|
1 基準となる人物
Athens王として、即位年を特定可能であり、当時の多くの人物と関りがある、Aegeusの子Theseusを基準とした。
2 Theseusの在位年
BC1世紀の年代記作者Castor of Rhodesは、歴代のAthens王の在位年数を伝えており、第29代Athens王Aeschylusの在位12年目に、Coroebusが徒競争で優勝した最初のOlympiadが開催されたと記している。[1]
ErisのCoroebusが徒競争で優勝した最初のOlympiadは、BC776年であることが分かっており、Aeschylusの即位年は、BC787年である。[2]
Aeschylusから、在位年数に合せて逆算すると、Theseusの在位は、BC1239年からBC1209年までの30年間となる。
3 Theseusの即位時の年齢
高齢になって、跡継ぎが生まれないAthens王Aegeusは、Troezen町のPittheusの娘Aethraに産ませた息子TheseusをAthensの町へ呼び寄せた。[3]
そのとき、Theseusは16歳であった。[4]
その後、Minosの子Deucalionは、Athensの町と同盟を結ぶために、妹PhaedraをTheseusに嫁がせた。[5]
この結婚は、Minosが死んで、Aegeusがまだ生きていた時と思われる。
また、Theseusには、Phaedraとの結婚の前に生まれた、Antiopeとの間の息子Hippolytusがいた。[6]
以上のことから、TheseusのAthens王即位は、24歳の時で、Theseusは、BC1263年生まれと推定される。
4 Heraclesの生年
当時7歳のTheseusは、祖父Pittheusを訪問したHeraclesが獅子の皮を敷いて座っているのを見たと伝えられる。[7]
Heraclesが18歳でCithaeronの獅子を退治した後の出来事であると思われ、少なくとも11歳以上の年齢差があると思われる。[8]
また、Theseusが16歳の時、Heraclesの功業は、広く知られていた。[9]
以上のことから、Heraclesの生年は、Theseusより12年早い、BC1275年と推定した。
5 アルゴー船の遠征とカリュドンの猪狩りがあった年
HeraclesがLydiaのOmphaleのもとで、3年間奉仕している間に、アルゴー船の遠征、カリュドンの猪狩り、Theseusのコリントス地峡での功業があった。[10]
Theseusのコリントス地峡での功業は、16歳のときで、BC1247と推定される。[11]
また、Theseusは、Troezenの町からアルゴー船に参加、Athensの町からカリュドンの猪狩りに参加している。[12]
したがって、アルゴー船の遠征はBC1248年、カリュドンの猪狩りはBC1246年と推定される。
おわり
|