ヨーロッパの国々] 思い出に残る人々(1)
            ラインハルト夫妻と
 この度の海外生活では、多くの人々と親しくなりましたが、その中でも特に忘れられない何人かの人たちを紹介しましょう。東ドイツでは、まずラインハルト教授(第1回登場のR教授)夫妻を挙げなければなりません。ご主人は教育哲学の先生で、奥さんは体育の先生です。二人とも博士で、私とそれほど年は違わないのですが、その人なつっこさと、アルコール好きで、私が前回(1985年)に東ドイツへ研修にいったときに意気統合したのです。今回は、彼の家に泊めてもらうなど人方ならず世話になりました。奥さんの話によると、私が行く1年程前、彼は重い肝臓の病気に罹り生死の境を彷徨ったそうで、「ジントニック以外はだめよ」と言われてました。私が進呈したLLの甚兵が殊の外気に入り、直ぐ着て、友人たちに見せびらかしていました。奥さんには浴衣をプレゼントしたのですが、何と左前に着せてしまい後で写真をみて冷汗をかいた次第です。もし彼がマルクス哲学の教授なら、今頃は教職を追われているかも知れません。でも彼のアルコール好きをみますと、真理を愛する者として体制に批判的でありながら、現実的に無力な己を痛めつけているように思えてなりませんでした。東ドイツでは、男女を問わず中年のアル中に至る所で出会いました。その時私は、訳の分からない言葉を吐きながらよろめく彼らの背に、戦後の東ドイツが背負わされ続けた運命の苛酷な重荷を垣間見たのです。
 ライプチヒ民族博物館のヴァルター博士も忘れられない一人です。まだ30代の若さですが、何度か来日しており、生け花の研究や日本の伝統芸術の紹介に力を尽くしています。実に謙虚な人物で、私の研究のため、かの悪名高い?トラバントを駆って、私の手足になってくれました。個人では絶対に入手できない資料を、購入するきっかけもつくってくれましたし、私に食事をおごるため、さりげなくカードで貯金を降ろしているのを見てしまい、本当に済まなかったと思っています。「あなたは私のお客だから」と言うのが口癖でした。彼の家にホームスティしている日本人の留学生によると、学生時代の彼は非常に優秀で、将来を嘱望されていましたが、彼の父が貴族で戦前金属加工の会社を経営しており、労働者階級の出身に非ずということで、第一希望の天文学、第二希望の生物工学に進むことができず、現在の職業についたのだそうです。でも彼は、美しい奥さんと可愛い女の子に恵まれ、本当に幸せそうでした。彼の言葉「生け花の世界を通して宇宙がみえてくる」には、感心させられました。頑なに共産党入党を拒否していた彼ですから今では本当にのびのびと活躍していることでしょう。
  (以下次号)

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