ヨーロッパの国々Z 国際都市ウィーン(3)
        シュテファン大聖堂
 考えてみますとウィーンも不思議な都市です。 私はある音楽会のプログラムに「音楽の都ウィーンは、一見ヨハン・シュトラウス的世界である。都市全体がサーヴィスに徹し、人々はあくまでも慇懃さを失わない…」と書きましたが、外国人に対するわけ隔てのない接し方は、見事という他ありません。南にユーゴスラビアとイタリア、西にリヒテンシュタインとスイス、北に西ドイツとチェコスロヴァキア、東にハンガリーの計七ケ国と国境を接している状況では、国を閉鎖したり、一方の勢力に与するのはナンセンスというものでしょう。どの国とも等距離で付き合い、あらゆる人々を受け入れています。それにしても日本人も含めて、この国に滞在している観光客の多いこと、毎日何百万というのもあながち誇張ではありません。どこの教会に入っても、様々な服装の人々が祈っており、同時にあらゆる言語が飛び交っているのです。ある日の夕方、ガウデ教会でオルガンコンサートがあるというので、地図を頼りに出掛けました。時間が少し早かったので、外で待っていました。中ではブラスバンドを用いたミサが行われています。扉の上方にはその建物の由緒を示す旗が数本掲げられ、その下に「この教会が再建されて新しいオルガンが建造されたとき、ヨハネス・パウロ二世聖下が特別に祝別された」とありました。外で配られたチラシを見ても何語か不明で、外に漏れてきた司祭の言葉も理解できません。後で分かったことですが、この教会はポーランド人専用で、もちろんポーランド語のミサが行われていたのでした。
 ウィーンの象徴と言われる聖シュテファン大聖堂は市の中心にあり、リングの中の道はすべてそこに通じています。14世紀の中期に完成され、その後何度も改築され現在に至っていますが、毎日観光客が絶えません。私が最初に訪問したときのことです。その壮大なドーム(こちらではこう呼ばれています)に圧倒されながら見学を終え外に出たとき、もう一方の大きな扉を、入ってくる観光客のためにいちいち丁重なしぐさで開けている30ぐらいの男性がいました。澄み切った瞳で、悪びれず真直に前方を凝視する彼の首から、何やら板切れがぶらさがっています。私は何気なく近寄ってその板に書かれた文字を読んでみました。「私は妻と子に食べ物を与えなければなりません。私に職を与えて下さい」。狼狽した私はすぐその場を立ち去り、結果的には施しをする機会を失ったのです。その後、二度と彼の姿を見ることはありませんでした。もしかして、私はキリストを拒んでしまったのではないか……本当に兄弟が必要とするときに、何ら救いの手を差し伸べなかったのだから。
  (以下次号)

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