第39章 アイオリス人の系譜

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Create:2020.8.6, Update:2026.2.16

1 はじめに
BC1750年、パルナッソス山の北を流れるケピソス川の上流で大洪水が発生した。
オギュゴスに率いられたエクテネスは、ケピソス川の下流へ移住して、コパイス湖の南東に定住した。[1]
BC1580年、ヘレンの父デウカリオーンの祖父に率いられたエクテネスの一部は、ヒュアンテスなどの他の部族によって圧迫されて、ボイオティア地方から北へ移動した。デウカリオーンはテッサリア地方北部を流れるペネイオス川に南から流れ込むエニペウス川の源流付近に、ピュラ (後のメリタイア)の町を創建した。[2]
デウカリオーンには2人の息子たち、ヘレンとアンピクテュオンがいた。[3]
ヘレンは、テッサリア地方のプティオティスを治め、その地方の人々はヘレネス (または、ヘラス)と呼ばれた。[4]

2 始祖アイオロス
ヘレンには3人の息子たち、アイオロス、クストス、ドロスがいた。[5]
BC1470年、アイオロスとドロスは、クストスをメリタイアの町から追放し、クストスは、アテナイの町へ移住した。[6]
BC1465年、クストスは、アッティカ地方北東部にテトラポリス (オイノエ, マラトン, プロバリントス, トリコリュントス)の町を創建した。[7]
BC1442年、クストスは、アテナイの町からペロポネソス北部のアイギアロス (後のアカイア)地方へ移住した。[8]
クストスの子アカイオスは、アカイア人の始祖になり、クストスの子イオンは、イオニア人の始祖になった。[9]
BC1460年、ドロスは、メリタイアの町からペネイオス川の近くへ移住した。[10]
ドロスは、ドーリス人の始祖になった。[11]
アイオロスは父の跡を継いでメリタイアの町に住み、プティオティス地方を治めた。[12]
アイオロスには5人の息子たち、ミマス、クレテウス、ヒュプセウス、シシュッポス、アタマスが生まれた。[13]
アイオロスは、アイオリス人 (または、アイオリス)の始祖になった。[14]

2.1 アイオロスの子ヒュプセウス
BC1445年、ヒュプセウスは、メリタイアの町からペリオン山の近くへ移住した。[15]

2.2 アイオロスの子クレテウス
BC1420年、クレテウスは、ドロスと共に、アルネの町からパルナッソス山近くへ移住し、そこからクレタ島へ移住した。[16]

2.3 アイオロスの子シシュッポス
BC1420年、シシュッポスは、従兄弟アカイオスの息子たちと共に、メリタイアの町からアイギアロス地方へ移住した。[17]
BC1407年、シシュッポスは、アイギアロス地方からシキュオンの町の東側へ移住して、エピュラ(後のコリントス)の町を創建した。[18]
BC1390年、シシュッポスの子アイイテスは、コリントスの町から黒海の東側のコルキス地方へ移住した。[19]
BC1370年、シシュッポスの子テルサンドロスの2人の息子たち、コロノスとハリアルトスは、エピュラの町からボイオティア地方へ移住して、コロネイアとハリアルトスの町を創建した。[20]
BC1365年、シシュッポスの子アルモスは、エピュラの町からボイオティア地方のコパイス湖の北側へ移住して、オルモネスの町を創建した。[21]
アルモスの娘クリュソゲネイアの子クリュセの子ミニュアスは、ミニュアス人の始祖になった。[22]
ミニュアスの後裔については、『ミニュアス人の系譜』で記述する。
BC1360年、シシュッポスの子アロエウスの子アロエウスは、エピュラの町からボイオティア地方のアンテドンの町へ移住した。[23]
BC1330年、アロエウスの子アロエウスの2人の息子たち、オトスとエピアルテスは、アンテドンの町からストロンギュレ (後のナクソス)島へ移住した。[24]

2.4 アイオロスの子アタマス
BC1415年、アタマスは、アルネの町からパガサイ湾西岸へ移住して、ハロスの町を創建した。[25]
BC1390年、アタマスは、ハロスの町からボイオティア地方へ移住して、アクライピオン (または、アクライピオン)の町を創建した。[26]
BC1390年、アタマスの子プリクソスは、アクライピオンの町からコリントスの町に住む従兄弟アイイテスのもとへ行き、そこからコルキス地方へ移住した。[27]
BC1380年、アタマスの子スコイネオスは、アクライピオンの町から東南東へ移住して、スコイノスの町を創建した。[28]
BC1370年、プリクソスの子プレスボンは、兄弟メラスと共にコルキス地方から祖父アタマスが住むボイオティア地方へ移住した。[29]
BC1370年、プリクソスの子キュティッソロスは、コルキス地方から黒海南岸へ移住して、キュトロスの町を創建した。[30]
BC1350年、アタマスの子オルコメノスの子アスプレドンは、アクライピオンの町からコパイス湖の北西へ移住して、アスプレドンの町を創建した。[31]
BC1340年、アスプレドンは、アスプレドンの町からコパイス湖の南西へ移住して、ミデイアの町を創建した。[32]
BC1256年、スコイネオスの後裔スコイネオスは、ボイオティア地方のスコイノスの町からアルカディア地方のテゲアの町の北西へ移住して、スコイノスの町を創建した。 [33]
BC1230年、スコイネオスの子クリュメノスの子テレパスは、彼の母アウゲと共に、小アジアのミュシア・ペルガメネ地方へ移住した。[34]

2.5 アイオロスの子ミマス
ミマスは、父の跡を継いでメリタイアの町に住んだ。[35]
BC1435年、ミマスの父アイオロスがテッサリア地方から追放したクストスの息子アカイオスが、アイギアロス地方からプティオティス地方へ攻めて来た。ミマスは、メリタイアの町からエニペウス川を北へ下り、西から流れて来るクアリオス川との合流点近くへ移住して、アルネの町を創建した。[36]
ミマスの息子は、ヒッポテスのみが伝えられている。[37]

3 ミマスの子ヒッポテス
ヒッポテスは、父の跡を継いでメリタイアの町に住んだ。[38]
ヒッポテスの息子もアイオロスのみが伝えられている。[39]
デウカリオーンの子ヘレンとヘレンの子アイオロスの時代の伝承は残っているが、ミマスとヒッポテスの時代の伝承は残っていない。
ヘレンの子アイオロスの子ミマスの子ヒッポテスという系譜のみが伝えられている。
ミマスやヒッポテスには、多くの息子たちがいて、アイニアネス人、ペッライボイ族などの種族は、彼らの息子たちが始祖になって、アイオリス人から派生したと推定される。

4 ヒッポテスの子アイオロス
BC1432年、アイオロスは、ミマスの子ヒッポテスとメラニッペの息子として生まれた。[40]
アイオロスは、父からテッサリア地方のアルネの町を継承して、多くの息子たちが生まれた。
しかし、アイオロスの跡を継いだのは、アイオロスの娘メラニッペの子ボイオトスであった。[41]
ボイオトスの後裔たちに率いられた人々は、ボイオティア人と呼ばれるようになった。[42]

4.1 ボイオトスの後裔
BC1325年、ゼトスとアンピオンは、カドメイア (後のテバイ)の町を攻めて、占領した。[43]
この戦いに、ゼトスの妻テーベの兄弟ロクルスは、ロクリス地方に住むレレゲスを率いて、義兄弟たちに加勢した。[44]
この戦いには、ボイオトスの子イトノスも参加して勝利し、ボイオティア人は、テッサリア地方からボイオティア地方へ移住した。[45]
イトノスは、ロクルスの父ピュスキウスの兄弟イトノスの妻メラニッペの子ボイオトスの息子であり、イトノスとロクルスは、従兄弟同士であった。[46]
BC1126年、ボイオトスの後裔ダマシクトンは、ティサメノスの子アウテシオンをテバイの町から追い出して、ボイオティア地方全域を支配した。[47]

5 ヒッポテスの子アイオロスの妻たち
アイオロスには、少なくとも5人の妻がいた。

5.1 デイマコスの娘エナレテ
エナレテの父デイマコスは、アイオロスの祖父ミマスの兄弟で、テッサリア地方東部のペリオン山近くに住んでいたヒュプセウスの息子と推定される。エナレテは、アイオロスの又従妹であった。[48]

5.2 デウカリオーンの娘プロトゲニア
エリスの町を創建したアイオロスの子アイトリオスの母は、デウカリオーンの娘プロトゲニアであった。つまり、プロトゲニアもアイオロスの妻であった。[49]
プロトゲニアの父デウカリオーンは、ヘレンの子ドロスの息子で、ロクリス地方に住んでいた。[50]

5.3 デウカリオーンの娘テュイア
マケドニアの名付け親マケドンとマグネスは、デウカリオーンの娘テュイアの息子であった。[51]
マグネスの父は、アイオロスであった。[52]
つまり、テュイアもアイオロスの妻であった。

5.4 ペネイオスの娘スティルベ
ラピタイの始祖ラピテスの父はアイオロスであり、母は、ペネイオスの娘スティルベであった。[53]
つまり、スティルベもアイオロスの妻であった。
スティルベの父ペネイオスは、テッサリア地方の北部を流れるペネイオス川の名付け親と思われ、ドロスの子テクタモスの息子と推定される。[54]

5.5 ペネイオスの娘イピス (または、イピュス)
サルモネオスの父はアイオロスであり、母は、ペネイオスの娘イピスであった。[55]
つまり、イピスもアイオロスの妻であった。
イピスは、アイオロスの妻たちの中で、最年少の妻であった。

6 ヒッポテスの子アイオロスの息子たち
6.1 アイオロスの子アンドレウス
BC1380年、アンドレウスは、テッサリア地方のアルネの町からボイオティア地方へ移住して、アンドレイスの町を創建した。[56]
アンドレイスの町は、後に、場所を移して新しい町が建設されて、オルコメノスの町になった。

6.2 アイオロスの子デイオン (または、デイオネ, デイオネオス)
BC1365年、デイオンは、アルネの町から、ポキス地方へ移住した。[57]
BC1325年、デイオンの子ピュラコスは、ポキス地方からテッサリア地方へ移住し、パガサイ湾の北西にピュラケの町を創建した。[58]

6.3 アイオロスの子ペリエレス
BC1390年、ペリエレスは、兄弟のマカレウスやアイトリオスと共にアルネの町からペロポネソス北西部のオレノスの町へ移住した。[59]
BC1345年、ペリエレスの子ピソスは、オレノスの町からエレイア地方のアルペイオス川の近くへ移住して、ピサの町を創建した。[60]
BC1315年、ピソスは、オイノマオスによって、ピサの町を奪われた。[61]
ピソスの妻テレゴネは、父パリスが創建したメッセニア地方のパライの町へ移住した。[62]

6.4 アイオロスの子マカレウス (または、マカル)
BC1390年、マカレウスは、兄弟のアイトリオスやペリエレスと共に、アルネの町からペロポネソス北西部のオレノスの町へ移住した。[63]
BC1389年、マカレウスは、移民団を率いて、ペラスギア (後のレスボス)島へ移住した。[64]
マカレウスの息子たちは、近隣の島々へ移住して勢力範囲を広げ、ペラスギア島はマカレウスの家と呼ばれるようになった。[65]
BC1370年、マカレウスの長男は、キオス島へ移住した。[66]
BC1365年、マカレウスの子キュドロラオスは、サモス島へ移住した。[67]
BC1340年、マカレウスの子レウキッポスは、ロドス島へ移住した。[68]
BC1340年、マカレウスの子ネアンドロスは、コス島へ移住した。[69]
マカレウスと彼の息子たちが支配した島々は、マカロンと呼ばれた。[70]

6.5 アイオロスの子アイトリオス
BC1390年、アイトリオスは、兄弟マカレウスやペリエレスと共に、アルネの町からペロポネソス北西部のオレノスの町へ移住した。[71]
アイトリオスは、オレノスの町からエレイア地方北部のペネイオス川の近くへ移住して、エリスの町を創建した。[72]
アイトリオスに率いられたアイオリス人は、エペイオイ人に名前を変えた。[73]
BC1320年、アイオリス人は、アイトリオスの子エンデュミオンの子アイトロスに率いられて、エリスの町からアイトリア地方へ移住して、アイトリア人に名前を変えた。[74]
BC1320年、アイオリス人は、アイトリオスの子エンデュミオンの子パイオンに率いられて、エリスの町からパイオニア地方へ移住して、パイオニア人に名前を変えた。[75]
BC1105年、アイトロスの後裔オクシュロスは、アイトリア地方からエリスの町へ移住した。[76]

6.6 アイオロスの子マケドン
BC1350年、マケドンは、兄弟マグネスと共にアイオリス人を率いて、アルネの町からマケドニア地方のオリュンポス山近くへ移住した。[77]
マケドンに率いられたアイオリス人は、マケドニア人に名前を変えた。[78]
BC1315年、マケドンの子エマチオンは、オリュンポス山近くから海の近くへ移住して、エマチアの町を創建した。[79]
BC1305年、マケドンの子エウロプスは、オリュンポス山近くからペッラの町の少し北へ移住して、エウロプスの町を創建した。[80]
BC1305年、マケドンの子ベレスは、オリュンポス山近くからマケドニア地方へ移住して、ベリスの町を創建した。[81]
BC1285年、エマチオンの子ガラドロスは、エマチアの町からピエリア地方へ移住して、ガラドライの町を創建した。[82]

6.7 アイオロスの子マグネス
BC1350年、マグネスは、兄弟マケドンと共に、アルネの町からマケドニア地方のオリュンポス山近くへ移住した。[83]
マグネスに率いられたアイオリス人は、マグネシア人に名前を変えた。[84]
BC1330年、マグネスの子グラピュロスは、オリュンポス山近くからテッサリア地方のボイベイス湖の近くへ移住して、グラピュライの町を創建した。[85]
BC1320年、マグネスの子メトンは、オリュンポス山近くからテルマイオス湾北西岸へ移住して、メトネの町を創建した。[86]
BC1310年、マグネスの子ピエロスは、オリュンポス山の北側にピエリア (後のリュンゴス)の町を創建した。[87]
ピエリア地方に住んでいたマケドニア人は、ピエリア人に名前を変えた。[88]
その後、ピエリア人は、アルゴスの町から移住して来たペイドンの子カラノスの後裔によって、マケドニア地方から追い出されて、トラキア地方のパンガイオン山麓へ移住した。[89]
BC1244年、マグネスの後裔ポイアスの子ピロクテテスは、イタリア半島南部のクロトン地方へ移住して、マカラに定住した。[90]
BC1186年、トロイから帰還したマグネシア人は、デルポイに定住した。[90-1]
BC1173年、デルポイに住んでいたマグネシア人は、クレタ島を経由してリュディア地方へ移住して、マグネシアの町を創建した。[90-2]

6.8 アイオロスの子ラピトス (または、ラピテス)
BC1365年、アイオロスの子ラピトスは、アルネの町からペネイオス川北側へ移住した。[91]
ラピトスに率いられたアイオリス人は、ラピタイに名前を変えた。[92]
ラピトスの後裔については、『ラピタイの系譜』で記述する。

6.9 アイオロスの子サルモネオス
BC1335年、サルモネオスは、アルネの町からエレイア地方へ移住して、サルモネの町を創建した。[93]

6.10 アイオロスの子クレテウス
BC1350年、クレテウスは、アルネの町からパガサイ湾北岸へ移住して、イオルコスの町を創建した。[94]
BC1303年、クレテウスの子ネレウスは、異父兄弟アミュタオンに連れられて、イオルコスの町からエレイア地方へ移住して、ピュロスの町を創建した。[95]
ネレウスに率いられたアイオリス人は、ピュリア人に名前を変えた。
BC1245年、ネレウスの息子たちは、ピュロスの町からエレイア地方南部のピュロス・レプレアティコスの町へ移住した。[96]
BC1209年、ネレウスの子ネストルはエリス人を率いて、メッセニア地方のアレネの町の近くへ移住して、ピュロスの町を創建した。[97]
BC1111年、ネレウスの後裔メラントスは、ドーリス人に攻められて、メッセニア地方からアテナイの町へ移住した。[98]
BC1065年、コドロスの2人の息子たち、ダマシクトンとプロメトスは、アテナイの町から小アジアのコロポンの町へ移住した。[99]
ダマシクトンとプロメトス率いる移民団の中には、ピュリア人が含まれていた。[100]

7 アイオリス人の居住地の広がり
BC1470年、アイオリス人は、テッサリア地方のメリタイアの町で誕生した。

7.1 テッサリア内での広がり
BC1415年、アルネの町に住んでいたアイオリス人は、パガサイ湾西岸へ移住して、ハロスの町を創建した。
BC1390年、アイオリス人は、テッサリア地方に住んでいたペラスゴイ人を追い出して、テッサリア地方の各地へ居住範囲を広げた。
BC1365年、アルネの町からペネイオス川の北側へ移住したアイオリス人は、ラピタイに名前を変えた。
BC1350年、アルネの町に住んでいたアイオリス人は、パガサイ湾北岸へ移住して、イオルコスの町を創建した。
BC1350年、アルネの町からテッサリア地方北東部へ移住したアイオリス人は、マグネシア人に名前を変えた。
BC1186年、ペラスゴイ人から名前を変えたテスプロティア人によって、アイオリス人は、テッサリア地方から追い出されて各地へ移住した。

7.2 ボイオティアへの広がり
BC1390年、テッサリア地方のハロスの町に住んでいたアイオリス人は、ボイオティア地方へ移住して、アクライピオンの町を創建した。
BC1380年、テッサリア地方のアルネの町に住んでいたアイオリス人は、ボイオティア地方へ移住して、アンドレイス (後のオルコメノス)の町を創建した。
BC1380年、アクライピオンの町に住んでいたアイオリス人は、東南東へ移住して、スコイノスの町を創建した。
BC1370年、コリントスの町に住んでいたアイオリス人は、ボイオティア地方へ移住して、コロネイア、ハリアルトスの町を創建した。
BC1365年、コリントスの町に住んでいたアイオリス人は、ボイオティア地方へ移住して、アルモネス (または、オルモネス)の町を創建した。
BC1360年、コリントスの町に住んでいたアイオリス人は、ボイオティア地方のアンテドンの町へ移住した。
BC1330年、アンテドンの町に住んでいたアイオリス人は、ナクソス島へ移住した。
BC1325年、アルネの町に住んでいたアイオリス人は、ボイオティア人に名前を変えて、ボイオティア地方へ移住した。
BC1188年、ボイオティア地方に住んでいたボイオティア人は、アルネの町へ移住した。
BC1126年、アルネの町に住んでいたボイオティア人は、ボイオティア地方へ移住して、テバイの町を中心に、ボイオティア地方全域を支配した。

7.3 ペロポネソス北部への広がり
BC1442年、テッサリア地方に住んでいたアイオリス人は、アッティカ地方を経由して、ペロポネソス北部のアイギアロス地方へ移住した。
BC1407年、アイギアロス地方に住んでいたアイオリス人は、シキュオンの町の東側にコリントスの町を創建した。
BC1390年、テッサリア地方に住んでいたアイオリス人は、ペロポネソス北東部のオレノスの町へ移住した。
BC1390年、コリントスの町に住んでいたアイオリス人は、黒海東岸のコルキス地方へ移住して、コルキス人に名前を変えた。
BC1389年、オレノスの町に住んでいたアイオリス人は、レスボス島へ移住した。その後、レスボス島に住んでいたアイオリス人は、キオス、サモス、ロドス、コス島へ移住した。
BC1345年、オレノスの町に住んでいたアイオリス人は、エレイア地方中部へ移住して、ピサの町を創建した。
BC1075年、コリントスの町に住んでいたアイオリス人は、ドーリス人によって追放された。

7.4 ペロポネソス中部への広がり
BC1256年、ボイオティア地方のスコイノスの町に住んでいたアイオリス人は、アルカディア地方のテゲアの町の近くへ移住して、スコイノスの町を創建した。
BC1230年、アルカディア地方のスコイノスの町に住んでいたアイオリス人は、小アジアのミュシア地方へ移住して、ミュシア人に名前を変えた。

7.5 ペロポネソス西部への広がり
BC1390年、テッサリア地方のアルネの町に住んでいたアイオリス人は、エレイア地方北部へ移住して、エリスの町を創建して、エペイオイ人 (または、エペイオイ人)に名前を変えた。
BC1320年、エリスの町に住んでいたエペイオイ人は、アイトリア地方へ移住して、アイトリア人に名前を変えた。
BC1320年、エリスの町に住んでいたエペイオイ人は、パイオニア地方へ移住して、パイオニア人に名前を変えた。
BC1303年、テッサリア地方に住んでいたアイオリス人は、エレイア地方北部へ移住して、ピュロスの町を創建して、ピュリア人に名前を変えた。
BC1292年、エレイア地方北部に住んでいたピュリア人は、南へ移住して、ピュロス・レプレアティコスの町を創建した。
BC1209年、ピュロス・レプレアティコスの町に住んでいたピュリア人は、メッセニア地方へ移住して、ピュロスの町を創建した。
BC1111年、メッセニア地方に住んでいたピュリア人は、ドーリス人に追われて、アテナイの町へ移住した。
BC1065年、アテナイの町に住んでいたピュリア人は、小アジアのコロポンの町へ移住した。

7.6 マケドニアへの広がり
BC1350年、テッサリア地方のアルネの町に住んでいたアイオリス人は、マケドニア地方のオリュンポス山近くへ移住して、マケドニア人に名前を変えた。
BC1320年、オリュンポス山近くに住んでいたマケドニア人は、テルマイオス湾北西岸へ移住して、メトネの町を創建した。
BC1315年、オリュンポス山近くに住んでいたマケドニア人は、テルマイオス湾北西岸へ移住して、エマチアの町を創建した。
BC1310年、オリュンポス山近くに住んでいたマケドニア人は、テルマイオス湾北西岸にピエリアの町を創建して、ピエリア人に名前を変えた。
BC1305年、オリュンポス山近くに住んでいたマケドニア人は、マケドニア地方内にエウロプスの町を創建した。
BC1305年、オリュンポス山近くに住んでいたマケドニア人は、マケドニア地方内にベリスの町を創建した。
BC1285年、エマチアの町に住んでいたマケドニア人は、ピエリア地方へ移住して、ガラドライの町を創建した。

7.7 その他の地域への広がり
BC1420年、テッサリア地方に住んでいたアイオリス人は、パルナッソス山近くを経由して、ドーリス人と共に、クレタ島へ移住した。
BC1244年、テッサリア地方に住んでいたマグネシア人は、イタリア半島南部へ移住した。
BC1173年、テッサリア地方に住んでいたマグネシア人は、リュディア地方へ移住した。

8 ギリシア暗黒時代
アイオリス人は、次の地域に居住していた。
ボイオティア地方には、ボイオティア人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。
エレイア地方のエリスの町には、エリス人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。
パイオニア地方には、パイオニア人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。
マケドニア地方には、マケドニア人やピエリア人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。
小アジアのキュメの町には、テッサリア地方から移住したアイオリス人が住んでいた。
小アジアのコロポンの町には、ピュリア人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。
イタリア半島南部には、マグネシア人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。
リュディア地方には、マグネシア人に名前を変えたアイオリス人が住んでいた。

おわり