第59章 アガメムノンのマスクを付けて埋葬された人物

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Create:2024.10.9, Upd:2026.2.16

1 はじめに
1876年、ミュケナイの遺跡で「アガメムノンのマスク」を付けて埋葬された人物がハインリヒ・シュリーマンによって発見された。
その人物は、BC2世紀の年代記作者カストールがシキュオン人の王のリストの9人目に名前を記しているメッサポスと思われる。

2 シキュオン王の系譜
2.1 第9代シキュオン王メッサポス
カストールとAD2世紀の紀行作家パウサニアスは、シキュオン王の系譜を伝えている。[1]
パウサニアスは、概ね、カストールが記したシキュオン王の系譜を参照している。
しかし、第7代トゥリマコスから第10代ペラトス (または、エラトス)までの系譜については、パウサニアスは別の史料を参照しながら記述している。
パウサニアスは、トゥリマコスの子レウキッポスに息子がいなかったので、彼の娘カルキニアの息子ペラトスがレウキッポスの跡を継いだと記している。[2]
しかし、カストールが作成したシキュオン王のリストでは、レウキッポスの次にメッサポス、メッサポスの次にエラトスになっている。[3]
このことから、メッサポスは、レウキッポスの娘カルキニアの夫であり、ペラトス (または、エラトス)の父であったと推定される。

2.2 第7代シキュオン王トゥリマコスの娘
AD2世紀の著述家アポロドロスは、All-seeingと呼ばれたアゲノールの子アルゴスが、アソポス河神の娘イスメネと結婚したと伝えている。[4]
アルゴスとイスメネが結婚した当時、アソポス川が流れるシキュオンの町の王は、アイギュドロス (または、アイギュロス)の子トゥリマコスであった。[5]
つまり、イスメネの父アソポス河神とは、トゥリマコスであり、イスメネはトゥリマコスの娘であったと推定される。[6]

2.3 メッサポスの父
第9代メッサポスは、第8代レウキッポスの娘カルキニアの夫として、義父の跡を継いだ。
しかし、メッサポス本人もシキュオン王の血筋に連なる者であったと推定される。
つまり、メッサポスは、第7代トゥリマコスの娘イスメネの息子であったと思われる。
したがって、メッサポスの父は、アゲノールの子アルゴスと推定される。

3 シキュオンとアルゴス
3.1 王位簒奪
BC1750年、イナコスの2人の息子たち、ポロネオスとアイギアレオスは、アルゴスの町とシキュオンの町を創建した。[7]
AD5世紀の歴史家オロシオスは、アルゴス王ポロネオスとパッラシア人が、テルキネス族とカリュアティを相手に戦ったと伝えている。[8]
このテルキネス族は、カストールが記している第3代シキュオン王テルキン (または、テルキス)を始祖とする種族と推定される。[9]
パウサニアスは、テルキンが第2代シキュオン王エウロプスの息子だと記しているが、それであれば、テルキネス族という種族名にはならない。
ポロネオスの息子たちの中にも、エウロプスという名前の息子がいることから、次のように推定される。[10]
初代シキュオン王アイギアレオスが死んだとき、彼の跡を継ぐ者がなく、アイギアレオスの兄弟ポロネオスは、自分の息子エウロプスを第2代シキュオン王にした。
シキュオンの町の有力者テルキンは、その措置に反発して、テルキネス族を率いて、ポロネオスと戦った。テルキンは、ポロネオスに勝利し、テルキン自身が第3代シキュオン王になった。[11]

3.2 アピスによるシキュオンの支配
BC1690年、ポロネオスの跡を継いでアルゴス王になったアピスは、シキュオンの町を攻めて、シキュオンの町をアルゴスの町の支配下に置いた。[12]
カストールのリストでは、アピスは、第3代アルゴス王であると同時に、第4代シキュオン王としても記されている。[13]
アピスは、第2代シキュオン王エウロプスの兄弟であった。
シキュオンの町は、ポロネオスの子アピスによって、25年間統治された後で、再び、テルキネス族の統治になった。[14]

3.3 クレタへの移住
BC1690年、アピスとテルキネス族との戦いで、戦いに敗れたテルキンの子クレスは、クレタ島へ移住した。[15]
クレスが率いたテルキネス族は、クレタ島では、エテオクレタ人と呼ばれ、クレスは、エテオクレタ人の王であった。[16]
テルキネス族は、クレタ島で鉄を発見してイダ山のダクテュロスとも呼ばれるようになった。[17]
テルキネス族は、金属加工の知識を持った種族であった。[18]
その後、テルキネス族は、ロドス島へも進出した。[19]

3.4 シキュオンの交易活動
BC1665年、シキュオンの町は、アルゴスの町の支配から独立した。[20]
その後、シキュオンの町とクレタ島やロドス島との間に交易が始まった。
ミュケナイの町は、アルゴス地方湾とシキュオンの町とを結ぶ要衝の地にあった。
BC1750年、アルゴスの町とシキュオンの町が創建されたときに、ミュケナイの町も創建されていたと推定される。[21]

4 アルゴスの併合
4.1 アルゴスの内紛
BC1600年、アルゴスの町に住んでいたニオベの子アルゴスの後裔の間で、争いが生じた。
アルゴスの子クリアソスの子ポルバスは、アルゴスの子ペイラソスの子トリオプスから王位を簒奪した。[22]
トリオプスに味方したアルゴスの子エクバソスの子アゲノールの子アルゴスは、ミュケナイの町へ移住して、町はアルギオンと呼ばれるようになった。[23]
アルゴスは、many-eyed、あるいは、All-seeingとも呼ばれ、先見の明がある優れた人物であった。[24]

4.2 ミュケナイとシキュオンの姻戚関係
アルゴスは、第7代シキュオン王トゥリマコスの娘イスメネを妻に迎えた。[25]
アルゴスの子メッサポスは、第8代シキュオン王レウキッポスの娘カルキニアを妻に迎えた。[26]
レウキッポスが死ぬと、メッサポスは、第9代シキュオン王になり、ミュケナイ の町に住みながら、シキュオンの町をも統治した。[27]

4.3 アルゴスとの戦い
BC1560年、アルゴスの子メッサポスは、アルゴスの町を攻め、シキュオンの町に住むテルキネス族も攻撃に参加した。
アルゴスの町に住んでいたペラスゴイ人は、各地へ移住した。[28]
この戦いの後で、メッサポスは、アルカディア地方に住むペラスゴイ人を除いて、ペロポネソス半島に住む人々の大半を支配することになった。

5 ミュケナイの黄金時代
BC12世紀初頭のアガメムノンの時代をミュケナイの町の黄金時代とするならば、アルゴスの子メッサポスの時代は、第1回目の黄金時代であった。
ミュケナイの町は、それまで、シキュオンの町と交易があったクレタ島やロドス島の他に、イタリア半島とも交易していたと推定される。
イタリア半島へは、ニオベの子ペラスゴスの子リュカオンの2人の息子たち、オイノトロスとペウケティウスがアルゴスの町の内紛が原因で、BC1635年、人々を率いて、移住していた。[29]
オイノトロスとペウケティウスの移住は、テュリンスの町を創建したアルゴスの子テュリンスや、エピダウロスの町を創建したアルゴスの子エピダウロスの移住と同時期であった。[30]
テュリンスの町やエピダウロスの町も、イタリア半島と交易があったと推定される。
オイノトロスとペウケティウスは、メッサポスの父アルゴスの父アゲノールの又従兄弟であった。

6 アガメムノンのマスク
6.1 マスクを付けて埋葬された人物
ミュケナイ王メッサポスは、シキュオン王でもあり、アルゴス王をも従える大王になった。
ミュケナイの遺跡から発掘された「アガメムノンのマスク」を付けて埋葬された人物は、アルゴスの子メッサポスと推定される。

6.2 マスクの製作者
マスクを作ったのは、鉱山技師であり、金属加工技術者でもあったイダ山のダクテュロスという名前を持つテルキネス族であった。[31]
テルキネス族は、ロドス島の古い名前、テルキニアに名前を与えた種族であり、海の子と呼ばれ、航海術に優れた種族であった。[32]
テルキネス族は、カドモスの移民団の中にいて、パンガイオン山で金を発見した。[33]

6.3 ミュケナイの金
アガメムノンの時代のミュケナイの金は、プリュギア地方やシピュロス山の鉱床から生れた。[34]
しかし、その地方の金は、アガメムノンの先祖タンタロスの時代に発見されたが、メッサポスは、タンタロスより200年前の人物である。
メッサポスの時代、テルキネス族は、トロアス地方、トラキア地方、パイオニア地方、マケドニア地方、それにタソス島で、まだ金の採掘をしていなかったと思われる。
テルキネス族が金を採掘していたとすれば、最も可能性があるのは、金銀の鉱山があったシフノス島である。[35]
テルキネス族の島と呼ばれたロドス島からアルゴス地方のスキュライオン岬を目指して航行すると、シフノス島の近くを通る。[36]

おわり