第57章 カベイロイ信仰

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Create:2023.2.15, Update:2026.2.16

1はじめに
BC1700年より前に、プリュギア地方で、ある信仰が芽生えた。黒海からサンガリオス川を遡上し、ゴルディオンの町から南西方向へ約50kmの大地に、空からさほど大きくもない黒い石が落ちた。「落ちる」という単語が町の名の由来となったと伝えられるペッシヌスの町での出来事であった。[1]
人々は大地の豊穣への願いの対象として、その石を大切にして敬った。
AD2世紀の神話作家アポロドロスは、ペッシヌスの町と思われるキュベラの町に、カドモスより後の時代に、秘儀を伝授する女神がいたと伝えている。隕石が落下して、町の名前が変わったのは、もっと後の時代であったかもしれない。[2]
BC205年、カルタゴの将ハンニバルに攻められて、ローマは危機に陥った。その時、イオニア地方のエリュトライの町で生まれた予言者シビュラの神託を集めた「シビュラの書」の中に、ローマを救う韻文が発見された。それは、「異国の敵が戦争をイタリアの地に持ち込んだとしても、イダ山の母がペッシヌスの町からローマに連れて来られるなら、その敵は追放され征服されるだろう」という内容であった。ローマ人は、ペルガモン王国のアッタロスの協力を得て、イダ山の母をローマ市内のパラティネの丘の上にある勝利神殿に安置した。その後、ローマはカルタゴとの戦いに勝利し、イダ山の母のために新しい神殿を造営した。[3]
豊穣の神として誕生したペッシヌスの町の信仰の対象は、時を経て、鍛冶と航海の安全の神となり、都市の守護神ともなった。そのような属性を持つ神に至った歴史は、つぎの通りであった。[4]

2 鍛冶と航海の安全の神
ペッシヌスの町で誕生した信仰を司る者の子孫の一部は、クレタ島へ渡った。その子孫のひとりであるカベイロは、クレスの子タロスの子ヘパイストスとの間に息子カドミロスを産み、彼の子供たちは、祖母の信仰の祭儀を行うカベイロイとなった。[5]
ヘパイストスの祖父クレスは、ペロポネソス半島のアルゴスの町のアピスとの戦いに敗れた、シキュオンの町のテルキンの息子であった。[6]
BC1690年、クレスは、クレタ島へ移住した。[7]
BC1438年、クレタ島のイダ山で発生した大火の跡から鉄が発見され、島の北西部のベレキュントス地方のアプテラの町で、鉄の製錬と焼き戻しが始まった。[8]
その技を人々に教えたのは、イダ山のダクテュロスと呼ばれる者たちであった。[9]
イダ山のダクテュロスは、クレスの父テルキンを始祖とするテルキネス族の一員であり、冶金術に優れた集団であった。[10]
テルキネス族は、古代エーゲ海世界に技術革新をもたらした超越した種族であった。テルキネス族は、航海術に優れた海の子であるとともに、発明者であり、紹介者であり、時には科学的な知識を持った魔術師であった。[11]
プリュギア地方で生まれた信仰の対象には、豊穣の神の他に、鍛冶と航海の安全の神の属性が加わった。
ヘパイストスとカベイロの結婚により、テルキネス族には、祭司であるカベイロイという要素も加わった。テルキネス族とカベイロイとイダ山のダクテュロスとは、同じ氏族であった。[12]

3 クレタからトロアスへの伝播
BC1435年、トロイ王国の始祖となるテウクロスは、クレタ島からトロアス地方へ移住した。[13]
移民団を導いたのは、航海術に優れ、テルキニス (後のロドス)島を拠点にして、エーゲ海を自由に航海していたテルキネス族であった。テウクロスの移民団の中には、冶金技術を持ったイダ山のダクテュロスやカベイロイの祭儀を行う者たちも含まれていた。[14]
イダ山のダクテュロスは、テウクロスの上陸地であるトロアス地方のハマクシトス付近から北へ探鉱活動をして、イダ山周辺に有望な場所を見つけて、その地に定住した。[15]
イダ山のダクテュロスは、トロアス地方の沖合に浮かぶサモトラケ島、レムノス島、インブロス島へも探索のために渡航した。[16]
BC1429年、イダ山のダクテュロスと共にサモトラケ島へ渡ったカベイリデスのひとりキュベレは、島に移住して来たダルダノスの兄弟イアシオンと結婚した。[17]

4 都市の守護神
キュベレの夫イアシオンの兄弟ダルダノスの妻クリュセは、ダルダノスと結婚する際に、神から授けられた秘儀をサモトラケ島へ持参した。クリュセは、サモトラケ島の住民に秘儀を伝えた。[18]
また、クリュセは、パラディアと呼ばれる小さな木製の肖像も持参した。クリュセの死後、ダルダノスが持参して、子々孫々に継承され、トロイの町を守護する大切なものとして扱われた。[19]
BC1430年、コリトスの子ダルダノスが住んでいたアルカディア地方中部のメテュドリオンの町は、長期的な洪水に襲われた。メテュドリオンの町は、標高1,000m程の高地を流れるマロイタス川とミュラオン川の間の小高い丘の上にあった。[20]
ダルダノスは、息子デイマスに住民の半分を残し、自らは残りの住民を率いてサモトラケ島に移住した。[21]
ダルダノスの妻クリュセは、イアシオンの妻キュベレに秘儀を伝えた。
イアシオンは、サモトラケ島で儀式を創始した。[21-1]
BC1420年、サモトラケ島を突然襲った大津波によって、クリュセとイアシオンは死んだ。[22]
ダルダノスは、キュベレと彼女の息子コリュバスを連れてサモトラケ島を去って、本土へ渡った。
ダルダノスは、トロアス地方のイダ山の近くにダルダノスの町を創建した。その後、ダルダノスは、テウクロスの娘バテイアと再婚してテウクロスの後継者となり、トロイ王国の始祖になった。[23]
キュベレは、兄嫁のクリュセから秘儀を伝えられ、カベイロイ神は、豊穣と鍛冶と航海の安全の神の他に、都市の守護神という属性が追加された神秘的な神となった。

5 サモトラケからボイオティアへの伝播
サモトラケ島が大津波に襲われる少し前、フェニキア地方のシドンの町を出港した、アゲノールの子カドモス率いる移民団がサモトラケ島に立ち寄った。カドモスは、秘儀に入信するとともに、ダルダノスの妹ハルモニアと結婚した。[24]
この後、トラキア地方へ渡ったカドモス率いる移民団には、サモトラケ島に住んでいたイダ山のダクテュロスやカベイロイを信奉する人々も移民団に加わった。[25]
イダ山のダクテュロスは、カルキディケ半島北方のパンガイオン山で金鉱を探し当て、それは、カドモスの富の源になった。[26]
カベイロイを信奉する人々は、カドモスに同行したスパルトイのひとりヒュペレノール (または、アンタス)を指導者として、エウリポス海峡の近くに居を定め、アンテドンの町を創建した。[27]
後に、彼らの後裔は、テバイの町のネイタイ門から西へ約5kmの所にカベイロイの聖域を造営して、そこで祭事を行った。[28]
エピゴノイのテバイ攻めの後で、カベイロイの祭儀を制定した祭司ペラルゲの父ポトニエウスは、アンテドンの町のアンタスの後裔であったと推定される。[29]
また、テルキネス族は、テバイの町のプロイティデス門から北東へ約7 kmのテウメッソスの町に定住した。[30]

6 ボイオティアからアテナイへの伝播
BC1205年、ボイオティア地方に住んでいたカベイロイの民は、エピゴノイのテバイ攻めの際に、一時、アッティカ地方のアナギュロスの町に居住し、神々の母神の神域を造営した。[31]
ヘロドトスは、カベイロイの密儀をアテナイ人に伝授したのは、サモトラケ島に住んでいたペラスゴイ人であったと伝えている。[32]
それは、ダルダノスと共にアルカディア地方からサモトラケ島に移住したペラスゴイ人のことと思われる。
また、カベイロイの密儀とは、ダルダノスの妻クリュセの秘儀が、イアシオンの妻キュベレのカベイロイの祭儀に追加されたものと推定される。
パウサニアスは、アテナイの町の祭司メタポスは、テバイの町のためにカベイロイの密儀を制定したと伝えている。[34]
アテナイの町のアゴラには、神々の母神の神域、市域の外のアグライには、メトロオンと呼ばれる神々の母神の神域があった。[35]

7 イダ山でのカベイロイ
ダルダノスと共にサモトラケ島からトロアス地方へ移住したキュベレと彼女の息子コリュバスは、イダ山麓に住んだ。キュベレは女神として人々から崇められ、コリュバスは母の儀式を祝う者たちをコリュバンテスと呼び、彼らに踊りを伝えた。[36]
その踊りはコルダクスと呼ばれ、武装して武具を打ち鳴らし、アウロス笛を吹き鳴らして叫び声をあげ、神がかりになって踊り狂うことで人びとを恐れ驚かせたという。[37]
コリュバンテスは、カベイロイの儀式を布告する祭司であったと伝えられ、イダ山のキュベレが人々に伝えたのは、カベイロイ神への信仰であった。[38]
イダ山から、この信仰の発祥の地であるプリュギア地方のペッシヌスの町までは、遠く離れていたが、両者の間には、深い繋がりが認められる。
1) イダ山の近くに住んでいたタンタロスは、トロスの子イロスに追われて、ペッシヌスの町へ逃げ込んだ。[39]
タンタロスの子ペロプスと共にペロポネソス半島へ移住したプリュギア人は、山の母キュベレを讃えていた。[40]
タンタロスが住んでいた地方にあったイダ山とペッシヌスの町との間には交流があったものと思われる。
2) ペッシヌスの町の信仰の対象は、BC3世紀には「イダ山の母」とされていた。[41]
イダ山麓に住んでいたコリュバスの母キュベレ本人が信仰の対象になったと思われる。

8 キュベレのその後
キュベレの息子コリュバスは、イダ山の南東約20kmのテーベの町のカドモスの弟キリクスの娘テーベと結婚して、娘イデが生まれた。[42]
イデは、エウロパの子ミノスの子リュクティウスと結婚した。[43]
イダ山に住んでいたキュベレは、ペッシヌスの町に移り住み、「神々の母」「山の母」「プリュギアの大女神」などと呼ばれるようになった。[44]

9 カベイロイの伝播の跡
カベイロイの名は、クレタ島のベレキュンティア地方にあるカベイロス山の名前に因んでいるとも伝えられる。しかし、クレタ島内にカベイロイに関係する神殿や神域は伝えられていない。
サモトラケ島やインブロス島、レムノス島と同じで、建物はなくても信仰があったことは間違いないようである。[45]
小アジアでは、イダ山の北北西約7kmのコリュビッサの町や、テウクロスの上陸地ハマクシティアの町に、カベイロイの神域があった。また、ミュシア地方のペルガモンの町にはカベイロイの聖地が、リュディア地方のサルディスの町には神殿があった。タンタロスの子ブロテアスが作ったとされる神々の母の一番古い神像がマグネシアの町にあった。[46]
ペロポネソス内では、一番古い神像と神々の母の神殿が、ラコニア地方のアクリアイの町にあった。[47]
また、アルゴス地方のコリントスの町には、神々の母の神殿があり、シキュオンの町には、神々の母の神像があった。[48]
イダ山のヘラクレスやクレタ島のキュドニアの町と関係が深いエレイア地方のオリュンピアの町には、神々の母の祭壇や像があり、メトロオンという昔の名前を残したドーリス式の神殿があった。[49]
エジプトのメンフィスの町にもカベイロイの聖所があった。[50]

10 ローマへの伝播
ダルダノスの妻クリュセは、アルカディア地方のテゲアの町の西方約8kmにパランティオンの町を創建したリュカオンの子パラスの娘であった。[51]
ペラスゴスの子リュカオンは、アルゴスの町やシキュオンの町の創建時代から存在していた由緒あるパッラシア人に属していた。[52]
リュカオンは、人身御供を必要とする神を信奉していたが、彼の息子パラスはそれとは違う神を人々に勧めた。人びとはその神々の名を知らないか、知っていても口外しようとせず、浄めの神という異名のみが伝えられている。[53]
パラスの信仰は、彼の娘クリュセに伝えられ、サモトラケ島で、カベイロイ神を信奉するキュベレにも影響を与えた。
BC1240年、パラスの後裔エウアンドロスは、パランティオンの町からイタリア半島中央部の西海岸のウェリア (後のパラティオン)の丘の近くへ移住した。[54]
エウアンドロスが移住後に結婚したサビニの娘ニコストラテは、神がかりになって託宣を下す予言者で、カルメンタとも呼ばれた。エウアンドロスの母テミスも予言者で、カルメンタとも呼ばれていた。[55]

11 まとめ
BC1700年より前に、プリュギア地方のサンガリオス川の源流近くで、大地の豊穣を願う信仰が芽生えた。その信仰を持つカベイロが、クレタ島に住む、冶金術・航海術に優れたテルキネス族と結婚したことで、豊穣と鍛冶と航海の安全の神としてのカベイロイ神を信奉する宗教となった。テルキネス族は鉄を発見し、製鉄加工技術を発明してイダ山のダクテュロスが生まれた。イダ山のダクテュロスは、各地で探鉱活動をしたが、彼らにカベイロイ祭司も同行して、彼らはトロアス地方に定住した。さらに、彼らは近隣の島々で活動しているうちに、サモトラケ島で、カベイロイ祭司キュベレは、アルカディア地方から移住して来たクリュセの秘儀をカベイロイに取り入れた。サモトラケ島のカベイロイ信奉者たちは、折から、島に立ち寄ったカドモスの移民団に参加して、ボイオティア地方へ移住した。
その後、彼らは、アテナイの町へも移住してカベイロイの祭儀を伝えた。サモトラケ島に残ったキュベレは、トロアス地方へ戻り、さらに、信仰発祥のプリュギア地方に居を変え、「神々の母」「山の母」「プリュギアの大女神」などと呼ばれ、彼女自身が信仰の対象となった。

おわり