再会“幻の”ハヤシライス
私がこどもの頃、青森市の新町、松木屋デパートの側にバスターミナルがありました。その二階にレストラン精養軒があって、そこのハヤシライスが大の好物でした。たまに家族で外食の時には、その精養軒では私は決まってハヤシライスを注文したものです。
銀の器に盛られたハヤシソースを、もちてがちょっとカーブしているスプーンで皿のご飯にちょびちょびと掛けながら、それもこどもながらに最後の一掛けにご飯とソースがちょうどいい分量で残るように計算しながら食べるのは、その甘みの多い、炒めた牛肉の香りが少し混じった味とともに、すごく高級な西洋料理を食べているような気になったものでした。
今思うと、その当時ハヤシライスは結構高い値段だったはずで、親達にしてみれば「たまにはもう少し安いものを注文せんか!」と内心思っていたことでしょう。
年を重ねるにつれて、小学生だった頃はあんなに大好きだったハヤシライスも“こどもの食い物”のような感じがしてきてだんだん食べなくなっていきましたが、大学生になって弘前市で暮らしていた頃、百石町にグリルマツダという洋食屋さんがあって、そこでふと思い出してハヤシを注文して食べたらこれがすごく美味くて、たまにちょっと懐具合のあったかい時は、ひとりグリルマツダに入ってハヤシライスを味わいました。やっぱり自分がハヤシライス大好き人間であったことに改めてきづいたのでした。
その後、青森の精養軒も、弘前のグリルマツダもいつの間にか姿を消し、たまにあの味を思い出した時、新しくできた洋食屋でハヤシライスを注文してみたりもしたのですが、肉も高級でドミグラスソースも昔より濃厚で複雑になってそれはそれで美味いのだけれど、それはいつも昔食べたものとは似て非なるもので、あの頃のハヤシライスはもう口にすることはないのだなぁ、と自分の思い出の中にしまいこんでいました。
つい先日、弘前に午後に開かれるコンサートを聴きに妻とふたりで出かけた時、昼食をどこかでとろうと土手町から角み小路へはいってみました。角み小路は昔から食い処、飲み処が両側に並ぶなかなか情緒ある路地ですが、しばらく見ない間に珈琲の万茶ンなど残っている店があるものの「ずいぶん様変わりしたねぇ」と話しながら鍛冶町側にぬけたところで、さっき看板を見たランチセットにしようかと小路を戻りかけたその途中でした。
ありました。
路地の中間あたり、すきま家具のように小さい店がはさまって、変哲もないガラス戸に“グリル ニューマツダ”のロゴ。「本日のシェフおすすめ」のパネルが掛けられているわけでもなく、「ランチセット・ドリンク付」のはりがみがあるわけでもない、さりげないたたずまいに心がさわぎました。「ここには、ある」と直感が囁きました。
実は、このお店も随分前からこの場所にあったのですが、すっかり忘れていたのでした。
とても狭い店に入ってみると、そこは昔ながらの薄暗さで、 四人がけのテーブルが六卓あるばかり。使い古されたそのテーブルにはレース模様のビニールのテーブルクロス、しかしどのテーブルにもただの透明なコップに三、四輪の活花が挿されて心が和みます。妻はチキンライスを、私は迷うことなくハヤシライスを頼みました。
思った通りでした。あくまでも細く切られたタマネギ、高い肉ではないからこれも細切りの牛肉が、ユルユルとしているがゆる過ぎず、ちょうどいい具合にご飯粒の間に染みているブラウンソースにからまって絶妙です。味としては今の自分には甘過ぎますが、間違い無くあの頃のハヤシです。……美味い!
後からひとりで店に入ってきたおばあちゃんが、「いや、暑くて、暑くてまいったねぇ」「今年はつづきますねぇ」とおかみさんと会話を交わし、カツカレーを注文しました。
「お料理のほう、お持ちしました。(マズクても、私の責任じゃないからね)」「ご注文はお揃いでしょうか。(たのんだものは自分で確認しろよな)」という世界が普通になってしまった世の中にあって、こういう店が貴重になり、むしろ異空間であることを、幻のハヤシライスを食べながら、私は改めて悲しく思ったことでした。
弘前角み小路、グリル ニューマツダ……贔屓にしたいお店です。近いうちに別のメニューも食べてみましょう。
ハヤシライス、650円……リーズナブルを通り越して、いまどきあまりにうれしいひと品です。
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