エレウシスのエウモルポス

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1. 時代の異なるエウモルポスの混同
 AD2世紀のギリシアの著作家アポロドロスは、「キオネはエウモルポスを産み、エウモルポスはエチオピアでもうけた息子イスマロスと共にトラキア王テギュリオスのところへ逃げ込んだ。さらに、トラキアからエレウシス人のもとへ逃げ、イスマロスの死後、エウモルポスは、トラキアに迎えられ、テギュリオスの後継となった。アテナイとエレウシス人が戦いとなったとき、エウモルポスはトラキアから軍を率いてエレウシス人に加勢した。戦いでエウモルポスは、エレクテウスに殺されたが、エレクテウスも死んだ。」と伝えている。(1)

ここで言うエウモルポス の母キオネは、オレイテュイアの娘であった。(2) そして、オレイテュイアの父は、第6代アテナイ王エレクテウスであった。(3)
アポロドロスの記述が正確であれば、エウモルポス はエレクテウスの曾孫にあたるが、系図を作成してみるとエウモルポス(BC1330生)が生まれたときには、エレクテウス(BC1430生)は既に死んでいたと思われる。

BC5世紀のギリシアの歴史家トゥキュディデスやBC1世紀の古代ローマの著作家ヒュギーヌスおよびアポロドロスは、エウモルポスとエレクテウスが戦ったとしている。エウモルポスが指揮した軍は、トゥキュディデスではエレウシス人であり、アポロドロスではトラキア人であるが、ヒュギーヌスでは不明である。また、ヒュギーヌスとアポロドロスは、両者とも死んだとしているが、トゥキュディデスでは不明である。

2. イオンやエレクテウスと同世代のエウモルポス
 アポロドロスの記述の後段のエウモルポスは、トラキア族の首領で、第5代アテナイ王パンディオンが死に、第6代アテナイ王エレクテウスが即位するも幼少であったBC1420頃、アッティカに侵入、レイトイ川から西側のエレウシスに居を定めた。(4) アテナイ人と戦いになり、アテナイ人は、クストス の子イオン(BC1470生)を指揮官に選出してエウモルポスと優位に戦いをすすめ、休戦に持ち込んだ。(5)  エウモルポス と同族のディサウレスは、イオンによりエレウシスから追放されたが、エウモルポスは、エレウシスに留まった。(6)
エウモルポスの子インマラドスの代になって、再び、第6代アテナイ王エレクテウスとの間に戦いが起こり、2人ともで死んだ。(7) その後、エウモルポスはケレオスの娘たちとともに神事を執り行った。(8) このエウモルポスは、BC1450生まれと推定される。

3. ヘラクレスと同世代のエウモルポス
 アポロドロスの記述の前段のエウモルポスは、曽祖父はアテナイ人エレクテウスであったが、祖父はトラキア人ボレアスであった。(9) エウモルポスはヘラクレスを清め、密儀に入会させたと言われ、BC1330生まれと推定される。(10)