イアソンは、アイソニスの町からコリントスの町へ移住した。[74]
BC1237年、イアソンは、コリントスの町からコルキュラ島へ移住した。[75]

6 デウカリオーンの子オレステウス
BC1410年、オレステウスは、オプス湾の近くからロクリス・オゾリス地方へ移住した。[76]
オレステウスの子ピュティオスの子オイネウスがアンピッサの町に住んでいたことから、オレステウスの定住地は、アンピッサの町であったと推定される。[77]
オレステウスには、息子ピュティオスが生まれた。

6.1 オレステウスの子ピュティオスの子オイネウス
BC1356年、ピュティオスの子オイネウスは、レスボス島に住むマカレウスの娘アンピッサを妻に迎えて、息子アイトロスが生まれた。[78]
アイトロスの住む町は、母の名に因んでアンピッサと呼ばれるようになった。[79]

6.2 オイネウスの子アイトロスの子アンドライモン
BC1266年、アイトロスの子アンドライモンは、カリュドンの娘プロトゲニアを妻に迎えて、息子オクシュロスが生まれた。[80]

6.3 アンドライモンの子オクシュロスの子アンドライモン
BC1222年、オクシュロスの息子アンドライモンは、カリュドンの町からオイネウスの娘ゴルゲス (または、ゴルゲ)を妻に迎えて、息子トアスが生まれた。[81]
アンドライモンの義父オイネウスがアイトリア地方から追放された。[82]
BC1202年、アンドライモンは、テュデオスの子ディオメデスと共にアイトリア地方を奪い返した。[83]
アンドライモンは、ロクリス・オゾリス地方とアイトリア地方を支配し、多くのロクリス人がアイトリア地方へ移住した。[84]

6.4 アンドライモンの子トアス
BC1202年、トアスは、アイトリア地方を治めるために、アンピッサの町からカリュドンの町へ移住した。[85]
トアスは、アイトリア人を率いてトロイへ遠征した。[86]

6.5 トアスの子ハイモンの子オクシュロス
オクシュロスは、ヘラクレイダイのペロポネソス帰還時に案内役を務めた。[87]
BC1105年、オクシュロスは、アイトリア人を率いて、エリスの町へ移住した。[88]
この時、オクシュロスと共に移住した人々は、エンデュミオンの子アイトロスと共にエリスの町からアイトリア地方へ移住した人々の子孫であった。
BC29年、ローマがアイトリア地方に住んでいた人々をニコポリスの町へ移住させようとしたとき、大部分の人々は、アンピッサの町へ移住した。[89]

7 ロクリス人の居住地の広がり
BC1415年、ロクリス人は、オプス湾近くで誕生した。
BC1410年、オプス湾近くに住んでいたロクリス人は、テルモピュライ付近へ移住して、アンテイアの町を創建した。
BC1405年、オプス湾近くに住んでいたロクリス人は、ロクリス・オゾリス地方へ移住して、アンピッサの町を創建した。
BC1392年、テルモピュライ付近に住んでいたロクリス人は、テッサリア地方のパガサイ湾西岸へ移住して、イトノスの町を創建した。
BC1390年、テルモピュライ付近に住んでいたロクリス人は、テッサリア地方のプティアの町へ移住した。
BC1340年、プティアの町に住んでいたロクリス人は、近くへ移住して、ピュロスの町を創建した。
BC1303年、テッサリア地方のピュロスの町に住んでいたロクリス人は、エレイア地方へ移住して、ピュロスの町を創建した。
BC1292年、ピュロスの町に住んでいたロクリス人は、エレイア地方の南へ移住して、ピュロス・レプレアティコスの町を創建した。
BC1290年、ピュロス・レプレアティコスの町に住んでいたロクリス人は、アルゴスの町へ移住した。
BC1275年、アルゴスの町に住んでいたロクリス人は、ボイオティア地方へ移住して、ヒュイットスの町を創建した。
BC1262年、テルモピュライ付近に住んでいたロクリス人は、オプス湾近くへ移住して、オプスの町を創建した。
BC1250年、オプスの町に住んでいたロクリス人は、オプスの町とテルモピュライの間の内陸部へ移住して、ナリュコスの町を創建した。
BC1247年、アルゴスの町に住んでいたロクリス人は、メガラ地方へ移住した。
ピュロスの町に住んでいたロクリス人は、コリントスの町を経由して、コルキュラ島へ移住した。
その後、プティアの町に定住していたロクリス人から、ミュルミドン族が誕生した。

8 ギリシア暗黒時代
ロクリス人は、ロクリス・エピクネミディオスとロクリス・オゾリス地方に居住していた。
また、ロクリス人は、ボイオティア地方、アカルナニア地方、コルキュラ島にも住んでいた。

おわり