第37章 ギリシアの河神

home English
Create:2023.2.18, Update:2024.11.6

1 Achelous川
古代ギリシア世界に、Asopusと呼ばれた川が少なくとも2つあった。
1) AcarnaniaのAchelous川
Acarnania地方のAchelous川は、Pindus山脈に発し、Ionian SeaのEchinades諸島近くへ注いでいる。[1]
このAchelous川は、Acarnania地方とAetolia地方の境界である。[2]
2) ThessalyのAchelous川
Thessaly地方のAchelous川は、Lamiaの町の近くのParacheloitaeと呼ばれる土地を流れて、Spercheius川に合流する。[3]

1.1 Achelous河神の娘Peirene
Corinthの町の外港の名前は、LechesとCenchriasに因んで名付けられた。彼らはPoseidonとAchelous河神の娘Peireneとの息子たちであった。[4]
Peireneの父はOebalusであり、Achelous河神は、Oebalusであった。[5]
そのOebalusは、Spartaの町のOebalusとも思われるが、Spartaの町の近くにAchelous川は流れていない。
Spartaの町のOebalusの他に、Heracles率いるEphyra遠征隊に追われて、Acarnaia地方からItaly半島のNeapolis 近くのCapreaeへ移住したTelonの子Oebalusがいる。[6]
Ephyra遠征には、Corinthの町のJasonも同行した。[7]
Jasonは、SisyphusにCorinthの町を継承させるとともに、彼の娘Corcyraを妻に娶った。[8]
Jasonは、さらに、Sisyphusの子Ornytionを遠征に参加させたものと推定される。[9]
Ornytionは、その遠征で、Achelous川の近くで育ったOebalusの娘Peireneを得て、妻にした。[10]

1.2 Achelous河神の娘Eurymedusa
Myrmidonの母は、Achelous河神の娘Eurymedusaであったと伝えられている。[11]
別な伝承によると、Myrmidonの母Eurymedusaは、Cletor (or Clitor)の娘であった。[12]
したがって、Eurymedusaの父Achelous河神は、Cletor (or Clitor)であった。

2 Alpheius川
Alpheius川は、Arcadia地方に発し、Ladon川やErymanthus川を受け入れて、Eleia地方のPisaの町やOlympiaの近くを流れて、Ionian Seaへ注いでいる。[13]

2.1 Alpheius河神の子Ortilochus
Dioclesの父Ortilochusの父は、Alpheius河神であった。[14]
Ortilochusは、祖父Pharisが創建したMessenia地方のPharaeの町に住んでいた。[15]
Ortilochusは、Messenia地方に住んでいたが、その地方にAlpheius川はなかった。

2.1.1 Ortilochusの母
Ortilochusの母は、Pharisの娘Telegoneであった。Pharisは、Danausの娘Phylodameiaの息子で、Messenia地方にPharaeの町を建設した。[16]
Pharisの兄弟Pharesは、Achaia地方にPharaeの町を創建した。[17]
系図を作成すると、Phylodameiaの夫は、Pharaeの町の近くにあるAroe (後のPatrae)の町に住んでいたAegyptusの子Eumelusと推定される。[18]
Ortilochusの母Telegoneは、Achaia地方の出身であったが、その地方にAlpheius川はなかった。

2.1.2 Alpheius川近くの有力者
Ortilochusの父が、Alpheius河神と呼ばれたのは、Ortilochusが生まれた頃、彼の父がAlpheius川の近くに住んでいて、その地方の有力者であったからと思われる。
Ortilochusが生まれた頃、Alpheius川の近くには、OlympiaとPisa、それにHarpinaの町があった。
Elisの町のEndymionがCardysの子Clymenusを追い出した後、Olympiaの町に有力者は住んでいなかった。[19]
Pisaの町には、Perieresの子Pisusが住み、Harpinaの町には、Alxionの子Oenomausが住んでいた。[20]

2.1.3 推定
以上のことから、つぎのように推定される。

2.1.3.1 Telegoneの結婚
Elisの町の創建者Aethliusの兄弟Perieresの息子Pisusは、さらに南のAlpheius河畔にPisaの町を創建した。[21]
Pisusは、Messenia地方のPharaeの町からPharisの娘Telegoneを妻に迎えたと推定される。[22]
Pisusの父Perieresは、Thessaly地方のArneの町からPeloponnesus北西部へ移住して、Olenusの町に住んでいた。[23]
Pisusは、Pisaの町を創建する前、Achaia地方のOlenusの町に住んでいた。
一方、Telegoneは、彼女の父PharisがMessenia地方へ移住する前、Achaia地方のAroeの町に住んでいた。
Olenusの町は、Aroeの町から約13kmの距離にあり、PisusとTelegoneは、PisusがPisaの町を創建する前から縁があったと推定される。

2.1.3.2 Messeniaへの移住
Pisaの町に住むPisusとTelegoneには、息子Ortilochusが生まれた。[24]
その後、Pisaの町からAlpheius川を少し遡った所にあるHarpinaの町のOenomausは、Pisaの町を攻めた。Pisusは死に、TelegoneはOrtilochusを連れて、彼女の父Pharisが住むMessenia地方のPharaeの町へ移住した。[25]
以上のことから、Ortilochusの父Alpheius河神は、Perieresの子Pisusと推定される。

3 Asopus川
古代ギリシア世界に、Asopusと呼ばれた川が少なくとも5つあった。
1) SicyonのAsopus川
Phlius地方のCarneates山に源を発して、Aegialea (後のSicyon)の東側を南から北へ流れて、Corinth湾へ注いでいる。[26]
2) BoeotiaのAsopus川
Boeotia地方のAsopus川は、Thebesの町やPlataeaeの町の近くを流れ、Tanagraの近くで海へ注いでいる。[27]
3) LocrisのAsopus川
Locris地方のAsopus川は、Trachisの町の南を流れ、Pylaeの外側にある海へ注いでいる。[28]
4) AeginaのAsopus川
Aegina島に、the waters of the Asopusがある。[29]
5) ParosのAsopus川
Paros島内にAsopus川がある。[30]

3.1 SicyonのAsopus河神
3.1.1 Asopus河神の娘Ismene
Asopus河神の娘Ismene は、Argusとの間に、息子Iasusを産んだ。[31]
系図上、Argosの町のPhorbasの子Argusの妻Ismeneは、BC1615年頃の生まれである。
その頃、Asopus川の流れるAegialea (後のSicyon)を支配していた、Ismeneの父に見合う人物は、Aegydrus (or Aegyrus)の子Thurimachusである。Thurimachusは、伝承に残るSicyonの最古のAsopus河神であった。[32]

3.1.2 Asopus河神の娘Harpine
Asopus河神の娘Harpineは、Oenomausの母であった。[33]
Oenomausの娘Hippodameiaは、Pelopsの妻であることから、Harpineの父は、Pelopsの祖父と同時代であった。[34]
Oenomausの父Alxionは、Arcadia地方西部に創建したHeraeaの町に住んでいた。Heraeaの町は、Alxionの父Oenomausの父Heraeeusによって創建された。Heraeeusは、Pelasgusの子Lycaonの息子であった。[35]
Harpineの夫Oenomausが住むHeraeaの町から一番近いAsopus川は、Sicyonの町を流れるAsopus川である。当時、Sicyonの町を治めていたのは、Epopeusであった。
したがって、Harpineの父Asopus河神は、Epopeusであったと推定される。
Epopeusの妻Metopeの父は、Thebesの町のすぐ東側を流れる川に名前を与えたLadonであったと思われる。[36]
Harpineが嫁いだHeraeaの町の近くを流れるLadon川は、Harpineの母Metopeの父の名前に因んで名付けられたと推定される。[37]

3.1.3 Asopus河神の娘Sinope
3.1.3.1 伝承
Asopus河神の娘について、次の伝承がある。
1) Apolloの子SyrusとAsopus河神の娘Sinopeとの後裔は、黒海南岸のSinopeの町の住人だった。[38]
2) SicyonのAsopus河神の娘Sinopeは、ApolloにさらわれてSinopeの町に連れて来られて、息子Syrusが生まれた。[39]
3) Asopus河神の娘Sinopeは、不本意ながらも祖国から送り出されて、彼女の名前を付けた町に住んだ。[40]

3.1.3.2 Sinopeの創建
Sinopeの町の名前は、Amazonsの一人の名に因んで名付けられたとの説もある。[41]
しかし、Amazonsが住んでいたThermodon川の近くにAsopus河神の娘Sinopeに因んで名づけられたとする説の方が妥当と思われる。[42]
Sinopeの町の創建者はThessaly地方のTriccaの町のDeimachusの子Autolycusだと伝えられている。[43]
Autolycusが町を作る以前の住人は、Asopus河神の娘Sinopeの子孫であったと伝えられる。したがって、Asopus河神の娘Sinopeは、Autolycusより前の時代の人物である。[44]

3.1.3.3 Sinopeに関係したAsopus川
Sisyphusの子Aeetesは、Corinthの町から黒海東岸のColchis地方へ入植した。[45]
Sisyphusの子Aloeusの子Epopeusは、Sicyonの町に住んで、Corinthの町をも支配していた。[46]
Sicyonの町の近くをAsopus川が流れており、Sinopeの町は、Corinthの町からColchis地方へ行く途中にあった。

3.1.3.4 Sinopeの夫
Aeetesの娘Chalciope (or Iophossa, Euenia)は、Athamasの子Phrixusと結婚し、息子Cytissorus (or Cylindrus, Cytisorus, Cytorus)が生まれた。[47]
Cytissorusの兄弟Presbonは、ColchisからBoeotia地方へ移住して、彼の祖父Athamasの跡を継いだ。Presbonの子Clymenusは、Orchomenus王になった。[48]
Cytissorus本人がBoeotia地方へ帰ってきたという伝承もある。[48-1]
Cytissorusは、Colchisから黒海南岸の中ほどにCytorusの町を創建した。[49]
Cytorusの町とSinopeの町とは関係が深かった。[50]
Cytissorusは、Corinthの町とSinopeの町の両方に関係が深く、彼はSinopeの夫であったと思われる。

3.1.3.5 Sinopeの父Asopus河神
Cytissorusは、Corinthの町の創建者Sisyphusの曾孫であり、彼の妻Sinopeの父と同世代のSicyonの町の支配者はEpopeusであった。
つまり、Sinopeの父Asopus河神はEpopeusであり、SinopeとCytissorusは、Sisyphusを共通の曽祖父とする又従兄妹同士であった。

3.1.4 Asopus河神の娘Aegina
ZeusがAsopus河神の娘AeginaをPhliusの町からOenoneと呼ばれる無人島へ連れてきて、その島は、娘に因んでAegina島と呼ばれるようになった。[51]
Aeginaの夫は、Myrmidonの子Actorであり、彼女に息子Aeacusが生まれた。[52]
Aeginaの子Aeacusの2人の息子たち、PeleusとTelamonは、Argonautsの物語に登場する。[53]
Phlius地方に発するAsopus川が流れ込むSicyonの町のPolybusの娘Lysianassaの夫TalausもArgonautsの物語に登場する。[54]
つまり、Polybusの母Chthonophyleは、Aeginaと同世代になる。[55]
したがって、Aeginaの父Asopus河神は、Chthonophyleの父Sicyonと推定される。

3.1.5 Asopus河神の娘Salamis
Salamisは、Asopus河神の12人の娘の一人であった。[56]
Cychreusが、自分の母でAsopus河神の娘Salamisに因んで、この島にはじめて名を定め、後にTelamonに同行したAegina人が入植した。[57]
Asopus河神の娘Salamisの子Cychreusは、Salamis島を娘Glauceの婿Telamonに与えた。[58]
Telamonは、妻Glauceが死ぬと、Pelopsの子Alcathousの娘Eriboeaと結婚した。[59]
つまり、Glauceの父Cychreusの母Salamisは、Eriboeaの父Alcathousの父Pelopsと同世代であった。
Pelopsは、Thebesの町のOedipusの父Laiusと同世代であった。[60]
Oedipusは、Polybusの養子であったことから、Polybusは、LaiusやPelopsと同世代であった。[61]
したがって、Salamisの父は、Polybusの母Chthonophyleと同世代であった。Salamisが結婚した頃のAsopus川の流れるSicyonの支配者は、Chthonophyleの父Sicyonであり、Marathonの子SicyonがAsopus河神であったと推定される。[62]

3.1.6 Asopus河神の娘Corcyra
Asopus河神の娘Corcyraは、Poseidonによって、後に彼女の名に因んで名づけられたCorcyra島へ連れ去られ、Phaeaxを産んだ。[63]
Asopus河神の娘Corcyraは、Scheriaと呼ばれていた島の名前をCorcyra島に変えた。[64]
Jasonは、Corcyra島へ移住した。[65]
以上のことから、Corcyraの夫で、Phaeaxの父は、Jasonと推定される。Corcyraの父は、JasonがCorinthを託したAeolusの子Sisyphusで、Corcyraの父Asopus河神はSisyphusと推定される。Asopus川は、Corinthの町を流れてはいないが、PausaniasのCorinthの町の記述には、Asopus川しか登場せず、その地方で一番有名な川であった。[66]

3.1.7 Asopus河神の娘Nemea
Asopus河神の娘Nemeaは、Phliusの町とMycenaeの町の間にある町に、名前を与えた。[67]
Nemeaの町の支配者として、史料に最初に登場するのは、Lycurgusである。[68]
しかし、彼の父PronaxがArgosの町からその地へ移住して来て、Nemeaの町を創建したと推定される。[69]
Pronaxの移住は、彼の兄弟AdrastusがSicyonの町へ亡命した時期が同じであり、Argosの町の内紛が原因と推定される。[70]
そして、Pronaxの妻であり、彼の兄弟Adrastusの妻Amphitheaの母は、Pronaxが創建した町に名前を与えたNemeaであったと思われる。[71]
系図を作成すると、年代的にNemeaの父に最も相応しいのは、Corcyraと同じくCorinthの町の、Aeolusの子Sisyphusであった。
したがって、Nemeaの父Asopus河神は、Sisyphusと推定される。

3.1.8 その他
この他、SicyonのAsopus河神の娘と伝えられるのは、Cleone、Peirene、Asopis、Ornia、Chalcisがいるが、彼女たちの系譜については不明である。[72]

3.2 BoeotiaのAsopus河神
3.2.1 Asopus河神の娘Antiope
Asopus河神の娘Antiopeには、2人の息子たち、AmphionとZethusがいた。[73]
しかし、AmphionとZethusは、Nycteusの娘Antiopeの息子たちであったと伝えられている。[74]
したがって、Antiopeの父Asopus河神は、Hyrieus(or Chthonius)の子Nycteusであった。[75]

3.2.2 Asopus河神の娘Tanagra
Tanagraは、Asopus河神の娘であった。[76]
Tanagraの夫はPoemanderであり、Tanagraの父はAeolusであった。[77]
Poemanderは、Aethusaの子Eleutherの子Iasiusの子Chaeresilausの息子であった。[78]
Aethusaは、Amphion の母Antiopeの父Nycteusの父Hyrieusの兄弟であった。[79]
つまり、Poemanderの妻Tanagraは、Amphionの娘Chlorisと同時代であった。
したがって、Tanagraの父Aeolusは、Chlorisの母Niobeの弟Pelopsと同時代の人物である。
Corinthの町を去るJasonが後継者にしたSisyphusの父もAeolusであった。[80]
このSisyphusの父Aeolusは、年代から見て、Tanagraの父Aeolusと同一人物と思われる。
それでは、このAeolusの父は誰であろうか。
彼の息子SisyphusがCorinthの町の支配者となっていることから、AeolusはCorinthの創建者Sisyphusの子孫と思われる。
Tanagraの夫Poemanderは、Eleutheraeの町に住んでいた。[81]
Eleutheraeの町は、Boeotia地方のAsopus川から南にCithaeron山を越えた所にある。
Tanagraの父Aeolusを推定するのに、次の手掛かりがある。
1) Aeolusは、Thessaly地方のAeolisに多い名前である。
2) Aeolusは、Pelopsと同時代にBoeotia地方に住んでいた。
3) Aeolusは、Corinthの町のSisyphusの後裔である。
以上のことを考慮すると、Tanagraの父Aeolusは、Sisyphusの子Aloeusの子Aloeusの子Otus兄弟と共にAscraの町を創建したAscraの子Oeoclusの息子と推定される。[82]
Ascraの町を創建後、町には、Ascraの子Oeoclusが住み、町の近くからAsopus川は東へ流れ出ていた。[83]
以上のことから、Tanagraの父Asopus河神は、Oeoclusの子Aeolusと推定される。

3.2.3 Asopus河神の娘Plataea
Plataeaは、Asopus河神の娘であった。[84]
Plataeaの姉妹Tanagraの夫Poemanderの父Chaeresilausの父Iasiusの父Eleutherは、Antiopeの夫と推定される。[85]
Antiopeの姉妹Nycteisの子Labdacusの子Laiusは、Plataeaの町のDamasistratusと同時代人であった。[86]
Damasistratusは、Plataeaの町の最初の住人として登場するが、恐らく、彼はPlataeaの町の創建者であったと思われる。
DamasistratusとLaiusとは関係があり、Laiusの父Labdacusは、Plataeaの町の近くのEutresisの町に住むAmphionとZethusの従兄弟であった。
Damasistratusは、Eleutherの子Iasiusの息子であったと思われる。[87]
Damasistratusの兄弟AmphionとZethusは、Eleutheraeの町からMt. Cithaeronを北に越えて、Thebesの町の西南西約14kmの所にEutresisの町を創建した。[88]
Damasistratusは、Eleutheraeの町からEutresisの町へ半分くらいの所へ移住して、彼の妻Plataeaの名前に因んだ町を創建したと思われる。[89]
したがって、Plataeaの父Asopus河神は、Tanagraと同じOeoclusの子Aeolusと推定される。

3.2.4 Asopus河神の娘Thespia (or Thespeia)
Asopus河神の娘Thespiaは、Boeotia地方のThespiaeの町に彼女の名前を与えた。
また、その町の名前はAthensの町から移住したErechtheusの後裔Thespiusに因むとも伝えられている。[90]
Erechtheusは、Athens王Pandionの別名であり、Thespiusは、Pandionの子Teuthrasの息子であった。[91]
これまでの推定により、Thespiaの姉妹Plataeaの夫Damasistratusは、Thebesの町のLaiusの同時代人であった。
Laiusの子Oedipusは、Heraclesと同時代のThespiusの同時代人であった。
つまり、Thespiusの父Teuthrasは、Laiusと同時代のThespiaの同時代人であった。
したがって、Teuthrasは、Thespiaの夫と推定される。
以上のことから、Thespiaの父Asopus河神は、Tanagraと同じOeoclusの子Aeolusと推定される。

3.2.5 その他
OeroeもBoeotia地方のAsopus河神の娘と伝えられているが、彼女の系譜については不明である。[92]

3.3 LocrisのAsopus河神
3.3.1 Asopus河神の娘Thebe
Thebesの町のAmphionの兄弟Zethusの妻Thebeは、Asopus河神の娘であった。[93]
Zethusの妻Thebeの人間としての父の名前を伝えている史料は、見つからない。
しかし、つぎのことから、Thermopylae近くのAntheiaの町に住むAmphictyonの子Aetolusの子Physciusと推定される。
1) Physciusの子Locrusは、AmphionとZethusに協力した。
Locrusは、Antiopeの2人の息子たち、AmphionとZethusと共にThebesの町を築いたと伝えられる。[94]
LocrusがThebeの兄弟であったので、Locrusは、AmphionとZethusに協力したと思われる。
2) Thermopylae近くをAsopus川が流れていた。
Thebeは、SicyonのAsopus河神の娘たちと一緒に伝えられているが、Locris地方のAsopus河神の娘と思われる。[95]
3) Thebesの町のProetidian gateは、Proetusの名前に因んで名付けられた。
Physciusの妻Maeraの父は、Corinthの創建者Sisyphusの子Thersandorusの子Proetusであった。[96]
つまり、Proetusは、Zethusの妻Thebeの祖父であった。
以上のことから、Thebeの父Asopus河神は、Physciusと推定される。

4 Axius川
Axius川は、Paeonia地方に流れを発し、Chalastraの町とThermaの町の間を流れて、Thermaic Gulfに注いでいる。[97]
Axius川の河畔に、Amydon (後のAbydon)の町があったが、Macedoniansによって破壊された。[98]

4.1 Axius河神の子Pelegon
Asteropaeusの父Pelegonは、Axius河神とAcessamenusの長女Periboeaとの息子であった。[99]
Pelegon (or Pelegonus)の子Asteropaeusは、Paeoniansを率いてTroyに遠征した。[100]
また、Paeoniansを率いてTroyに遠征したPyraechmesは、Axiusの息子だと伝えられており、Pelegonの父Axius河神の人間としての名前も、Axiusであったと思われる。[101]
Pyraechmesは、Axius川近くのAmydonの町を支配していた。[102]
Asteropaeusは、Pyraechmesの甥であった。

5 Cephisus川
古代ギリシア世界で、Cephisusと名付けられた川が一番多く、少なくとも8つあった。
最初のCephisus川は、Greeks発祥の地Phocis地方からBoeotia地方へ流れ込んでいる。
そこから移住した人々が名づけたCephisus川が、Eleusis、Athens、Sicyon、Argosにあった。さらに、Athensの町からの移住者が名づけたCephisus川が、Scyros島、Salamis島にあった。また、Corinthの町やCorcyra島からの移住者が名づけたCephisus川が、Illyria地方のApolloniaの町にあった。[103]

5.1 Cephisus河神の子Eteocles
AndreusとAthamasの子Leuconの娘Euippe との間の息子Eteoclesは、Cephisus河神の息子であった。[104]
つまり、Eteoclesの父Cephisus河神は、Orchomenusの創建者Andreusであった。

5.2 Cephisus河神の娘Lilaea
Phocis地方西部のCephisus川源流付近の町に名前を与えたのは、Cephisus河神の娘Lilaeaであった。[105]
Lilaeaは、Cephisus河神の子Eteoclesの兄妹であり、Andreusの娘と推定される。

5.3 Cephisus河神の娘Daulis
Phocis地方東部の町に名前を与えたのは、Cephisus河神の娘Daulisであった。[106]
Daulisは、Cephisus河神の子Eteoclesの兄妹であり、Andreusの娘と推定される。

6 Enipeus川
古代ギリシア世界に、Enipeusと呼ばれた川が少なくとも2つあった。
1) ThessalyのEnipeus川
Thessaly地方のEnipeus川はOthrys山から発してPharsalusの町のそばを流れた後、向きを変えてApidanus川へ合流する。Apidanus川はPeneius川へ合流する。[107]
2) EleiaのEnipeus川
Eleia地方のEnipeus川は、Salmoneの町にある泉に発し、Olympiaの近くを流れるAlpheius川へ合流する。[108]

6.1 Enipeus河神の妻Tyro
Salmoneusの娘Tyroは、Enipeus河神に恋をした。[109]
Tyroの最初の夫は、Thessaly地方のPyllusの町に住むHippocoonであった。[110]
Salmoneusは、Enipeus川を挟んでPylusの町の対岸に住んでいたと思われ、TyroがHippocoonに嫁いだ後で、Eleia地方へ移住し、Salmoneの町を創建した。[111]
つまり、Tyroの夫Enipeus河神は、Pyllusの町のHippocoonであった。
Eleia地方のEnipeus川の名前は、Salmoneusと共に移住した人々が故郷の川の名を付けたものと思われる。[112]

7 Ladon川
古代ギリシア世界に、Ladonと呼ばれた川が少なくとも3つあった。
1) ArcadiaのLadon川
Ladon川は、Arcadia地方北部のClitorにその流れを発し、Erymanthus川と共にAlpheius川に合流して、Pisaの町やOlympiaを通って、海に注いでいる。[112-1]
2) EleiaのLadon川
Ladon川は、Heraclesに破壊されたPylusの町を通って、Peneius川に注いでいる。[112-2]
3) BoeotiaのLadon川
Thebesの町の近くを流れるLadon川は、Ismenus川と呼ばれるようになった。[112-3]

7.1 Ladon河神の娘の子Evander
Evanderは、Arcadia地方のPallantiumの町から移民団を率いて、Italy半島中部のTiber川の近くへ移住した。[112-4]
Evanderの母は、Carmentaであった。[112-5]
Carmentaが住んでいたPallantiumの町の近くから流れを発するAlpheius川にEleia地方とArcadia地方の境界付近で、北から流れて来たLadon川が合流する。
Carmentaが結婚した当時、Ladon川近くのOnceium一帯は、Oncusが支配していた。[112-6]
Oncusは、Elisの町を攻めようとするHeraclesに雄馬一頭を提供した人物であった。[112-7]
Carmentaは、Heraclesと同世代であり、Oncusは、Carmentaの父、つまり、Ladon河神と推定される。

7.2 Ladon河神の娘Thelpusa
Arcadia地方西部のThelpusaの町は、Ladon河神の娘Thelpusaの名前に因んで名付けられた。[112-8]
Thelpusaの町は、Oncusが住んでいたOnceiumの町のすぐ近くにあった。[112-9]
Thelpusaも、Oncusの娘であり、Carmentaの姉妹であったと推定される。

8 Peneius (Peneus)川
古代ギリシア世界に、Peneiusと呼ばれた川が少なくとも2つあった。
1) ThessalyのPeneius川
Peneius川はPindus山脈にその流れを発し、東進してTempe渓谷を通って、Agean Seaへ注いでいる。[113]
Peneius川に名前を与えたPeneiusはCreusaとの間にHypseusとStilbeを生み、StilbeはApolloとの間にLapithesとCentaurusを生んだと伝えられている。[114]
2) EleiaのPeneius川
Peneius川はElisの町を流れ、Chelonatas岬近くで海へ注いでいる。[115]
この川の近くに初めて町を作ったのは、Thessaly地方のArneの町のAeolusの子Aethliusであった。[116]
Aethliusと共に移住した人々が、新天地の川に故郷の川の名前を付けたものと思われる。

8.1 Peneus河神の娘Menippe
Phrastorは、Argosの町からThessaly地方へ移住したLarissaの子PelasgusとPeneus河神の娘Menippeの息子であった。BC5世紀の歴史家LesbosのHellanicusが、『Phoronis』の中で伝えている系譜である。[117]
Diodorusが伝えているPeneius川の名祖より前の時代の系譜であり、Menippeの系譜は不明である。

8.2 Peneius河神の子Andreus
Peneius河神の子Andreusは、Andreis (後のOrchomenus)の町を創建した。[118]
BC3世紀の叙事詩人Apollonius of Rhodesは、『Argonautica』の中で、Orchomenusの建設者をAeolusの子Minyasと伝えている。[119]
Andreusの妻は、Hellenの子Aeolusの子Athamasの子Leuconの娘Euippeであった。
したがって、Andreusの父Aeolusは、Hellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの息子と推定される。[120]
つまり、Andreusの父Peneius河神は、Hippotesの子Aeolusであった。

8.3 Peneius河神の子Dryops
Dryopsは、Peneius河神とDanausの娘Polydoreとの間の子であり、彼らの子孫は、Dryopsと呼ばれ、Spercheius川の近くに住んだ。[121]
Aristotleは、DryopiansがSpercheius川の近くに住んでいたと伝えている。[122]
Danausの娘Polydoraが適齢期になった頃、Thessaly地方のPeneius川近くに住んでいたのは、Hellenの子Dorusを始祖とするDoriansであった。
Doriansの大部分は、Cadmus率いる大集団の移動に圧迫されて、Dorusに率いられて、Parnassus山とOeta山の間の地方へ移住した。
しかし、Peneius川近くに残っていた人々もいた。彼らの中には、Dorusの娘Iphthime一家もいた。Iphthimeの夫については不明であるが、彼の後裔がArgosの町の保護を受けていることや、Danausの娘を嫁に迎えていることから考えて、Pelasgiansであったと思われる。
Iphthimeには、3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosがいたが、その中の一人がDanausの娘Polydoreの夫となり、息子Dryopsが生まれた。[123]
Thessaly地方の北部に住むIphthimeの息子と、Argosの町に住むPolydoreの遠距離婚を可能にしたのは、Polydoreの姉妹ScaeaとAutomateと、Thessaly地方からArgosの町に移住して来たAchaeusの息子たちとの結婚であったと推定される。[124]
BC1435年、Xuthusの子Achaeusは、Aegialusの町からThessaly地方のPhthiotis地方のMelitaeaの町へ帰還した。[125]
BC1420年、Cadmus率いる大集団の移動に圧迫されて、Achaeusの2人の息子たち、ArchanderとArchiteles はAegialusの町へ移住して、Danausの娘たちと結婚した。[126]
彼らの結婚が、PolydoreとIphthimeの息子を結び付けたものと思われる。
つまり、Dryopsの父Peneius河神は、Iphthimeの3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosのうちのいずれかと推定される。

9 Spercheius川
Spercheius川は、Dryopia地方のTyphrestus山に流れを発し、Thermopylae近くでMaliac Gulfに注いでいる。[127]

9.1 Spercheius河神の子Menesthius
Menesthiusは、Spercheius河神の子だと伝えられている。[128]
Menesthiusの母は、Peleusの娘Polydoraであった。[129]
Polydoraの夫は、Perieresの子Borusであった。[130]
Menesthiusは、Perieresの子Borusの息子であった。[131]
つまり、Menesthiusの父Spercheius河神は、Perieresの子Borusであった。

10 Strymon川
Strymon川は、Paeonia地方に流れを発し、OdomantiとBisaltaeの居住地の中間を通って、Strymon湾に注いでいる。[132]

10.1 Strymon河神の子Rhesus
Troyへ遠征したRhesusは、Strymon河神とEuterpeの息子であった。[133]
Rhesusは、Strymon川下流に住むOdomanti、Edoni、Bisaltaeを支配していた。[134]
Rhesusの父Strymon河神の人間としての名前は、Eion (or Eioneus)であった。[135]
Eionは、Mygdonの子Bisaltesの息子と推定される。[136]
Mygdonは、TroyのLaomedonの時代に、Anatolia半島のMysia of OlympeneからStrymon川近くへ移住した。[137]
Mygdonが定住したMygdoniaは、後にEdoniが住んでいたが、Macedoniansによって居住地を追われた。[138]

おわり