1はじめに  
BC1700年より前に、Phrygia地方で、ある信仰が芽生えた。黒海からSangarius川を遡上し、Gordionの町から南西方向へ約50kmの大地に、空からさほど大きくもない黒い石が落ちた。「落ちる」という単語が町の名の由来となったと伝えられるPessinusの町での出来事であった。[1] 
人々は大地の豊穣への願いの対象として、その石を大切にして敬った。  
AD2世紀の神話作家Apollodorusは、Pessinusの町と思われるCybelaの町に、Cadmusより後の時代に、秘儀を伝授する女神がいたと伝えている。隕石が落下して、町の名前が変わったのは、もっと後の時代であったかもしれない。[2] 
BC205年、Carthageの将Hannibalに攻められて、Romeは危機に陥った。その時、Ionia地方のErythraeの町で生まれた予言者Sibyllaの神託を集めたthe Sibylline booksの中に、Romeを救う韻文が発見された。それは、「異国の敵が戦争をItalyの地に持ち込んだとしても、the Idaean MotherがPessinusの町からRomeに連れて来られるなら、その敵は追放され征服されるだろう」という内容であった。Romansは、Pergamon王国のAttalus の協力を得て、the Idaean MotherをRome市内のPalatineの丘の上にあるVictory神殿に安置した。その後、RomeはCarthageとの戦いに勝利し、the Idaean Motherのために新しい神殿を造営した。[3] 
豊穣の神として誕生したPessinusの町の信仰の対象は、時を経て、鍛冶と航海の安全の神となり、都市の守護神ともなった。そのような属性を持つ神に至った歴史は、つぎの通りであった。[4] 
      2 鍛冶と航海の安全の神  
        Pessinusの町で誕生した信仰を司る者の子孫の一部は、Crete島へ渡った。その子孫のひとりであるCabeiloは、Cresの子Talosの子Hephaestusとの間に息子Cadmilusを産み、彼の子供たちは、祖母の信仰の祭儀を行うCabeiriとなった。[5] 
        Hephaestusの祖父Cresは、Peloponnesus半島のArgosの町のApisとの戦いに敗れた、Sicyonの町のTelchinの息子であった。[6] 
        BC1690年、Cresは、Crete島へ移住した。[7] 
        BC1438年、Crete島のIda山で発生した大火の跡から鉄が発見され、島の北西部のBerecynthus地方のApteraの町で、鉄の製錬と焼き戻しが始まった。[8] 
        その技を人々に教えたのは、Idaean Dactylsと呼ばれる者たちであった。[9] 
        Idaean Dactylsは、Cresの父Telchinを始祖とするTelchinesの一員であり、冶金術に優れた集団であった。[10] 
        Telchinesは、古代Aegean Sea世界に技術革新をもたらした超越した種族であった。Telchinesは、航海術に優れた海の子であるとともに、発明者であり、紹介者であり、時には科学的な知識を持った魔術師であった。[11] 
        Phrygia地方で生まれた信仰の対象には、豊穣の神の他に、鍛冶と航海の安全の神の属性が加わった。  
        HephaestusとCabeiloの結婚により、Telchinesには、祭司であるCabeiriという要素も加わった。TelchinesとCabeiriとIdaean Dactylsとは、同じ氏族であった。[12] 
      3 CreteからTroadへの伝播  
        BC1435年、Troy王国の始祖となるTeucrusは、Crete島からTroad地方へ移住した。[13] 
        移民団を導いたのは、航海術に優れ、Telchinis (後のRhodes)島を拠点にして、Aegean Seaを自由に航海していたTelchinesであった。Teucrusの移民団の中には、冶金技術を持ったIdaean DactylsやCabeiriの祭儀を行う者たちも含まれていた。[14] 
        Idaean Dactylsは、Teucrusの上陸地であるTroad地方のHamaxitus付近から北へ探鉱活動をして、Ida山周辺に有望な場所を見つけて、その地に定住した。[15] 
        Idaean Dactylsは、Troad地方の沖合に浮かぶSamothrace島、Lemnos島、Imbros島へも探索のために渡航した。[16] 
        BC1429年、Idaean Dactylsと共にSamothrace島へ渡ったCabeiridesのひとりCybeleは、島に移住して来たDardanusの兄弟Iasionと結婚した。[17] 
      4 都市の守護神  
        Cybeleの夫Iasionの兄弟Dardanusの妻Chryseは、Dardanusと結婚する際に、神から授けられた秘儀をSamothrace島へ持参した。Chryseは、Samothrace島の住民に秘儀を伝えた。[18] 
        また、Chryseは、Palladiaと呼ばれる小さな木製の肖像も持参した。Chryseの死後、Dardanusが持参して、子々孫々に継承され、Troyの町を守護する大切なものとして扱われた。[19] 
        BC1430年、Coritusの子Dardanusが住んでいたArcadia地方中部のMethydriumの町は、長期的な洪水に襲われた。Methydriumの町は、標高1,000m程の高地を流れるMaloetas川とMylaon川の間の小高い丘の上にあった。[20] 
        Dardanusは、息子Deimasに住民の半分を残し、自らは残りの住民を率いてSamothrace島に移住した。[21] 
        Dardanusの妻Chryseは、Iasionの妻Cybeleに秘儀を伝えた。  
        Iasionは、Samothrace島で儀式を創始した。[21-1] 
        BC1420年、Samothrace島を突然襲った大津波によって、ChryseとIasionは死んだ。[22] 
        Dardanusは、Cybeleと彼女の息子Corybasを連れてSamothrace島を去って、本土へ渡った。  
        Dardanusは、Troad地方のIda山の近くにDardanusの町を創建した。その後、Dardanusは、Teucrosの娘Bateiaと再婚してTeucrosの後継者となり、Troy王国の始祖になった。[23] 
        Cybeleは、兄嫁のChryseから秘儀を伝えられ、Cabeiri神は、豊穣と鍛冶と航海の安全の神の他に、都市の守護神という属性が追加された神秘的な神となった。  
      5 SamothraceからBoeotiaへの伝播  
        Samothrace島が大津波に襲われる少し前、Phoenicia地方のSidonの町を出港した、Agenorの子Cadmus率いる移民団がSamothrace島に立ち寄った。Cadmusは、秘儀に入信するとともに、Dardanusの妹Harmoniaと結婚した。[24] 
        この後、Thracia地方へ渡ったCadmus率いる移民団には、Samothrace島に住んでいたIdaean DactylsやCabeiriを信奉する人々も移民団に加わった。[25] 
        Idaean Dactylsは、Chalcidice半島北方のPangaeus山で金鉱を探し当て、それは、Cadmusの富の源になった。[26] 
        Cabeiriを信奉する人々は、Cadmusに同行したSpartiのひとりHyperenor (or  Anthas)を指導者として、Euripus海峡の近くに居を定め、Anthedonの町を創建した。[27] 
        後に、彼らの後裔は、Thebesの町のNeistan gateから西へ約5kmの所にCabeiriの聖域を造営して、そこで祭事を行った。[28] 
        EpigoniのThebes攻めの後で、Cabeiriの祭儀を制定した祭司Pelargeの父Potnieusは、Anthedonの町のAnthasの後裔であったと推定される。[29] 
        また、Telchinesは、Thebesの町のProetidian gateから北東へ約7 kmのTeumessusの町に定住した。[30] 
      6 BoeotiaからAthensへの伝播  
        BC1205年、Boeotia地方に住んでいたCabeiriの民は、EpigoniのThebes攻めの際に、一時、Attica地方のAnagyrusの町に居住し、神々の母神の神域を造営した。[31] 
        Herodotusは、Cabeiriの密儀をAtheniansに伝授したのは、Samothrace島に住んでいたPelasgiansであったと伝えている。[32] 
        それは、Dardanusと共にArcadia地方からSamothrace島に移住したPelasgiansのことと思われる。  
        また、Cabeiriの密儀とは、Dardanusの妻Chryseの秘儀が、Iasionの妻CybeleのCabeiriの祭儀に追加されたものと推定される。  
        Pausaniasは、Athensの町の祭司Methapusは、Thebesの町のためにCabeiriの密儀を制定したと伝えている。[34] 
        Athensの町のAgoraには、神々の母神の神域、市域の外のAgraiには、Metroumと呼ばれる神々の母神の神域があった。[35] 
      7 Ida山でのCabeiri 
        Dardanusと共にSamothrace島からTroad地方へ移住したCybeleと彼女の息子Corybasは、Ida山麓に住んだ。Cybeleは女神として人々から崇められ、Corybasは母の儀式を祝う者たちをCorybantesと呼び、彼らに踊りを伝えた。[36] 
        その踊りはCordaxと呼ばれ、武装して武具を打ち鳴らし、Aulos笛を吹き鳴らして叫び声をあげ、神がかりになって踊り狂うことで人びとを恐れ驚かせたという。[37] 
        Corybantesは、Cabeiriの儀式を布告する祭司であったと伝えられ、Ida山のCybeleが人々に伝えたのは、Cabeiri神への信仰であった。[38] 
        Ida山から、この信仰の発祥の地であるPhrygia地方のPessinusの町までは、遠く離れていたが、両者の間には、深い繋がりが認められる。  
        1) Ida山の近くに住んでいたTantalusは、Trosの子Ilusに追われて、Pessinusの町へ逃げ込んだ。[39] 
        Tantalusの子Pelopsと共にPeloponnesus半島へ移住したPhrygiansは、山の母Cybeleを讃えていた。[40] 
        Tantalusが住んでいた地方にあったIda山とPessinusの町との間には交流があったものと思われる。  
        2) Pessinusの町の信仰の対象は、BC3世紀には「the Idaean  Mother」とされていた。[41] 
        Ida山麓に住んでいたCorybasの母Cybele本人が信仰の対象になったと思われる。  
      8 Cybeleのその後  
        Cybeleの息子Corybasは、Ida山の南東約20kmのThebeの町のCadmusの弟Cilixの娘Thebeと結婚して、娘Ideが生まれた。[42] 
        Ideは、Europaの子Minosの子Lyctiusと結婚した。[43] 
        Ida山に住んでいたCybeleは、Pessinusの町に移り住み、「神々の母」「山の母」「Phrygiaの大女神」などと呼ばれるようになった。[44] 
      9 Cabeiriの伝播の跡  
        Cabeiriの名は、Crete島のBerecyntia地方にあるCabeirus山の名前に因んでいるとも伝えられる。しかし、Crete島内にCabeiriに関係する神殿や神域は伝えられていない。  
        Samothrace島やImbros島、Lemnos島と同じで、建物はなくても信仰があったことは間違いないようである。[45] 
        Asia Minorでは、Ida山の北北西約7kmのCorybissaの町や、Teucrusの上陸地Hamaxitiaの町に、Cabeiriの神域があった。また、Mysia地方のPergamonの町にはCabeiriの聖地が、Lydia地方のSardisの町には神殿があった。Tantalusの子Broteasが作ったとされる神々の母の一番古い神像がMagnesiaの町にあった。[46] 
        Peloponnesus内では、一番古い神像と神々の母の神殿が、Laconia地方のAcriaeの町にあった。[47] 
        また、Argolis地方のCorinthの町には、神々の母の神殿があり、Sicyonの町には、神々の母の神像があった。[48] 
        Idaean HeraclesやCrete島のCydoniaの町と関係が深いEleia地方のOlympiaの町には、神々の母の祭壇や像があり、Metroumという昔の名前を残したDoris式の神殿があった。[49] 
        EgyptのMemphisの町にもCabeiriの聖所があった。[50] 
      10 Romeへの伝播  
        Dardanusの妻Chryseは、Arcadia地方のTegeaの町の西方約8kmにPallantiumの町を創建したLycaonの子Pallasの娘であった。[51] 
        Pelasgusの子Lycaonは、Argosの町やSicyonの町の創建時代から存在していた由緒あるParrhasiansに属していた。[52] 
        Lycaonは、人身御供を必要とする神を信奉していたが、彼の息子Pallasはそれとは違う神を人々に勧めた。人びとはその神々の名を知らないか、知っていても口外しようとせず、the Pureという異名のみが伝えられている。[53] 
        Pallasの信仰は、彼の娘Chryseに伝えられ、Samothrace島で、Cabeiri神を信奉するCybeleにも影響を与えた。  
        BC1240年、Pallasの後裔Evanderは、Pallantiumの町からItaly半島中央部の西海岸のVelia (後のPalatium)の丘の近くへ移住した。[54] 
        Evanderが移住後に結婚したSabinesの娘Nicostrateは、神がかりになって託宣を下す予言者で、Carmentaとも呼ばれた。Evanderの母Themisも予言者で、Carmentaとも呼ばれていた。[55] 
      11 まとめ  
        BC1700年より前に、Phrygia地方のSangarius川の源流近くで、大地の豊穣を願う信仰が芽生えた。その信仰を持つCabeiloが、Crete島に住む、冶金術・航海術に優れたTelchinesと結婚したことで、豊穣と鍛冶と航海の安全の神としてのCabeiri神を信奉する宗教となった。Telchinesは鉄を発見し、製鉄加工技術を発明してIdaean Dactylsが生まれた。Idaean Dactylsは、各地で探鉱活動をしたが、彼らにCabeiri祭司も同行して、彼らはTroad地方に定住した。さらに、彼らは近隣の島々で活動しているうちに、Samothrace島で、Cabeiri祭司Cybeleは、Arcadia地方から移住して来たChryseの秘儀をCabeiriに取り入れた。Samothrace島のCabeiri信奉者たちは、折から、島に立ち寄ったCadmusの移民団に参加して、Boeotia地方へ移住した。  
  その後、彼らは、Athensの町へも移住してCabeiriの祭儀を伝えた。Samothrace島に残ったCybeleは、Troad地方へ戻り、さらに、信仰発祥のPhrygia地方に居を変え、「神々の母」「山の母」「Phrygiaの大女神」などと呼ばれ、彼女自身が信仰の対象となった。  
      おわり   |