1 はじめに
1876年にHeinrich Schliemannによって、Mycenaeの遺跡で発見された「AgamemnonのMask」を付けて埋葬された人物は、第9代Sicyon王Messapusと思われる。
当時、ArgosはPhoroneus、SicyonはAegialeiaと呼ばれていたが、分かりやすくするために、改名後の名前で記述する。
2 Sicyon王の系譜
2.1 第9代Sicyon王Messapus
AD2世紀の紀行作家PausaniasとBC2世紀の年代記作者Castorは、Sicyon王の系譜を伝えている。[1]
Pausaniasは、概ね、Castorが記したSicyon王の系譜を参照している。
しかし、第7代Thurimachusから第10代Peratus (or Eratus)までの系譜については、Pausaniasは別の史料を参照しながら記述している。
Pausaniasは、Thurimachusの子Leucippusに息子がいなかったので、彼の娘Calchiniaの息子PeratusがLeucippusの跡を継いだと記している。[2]
しかし、Castorが作成したSicyon王のリストでは、Leucippusの次にMessapus、Messapusの次にEratusになっている。[3]
このことから、Messapusは、Calchiniaの夫であり、Peratusの父であったと推定される。
2.2 第7代Sicyon王Thurimachusの娘
AD2世紀の著述家Apollodorosは、the All-seeingと呼ばれるAgenorの子Argusが、Asopus河神の娘Ismeneと結婚したと伝えている。[4]
ArgusとIsmeneが結婚した当時、Asopus川が流れるSicyonの王は、Aegydrus (or Aegyrus)の子Thurimachusであった。[5]
つまり、Ismeneの父Asopus河神とは、Thurimachusであり、IsmeneはThurimachusの娘であったと推定される。[6]
2.3 Messapusの父
第9代Messapusは、第8代Leucippusの娘Calchiniaの夫として、義父の跡を継いだように見える。
しかし、Messapus本人もSicyon王の血筋に連なる者であったと推定される。
つまり、Messapusは、第7代Thurimachusの娘Ismeneの息子であったと思われる。
したがって、Messapusの父は、Agenorの子Argusと推定される。
3 SicyonとArgos
3.1 王位簒奪
BC1750年、Inachusの2人の息子たち、PhoroneusとAegialeusは、ArgosとSicyonを創建した。[7]
AD5世紀の歴史家Orosiusは、Argos王Phoroneusの時代に、PhoroneusとParrhasiansが、TelchinesとCaryatiiを相手に戦ったと伝えている。[8]
このTelchinesは、Castorが記している第3代Sicyon王Telchin (or Telchis)を始祖とする種族と推定される。[9]
Pausaniasは、Telchinが第2代Sicyon王Europsの息子だと記しているが、それであれば、Telchinesという種族名にはならない。
Phoroneusの息子にも、Europsという名前の息子がいることから、次のように推定される。[10]
初代Sicyon王Aegialeusには後継者がなく、Aegialeusの兄弟Phoroneusは、自分の息子Europsを第2代Sicyon王にした。
Sicyonの有力者Telchinは、その措置に反発して、Telchinesを率いて、Phoroneusと戦って破り、Telchin自身が第3代Sicyon王になった。[11]
3.2 ApisによるSicyonの支配
Phoroneusの子Apisは、Sicyonを攻めて、SicyonをArgosの支配下に置いた。[12]
Castorの一覧表では、Apisは、第3代Argos王であると同時に、第4代Sicyon王としても記されている。[13]
Apisは、第2代Sicyon王Europsの兄弟であった。
Sicyonは、Inachusの後裔Apisによって、25年間統治された後で、再び、Telchinesの統治になった。[14]
3.3 Creteへの移住
ApisとTelchinesとの戦いで、戦いに敗れたTelchinの子CresはCrete島へ移住した。[15]
Cresが率いたTelchinesは、Crete島では、Eteocretansと呼ばれ、Cresは彼らの王になった。[16]
Crete島で鉄を発見したIdaean Dactylsは、Telchinesであり、Telchinesは、金属加工の知識を持った種族であった。[17]
3.4 CreteとSicyonの交易
BC1665年、Sicyonは、Argosの支配から独立した。[18]
その後、SicyonとCrete島のTelchinesとの交易活動が始まった。
Mycenaeは、Argolis湾とSicyonとを結ぶ要衝の地にあった。
BC1750年に、ArgosとSicyonが創建されたときに、Mycenaeも創建されたと推定される。
4 Mycenaeの隆盛
4.1 Argosの内紛
BC1600年、Argosに住んでいたNiobeの子Argusの後裔の間で、争いが生じた。
Argusの子Criasusの子Phorbasは、Argusの子Peirasusの子Triopsから王位を簒奪した。[19]
Triopsに味方したArgusの子Ecbasusの子Agenorの子Argusは、Mycenaeへ移住して、町はArgionと呼ばれるようになった。[20]
Argusは、many-eyed、あるいは、All-seeingと呼ばれ、先見の明がある優れた人物であった。[21]
4.2 Mycenaeとの姻戚関係
Argusは、第7代Sicyon王Thurimachusの娘Ismeneを妻に迎えた。[22]
Argusの子Messapusは、第8代Sicyon王Leucippusの娘Calchiniaを妻に迎えた。[23]
Leucippusが死ぬと、Messapusは、第9代Sicyon王になり、Mycenae に住みながら、Sicyonを治めた。[24]
4.3 Argosとの戦い
BC1560年、Argusの子MessapusがArgosを攻め、Sicyonに住むTelchinesも攻撃に参加した。
Argosに住んでいたPelasgiansは、各地へ移住した。[25]
この戦いの後で、Mycenaeは、Arcadia地方に住むPelasgiansを除いて、Peloponnesus半島に住む人々の大半を支配することになった。
SicyonもMycenaeとの姻戚関係で、発展したと推定される。
5 AgamemnonのMask
5.1 Maskを付けて埋葬された人物
BC1560年、Mycenae王Messapusは、Sicyon王でもあり、Argos王を従える大王になった。Messapusは、Mycenaeの遺跡から発掘された「AgamemnonのMask」を付けて埋葬された人物と推定される。
5.2 Maskの製作者
Maskを作ったのは、鉱山技師であり、金属加工技術者でもあったIdaean Dactylsという名前を持つTelchinesであった。[26]
Telchinesは、Rhodes島に名前を与えた種族であり、海の子と呼ばれ、航海術に優れた種族であった。[27]
おわり