1はじめに  
Mycenae王Agamemnonを総大将とする大規模な遠征軍によるTroy攻略については、多くの伝承がある。  
Homerは、『Iliad』の中で、Lemnos島に置き去りにされたPhiloctetesが、後に、Troyに召喚されることを仄めかしている。[1] 
Homerより後の時代の悲劇詩人Sophoclesは、『Philoctetes』の中で、PhiloctetesのTroy召喚を具体的に伝えている。[2] 
つまり、Homerより前の時代に、Troy遠征物語があったことが分かる。  
      2 Trojan War時代の作者  
        つぎの作者たちは、Iliumでの戦いを、直接、見聞きして、作品を書いたと伝えられている。  
      2.1 Corinnus of Ilium 
        Corinnusは、Palamedesの弟子で、最初の『Iliad』を書いた。Homerは、自分の作品に、Corinnusの作品を取り入れたと伝えられている。[3] 
      2.2 Sisyphus of Cos 
        Sisyphusは、TeucrusのTroy遠征にCos島から参加して、作品を書いた。Homerは、Sisyphusの作品の一部をもとに、『Iliad』を書いたと伝えられている。[4] 
      2.3 Dictys of Crete 
        Dictysは、Deucalionの子Idomeneusと共に、Crete島からTroyへ遠征して、自分が見聞きした事柄をPhoenician alphabetで書いたと述べている。また、Dictysは、Antenorと彼の王国についての知識は、他の人からの調査で得たと記している。[5] 
      2.3.1 Dictysが生きていた時代  
        多くの伝承が、IdomeneusのTroy遠征を記している。[6] 
        しかし、つぎのことから、Idomeneusは、Troyへ遠征していないと推定される。  
        1) Idomeneusは、Crete島からCalabriaへ移住した。[7] 
        2) Calabriaは、Messapia, Iapygia, Salentinaとも呼ばれていた。[8] 
        3) Daedalusの子Iapyxは、Crete島からItaly半島のMessapia地方へ移住して、その地方は、Iapygiaと呼ばれるようになった。[9] 
        つまり、Idomeneusは、Iapyxと一緒に, CreteからItaly半島へ移住したと思われる。  
        Iapyxには、BottonやMinosの子Cleolausも同行し、Bottonは、Macedonia地方へ、Cleolausは、Apulia地方に定住した。[10] 
        Idomeneusの移住は、BC1235年と推定され、Trojan Warより40年以上前であった。  
        したがって、Dictysは、Idomeneusと同時代の人物ではなく、Dictysの作品が発見されたAD1世紀頃の人物と推定される。  
      3 Troy王家の系譜  
        Homerは、AeneasがAchillesに語る内容として、Troy王家の系譜を記している。 [11] 
        Palamedesの弟子CorinnusやTeucrusと共にTroyへ行ったSisyphusは、実際に、Iliumでの戦いを書いたのかもしれない。  
        しかし、Troy王家の系譜については、CorinnusやSisyphusでは知り得ないことである。  
        『Iliad』の原作者は、Troy王家の一員から直接情報収集できた人物であったと推定される。  
      4 『Iliad』の原作者  
        Homerの『Odyssey』に、Achaeansが木馬を使用した奇策でTroyを占領したと吟じた、吟遊詩人Demodocusが登場する。[12] 
        次のことから、このDemodocusが『Iliad』の原作者と推定される。  
        1) Demodocusは、Laconia地方で生まれた。[13] 
        2) Demodocusは、Argosの町のAutomedesやPerimedesに師事した。[14] 
        3) Demodocusは、Pythian 競技会で賞を獲得した優れた詩人であった。[15] 
        4) Demodocusは、Mycenaeの町のAgamemnonに雇われた。[16] 
        5) Demodocusは、Corcyra島のAlcinousに雇われた。[17] 
        6) Corcyra島の近くのButhrotumの町には、Priamの子HelenusやHectorの妻Andromacheが住んでいた。[18] 
        7) Demodocusは、『Troyの破壊』を書いた。[19] 
        8) Demodocusは、Trojan War時代の詩人であった。[20] 
        9) BC3世紀のDemetrius of Phalerumは、Corcyra島の詩人の一人として、Demodocusの名前を記している。[21] 
        つまり、Demodocusは、Iliumの町での戦いをHelenusやAndromache、あるいは、祭司から聞いて、自分が昔仕えたAgamemnonを主人公にした物語を書いたと推定される。  
      5 物語の成立時期  
        BC1186年、Priamの子Helenusは、Neoptolemusと共に、Troad地方から逃れて、Dodonaの北のHellopia地方に定住した。[22] 
        BC1184年、Helenusは、Hellopia地方からCorcyra島の対岸へ移住して、Buthrotumの町を創建した。[23] 
        Demodocusは、『Troyの破壊』を書いた。[24] 
        Demodocusは、BC1170年のHectorの息子たちによるIliumの町の占領を知っていたと思われる。  
        BC1156年、Andromacheは、息子Pergamusと共にButhrotumの町からAsia Minorへ移住した。[25] 
        したがって、Demodocusが『Iliad』の原型となる物語を書いたのは、BC1165年頃と推定される。  
      6 『Odyssey』の原作者  
        つぎのことから、Demodocusは、『Odyssey』の原型となる物語を書いたと推定される。  
        1) Demodocusは、Corcyra島に住んでいて、『Odyssey』の舞台となった地域に精通していた。[26] 
        2) Demodocusは、Odysseusの子Telemachusの妻Nausicaaの父Alcinousに雇われていた。[27] 
        Demodocusは、Odysseusと同世代であり、両者には面識があったと推定される。  
      おわり  
       
      
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