アッタリシヤについて

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Create:2023.10.26, Upd:2023.10.26
Attarisiya

はじめに
Attarisiyaは、Hittiteで記録された最古のGreekであった。
Hittiteの文書、the Indictment of Madduwattaに記録されている。
Hittiteと戦うほどの実力者が、古代ギリシアの系譜の中に現れない筈がなく、調べたところ、Attarisiyaは、つぎの人物が該当した。

1. Attarisiyaに該当する人物
Agenorの子Phoenixの娘Astypalaeaの子Ancaeus。
Ancaeusは、BC1424年生まれと推定される。
Ancaeusは、Miletus、Cyprus、Cydonia(in Crete)と関係があり、MycenaeのAtreusと系譜上の繋がりがあった。

2. Miletusとの関係
BC1425年、Cadmusの移民団の中にいたPhoenixの娘Astypalaeaは、Crete島北西部のApteraに住むAcmon(or Celmis、Damnameneus、Idaean Heracles)と結婚した。[1]
Acmonは、4人の兄弟と共にCreteからRhodes対岸のCherronesusへ移住して、Cariansを追い出して、5つの町を創建した。[2]
これより、135年前、Triopasの子Xanthusの移民団の中にいたCyrnusがRhodes対岸のCherronesusにCyrnusを創建していた。[3]
また、Acmonの入植の10年後には、RhodosからErysichthonの子TriopasがRhodes対岸のCnidus半島にTriopionを創建した。[4]
AcmonとAstypalaeaとの間の息子Ancaeusは、Lelegesの王になった。[5]
Lelegesは、Cariansの一部族とされるが、Cariansと混血したGreeksと思われる。[6]
AncaeusはMaeander川が流れるMiletusに住んでいたSamiaを妻にした。[7]
Samiaは、恐らく、Cariansの娘で、戦争捕虜であったと思われ、AncaeusはCherronesusからMiletusまでの範囲に居住するGreeksとCariansを支配した。[8]
Miletusは、Lelegesの居住地であった。[9]
Miletusは、古い時代には、Lelegeisと呼ばれていた。[10]
Trojan Warの時代には、Lelegesの居住地は、Troas地方にまで及んでいた。[11]

3. Cyprusとの関係
BC1438年、CreteのIda山で山火事が発生して、偶然に鉄が発見された。[12]
発見者は、CelmisとDamnameneusであった。[13]
彼らは、Berecynthus地方のApteraに住み、Idaean Dactylsと呼ばれた。[14]
CelmisとDamnameneusは、Cyprusで鉄を発見した。[15]
CelmisとDamnameneusは、Idaean Heraclesとも呼ばれるAcmonの叔父であった。[16]

4. Cydoniaとの関係
BC1425年、Ancaeusの母Astypalaeaと共にCadmusの移民団の中にいたAstypalaeaの姉妹Europaは、Aptera近くのCydoniaに住んでいたTegeatesの子Cydonと結婚した。[17]
Cydonは、BC1430年に、ArcadiaのTegeaからCreteへ移住して、Cydoniaを創建していた。[18]
Cydonの子CardysはCydoniaに住み、Acmonの娘を妻に迎えて、息子Clymenusが生まれた。[19]
CardysとAcmonの娘とは、Agenorの子Phoenixを共通の祖父とする、いとこ同士であった。
また、AncaeusとCardysは義兄弟であると同時に、いとこ同士であった。
Acmon兄弟が、CreteのApteraからCherronesusへ移住したとき、Aptera近くのCydoniaからも多くの人々が参加したと推定される。

5. MycenaeのAtreusとの関係
Atreusの父Pelopsの父Tantalusの父は、CardysとAcmonの娘との間の息子Clymenusと推定される。[20]
つまり、AtreusとAncaeusは、Acmon(Idaean Heracles)を共通の先祖とする同族であった。

6. Ancaeusの系譜
Ancaeusの父Acmonは、Idaean Dactylsであり、種族としては、Telchinesに属していた。[21]
Telchinesは、Aegialeia(後のSicyon)のAegialeusの子Telchinを始祖にしていた。
BC1690年、Telchinesは、ArgosのApisとの戦いに敗れて、Telchinの子Cresに率いられて、Creteへ移住した。[22]
Telchinの父Aegialeusは、Argosの始祖Inachusの息子であり、Phoroneusの兄弟であった。[23]
Ancaeusの母Astypalaeaの父Phoenixの父Agenorは、ArgosのDanausの父Belusの兄弟であり、彼らの先祖は、Phoroneusの父Inachusであった。[24]
つまり、Ancaeusは、父方も母方も、Argosの始祖Inachusを先祖にしていた。

7. Cyprusへの軍事行動
Attarisiyaは、Alashiya(Cyprus)へ遠征しているが、それに関連していると思われる出来事が古代ギリシアの史料に記されている。
BC1410年、Astynousの子Sandocusは、PhoeniciaのTyreからCiliciaに移住して、Celenderisを創建した。[25]
Astynousは、初代Athens王Cecropsの娘Herseの子Cephalusの子Tithonusの子Phaethonの息子であった。[26]
Sandocusと共に移住先を探していたPygmalionは、Cyprusの北東部にCarpasiaを創建した。[27]
BC1390年、Sandocusの子Cinyrasは、CiliciaのCelenderisからCyprusの南西海岸に移住して、Palaepaphosを創建した。[28]
これらの移住は、Attarisiyaの軍事行動と関りがあると推定される。
Ancaeus (Attarisiya)の母Astypalaeaの父Phoenixは、PhoeniciaのTyreの王であった。[29]
Phoenixの妻Perimedeは、Cecropsの娘Herseの子孫と思われ、SandocusとAstypalaeaは、いとこ同士、あるいは、又従兄弟同士であったと推定される。
つまり、AncaeusとSandocus、あるいは、彼の息子Cinyrasとは、親族であった。

おわり